第11話 組織のあり方 1
能登との通信手段であるピアスと眼鏡は、両方とも、駄目になってしまったようだった。
能登がつけている、小さな菱形の銀色のピアスは、骨伝導式の小型通信機である。
また、麻知子が、能登と視覚情報を共有できるのは、能登がかけている、眼鏡のおかげである。
眼鏡には、特殊な加工が、施されていて、外部に映像を送れるよう、極薄極小のカメラが、取り付けられている。
麻知子が、ノートパソコンの通信ソフトを、いくらいじっても、音声データは、ノイズが入るのみで、画像データは、真っ黒のままである。
(まずいな)
と、麻知子は、思って、唇を噛んだ。
ソフトの症状からして、うまく機能していないのは、明らかで、翻ってみれば、能登の身に、何か重篤な事態が、現在進行形で起こっているということである。
麻知子は、自身が焦燥の感情に急き立てられているのを、感じていた。
冷静に対応しなければならないのはわかっているのだが、早く何とかしなければという焦りの気持ちが、先行してしまうのだ。
唐突に、ノートパソコンが、音を立てた。
小鳩小太郎と秋口宵はビジネスホテルの一室に退避してもらっているのだが、麻知子が設置したそのホテルの部屋の警備システムが、異変を告げていた。
「アラート……?部屋の人体の熱源反応なし……二人がいない?窓ガラスが、破られている……まさか、場所を、探知されたということ?」
麻知子は、せわしく、キーボードを叩きながら、状況を確認していった。
小鳩と秋口が、何者かの襲撃を受けたのは、間違いなさそうである。
襲撃者は、恐らく、雄文社の元社員の井原だろう。
(どうする?)
能登の状況は、深刻で、一刻も早く助けに行かなければならない。
一方で、井原が小鳩と宵を襲ったとすると、二人がきわめて危険な状態にあるのは、確実だ。
宵が少し腕が立つといっても、一般人の枠をでるものではない。
ふいに、普段心中で馬鹿にしていた能登の顔が浮かんで、それは、いつもの笑顔だった。
麻知子は、俯いた。
「先輩……!」
麻知子の携帯電話が、鳴った。
「お疲れさん」
と、麻知子の携帯電話越しに、男の声が、響いた。
男の声は、軽い感じだった。
声の主は、雨尾家という、麻知子の属する、組織の上司である。
「申し訳ありません!」
麻知子は、叫んでいた。
「私の……私の軽はずみなオペレーティングのせいで、先輩が……それに、あの二人も!」
わかっているよ、と、声が、響いた。
「効率よく立ち回ろうとしすぎたか?」
「それは……」
「お前さんにしちゃあ、少々手際が、悪かったな。もっとも、相手がたが、能登ちゃんと小鳩たちとに、同時複合攻撃に出てくるとは、想定していなかったからな」
雨尾家は、
「状況を、整理しよう」
と、言った。
「どう……したらよいですか?」
麻知子は、少し嗚咽の調子も入っていて、かすれていた。
「ほう。いつもの、お前さんなら、自分の意見を、真っ先に、進言すると思ったんだが」
「……本当のことを言えば、私は、今、とても焦っています。うろたえてさえいます。我々は、組織です。今、この状況で、私の意見は、冷静さを欠いている可能性が、高いです、最善策を、打ちだせる可能性が、高いのは……」
「意外と、冷静に対応できているな。そこまで、できれば、十分だ」
と、雨尾家が、言った。
「慌てなさんな。俺に、任せろ」
「え?」
「能登のほうは、俺が、何とかする。位置情報だけ、俺に、送れ。お前さんは、秋口宵と小鳩小太郎の安全を確保するんだ」
(先輩のこと、ちゃん付けしないの……はじめてだ)
と、麻知子は、思った。
雨尾家の言葉は、麻知子にとって、意外すぎた。
組織の任務にあたる場合には、雨尾家の指示を受けることが、ほとんどだった。
雨尾家は、麻知子と能登の、実質的な上司である。
麻知子は、雨尾家と、対面したことはなかった。
連絡手段は、通話のみである。
いつも、こうして、電話越しに指示を受け、任務を遂行し、電話越しに報告するのである。
雨尾家が、自身で動くことは、今まで一度もなかったからだ。
「お前さんは、今は、あの二人の無事の確保だけ、考えるんだ、いいな」
麻知子は、能登の位置情報を、雨尾家に送ると、立ち上がった。
(先輩。無事でいて下さい)
麻知子は、思考を振り切るように、奔り出していた。