第5話 影のパーティー 10
七色は、
(隙が、ない)
と、闘いながら、思った。
胸の奥で、冷たいものが一度、小刻みに震え、すぐに戦意に変わった。
(私たちを、攻撃するタイミング、布陣……)
七色の剣が、男子生徒の影を、斬った。
(ひとつひとつが、精密すぎる)
切断面から、黒い靄が散る。
霧は、床に落ちる前に霧散した。
(自分に、攻撃が、及ばないように……うまく、みんなを動かしている)
ボールカゴを持った男子生徒が、凄まじい膂力で、ボールカゴを、七色に、放り投げた。
(あの鷲宮という男……私たちより、数手先を、常に見ている)
空気が裂け、鉄枠が、悲鳴を上げるように飛ぶ。
それは、まるで七色を狙う巨大な投石器だった。
七色は、バク転をして、ボールカゴと、その中に収められていた大量のバスケットボールから、逃れた。
床との距離がふっと消え、逆さになった視界の端で、襲い来る影の群れが、波のようにうねっていた。
身体が宙に浮いたままの、無防備な七色を、狙いすましたかのように、ボールカゴの第二投撃目が、放たれた。
「……っ」
風切り音は、先ほどより鋭く、重い。
まるで、逃さないと言わんばかりの執拗さだった。
「ここ……!」
と、七色は、宙返りの体勢のまま、バスケットボールを、自身の剣をスイングして、打ち出した。
衝撃が腕に響き、放たれた球は、弾丸のように二つの軌跡を描く。
二個のバスケットボールが、鷲宮に、向かっていった。
「こんなもので、私を、攻撃しても、無駄でしょう」
と、鷲宮は、言い放ち、ゆっくりと指を、鳴らした。
その余裕の態度が、七色の皮膚を冷やした。
七色の前に迫っていた、生徒の影が、震えて、影の針が、生成された。
黒い影が縫い合わさり、鋭い棘となって先端をこちらに向ける。
生徒本人の意思は、もうどこにもない。
囁きのような声とともに、七色の右の剣が、振られる。
「"ディヴァインエッジ"」
七色が、素早く両腕を交差する。
その次の瞬間には、前方で交差される双つの剣は、薄い紅色の飛刃を、放っていた。
夕暮れの色にも似た光の刃が、重なりあった。
影の針は、七色の放った光束飛刃に壊されて、黒煙が、舞い上がった。
煙の中で、生徒たちの影は苦しむように歪み、次第に形を崩していく。
鷲宮は、
「やりますねえ」
と、言った。
その声音は、むしろ楽しんでいるようで、七色の眉が、わずかに寄った。
鷲宮は、自身に迫ってきたバスケットボールを、打ち払おうとした。
「"透色の翼"」
と、七色は、力ある言葉を、紡いだ。
響いた瞬間、空気が淡い色を帯び、七色の背へ、さらりと風が集まる。
鷲宮が、バスケットボールを難なく打ち払ったと同時に、七色の背中に、透明な桜色の翼が、創り出された。
薄膜のようでありながら、光をまとって脈動するその翼が、七色の身体を、一瞬で加速させた。
着地した七色の踏み込みが、一気に、加速した。
床板が軋み、踏み込んだ跡に、風の筋だけが揺れる。
鷲宮は、一瞬にして、自身の前に、七色の影が、浮かび上がって、顔が、歪んだ。
「馬鹿なっ……」
初めて焦りを見せる声音だった。
「一気に、距離をつめた、だと!」
その隙を、七色は、逃さなかった。
七色の双剣が、連結される。
そして、一振りの剣となった。
「はあああああああっ!」
金属音が短く響き、力が、一本へ凝縮される。
七色は、自身の身体を、瞬間、沈み込ませ、独楽のように、回転させた。
周囲の影がぐにゃりと歪んだのは、七色の回転が、速すぎたからだ。
「"ハウリングストライク"……っ!」
その回転による勢いのまま、七色は、真上に跳躍し、斬りあげの剣撃を、放った。
風が裂け、刃が遠吠えのように唸り、縦に走った斬撃は、光の狼が、駆け上るかのようだった。
七色の剣に斬りつけられた、鷲宮の身体は、黒色の波となって、ざあっと掻き消えた。
残ったのは揺らめく影の残滓だけで、実体はどこにもない。
綺亜が、
「……やった?」
と、言った。
その声には、希望よりも、不安の色が濃かった。
着地した七色は、綺亜を見て、ゆっくり首を振った。
「いえ」
と、七色が、短く、言った。
「手応えが、ありません」
剣を握る手には、まだ緊張が残っている。
"影法師"に意識を縛られたままの新谷の口が、半月に、開いて、
『残念でしたね。外れです』
と、言った。
その口調は、完全に鷲宮のものだった。
「あなたは、この場には、いないようですね」
と、七色が、壇上の奥を見て、言った。
壇上の奥には、意識を失った、柿沼という教師が、一人、倒れ込んでいた。
その影だけが不自然に濁り、そこから、薄い黒煙が、絶え間なく漏れ続けている。
七色は、
「柿沼先生の影から、自身の幻影を、つくり出していたわけですか?」
と、新谷に視線を移して、聞いた。
