第5話 影のパーティー 6
試合開始の笛が、鋭く、空気を振り裂くように、ぴっと鳴った。
ワアッという声が、体育館にこだまする。
赤組対白組、ドッジボールの試合が、始まったのだ。
白組の一角に立つ彼方は、軽く肩を回しながら、深く息を吸った。
薄い緊張とわずかな高揚感が、胸の奥で、混ざっていた。
「ふふっ……見せてやるぜ、俺の必殺ボールをな! いくぜぇ……ぐはああああああああああぁっ!」
意気揚々と前に出た田中の叫びは、次の瞬間、別の意味で、体育館中に響いた。
パァンッという音。
開幕からわずか数秒である。
鋭い破裂音のような音が、床に反響した。
三組の委員長、凛架が放ったボール、それはまさに弾丸だった。
アニメか漫画ではないかと思えるほどの勢いだった。
その勢いのボールが、田中の胸元へ、寸分の狂いもなく、突き刺さる。
ボールが跳ね返る頃には、田中の身体は、もう後ろに倒れていた。
「うそ……だろっ?」
「こんな、一瞬で……っ?」
白組の生徒たちの声が、震える。
田中は、コートの端にぺたりと座り込み、現実を受け止められないまま固まっていた。
いや、この言いかたは、正確ではない。
固まっていたというよりも、気を失っていた。
真っ白に燃え尽きていた。
そして、田中の出番は、まさしくあっという間に、終わった。
早速にあえなく撃沈である。
「た、たなかああああああああああああああああああああああああっ!」
「よ、弱ええええええええええええええええええええええええええっ!」
白組の端から端まで、悲壮感たっぷりの叫びが、こだました。
対照的に、赤組は、早くも波に乗り始めていた。
「速攻で、いきましょう!」
凛架が、すっと手を挙げて、声を張る。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
体育館の床が揺れるほどの雄叫びだった。
赤組の士気は、一気に天井近くまで、跳ね上がった。
「さて、お次は?」
凛架は、すでに次の標的を見定めているようで、獣のように、静かに目を細めた。
その後もしばらく、激しいボールの応酬が、続く。
白組が、外野からのパスで息を整え始めた頃、一本の柔らかい弾道が生まれた。
「えいっ」
小さな声とともに、白組の女子生徒から放たれたボールは、明らかに球威に欠けていた。
そして、
「あっ」
と、短い声を上げたのは、ボールに当たった杏朱だった。
そのまあ、とさりと倒れ込む。
「あっ……ご、ごめん!」
と、ボールを投げた女子生徒が、声をあげた。
「大丈夫? 好峰さん」
近くにいた男子生徒が、すぐに杏朱のもとへ駆け寄り、拾い上げたボールを抱えたまま、心配そうに覗き込む。
杏朱は、ほんの少しだけ顔をしかめながらも、柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。大丈夫よ」
その優しげな声に、男子生徒の肩が、安堵で緩んだ。
そんな光景を見ていた、七色は、
「……意外です」
と、静かに、言った。
「杏朱のこと?」
彼方が尋ねると、七色は、こくりと頷いた。
(あれは、演技だな)
彼方は、内心で苦笑する。
杏朱は、才色兼備の象徴のような少女である。
運動神経も普通に良いどころか、どの競技でも、そつなくこなすタイプだ。
おそらく、いつまでも内野にいるのが面倒で、あえて軽く当たりにいったのだろう。
杏朱らしい、と彼方は思った。
そうしている間にも、試合は、中盤へと突入していた。
試合は、すでに中盤へと差し掛かっていた。
白組の内野には、まだ数名が残り、赤組も、勢いを保っている。
その中心に立つ一人、新谷は、誰よりも存在感を放っていた。
バスケットボール部の副部長を務めるだけあって、運動能力は折り紙付きだ。
判断力、動体視力、そして、度胸。
球技に必要なものを全て兼ね備えたような男だった。
