表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/146

第5話 影のパーティー 8

 拍手の音が、した。


 乾いた音ではない。


 どこか粘りつくような、妙に耳に残るリズムだった。


 喝采という調子だった。


 それは祝福というより嘲笑に近い温度を帯びているように、七色の耳には、聞こえた。


「その影を見れば、私は、揺れ惑う己が四肢を、見る」


 と、通りの良い声が、体育館の擦り切れた空気を震わせるように、響いた。


 それは、言葉を失うような、異物感のある響きだった。


 七色は、


「……」


 と、わずかに息を吸い、声のした方向に目を向けた。


 その瞳は、戦いの最中のように研ぎ澄まされ、状況を把握しようとしていた。


「踊り、踊らされて」


 声は、続く。


 その節回しは、どこか詩を読み上げる語り部のようだった。


 しかし、底には、冷たい調子が潜んでいた。


 綺亜もまた、


「……」


 と、七色と同じ方向に、目を向けていた。


 二人の視線の先で、体育館の薄暗がりが、ゆっくりと揺らいでいるかのようだった。


「さあ、踊り狂う悲劇を、始めよう」


 壇上の奥から現れたのは、ネイビーのトレンチコートを羽織り、ネイビーの帽子を目深に被った、一人の男性である。


 その歩みは、静かだった。


 だが、靴音はやけに大きく、空気を叩くように響いた。


 トレンチコートの男は、芝居がかった調子で、言った。


「私が主催しましたパーティーは、いかがでしょうか?」


 と、男は、言った。


 口調は、極めて丁寧だった。


 だが、丁寧なだけである。


 言葉の端々に潜むのは、温情などではなく、侮蔑だった。


 その調子は、慇懃無礼(いんぎんぶれい)を隠そうともしない、傲岸不遜(ごうがんふそん)を想起させた。


 その声音は、まるで楽しめるはずがない分かった上で、そう尋ねているようだった。


 綺亜は、


「……こいつが……」


 と、言った。


 その声の調子に、綺亜は、確かに、聞き覚えがあった。


 胸の奥がかすかに疼く。


 忘れようとしても忘れられなかった声だった。


(こいつが、お母様を……)


 と、思った綺亜は、両手を、握りしめた。


 指が白くなるほど、力がこもる。


 小刻みに震える拳は、込み上げる怒りを抑えきれない証だった。


 トレンチコートの男が、


「お話するのは、商店街での一件以来でしょうか」


 と、柔和な笑みを浮かべて、言った。


「あの時は、なんとも不躾な挨拶で、失礼しました」


 言葉は、謝罪の意味を持っていた。


 しかし、それだけだった。


 実際には、悪びれる様子など、皆無だった。


 表情は柔らかいままだが、瞳の奥は、氷のように冷え切っている。


 文字通りの、形だけの謝意そのものだった。


 トレンチコートの男の柔らかい態度とは、対照的に、綺亜は、相手を、睨みつけて、


「これが、初めてよ」


 と、言った。


「なるほど」


 と、トレンチコートの男は、苦笑して、


「確かに、こうして、直接にお話しするのは、初めてですね」


 と、続けた。


 男の笑みは薄く、どこか人を弄ぶ色を帯びていた。


 トレンチコートの男が、ぱちりと指を鳴らす。


 三人の男子生徒達が、咆哮をあげた。


『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』


『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』


『ああああああああああああああああああああああああ』


 その声は、人間のものとは思えぬほど濁っており、理性を手放してしまった獣のようだった。


「同じ学び舎で、苦楽を共にする友人達からの、無慈悲な制裁」


 三人の男子生徒たちが、綺亜に、向かっていた。


「……く」


 綺亜は、うめいた。


 三人は、ゆっくりと向かってくる。


 同じ学び舎で学ぶ仲間であったはずなのに、その足取りには、敵意しか宿っていない。


「なかなかにそそられる、シチュエーションじゃありませんか?」


 何れもの生徒が、跳び箱を、軽々と、片手で、持ち上げていた。


 人間の筋力ではない。


 影に意識を縛られ、リミッターが壊れてしまった身体が、無理な動きを強制されているのだ。


("影法師"に、意識を縛られているから、脳のリミッターが、外されてしまっている)


 と、綺亜は、思った。


(あれじゃ、身体のほうが、持たない!)


