第10話 願望の行方 8
「いくら、何でも、ストレートすぎないかなあ?」
能登は、会社に向かいながら、歩いている道で、独り言のように、言った。
たいぶ慣れてきた、通勤路で、等間隔に並んでいる、木々を眺めながら、能登は、歩いた。
『それで、良いんですよ』
能登の耳に、小さな菱形の銀色のピアスを通じて、声が、響いてきた。
骨伝導式の、ピアス型の、小型通信機である。
声の主は、麻知子である。
『先輩が潜入捜査で潜り込んでいる、雄文社のMという雑誌の編集部の井原という男。そのように、小鳩小太郎が、証言しているんです。確認しない手は、ないでしょう?』
と、麻知子は、言った。
能登は、履き慣れないハイヒールで、歩いているので、時々、歩きにくそうに、バランスを、崩した。
能登が、空を、見上げると、青空が、広がっていた。
冬の太陽は、眩しくて、心地良い、朝の空模様である。
能登は、小首をかしげて、
「でもね。麻知子ちゃんだって、私の眼鏡で、編集部の人達は、見ているよね?」
と、言った。
麻知子が、能登と視覚情報を共有できるのは、能登がかけている、眼鏡のおかげである。
眼鏡には、特殊な加工が、施されていて、外部に映像を送れるよう、極薄極小のカメラが、取り付けられている。
能登が指摘したように、麻知子も能登も、編集部の人間の顔と名前は、一通り、確認済みで、その中に、麻知子が、昨晩遭遇した、小鳩達を襲った人物は、いなかった。
『そうですね。確かに、現時点では、潜入先の編集部の人間の中には、昨晩、商店街の路地裏で会った、井原という男の顔は、確認できませんね』
と、麻知子は、言った。
「当てはまる容姿の人が、いない以上、偽名の線はないし……」
「そうですね。変装の線も、疑ってみましたが、確率は、かなり低いです」
と、麻知子が、言った。
「もしかして、名刺そのものが、全部、偽物なんじゃないのかなあ」
と、能登が、言った。
『そこまでいくのは、いささか、早計です。全くの嘘というものは、露見しやすいのが、常です』
「……え?う、うん。そうだよねえ!」
能登の視線が、泳いだ。
『……今の反応は、私の話の意図が、伝わっていませんね』
と、麻知子の、冷たい調子の声に、能登は、表情を、堅くして、
「そ、そんなことないよ。先輩を、甘く見てもらっちゃあ、困るなあ。あれだよね、嘘つくのは良くありません!っていう意味だよね」
と、言った。
『……』
「……だよね?」
少しの間、アスファルトに、能登の足音だけが、響いた。
「……あ、あれ?通信が、切れちゃったのかな……麻知子ちゃん?」
『聞こえていますよ』
と、麻知子の無機質な声が、能登に、届いた。
「それなら、返事を、してよ」
『すみません。先輩の答えが、私の意図とは、大きく外れていて、呆れてしまっていたものですから、つい、黙ってしまいました』
と、麻知子は、抑揚なく、言った。
「……たまに、すごい、辛辣だよね、麻知子ちゃん……」
と、能登は、泣きそうな声で、言った。
『嘘を嘘として、それなりのものにしたい場合には、真実を、若干、織り交ぜた方が、効果的ですし、人は、無意識にも、そうしやすい』
「そう、なの?」
『百パーセント、嘘を語ろうとすると、突拍子もない話に、なりがちですし、また、山本太郎という人物が、とっさに偽名を使う際に、山田次郎とか、もしくは、身近な知り合いの名前の一部を、借用したりしがちです。何も無いところからよりも、何かから連想したほうが、効率も、良い。人間の心理とは、そんなものです』
能登は、うんうんと頷いて、
「わかる!山本さんの例は、何となく、すごく、良く、わかった気がする」
と、感銘したように、言った。
『ですから、小鳩小太郎が見たという、雄文社の井原という名刺ですが、例えば、Mという雑誌の編集部という部分だけが、フェイクで、雄文社の中の、他の雑誌などの編集部に、井原という男が、在籍している可能性が、あります』
「なるほど!そういう考え方も、あるね。さすがだよ」
と、能登は、目を輝かせて、言った。
麻知子は、親指と人差し指を、自身の顎に当てながら、
『ただし、今言ったのは、例の一つに、すぎません。会社名もフェイクという可能性も、あります。この場合は、いくら、雄文社を洗ったところで、徒労に終わるだけです』
と、言った。
能登は、大きく、頷いた。
『それならば、先に、聞いてしまったほうが、早いでしょう。可能性の範囲を、狭めることができますし、もし、今回の件に、関わりがあるようならば、何らかの、ぼろを出してくれるかもしれません』
「そ、そうだよね!頑張ってみるよ」
能登は、ガッツポーズを、取った。
『ふふ。その意気です、先輩』
と、麻知子が、通信機越しに、言った。
「その前に、麻知子ちゃん。お昼ごはん、コンビニで、買っていって良いかな?」
と、能登は、真面目な顔で、聞いた。
『は?』
「ごめんね。少し、聞き取りずらかったかな?」
『いえ。お昼ごはんとか、コンビニとか、聞こえたのですが……先程から、画像が、ふらふらと、何件かのコンビニに、寄っていたのは、このためでしたか……』
「そうなんだよ。実は、今日のお昼、すごく迷っていて。卵たっぷりサンドイッチか、ほんのり辛いペペロンチーノか、甘々のドーナッツか、どれにしようか、迷っているんだけど、どうしたら、良いかな?」
と、能登は、真剣な声音で、聞いた。
少しの間、アスファルトに、能登の足音だけが、響いた。
『……どれでも、良いんじゃないですか』
と、麻知子は、投げやりな調子で、答えた。
能登は、声を低くして、
「それって、一番良くない答えだと、思う。この前、ネットサーフィンしていたら、モテない回答に、ランキングしていたよ?」
と、真剣な調子で、諭すように、言った。
『モテるかどうかが、今、重要なんですか?』
「めちゃくちゃ重要だよ。私は、モテたいよ、麻知子ちゃんも、モテに行こうよ」
『そんなに、モテたいのですか?』
と、麻知子が、聞いた。
「うん。麻知子ちゃんに、モテたいよ!」
と、能登が、元気よく、答えた。
麻知子は、親指と人差し指を、自身のこめかみに、当てて、
(まったく悪意もないし、本気で言っているから、たちが悪い……ここは、褒めて伸ばす、が、順当か)
と、思った。
『じゃあ、ペペロンチーノが、良いでしょう』
「わあ、やっぱり。すごく迷っていたけど、私も、そう思っていたんだよね。ありがとう、麻知子ちゃん!」
『どういたしまして』
と、麻知子は、言った。
『では、鈴原編集長に、話をしにいきますよ』
「了解です」
と、能登が、元気良く、言った。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか……それとも…… )
と、麻知子は、思いながら、居ずまいを、正した。