新谷の足元には、床を蹴るたび滑らかな風が生まれ、髪がわずかに揺れる。
ボールが飛んでくるたび、迷いなく両手を構え、まるで吸い込むように捕球する。
そして、
「どんなもんよ!」
新谷は、再びボールを振りかぶり、赤組の内野へ、全力投球を叩き込んだ。
飛び交う風を裂いていくような球速。
赤組の男子生徒の一人が、反応する暇もなく、肩に食らって沈んだ。
「強え……っ!」
「くそっ……あいつ、反則レベルだろ……!」
赤組の外野から、呻き声が、洩れる。
しかも、時折飛んでくる凛架の狙い済ました攻撃までも、新谷は後方ギリギリまで下がって衝撃を逃しつつ捕球するという、離れ業を見せていた。
「……ふっ!」
新谷は軽く息を吐き、ボールを持ち直すと、凛架へと、視線を向ける。
「危ねえ危ねえ」
その目はまるで猛獣のように鋭く、しかし、楽しげでもあった。
「次は、お返しだっ!」
新谷は、再び凛架へボールを投げ放つ。
だが、
「ふっ」
凛架もまた、新谷と同じく後方へすばやく下がり、衝撃を逃して捕球する。
淡々とした表情だが、その動きは、しなやかで洗練されていた。
そして二人は、まるで互いの力量を確かめるように、静かに笑う。
「頑張るわね、乃木君」
「そういう委員長も、しぶといじゃねーか」
「お互い様にね」
「そうだな」
「ふふ」
「はは」
「ふふふ」
「ははは」
「ふふふふふふふふ……!」
「はははははあはは……!」
その笑いは、周囲から見れば、不気味である。
しかし、どこか清々しくもあった。
互いに認め合う者同士の、奇妙な共鳴の様相だった。
「でも、そろそろ終わりにさせてもらうわ」
「望むところだぜ」
新谷が手のひらを上に向けて手招きをすると、凛架は外野からのパスを受け取り、ゆっくりと投球姿勢に入る。
その目に、いつもの冷静さは、ない。
ここ一発いやこの一投に賭ける、そんな勝負師の光が、宿っていた。
「今度こそ、決めるっ!」
凛架が叫び、床を蹴った瞬間、新谷は、
「ちぃっ!」
と、後ろへ跳ぶように下がった。
「来やがれっ!」
新谷は歯を食いしばりながらも、不敵な笑みを崩さない。
その時、
「委員長さん、凛々しいわね。それでいて、とても可愛い」
囁き声が、新谷の耳元で響いた。
「まあな! かわいいよな……って?」
思わず肯定しそうになったところで、新谷は、はっと目を見開いた。
振り返る。
誰もいない。
その一瞬の隙を、凛架は見逃さなかった。
凛架の放ったボールが、新谷の腕へ、鋭く突き刺さる。
ばぁんと小気味のいい音が、響き渡る。
鈍い音とともに、ボールが、床に落ちた。
「勝った……」
凛架が、静かに言った。
「今、誰かが……」
新谷は何かを言いかけたが、ふっと口をつぐむと、短く言い放つ。
「……負けたな」
新谷は、一度後ろを確認したが、そこには誰もいなかった。
(女の子の声が聞こえたような気がしたんだけど……気のせい、か)
背筋に少し冷たいものを感じながらも、新谷は、外野へ下がった。
試合は、ついに終盤へ突入していた。
体育館は、熱気に満ちている。
両組の外野からは、絶え間なく、声援が飛ぶ。
「強いな、御月さんーっ!」
「いけー、綺亜ちゃーん!」
「御月さん、ファイトー!」
「倉嶋さん、あと少しだよっ!」
赤組の内野に残ったのは、綺亜と五組の松本の二人である。
白組に残っているのは、彼方と七色の二人だった。
三組と五組を代表する美少女の直接対決ということもあり、外野は、まるでライブ会場のような熱狂に、包まれていた。
「ちょっと!」
綺亜が、声を張り上げる。
その声に呼応するように、七色とのボールのラリーが加速する。
「何でしょうか?」
七色は、綺亜の鋭い攻撃を何度も受け止めながら、平然と答えた。
「七色じゃなくて、彼方に話しかけてるのよっ!」
綺亜は、七色の反撃も受け止めながら、叫ぶ。
「な、何? 綺亜」
彼方は突然の呼びかけに少したじろぎながら返す。
