27 『崩れゆく時計塔』
雷鳴が轟く。
バチバチと青白い稲妻を纏ったレイドの身体が、一直線に空へ駆け上がる。
瓦礫を蹴り、崩れかけた建物の壁を足場にしながら、一気に高度を稼ぐ。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
龍との距離が一気に縮まり、ついに龍の瞳がレイドを捉えた。
龍は鬱陶しそうに首を振ると、巨大な前脚を振り下ろす。
「遅ぇっての!ノロマが!」
レイドは身体を捻り、その爪を紙一重でかわす。
頬を掠める風圧だけで皮膚が裂け、赤い筋が走った。
それでも勢いは止めない。
さらに一歩。
さらにもう一歩。
雷を爆発させるように足場を蹴る。
そして──
「乗ったぜッ、ザマーみやがれッ!!」
龍の首筋へ飛び乗った。
黒い鱗へ両足を叩き込み、身体を低くする。
「よっしゃ!」
思わず拳を握る。
下から見上げていたリューエンも目を見開いた。
「バカはレイドでしょ、この脳筋バカ!!」
だが、喜んだのも束の間だった。
龍は耳障りな咆哮を上げる。
巨体が大きくうねり、空中で暴れ始めた。
「うおっ!?」
レイドの身体が激しく揺さぶられる。
振り落とそうとしている。
「暴れんな、このトカゲ野郎ッ!」
首元の鱗へ片手を突き立て、もう片方の拳へ雷を集める。
青白い電撃が腕を覆う。
「喰らえぇぇぇぇぇ!!」
拳を叩き込む。
轟音。
稲妻が龍の全身を駆け巡る。
空中へ巨大な雷柱が立ち昇った。
だが。
「……は?」
手応えがない。
雷は確かに龍を包んだ。
それなのに。
龍は痛がるどころか、動きを止める気配すらなかった。
むしろ、煩わしそうに一度だけ身体を震わせる。
「効いてねぇのかよ!」
直後だった。
龍が大きく背中を反らせる。
「しまっ──」
レイドの身体が宙へ放り出された。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!?」
必死に鱗へ手を伸ばす。
指先が黒い鱗を掴む。
「離すかァァァ!!」
腕へ力を込める。
龍はなおも暴れ続ける。
上下左右へ激しく旋回し、身体を捻り続ける。
レイドは片腕一本だけでぶら下がる形になった。
「レイドッ!!」
地上からリューエンの叫びが聞こえる。
返事をする余裕はない。
握力が、少しずつ奪われていく。
「くっ……!」
腕が震える。
肩が悲鳴を上げる。
龍の速度はさらに増していく。
猛烈な風圧が指をこじ開けようとする。
「まだ……!」
歯を食いしばる。
だが、限界だった。
汗で滑る指先。
手が、ゆっくりと鱗から離れる。
「──っ!」
身体が宙へ投げ出された。
空が回る。
瓦礫の街が、一気に近づいてくる。
「やべぇ……!」
この高さでは助からない。
そう思った、その瞬間。
「ったく、無茶しやがる。」
聞き慣れた声が、すぐ隣で響いた。
次の瞬間。
がしっ、と力強い腕がレイドの身体を受け止める。
落下の衝撃をものともせず、その人物はレイドを抱えたまま軽々と着地した。
「……ルーガン!」
レイドが目を見開く。
ルーガンはニヤリと笑いながら肩を竦めた。
「脳筋にも程があるぜ、レイド」
その背後では、シュカとミーシャの姿が見えた。
シュカは安堵したようにレイドを見つめ、ミーシャもほっと胸を撫で下ろしている。
「あ!シュカ!」
「レイド!」
二人の声が重なる。
だが、再会を喜ぶ時間は与えてくれなかった。
頭上で、龍が怒り狂った咆哮を上げる。
巨大な口が開き、灼熱の炎が再び集まり始めていた。
龍の喉奥が赤く脈打つ。
空気が焼けるような熱を帯び、周囲の瓦礫がぱちぱちと音を立て始めた。
「来るぞ!」
レイドが叫ぶ。
ルーガンはシュカとミーシャを自分の後ろへ庇うように立つ。
「シュカ!できるな?」
「は、はい!」
シュカは反射的に前へ出る。
胸の奥へ意識を向ける。
恐怖はまだある。
それでも今は違う。
右手を前へ突き出した。
「灼火陽焔!!」
紅蓮の炎が一気に噴き上がる。
ほぼ同時に、龍が口を開いた。
空を埋め尽くすほどの業火。
それへ真正面から、シュカの紅蓮がぶつかる。
赤と黒の炎が空中で押し合い、凄まじい衝撃波が街を揺らした。
「うぉっ!」
レイドが腕で顔を庇う。
風圧だけで瓦礫が吹き飛び、周囲の建物へ次々と叩きつけられる。
しばらく拮抗した末、龍の炎は勢いを失い、空へ押し返されていった。
シュカは肩で息をする。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
額から汗が流れ落ちる。
完全には相殺できない。
それでも十分だった。
龍は炎を避けるようにさらに高度を上げる。
巨大な翼が黒雲の近くまで舞い上がった。
「よし!」
レイドが拳を握る。
「今なら!」
