第5話 影のパーティー 4
体育館での、授業である。
「ったく。五時限目の授業が、体育っていうのも、かったるいよな」
と、男子生徒が、気だるそうに、首を回しながら、言った。
「しかも、種目が、ドッジボールって、どういうことだよ」
と、別の男子生徒が、返した。
男子生徒は、苦笑して、
「お前の場合は、どの科目でも、そんな感じだよね」
と、言った。
「ま、否定はしないわ」
体育の担任が遅れてくるので、それまで、各々準備体操を済ませておくようにとのことだった。
仲の良い者同士が集まっての、緩い感じでの準備体操である。
体育館の床板は、午後の光を受け、薄く輝いていた。
木材の匂い。
人の体温。
ほんのりとした汗の匂い。
それらが、緩やかに混ざり合っている。
新谷は、
「いやー。なかなかテンション上がるわ」
と、嬉しそうに言った。
「体育の時間だけが、憩いの時だぜ」
「新谷は、身体を動かすのが、好きだものね」
と、彼方は、アキレス腱を伸ばしながら、言った。
新谷は、にやっと笑って、
「伊達に、バスケ部の副部長を、やってるわけじゃねーよ」
と、応じる。
彼方の所属する三組と、五組との合同授業である。
五組に所属する、御月七色と好峰杏朱の姿もあった。
(御月さんも、一緒か)
御月七色は、彼方の同級生である。
七色は、人形を思いおこさせる、綺麗に整った顔立ちと艶やかな髪をもつ少女である。
体育館の光が、七色の髪に当たるたび、細い糸のような光沢が、滑っていく。
七色は、高嶺の花と呼ばれていた。
綺麗に整った顔立ち。
光を織り込んだような肩までの艶やかな髪。
雪のように白い肌。
三拍子どころか四拍子五拍子と揃っていた。
まぎれもない美少女である。
その言葉が指し示す通りのその容姿は、人形の端整さをも思わせた。
また、人形が言葉を発することがないように、寡黙だった。
表情を変えることも、少なかった。
結果として、容姿端麗のその少女、御月七色は、他人を寄せ付けない雰囲気を自然と身にまとっていた。
七色は、横の女子生徒たちと話していた。
彼方からは、距離が離れているため、会話の内容は聞こえないが、女子生徒たちが、親しげに、七色に話しかけていた。
(さすが御月さん。人気者だなあ)
と、彼方は思った。
七色は、一見何の表情もみせていないようにも見える。
見えるのだが、彼方には、それが、少し楽しんでいる表情なのだということがわかって、それが嬉しかった。
ほんのわずかに口元の角度が違う、それだけで雰囲気が変わる。
七色は、そんな繊細な少女だった。
「しかも、男女合同ってのが、良いねえ」
と、新谷が、言う。
「体操服。そして、ブルマ……白い服とのコントラスト、紺の布地の波!」
新谷の声は、熱を帯びていた。
言っている内容はともかく、その熱量たるや、なかなかのものだった。
なかなかの熱さである。
「どこを見渡しても、ブルマだらけ!」
語調を強く新谷だった。
「いや、眩しすぎる、至福の時を、俺は今、確かに感じている!」
握りこぶしをする新谷を見て、彼方が苦笑していると、
「こんにちは、朝川君」
と、杏朱が、彼方の近くにきて言った。
好峰杏朱は、腰までかかる長い艶やかな黒髪と、聡明さを物語る切れ長の黒い瞳が印象深い少女である。
それから、
「私の体操服姿を見て、欲情するのは、止めてほしいわ」
と、いきなりそんなことを言う。
「していないよ」
と、彼方は、否定した。
杏朱は、上目遣いに、
「でも、朝川君の視線は、感じていたわ。嫌ね、むっつりさんは」
「勝手に、捏造しないように」
「ちらっ」
と、言いながら、杏朱はくるりと一回転した。
杏朱の綺麗な黒髪が、ふわりと舞った。
その一瞬、花の香りが、彼方の鼻孔をくすぐった。
「シャンプーを変えてみたのだけれども、どう?」
彼方は、肩をすくめて、
「良い香りだと思うよ」
「やっぱり、いやらしいわ。香りに、興奮していたなんて」
杏朱は、からかうように笑った。