「しゃっきとしなさいよ、彼方!」
綺亜が、投球モーションに入ると、ブロンドの髪が、ふわりと揺れた。
「男子なのに、七色ばっかりにボールを取らせて、恥ずかしくないのっ!」
綺亜の華奢な身体が、ダンクシュートのように、宙へと舞う。
その瞬間、体操服がめくれ、綺亜の引き締まったウエストが露わになった。
「うおおおおおおおおおおっ!」
「綺亜ちゃんの、へそチラきたーっ!」
「生きてて良かったーっ!」
外野の男子が、一斉に、吠えるように叫んだ。
しかし、それ以上の歓声が続く。
「それは、違います」
七色が、静かに言った。
「私が、率先してボールを取っているだけです」
七色は、綺亜の渾身のボールを再び受け止める。
綺亜は、苛立ったように、
「彼方の騎士気取りってわけ?」
と、ボールを、放った。
再び、彼方を狙ったボールを、七色が、取ろうと、大きく、横に跳んだ。
「私は、彼方の護衛者よっ!」
七色は、体勢を崩しながらも捕球し、そして、服がめくれてしまった。
白い下着と色白の腹部がちらりと露わになり、外野は、再び雄叫びを上げる。
「うおおおおおおおおおっ!」
「七色ちゃんのも、きたーっ!」
「これで明日も頑張れるーっ!」
熱狂する男子達をよそに、七色は、淡々とボールを構え直し、
「そうですか」
と、綺亜に、一言だけ返した。
「そうですか、じゃないわよ!」
綺亜は、ボールを放った。
「何とか言いなさいよっ!」
「そうですか、と答えました」
七色は、淡々とラリーを続けながら、答える。
綺亜の苛立ちは、さすがに、外野にも伝わってきた。
「そんな涼しそうな顔して! 甘く見ないでっ!」
綺亜の叫びに、外野の杏朱がくすりと笑う。
「ふふ。会話のドッジボールね。本当に、噛み合っていないわ」
凛架も、苦笑いしながら頷いた。
杏朱は、柔らかく微笑みながら、凛架にだけ聞こえる声で言う。
「でも……朝川君は少し、わかっているようね」
「好峰さん?」
凛架は、意味を掴めず、首を傾げる。
杏朱は、小さく笑って、
「何でもないわ」
とだけ、答えた。
(御月さんも熱くなっているな)
彼方は、二人を見ながらそう感じていた。
七色は、一見冷静だ。
だが、その実、綺亜との勝負に、本気で向き合っている。
表情には現れないだけで、内心は熱い。
「私は、あなたに負けるわけにはいかないのよ……っ!」
綺亜の叫びとともに、強烈な弾道が、七色へと飛ぶ。
七色は片膝をついてかろうじて捕球しながらも、はっきりと言った。
「今の綺亜さんは、私に勝てません」
「……っ!」
いつもは、あまり自身の考えを口にしない七色が、はっきりと、言った。
「……どういうこと!」
「今の綺亜さんは、自身を、見失いかけています。意味は、わかっているはずです」
「……っ!」
綺亜は、顔を紅潮させ、握る手に力を込めた。
綺亜の脳裏に、朝の時田との会話が、フラッシュバックのように蘇る。
「"月詠みの巫女"である御月七色も、朝川彼方に、好意を抱いていると、思われます」
「それは……」
「お嬢様と、御月七色は、恋敵というわけです」
「相手に負けたくないというお気持ちは、わかります。しかし、残念ながら、今のお嬢様は、意地を張られているだけです。ご自身のお気持ちから、目を背けてしまわれています」
「……」
「ご自分の本心からも、逃げてしまっているだけです」
「……私のことを、わかってるようなこと、言わないで!」
「わかりますとも。お嬢様を、ずっとお世話してきたのですから」
「負けたくないというのなら、正々堂々と、誇りを持って、勝負をして、良いのです」
「"守護者"として、"月詠みの巫女"と共に、仇敵を、討てば良いのです。そして、一人の女性として、恋敵と、競えば良いのです」
(わかってる。でも、今の私は……)
綺亜は、葛藤している自身に、気付いていた。
(向かい合えるほど強くなくて……そんな自分が許せなくて……!)