 胸が痛んだ。


 彼らは、この場この時においては、対峙する相手ではある。


 だが、同時に、被害者でもあるのだ。


「さあ、倉嶋綺亜さん」


 と、トレンチコートの男が、言った。


「この窮地に、どう立ち向かうのか、私に、見せて下さい」


 綺亜は、ためらいの表情を浮かべたが、自身の思いを断ち切るように、構えて、


「……ごめんね」


 と、呟いた。


 その呟きは、戦う相手へではなく、操られている彼らの本来の心へと向けたものだった。


 力任せに振り下ろされた、跳び箱が、綺亜の身体を、掠めた。


 風圧が肌を切り裂くほど鋭く、次の瞬間には、地面に激突して、木片が四散した。


 激しい音を立てて、粉々になった跳び箱の木片が、綺亜の腕を、切った。


「いっつ……!」


 赤い線が、薄く浮かび上がる。


 綺亜の蹴りが、一人目の男子生徒の身体を、捉えていた。


 男子生徒の体が、宙に、舞った。


 その軌跡は緩慢に見えるほど、綺亜の動きが速かった。


 その綺亜の動作の、フォロスルーを見逃すまいと、もう一人の男子生徒が、綺亜に襲いかかったが、


「えぁっ!」


 綺亜の華奢な身体が、くるりと回転し、蹴りが、放たれた。


 二人目の男子生徒が、倒れ込んだ。


 床との衝突音が、静まり返った体育館に鋭く響き渡った。


 一瞬の内に、二人の男子生徒が、体育館の床に、倒れ込んでいた。


 綺亜の呼吸が、わずかに荒くなる。


 綺亜が、見上げる。


 三人目の生徒が、両手で抱えた跳び箱を、綺亜めがけて、落とそうとしていた。


(まずい……!)


 三人目の男子生徒の跳び箱による振り落としを、床を転がって回避した綺亜は、男子生徒の足元を、すくった。


 男子生徒の体勢が崩れ、鈍い音を立てて倒れ込む。


 綺亜は、息を切らしながら、立ち上がった。


 しかし、目はまだ死んでいない。


 むしろ強く燃えていた。


「お見事です。あなたの足技は、やはり美しい。それでいて、可憐だ」


 と、トレンチコートの男が、言った。


「私のパーティー、楽しんでいただけているようで、何よりです」


 拍手まで添えるような軽い口調だった。


「悪趣味すぎる、パーティーね」


 と、綺亜が、言った。


「お気に召さないと、おっしゃられる?」


 綺亜は、


「小細工抜きで、正々堂々と、勝負しなさい」


 と、相手を、睨みつけた。


「このほうが、お互いに、楽しめると思ったんですがねえ」


 トレンチコートの男は、大袈裟に肩をすくめてみせて、


「やれやれ。折角、用意したステージなんですがね」


 と、トレンチコートの男は、目深に被っていた帽子を、正した。


「興を感じ取るには、まだまだ幼いお嬢様、というわけですか」


 顕わになった、トレンチコートの男の顔は、端正な二十代の風貌で、丸眼鏡を、かけていた。


 一見すれば好青年だが、その表情のどこにも温度はなかった。


 トレンチコートの男の切れ長の目は、計算高さを、物語っているようであり、薄い唇からは、男の冷酷さが、感じ取れた。


「真正面からかかってきなさいよ。臆病者」


 と、綺亜が、言った。


「もっとはっきり言ったほうがいいかしら」


「どういう意味です?」


「ださいって言ってるのよ」


「……なに?」


「聞こえていたでしょ。あんたのやりかたは、ださいって、言ってるの」


 トレンチコートの男の眉が、不愉快そうに、しかめられた。


「見栄を張った、安い挑発は、命を捨てるのと、同義だ」


 怒気をはらんだ低い声に、綺亜は、


「……そっちが、本性ってわけね?」


 と、言った。


「わざわざ、手を抜いてあげているのです。もう少し、楽しませて下さい」


 トレンチコートの男が、ゆっくりと右手を真横に振るうと、生徒たちの動きが、ぴたりと止まった。


 まるで、糸が切られた操り人形のようである。


「これは、ハンデです。私と単騎でやりあうには、あなたがたは、弱すぎる」


 七色は、双振りの剣を、構えていた。


 薄い光を反射して、刃が静かに震える。


「改めて、名乗りをあげさせていただきましょう」


 と、言った、トレンチコートの男は、両手を軽く広げて、


「私は、"爛の王""虚影の指揮者"、鷲宮イクト」


「"爛の王"……」


 と、彼方が、息を呑むように言った。


 その言葉の重さに、場の空気がわずかに震える。


「……"爛"の中でも、特に強大な力を持つ、高位存在の"爛"……」


 と、七色が、鷲宮を見据えたまま、言った。


「さすがは、"月詠みの巫女"。良い気迫ですね」


 鷲宮が、右手を軽く振るうと、生徒たちの向きが、一斉に、七色たちに、向けられた。


 操られた瞳に光はなく、ただ命令だけをなぞるような動きだった。


「ですが、この私を、倒せますかね?」


 鷲宮が、指を、鳴らす。


 瞬間、気を失っていたはずの凛架が、突如、覚醒した。


 空ろな瞳のままの凛架が、無言で、七色に向かって、奔り込んで行った。


 戦う意思のない、しかし、正確無比な動きだった。


 凛架の鋭い蹴りが、七色の胸の辺りを捉えていて、僅かな音を立てて、掠った。


 その瞬間、空気が切り裂かれた。


 七色の体操服が切り裂かれて、白い肌が、あらわになった。


「……っ!」


 七色は、凛架の腕を掴むと、身体を、回転させた。


 技の流れは優雅ですらあり、だが、力は、正確に制御されている。


 凛架の身体が、最小限の衝撃で、床に、倒された。


「圧倒的な差だ」


 鷲宮は、悠然と言った。 


「あなたがたは、私の操り人形には、手を出せない。ですが……」


 突如、凛架の影が、震えた。


 凛架の、細い縦長の影が、突然、隆起する。


 そして、黒色の針の群れとなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42bpk4s771sz1iupmgjda531438n_aix_5k_8c_2
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