第5話 影のパーティー 8
拍手の音が、した。
乾いた音ではない。
どこか粘りつくような、妙に耳に残るリズムだった。
喝采という調子だった。
それは祝福というより嘲笑に近い温度を帯びているように、七色の耳には、聞こえた。
「その影を見れば、私は、揺れ惑う己が四肢を、見る」
と、通りの良い声が、体育館の擦り切れた空気を震わせるように、響いた。
それは、言葉を失うような、異物感のある響きだった。
七色は、
「……」
と、わずかに息を吸い、声のした方向に目を向けた。
その瞳は、戦いの最中のように研ぎ澄まされ、状況を把握しようとしていた。
「踊り、踊らされて」
声は、続く。
その節回しは、どこか詩を読み上げる語り部のようだった。
しかし、底には、冷たい調子が潜んでいた。
綺亜もまた、
「……」
と、七色と同じ方向に、目を向けていた。
二人の視線の先で、体育館の薄暗がりが、ゆっくりと揺らいでいるかのようだった。
「さあ、踊り狂う悲劇を、始めよう」
壇上の奥から現れたのは、ネイビーのトレンチコートを羽織り、ネイビーの帽子を目深に被った、一人の男性である。
その歩みは、静かだった。
だが、靴音はやけに大きく、空気を叩くように響いた。
トレンチコートの男は、芝居がかった調子で、言った。
「私が主催しましたパーティーは、いかがでしょうか?」
と、男は、言った。
口調は、極めて丁寧だった。
だが、丁寧なだけである。
言葉の端々に潜むのは、温情などではなく、侮蔑だった。
その調子は、慇懃無礼を隠そうともしない、傲岸不遜を想起させた。
その声音は、まるで楽しめるはずがない分かった上で、そう尋ねているようだった。
綺亜は、
「……こいつが……」
と、言った。
その声の調子に、綺亜は、確かに、聞き覚えがあった。
胸の奥がかすかに疼く。
忘れようとしても忘れられなかった声だった。
(こいつが、お母様を……)
と、思った綺亜は、両手を、握りしめた。
指が白くなるほど、力がこもる。
小刻みに震える拳は、込み上げる怒りを抑えきれない証だった。
トレンチコートの男が、
「お話するのは、商店街での一件以来でしょうか」
と、柔和な笑みを浮かべて、言った。
「あの時は、なんとも不躾な挨拶で、失礼しました」
言葉は、謝罪の意味を持っていた。
しかし、それだけだった。
実際には、悪びれる様子など、皆無だった。
表情は柔らかいままだが、瞳の奥は、氷のように冷え切っている。
文字通りの、形だけの謝意そのものだった。
トレンチコートの男の柔らかい態度とは、対照的に、綺亜は、相手を、睨みつけて、
「これが、初めてよ」
と、言った。
「なるほど」
と、トレンチコートの男は、苦笑して、
「確かに、こうして、直接にお話しするのは、初めてですね」
と、続けた。
男の笑みは薄く、どこか人を弄ぶ色を帯びていた。
トレンチコートの男が、ぱちりと指を鳴らす。
三人の男子生徒達が、咆哮をあげた。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
『ああああああああああああああああああああああああ』
その声は、人間のものとは思えぬほど濁っており、理性を手放してしまった獣のようだった。
「同じ学び舎で、苦楽を共にする友人達からの、無慈悲な制裁」
三人の男子生徒たちが、綺亜に、向かっていた。
「……く」
綺亜は、うめいた。
三人は、ゆっくりと向かってくる。
同じ学び舎で学ぶ仲間であったはずなのに、その足取りには、敵意しか宿っていない。
「なかなかにそそられる、シチュエーションじゃありませんか?」
何れもの生徒が、跳び箱を、軽々と、片手で、持ち上げていた。
人間の筋力ではない。
影に意識を縛られ、リミッターが壊れてしまった身体が、無理な動きを強制されているのだ。
("影法師"に、意識を縛られているから、脳のリミッターが、外されてしまっている)
と、綺亜は、思った。
(あれじゃ、身体のほうが、持たない!)
胸が痛んだ。
彼らは、この場この時においては、対峙する相手ではある。
だが、同時に、被害者でもあるのだ。
「さあ、倉嶋綺亜さん」
と、トレンチコートの男が、言った。
「この窮地に、どう立ち向かうのか、私に、見せて下さい」
綺亜は、ためらいの表情を浮かべたが、自身の思いを断ち切るように、構えて、
「……ごめんね」
と、呟いた。
その呟きは、戦う相手へではなく、操られている彼らの本来の心へと向けたものだった。
力任せに振り下ろされた、跳び箱が、綺亜の身体を、掠めた。
風圧が肌を切り裂くほど鋭く、次の瞬間には、地面に激突して、木片が四散した。
激しい音を立てて、粉々になった跳び箱の木片が、綺亜の腕を、切った。
「いっつ……!」
赤い線が、薄く浮かび上がる。
綺亜の蹴りが、一人目の男子生徒の身体を、捉えていた。
男子生徒の体が、宙に、舞った。
その軌跡は緩慢に見えるほど、綺亜の動きが速かった。
その綺亜の動作の、フォロスルーを見逃すまいと、もう一人の男子生徒が、綺亜に襲いかかったが、
「えぁっ!」
綺亜の華奢な身体が、くるりと回転し、蹴りが、放たれた。
二人目の男子生徒が、倒れ込んだ。
床との衝突音が、静まり返った体育館に鋭く響き渡った。
一瞬の内に、二人の男子生徒が、体育館の床に、倒れ込んでいた。
綺亜の呼吸が、わずかに荒くなる。
綺亜が、見上げる。
三人目の生徒が、両手で抱えた跳び箱を、綺亜めがけて、落とそうとしていた。
(まずい……!)