「いや、待て」
ルーガンは空を見上げたまま短く呟く。
「まだだ」
「え?」
レイドが振り返る。
ルーガンの視線は龍ではなかった。
崩れかけた街並み全体へ向けられている。
巨大な龍が飛ぶたびに、あちこちの建物が悲鳴を上げていた。
壁が崩れ、塔が傾き。
瓦礫が雨のように降り注ぐ。
「この状況じゃ斬れねぇ」
ルーガンは静かに言った。
長剣を抜けば、一撃の余波だけで周囲の建物ごと吹き飛ぶ。
シュカも、ミーシャも。
レイドたち皆を巻き込んでしまう。
「それに街が邪魔だ」
龍は巨大すぎる。
建物の合間を飛び回られれば、大振りな斬撃は振るえない。
ルーガンほどの剣士だからこそ、その窮屈さが分かっていた。
「ならどうすればいい!」
レイドが叫ぶ。
答える間もなく、轟音が響く。
龍の尾が建物を薙ぎ払い始めた。
「伏せろ!」
ルーガンが二人を抱えて跳ぶ。
その直後、石造りの建物が粉々に砕け散った。
巨大な石柱が頭上を掠めて落下する。
着地した場所も安全ではない。
すぐ隣の建物が軋み始めていた。
「このままじゃ街ごと潰される!」
レイドが歯を食いしばる。
リューエンは周囲を見回していた。
龍は高すぎる。
このまま地上から撃っても意味がない。
その時だった。
「……あれ」
リューエンの視線の先。
街の中央近く。
廃墟の中でも一際高く残っている建物が見えた。
崩れかけてはいるが、まだ辛うじて立っている。
巨大な時計塔。
「……届くな」
リューエンが小さく呟く。
「レイド!」
「なんだ!」
「少し時間ちょーだい!」
そう言うや否や、リューエンは瓦礫を蹴って駆け出した。
「お、おい!」
「上から撃つ!」
返事だけを残し、建物の壁を蹴り、窓枠を足場にしながら驚異的な速さで時計塔を登り始める。
ルーガンはその背中を見送り、小さく笑った。
「なるほどな」
地上では届かない。
だが、あの高さなら龍の飛行ルートを捉えられる。
レイドも気付く。
「リューエン……!」
時計塔の頂上へ、小さな人影が立った。
龍へ向け、ゆっくりと造り出した銃を構える。
時計塔の頂。
吹き荒れる風が、リューエンの髪を激しく揺らす。
崩れかけた石造りの塔は、龍が羽ばたくたびに軋み、今にも崩れ落ちそうだった。
それでもリューエンは足を止めない。
ゆっくりと深く息を吸い、銃を構える。
視線の先では、龍が黒雲を切り裂くように旋回していた。
「……距離、風向き、高度」
独り言のように呟く。
龍は速い。
狙って撃つだけでは当たらない。
だからこそ。
「予測して、撃つ」
カチリ、と撃鉄が起きる。
その姿を、地上のレイドが見上げていた。
「頼むぞ……!」
リューエンは小さく笑う。
「外したら、ごめんね。……外さないけどさ」
重い銃声が一発。
放たれた弾丸は空中で青白い龍へ姿を変え、一直線に巨大な龍へ突っ込んだ。
爆炎。
龍が大きく首を仰け反らせる。
「効いた!」
レイドが叫ぶ。
だが、それは傷を負わせたというより、不意を突かれた程度だった。
龍は怒り狂ったように咆哮を上げる。
黄金の瞳が、時計塔の上に立つリューエンを射抜いた。
「……これでも効かないのって、マジで言ってる?」
リューエンの笑顔が引きつる。
龍は標的を変えた。
巨大な翼を一度羽ばたかせるだけで、空気が爆ぜる。
一直線に、時計塔目掛けて突っ込んでくる。
「リューエン!」
レイドが叫ぶ。
リューエンはすぐさま二発、三発と撃ち込む。
その全てが外れることなく龍に命中する。
しかし龍は止まらない。
爆炎を突き破り、その巨体が目前まで迫る。
「あー……やば」
龍は口を開かなかった。
代わりに、巨大な尾が横薙ぎに振り抜かれる。
凄まじい轟音。
時計塔の中腹へ尾が直撃した。
石造りだった塔が悲鳴を上げる。
一本。
また一本と亀裂が走り、次の瞬間ついに崩壊した。
「リューエェェェン!!」
レイドの絶叫。
時計塔は根元から折れ、無数の瓦礫となって崩れ落ちる。
その中へ、小さな人影が投げ出された。
リューエンだった。
「しまっ……!」
空中で体勢を立て直そうとする。
しかし掴むものがない。
そのまま真っ逆さまに落ちていく。
シュカが息を呑む。
ミーシャが目を見開いて、レイドは反射的に駆け出そうとした。
間に合わない。
誰もがそう思った。
だがルーガンだけは違った。
落下するリューエンを一瞥すると、小さく息を吐く。
「……やっと来たか」
その一言に、レイドが振り返る。
「え?」
ルーガンは龍ではなく、さらにその上を見ていた。
誰もいないはずの虚空を。
次の瞬間だった。
どこからともなく、静かな男の声が響く。
『──時の狭間へようこそ』
世界が、ぴたりと静止したような錯覚。
続いて、もう一つ。
淡々とした声が、空へ溶ける。
『特殊能力──時空断界』