新谷は、笑って、
『正解です』
と、言った。
「ですが、手品の種明かしは、もう、その手品を楽しめなくなることを、意味する」
新谷は、うそぶくように、
『他の観客に対して、あまり誠実ではないと、思いますね』
「ふざけないで!」
と、綺亜が、言った。
『ふざけてなどいませんよ』
と、新谷は、肩をすくめた。
その仕草は、先程までの鷲宮の姿と声の調子を模したようである。
「影からこそこそと、卑怯なやつ……!」
と、綺亜は、声をあげたが、すぐに続けて、
「でも……これだけの人間を、一遍に操る魔術の力、そんなに遠くからでは、使うことはできないはずよ」
『……ほう?』
と、新谷は、楽しそうに、目を細めた。
その反応が、綺亜の確信を、逆に強めた。
「あんたを見つけて、墜としてやる」
と、綺亜が、宣言するように言って、そのまま、体育館の扉に向かって、走り出した。
綺亜の足音は、怒りと焦りと責任感が混ざったように、重くも鋭かった。
「待ってください!」
と、七色は、言った。
「単独行動は、危険です。なにか、あるかもしれません」
「罠……ってこと?」
と、綺亜が、聞いた。
「今までの"虚影の指揮者"の行動から、導き出される性質は、神出鬼没かつ用意周到ということです」
七色は、言葉を、切った。
二人の視線が、静かに交錯する。
七色は、綺亜に、
「わざわざ姿を、見せたのには、理由が、あると思います」
と、はっきりと言った。
「そんなの……」
と、綺亜は、紡ぐように、呟いた。
「私が倒せば、すべて終わる話よ!」
自身に言い聞かせるように言うや、綺亜は、飛び出していった。
体育館の扉が、大きな音を、立てた。
『元気なお嬢さんだ』
と、新谷が、言った。
『気概は、賞賛に値しますね』
その眼は、獲物の動きを面白がる捕食者のように、冷たい。
新谷は、ゆっくりと、辺りを、見渡して、
『私の兵隊も、随分と、倒されてしまったようだ』
と、言った。
"影法師"に操られて立っている生徒の数は、半分ほどに、減っていた。
しかし、減った分だけ、影の濃さは、逆に深くなっていくように見えた。
『仕切り直しといきましょう』
新谷が、指を、鳴らした。
新谷のフィンガースナップによって、先程まで倒れ込んでいた生徒たちが、ゆっくりと起き上がってきた。
関節がぎこちなく動き、まるで糸で操られる操り人形のようだった。
影を斬りつけたはずの生徒たちの影は、再び、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐のように、濁っていた。
黒と白の粒が不気味に混ざり合い、そこに、意思のようなものが宿っているのを、七色は、感じた。
「……な」
と、杏朱を守っていた彼方が、声をあげた。
その声には、恐怖だけでなく、焦りが、混ざっていた。
なんとかしなければなどとは、いえなかった。
それでも、なにかしなければ、と切にそう思った。
影に操られたままの生徒達は、虚ろな挙動のまま、七色と彼方に、迫ってきていた。
「やはり、"爛の王"自身を、討たなければなりません」
七色の剣が、音を立てた。
その音は、決意が形になって、震えたようだった。
七色の双つの剣の内の一振りが、彼方に、差し出されていた。
その七色の行動に、彼方は、とまどった。
「ええと……」
「この剣を、朝川さんに、託します」
「そんな……僕に、使えるわけないよ」
七色は、微笑んだ。
戦いの最中とは思えない、やわらかな、けれど強い笑みだった。
「朝川さんが、操影の魔術"影法師"を前に、正気を保っていられるのが、不思議でした」
「あ……」
彼方は、言葉を失った。
気づかなかった。
七色の言う通りだった。
なぜ、自分は正気を保っていられるのか。
「朝川さんが、普通の人とは違い、魔術に対する耐性が段違いであることを、示しています」
と、七色が、言った。
(そう、か)
と、彼方は、思った。
七色に指摘されるまで、全く考えもつかなかったことだった。
自分にできることが、本当にあるのかもしれない。
そう思わせるだけの重みが、七色の声には、あった。
「行ってあげて下さい」
と、七色が、言った。
「御月さん……?」
「この場は、私が、何とかします」
彼方に向き直った七色は、改めて、片方の剣を、差し出した。
「この巫女の剣……朝川さんの助けになるはずです」
七色は、彼方の目を見て、言った。
「今の綺亜さんには、彼方さんが、必要だと思います」
「……うん」
彼方は、七色から、剣を受け取った。
両手に、想像以上の、剣の重たさを、彼方は、感じた。
ただの金属の重みではない。
七色の想いと覚悟が宿った、見えない重さだった。
彼方が、体育館から出て行ったのを見届けた後、七色は、人影の群れに、対峙した。





