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第7話:エメラルドの図書館と、明日のための種まき

図書館の屋上に差し込む朝日は、かつての文明を焼き尽くした炎のような赤ではなく、若葉を透かして届く、柔らかな琥珀色の光だった。


 三十年前、人類はこの世界を「終わった」と定義した。けれど、今ここに流れている時間は、終わりなどではなく、あまりに静かな「始まり」の音に満ちている。


「アキ、ハルト。……本日の降水確率は 8% 。……土壌の湿度、養分濃度、共に最適値です。……ジャガイモの植え付けを開始することを推奨します」


 かつての殲滅機『シロ』の多脚が、屋上のコンクリートを「ガシャン、ガシャン」と心地よいリズムで叩きながら移動する。


 その巨大な装甲板には、ハルトが手入れした色とりどりの花のプランターが整然と並び、殺戮兵器は今や、世界で最も重厚な「移動式庭園」へと進化を遂げていた。


「了解、シロ。……ハルト、そっちの苗、運んでくれる?」


「まかせて。……このトマト、シロが夜通しセンサーで温度管理してくれたおかげで、すごく元気だよ」


 アキの声が、雨上がりの澄んだ空気に溶けていく。

 ハルトは、シロが器用にアームで掘り起こした土に、丁寧に小さな種を落としていく。


 アキの鼻腔をくすぐるのは、湿った土の匂いと、ハルトが淹れてくれた二杯目の紅茶の残り香、そしてシロの内部炉から漏れる、オゾンの混じった懐かしい機械の熱気だ。


 図書館の周囲では、今日も「植物ゾンビ」たちが、本能に従って陽光を浴びていた。


 彼らはもはや、恐怖の対象ではない。


 二酸化炭素を吸い込み、酸素を吐き出し、時折、風に乗って美しい種子を運んでくる、この新しい生態系の大切な「隣人」だ。


 アキは、屋上の縁から下の通りを見下ろした。


 かつての佐藤さんが、見事な紫陽花を揺らしながら、図書館の周りの雑草を(無意識に)踏み固め、自然な「道」を作ってくれている。


「……ねえ、シロ。……もし、いつかここを訪ねてくる人がいたら。……私たちは、なんて名乗ればいいのかしら」


 アキは、シロの銀色の脚に寄りかかり、遠く広がる緑の地平線を見つめた。


 そこには、かつての摩天楼を飲み込んだ、どこまでも深いエメラルドの森が広がっている。


「アーカイブ検索……。……適切な定義は見当たりません。……しかし、カズマの遺言ログに新しい注釈アノテーションを追加しました。……『ここは、世界で一番のんびりとした、知のゆりかごである』と」


 シロのスピーカーから、ノイズ混じりの古いピアノの旋律が、かすかに流れ出す。


 それは、図書館の地下から受信し続けている、あの『雨だれ』の調べだった。


 アキとハルトは、どちらからともなく手を繋ぎ、シロの大きな影の中で、新しい世界の地図を描き始めた。


 それは、領土を奪い合うための地図ではない。


「どこに美味しい果実が実っているか」「どこで綺麗な花が咲いているか」……。

 そんな、非効率で、けれど最高に贅沢な情報の断片たち。


「アキ。……カズマの最終プロトコルを確認。……『娘の笑顔を、永久保存アーカイブせよ』。……現在のあなたの幸福指数は、 99.8 % に達しています」


 シロの光学センサーが、優しく琥珀色に明滅し、屋上のすべてをそのレンズに焼き付けた。


 争いのない、静かな終末の続き。


 鉄の獣と、二人の人間は、かつての知の集積地である図書館を拠点に、ゆっくりと、けれど確実に、新しい「文明」の種を蒔き続けていく。


 それは、明日を恐れる必要のない、世界で一番優しいピクニックの記録だった。



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