すぐ近くで笑う杏朱は、いつもより年相応のあどけなさがあった。
杏朱が、自身のブルマの端を摘まんで離す。
すると、肌と布が触れる小気味の良い音がした。
「結構、この体操着は、気に入っているのよ。ブルマの美しい穿きこなしの条件は、わかる?」
彼方が答えずにいると、新谷が、
「フィット感だろう」
と、自信ありげに答えた。
「あら。正解。お見事」
と、杏朱は目を丸くして、
「ブルマに対して、適度なフィット感が重要よ。そのフィット感から生み出される太ももとお尻とブルマとの絶妙なラインの、素晴らしさといったらないわ」
と、続けた。
「おいおい。杏朱ちゃん、ブルマの何たるかが、良くわかってるじゃねーか」
と、新谷が、言う。
「ふふ。ブルマの伝道師の異名を明かす時が、きたようね」
杏朱が、微笑む。
新谷と杏朱、両者の言は、妙にかみ合っていた。
「身体にフィットするブルマの締め付け。女の子の太ももの白さ」
「だよな!」
「そして、ちらりとはみ出したお尻の白さ」
「だよなぁ!」
「魅力的で、蠱惑的ですらあるわ」
「だよなぁっ!」
彼方は、杏朱と新谷の話についていけず、
(盛り上がっているな)
と思うしかなかった。
「次の質問よ」
と、杏朱である。
「ブルマは、何色が、最も美しいかしら?」
新谷は、間髪入れずに、
「紺だろう」
と、応じる。
「正解。凄いわね」
杏朱は、ふふっと笑う。
「紺のブルマと白い太ももの相性たるや、神々のいたずらとすら言われているわ」
女子生徒が、ブルマの端を直しているのを見て、
「あれだよ、あれ。あの仕草なんだよ!」
新谷が、感動の声をあげた。
「そうね、あれよ。あの仕草ね」
杏朱が、頷く。
「い、生きてて良かったー!」
新谷は、嬉し涙を流していた。
「私も、同志が増えて、嬉しいわ」
と、杏朱である。
彼方は、杏朱を見て、
(絶対、からかっているだけだよなあ)
と思った。
その時、
「……そんなに、体操服が良いの?」
と、新谷に問いかける声がした。
「最っ高だね!」
新谷は、ガッツポーズを取った。
「太もも、さいこーっ!」
「そう、それは良かったわね」
新谷の声に応じたその声は、静かだった。
「さいのこぉーっ!」
「そう、とても良かったわね」
やはり、新谷の声に応じたその声は、静かだった。
「……って、委員長?」
新谷の声は、凍り付いていた。
新谷の前には、凛架が、仁王立ちになっていた。
「良い心構えね」
凛架は、すんとした調子で、そう言った。
「いやあ……それほどでも」
新谷も、さらっとした調子で、そう返した。
「ちなみに、どのあたりから聞いていたかな、なんて……?」
「体操服のくだりから」
「お、おう……」
「ちなみに、良い心構えって言ったのは、もちろん皮肉よ」
「へ、へえ……まあ、そうなるよな」
「皮肉なしで言うのなら、最低ね」
「委員長」
「なにかしら?」
「俺としても、その弁明もあるわけで、その……」
「ドッジボール、チームが乃木君と別になるのを、祈ってるわ」
「……」
「そうしたら、真っ先に、撃墜してあげるから」
「……」
「楽しみにしていて、いえ、覚悟していてね?」
新谷の顔は、既に青ざめていた。
そして、授業開始である。
「授業、はじめるぞ」
と、体育館に遅れて来た体育教師の声がかかった。
「今日は、ドッジボールだ。あー、三組の日直は、誰だ?」
「私です」
と、綺亜が、挙手した。
体育教師は、綺亜を見て、
「悪いが、用具室から、ボールを取ってきてもらえるか。カートに入ってるから、男子もいたほうが良いか。朝川、手伝ってやってくれ」
「わかりました」
と、彼方が、言った。
綺亜と彼方の視線が、交錯した。
綺亜は、すぐに目を逸らしたが、彼方は気付かないふりをして、
「綺亜。倉庫に、一緒に行こう。向こうだよ」
「……わかった」
言いながら、
(彼方と二人で、か)
と、自然に考えていた綺亜だった。
それから、
(変に意識しすぎよ……もう!)