三人目の男子生徒の跳び箱による振り落としを、床を転がって回避した綺亜は、男子生徒の足元を、すくった。
男子生徒の体勢が崩れ、鈍い音を立てて倒れ込む。
綺亜は、息を切らしながら、立ち上がった。
しかし、目はまだ死んでいない。
むしろ強く燃えていた。
「お見事です。あなたの足技は、やはり美しい。それでいて、可憐だ」
と、トレンチコートの男が、言った。
「私のパーティー、楽しんでいただけているようで、何よりです」
拍手まで添えるような軽い口調だった。
「悪趣味すぎる、パーティーね」
と、綺亜が、言った。
「お気に召さないと、おっしゃられる?」
綺亜は、
「小細工抜きで、正々堂々と、勝負しなさい」
と、相手を、睨みつけた。
「このほうが、お互いに、楽しめると思ったんですがねえ」
トレンチコートの男は、大袈裟に肩をすくめてみせて、
「やれやれ。折角、用意したステージなんですがね」
と、トレンチコートの男は、目深に被っていた帽子を、正した。
「興を感じ取るには、まだまだ幼いお嬢様、というわけですか」
顕わになった、トレンチコートの男の顔は、端正な二十代の風貌で、丸眼鏡を、かけていた。
一見すれば好青年だが、その表情のどこにも温度はなかった。
トレンチコートの男の切れ長の目は、計算高さを、物語っているようであり、薄い唇からは、男の冷酷さが、感じ取れた。
「真正面からかかってきなさいよ。臆病者」
と、綺亜が、言った。
「もっとはっきり言ったほうがいいかしら」
「どういう意味です?」
「ださいって言ってるのよ」
「……なに?」
「聞こえていたでしょ。あんたのやりかたは、ださいって、言ってるの」
トレンチコートの男の眉が、不愉快そうに、しかめられた。
「見栄を張った、安い挑発は、命を捨てるのと、同義だ」
怒気をはらんだ低い声に、綺亜は、
「……そっちが、本性ってわけね?」
と、言った。
「わざわざ、手を抜いてあげているのです。もう少し、楽しませて下さい」
トレンチコートの男が、ゆっくりと右手を真横に振るうと、生徒たちの動きが、ぴたりと止まった。
まるで、糸が切られた操り人形のようである。
「これは、ハンデです。私と単騎でやりあうには、あなたがたは、弱すぎる」
七色は、双振りの剣を、構えていた。
薄い光を反射して、刃が静かに震える。
「改めて、名乗りをあげさせていただきましょう」
と、言った、トレンチコートの男は、両手を軽く広げて、
「私は、"爛の王""虚影の指揮者"、鷲宮イクト」
「"爛の王"……」
と、彼方が、息を呑むように言った。
その言葉の重さに、場の空気がわずかに震える。
「……"爛"の中でも、特に強大な力を持つ、高位存在の"爛"……」
と、七色が、鷲宮を見据えたまま、言った。
「さすがは、"月詠みの巫女"。良い気迫ですね」
鷲宮が、右手を軽く振るうと、生徒たちの向きが、一斉に、七色たちに、向けられた。
操られた瞳に光はなく、ただ命令だけをなぞるような動きだった。
「ですが、この私を、倒せますかね?」
鷲宮が、指を、鳴らす。
瞬間、気を失っていたはずの凛架が、突如、覚醒した。
空ろな瞳のままの凛架が、無言で、七色に向かって、奔り込んで行った。
戦う意思のない、しかし、正確無比な動きだった。
凛架の鋭い蹴りが、七色の胸の辺りを捉えていて、僅かな音を立てて、掠った。
その瞬間、空気が切り裂かれた。
七色の体操服が切り裂かれて、白い肌が、あらわになった。
「……っ!」
七色は、凛架の腕を掴むと、身体を、回転させた。
技の流れは優雅ですらあり、だが、力は、正確に制御されている。
凛架の身体が、最小限の衝撃で、床に、倒された。
「圧倒的な差だ」
鷲宮は、悠然と言った。
「あなたがたは、私の操り人形には、手を出せない。ですが……」
突如、凛架の影が、震えた。
凛架の、細い縦長の影が、突然、隆起する。
そして、黒色の針の群れとなった。





