第5話 影のパーティー 2
丘の空は、星で、満ちていた。
雲はなく、煌々と、星々が、輝いていた。
時折、風が、吹いていった。
丘の遥か下方に、夜の市街地が、見えた。
街の明かりが、小さく、浮かんでいた。
丘は、空間の歪みによって、一時的に、姿が、現れている存在である。
下方では、断続的に、空が、歪んでいた。
丘は、静かで、風が吹いて、草が、囁くような音を、立てていた。
西洋の中世の宮殿を想起させる、巨大な建物が、そびえ立っていた。
不思議な、建物である。
特筆すべきは、アーチも、柱も、床も、壁も、宮殿の全てが、半透明なのである。
宮殿は、巨大なガラス細工の様相を、呈していた。
柱と壁は、星空を写し、床も、星空で、満ちていた。
宮殿は、星空の中に、あった。
"天宮殿"は、星が瞬く夜空の中に、あった。
雲の無い、一面の星空である。
"爛"を統べる頂たる"天宮殿"は、現実空間とは、その存在を異にする、虚無の空に浮かぶ、建造物である。
瀟洒な噴水が設けられた、真っすぐに伸びた庭園が、あった。
庭園の草木は、良く整えられていた。
星空に囲まれた"天宮殿"は、星々の光に、包まれるように、青白く、照らされていて、幻想的な趣さえあった。
庭園の先には、ホールのような空間が、広がっていた。
ホールからは、何本かの回廊が、伸びている。
高い天井が、印象的である。
丸くくり抜かれた天井には、複雑な文様が施されたステンドグラスが、張られていた。
白銀の髪の上品な面持ちの少女は、壁にかけられた絵画を、眺めていた。
少女は、微笑みを浮かべながら、ゆっくりと、壁に沿って、絵画を見ながら、歩いた。
星々の輝きの決して絶えることのない、一本の長い回廊に、ゆっくりと、少女とは別の靴音が、響き、やがて止まった。
靴音の主は、黒のマントに身を包んだ、黒の仮面の人物だった。
「お待ちしておりましたわ、バンナウト様」
と、白銀の髪の少女は、振り返りながら、黒衣の人物に、言った。
"爛の王""黒槍"バンナウトは、白銀の髪の少女に、
「待たせてしまったようだな」
と、言った。
いいえ、と、少女は、微笑んだ。
「ですが、待ちぼうけを贈り物にされる方は、私にとっては、残念な殿方に、なりますね」
「参考に、しておこう」
と、バンナウトは、笑った。
バンナウトのフルフェイスの漆黒の仮面の、シールド部分は、深い紅色である。
仮面の奥の表情は、一切窺い知ることはできなかった。
「絵を、見ていたのか?」
と、バンナウトが、聞いた。
「ええ。いつ見ても、このホールの絵画には、心を癒されますわ」
少女が目にしていた絵は、様々な花が咲き誇る夕闇の景色である。
「特に、この真っ白な百合の花。何ものにも縛られない、高貴な雰囲気が、気に入っています」
と、少女が、言った。
「私には、鑑賞眼がないので、わからないが、お前が、そう言うのなら、間違いなく、名画なのだろう」
と、バンナウトが、絵画を眺めながら、言った。
「あら。お世辞を言われるようになりましたのね、バンナウト様も」
と、少女は、にっこりとした。
「"消失の才媛"リゼ・ルノー」
と、バンナウトは、少女の名を、呼んだ。
リゼは、改めて、バンナウトに、向き直った。
「"蜘蛛"は、どうしている?」
と、バンナウトが、聞いた。
「我が主、イセリア様は、今は、こちらには、いらっしゃいませんわ」
「そうか。巫女は、どうしている?」
と、バンナウトが、言った。
「"尽き詠みの巫女"様は、お休みになられています。"夜伽の儀"をなさっていらっしゃったようですから、お疲れなのでしょう」
「"円卓会議"の準備は、どうなっている?」
"爛の王"の中でも、とりわけ有力な十二の勢力が、一堂に会する場が、"円卓会議"である。
「お返事をいただいていない方がいらっしゃいますが、滞りなく会議を開くことができるかと、思います」
と、リゼが、言った。
「無礼を承知で、お聞きしても、よろしいでしょうか?」
「意味のない謙遜は、よせ。お前の心に、臆するという感情は、ないだろう」
「ばれちゃいましたか」
と、リゼは、笑った。
「お前のそういう性質は、主譲りだな。嫌いではない」
「お褒めにあずかり、光栄ですわ」
と、リゼが、言った。
「"尽き詠みの巫女"様は、どれほどお強いのですか?」
微笑んでいるリゼの瞳は、ひどく無機質だった。
「"尽き詠みの巫女"様は、お目覚めになられたばかり。それだからかもしれませんが、もしかすると、拝謁のおりに、私がお会いしたのは、唯の幼さの残る可憐な少女ではなかったのか、とさえ思えるのです」
「我ら三神官の長を奉ずる言葉とは、思えないな」
と、バンナウトが、返した。
「ストレートすぎましたか。"爛"を統べる頂たる"天宮殿"の三神官の三柱、"黒槍"バンナウト様、我が主"蜘蛛"イセリア・アージュ様、そして、"尽き詠みの巫女"様。そもそも、三神官の皆様にありましては、上下の別はなく、ただ等しくある方々です。巫女の称号をお持ちなので、"尽き詠みの巫女"様が、長におさまっているにすぎないかと」
と、リゼは、言って、
「決して、疑念を抱いているわけではありません。ですが、"円卓会議"の皆様の中には、"星天審判"に前向きでない方も、いらっしゃると、聞き及んでいます。"星天審判"の祈りを捧げる巫女様が、威を示すことも、必要かと存じます」
と、続けた。
「そのような勢力を黙らせるのも、お前の仕事だろう」
と、バンナウトが、言った。
「答えになっていませんわ、バンナウト様」
と、リゼが、笑った。
そうだな、と、バンナウトが、言った。
漆黒の仮面から覗かせる、赤い瞳が、鈍く光った。
「私が、全力で、向かい合ったとしても、とうてい勝てないだろう」
「……」
リゼの笑いが、一瞬、凍り付いた。
「これで、答えに、なったかな?」
「十分ですわ」
と、リゼは、にっこりとして、言った。