と、心の中で、頭をぶんぶんと振った。
体育館の右手奥にある古びた鉄扉まで、歩いていく。
「……」
「……」
なんとなく、彼方と綺亜、二人して黙っていた。
床には球の跳ねる音、クラスメイトの談笑が響き、扉の向こうは、嘘のように静かだった。
綺亜が、
「ここで、良いの?」
と、聞いた。
綺亜は、葉坂学園に転校してきてから、日も浅い。
用具室に入るのは、初めてだった。
彼方が、
「うん」
と、頷き、扉を開けた。
中は、予想通り、真っ暗だった。
冷えた空気が、二人の顔に触れる。
「電灯……どこかしら?」
と、綺亜が、言う。
「たしか、入ってすぐ左の……あれ、触れないな」
彼方が、手探りで壁を探る。
しかし、用具室は、古い棚やネットが手前に積まれていて、スイッチに届きづらい。
やがて、
「あ、あった。今、つけるから……」
「ま、待って。急に光ると、目が……」
綺亜が、思わず、彼方の袖を、掴んだ。
「綺亜……?」
「あ。ごめんなさい」
その感触が、暗闇で妙に鮮明だった。
二人で、慎重に歩きだす。
古いマットの匂い。
縄跳びのゴムの匂い。
少し湿ったような空気。
体育館の裏側には、時間が、ゆっくり滞っている。
「ここ、こんなに狭いんだ……?」
「たしかに、狭いね」
彼方は、首肯して、
「物が増えたのもあるんじゃないかな。ほら、跳び箱のカバーとか……」
ぼそぼそと小さな声で会話を続けながら、暗闇を進む。
その時、
「……きゃっ!」
綺亜の声がした。
なにかに足を引っかけたのか、綺亜の細い身体が、傾いた。
「危ない!」
彼方は、手を伸ばした。
しかし、暗闇で、距離を誤った。
二人の身体は、跳ね返るように、マットへ倒れ込んだ。
どさっと音がする。
「いつつ……」
「だ、大丈夫、綺亜?」
彼方が声をかけたその瞬間、
「ひあっ!」
綺亜が、素っ頓狂な声をあげた。
「ちょ、ちょっと! ど、どこ触ってんのよ!」
「え? 暗くて、良く見えなくて。どこって……?」
突然のことで、彼方の返事も、おぼつかないものになる。
彼方は、自分の手に伝わる柔らかい感触に気づく。
彼方は、両手に、柔らかい膨らみを、感じた。
指が沈むような、薄い布越しの、
(これ……え?)
血の気が、引いていく。
脳が、なんとなく事態を把握しはじめている。
そんなどことなく他人行儀な思考が、曖昧に巡っていく。
きっちりと答えを出すことを拒んでいる。
そんな自身でわかっているのにそこに押しとどまろうとするような妙な感覚に、彼方は、とまどった。
「……良いから、早く、どいて……!」
弾けるように、綺亜が、声をあげた。
「あ、ごめ……!」
彼方は、慌てて手を離した。
「……ふぁっ?」
綺亜が、驚いたように声をあげる。
「フォック……外れちゃっ……!」
「何?」
「な、何でもないっ!」
綺亜の長いブロンドの髪が、暗闇で、彼方の頬をくすぐる。
シャンプーの柔らかな香りが、肌に触れる距離にある。
彼方は、ぎこちなく体を起こし、綺亜の上から退いた。
しかし、暗闇は、深い。
どちらがどこにいるのか、輪郭があいまいだ。
「き、綺亜? 本当に、大丈夫?」
「……っ、大丈夫じゃないけど……」
綺亜の声は、震えていた。
「もう、いいから……!」
怒りではなく、混乱と恥ずかしさの混じった、妙に可愛らしい震え方だった。
彼方は、ゆっくり立ち上がり、目を凝らした。
「……何も見えない、わよね?」
綺亜の声は、なぜか乞うように、聞こえた。
「薄いグリーン、かな……?」
「……っ!」
綺亜の方が、びくりと震える。
「うっすらと、それくらいはわかるんだけれども……」
「わ、わかるなっ!」
瞬間、彼方の鳩尾に、鋭い痛みが走った。
「ごっ……!」
綺亜の蹴りが、入ったらしい。
「あ、あんたね……!」
綺亜は、顔を覆うようにしながら、小さく肩を震わせていた。
「もう……っ!」
怒っているのか、恥ずかしいのか、泣きそうなのか、わからない。
「もう、いいから! 少し後ろ向いててっ!」
「あ。うん」
暗闇の中で、彼方は、ただ謝るしかなかった。
「ご、ごめん。本当にごめん。わざとじゃなくて……」
「……わかってるわよ。わざとなわけ……ないでしょ」
綺亜の声は、思いのほか優しかった。
しかし、その後すぐに、
「でも、忘れてあげるとは言ってないんだから……!」
と、付け足した。
そして、慎重にボールをカートに集め、二人は、用具室を出た。
明るい体育館に戻った瞬間、綺亜は少し目を細め、そしてぽつりと言った。
「……さっきのことは、忘れてあげる」
先程とは、逆のことを言われる。
「えっと……」
「彼方が、私と別のチームになって、大人しく、私に撃墜されてくれればね。痛くはしないから」
綺亜の鋭い視線に、彼方はたじろいた。
(……やっぱり、怒ってるよね?)
どうやら、少し大変なことになりそうだと、何となく彼方は思った。