綺亜は頭を振る。
「私……はっ! 負けたくない!」
その叫びは、体育館の空気を震わせた。
「やあああああああああっ!」
渾身の一撃だった。
それが、七色に向かって飛び込む。
七色は、両手に痛みを覚えながらも、確実にそのボールを受け止めた。
片膝をついている七色のブルマが、彼方の目の前に、あった。
ぴっちりとしたブルマは、七色の色白の桃尻の綺麗な曲線を、表していた。
(近い)
彼方は、自身の顔が熱くなるのを、感じた。
七色の白い下着が、ブルマから、はみ出てしまっていることに、彼方は、気付いた。
(何とかしないと!)
彼方は、とっさに、庇うように、七色の後ろに、立った。
七色の捕球の余波で、体操服が乱れ、白い下着がはみ出してしまっている。
それに気付いた彼方は、思わず七色の後ろに立ち、庇うように身を寄せた。
彼方の所作に、七色は、
「どうかしたのですか?」
と、聞いた。
「いや……服を、直したほうが良いかなと思って……」
七色は、小首をかしげた後、得心したように、
「そうですか。今の捕球で、服が、乱れてしまったのですね」
と、言った。
七色は、自身の体操服の背中のあたりを、静かに、引っ張った。
「これで、大丈夫でしょうか?」
「うん……上は、大丈夫」
と、彼方は、言った。
「上は……ですか?」
七色は、彼方の言わんとしていることが、わからないようだった。
彼方は、逡巡しながら、七色に、耳打ちするように、
「御月さん。その……下着……お尻のところ、ちょっと」
七色は、一瞬だけ不思議そうな顔をした。
したが、やがて理解し、耳まで赤くなる。
「その……直しますので、そのまま後ろにいてくれると助かります」
「……オーケー」
そんな二人を見ていた綺亜も、ほんの少し顔が赤くなった。
「……っ! 上等よっ! 続きをやりましょう、七色!」
そこからの撃ち合いは、もはや意地と意地のぶつかり合いだった。
数分間、二人は互いに全力で撃ち合いを続け、体育館の熱気はさらに膨れ上がる。
「制限時間は、あと三分にするからな!」
教師の声が響き、場が一瞬静まる。
「……はぁ……はぁ」
「……っ」
綺亜と七色、二人とも息が荒い。
「……けりをつけてあげる。覚悟は良いわね、七色」
「……望む、ところです」
瞬間、七色が投球モーションに入る、その時、
「うわああああああああああああーーーーっ!」
と、か細い叫びが響いた。
それは、松本だった。
全く目立たなかった男、松本が突然綺亜の前に躍り出て、胸を張って言い放つ。
「せめて最後ぐらい、この俺が、格好良く決めてみせ……」
言い終える前に、七色のボールが松本に直撃する。
松本は、静かに崩れ落ちた。
外野が沈黙する。
ピピピピッとストップウォッチの電子音が、試合終了を告げる。
内野の人数は赤組が綺亜一人、白組が彼方と七色の二人。
「……意外な結末だったな」
外野に下がっていた新谷が、呟く。
「あらあら」
外野の杏朱は、拍子抜けしたように、それでも困ったように微笑んだ。
「白組の勝ち!」
体育教師の高らかな宣言が、体育館の天井に吸い込まれていった。
こうして、白熱したようなしなかったような、不思議な熱量を残した試合が幕を閉じた。





