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烙禍ノ彗星  作者: 雨宮麗
虚との邂逅 編

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28 『虚のギルドマスター』

 

 世界から、音が消えた。


 風の音も、龍の咆哮も。

 崩れ落ちる時計塔の轟音すら。


 まるで、この空間だけが現実から切り離されたようだった。


 レイドは目を見開く。


「……なんだ、これ」


 落下していた瓦礫が、全て空中で止まっている。


 砕けた石片も。

 舞い上がった砂埃も。


 全てが、その瞬間だけを切り取られたように静止していた。


 そして、何もない空間から黒い羽根と共に龍の上に降り立った一人の男。


 黒いローブ。白髪。表情の読めない儚げな赤い瞳。

 その男は、何の感情もなく、ただ薄い笑みを浮かべて巨大な龍を見下ろしていた。


 龍もまた、異変に気付いたのか。


 動かせない身体の中で、唯一その瞳だけを動かしている。


 逃げようとしているように見えるが、もう遅い。


『時空断界』


 白髪の男の特殊能力は、その瞬間すでに発動を終えていた。


 龍の身体に一本の線が走った。


 傷ではない。切断でもない。

 ただ、そこに「境界」が生まれた。


「……え?」


 シュカの口から、声が漏れる。


 何が起きたのか理解できない。

 剣で斬ったわけじゃない。炎で焼いたわけでもない。


 ただ、龍という存在そのものが、二つの時間へ分けられていた。


 上半身が存在する時間。

 下半身が存在する時間。

 本来なら繋がっているはずの二つが、操作され歪まされていく。


 その結果。

 巨大な龍の身体は、音もなく分断された。


 断面から血が流れることもない。

 痛みに叫ぶこともない。


 なぜなら、龍はもう、その瞬間に「存在する時間」を失っていたから。

 次の瞬間、龍の身体が、淡い光へ変わる。


 まるで黒い花びらが風に溶けるように。

 巨大な身体は、跡形もなく消えていった。


「相変わらずの、規格外野郎が」


 そう呟いたのはルーガン。

 彼以外、誰も声を出せなかった。


 あれほど街を破壊し、圧倒的な力を見せつけた存在が、ただ一人の男によって消された。


 その一瞬ののち、落下していたリューエンの身体が、ふわりと受け止められる。


 空中にいた男が、静かにリューエンを抱える。

 深い赤の瞳は、真っ直ぐにリューエンを見据えていた。

 まるで、その奥にある何かまで見透かすような眼差しだった。


「うん、酷い怪我は無さそうだね」


 男はそう呟くと、ゆっくりと地面へ降り立った。


 リューエンの足が地面に触れたと同時に、黒い羽根が一枚、また一枚と消えていく。

 リューエンは呆然と男を見る。


「……えっ、助かった、の?てか誰ぇ!?」


 男は答えない。

 ただ、視線だけを前へ向ける。


 その先には、シュカがいた。


「……あ、」


 シュカの身体が固まる。

 忘れるはずがない。


 あの日。

 レイドとの巡回任務の途中、誘拐された子供たちを追って辿り着いた廃工場。


 そこで暴走したシュカの炎を鎮め、窮地を救ってくれた白髪に赤い瞳の男。

 あの時と同じ気配が、そこにあった。


「あなたは……」


 声が漏れそうになった、その瞬間。


「おい」


 ルーガンの声だった。

 腕を組みながら、呆れたように男を見る。


「遅ぇんだよ」


 男は少しだけ目を細めた。


「これでも、君に緊急だと連絡を受けて急いで来たんだけどね」


「お前ならもっと早く来れただろうが、ゼーレ」


 その名前が響いた瞬間。

 空気が変わった。


「……え?ゼーレ?」


 レイドが目を見開く。


「え。えぇ〜?待って……今、ゼーレって言った?」


 リューエンは信じられないものを見るような目で、ゼーレを見ながら頬をかく。

 ミーシャは、目を輝かせながらも、どこか不安そうにゼーレを見上げていた。


 その周囲の反応に、シュカはさらに混乱する。


「知ってるんですか……?」


 レイドは信じられないものを見るような顔で呟いた。


「知ってるも何も……」


 リューエンが言葉を失う。


「ゼーレって言えば、虚のギルドマスターじゃん……」


「あ……っ」


 シュカの瞳が揺れる。


 虚。

 ゲヘナに来てすぐの頃、シュカが最初に目指していたギルドだ。


「ギルドマスター……?」


 シュカは目の前の男を見る。


 まさか、この人が。

 虚を率いるギルドマスターだったなんて、とシュカは目を見張る。


 ゼーレは、静かにシュカへ視線を向けた。


「また会ったね、シュカ」


 淡々とした声。

 しかし、その赤い瞳だけが僅かに揺れる。


「こんなに早く、もう一度会うことになるとは思っていなかった」


 そして、続けるようにゆっくりと口を開く。


「改めて名乗らせてもらうよ」


 黒いローブが風に揺れ、白髪がきらりとランタンの灯りで輝いた。


「俺の名はゼーレ。時を操る特殊能力者であり、虚のギルドマスターだ」


 その言葉が落ちた瞬間。

 彼の正体を知った全員が、それぞれ違う意味で、息を呑んだ。


「で」


 遮るように、ルーガンは肩の力を抜いたまま、何気ない口調で問いかけた。


「どこで道草食ってやがったんだ?」


 責めるような声音ではない。

 むしろ、いつもの軽口に近い。


 だがゼーレは、その奥にある僅かな違和感を見逃さなかった。


「……」


 ルーガンは自分のことを疑っているわけではない。

 ただ、知ろうとしている。


 なぜ、時間を操るほどの力を持つゼーレが、ここまで到着するのに時間がかかったのか。


 ゼーレは小さく息を吐く。


「普通なら、もっと早く着いていたよ」


「だろうな」


 ルーガンは即答する。


「お前の能力を考えりゃ、この程度の距離で遅れる理由なんざねぇ」


 その言葉に、レイドたちは改めて驚く。

 今まで目の前で起きたことだけでも理解できない。


 時間を操り一瞬で龍を消し。

 落下していた人間を救う。


 それだけでも十分すぎるほど異常だ。

 それなのに、ルーガンは、それを当然のように話している。


「何かあったんだろ?」


 ルーガンが続ける。


「お前が、理由もなく遅れるとは思ってねぇよ」


 ゼーレは少しだけ目を伏せた。

 そして静かに手を上げる。

 すると空間が僅かに歪んだ。


 何もない空間から、大量の黒い影が落ちる。


 巨大な鱗。鋭い牙。折れた翼。

 先ほどシュカたちが戦っていた龍と同等。

 いや、それ以上の大きさを持つ龍の死骸が、次々と地面へ積み上がっていく。


 全員が言葉を失った。


 ゼーレは何でもないことのように龍の山を見る。


「まさか、ここへ来るまでの間に龍を五十体も相手にすることになるとは思っていなかったよ」


「五十……?」


 レイドの声が震える。

 数え間違いではない。

 目の前にあるだけでも、明らかに数十体はいる。


 ゼーレは少し困ったように笑う。


「避けて通ることも考えたんだけど」


「……」


「虚としても、俺としても、ゲヘナの街への被害は避けたい」


 ルーガンは呆れたように肩をすくめる。


「相変わらず、面倒なところで律儀だな」


「君もこうしたはずだよ」


 ゼーレはそう言うと、積み上がった龍の死骸へ歩み寄った。

 巨大な鱗へそっと手を添え、なにかを確かめるように静かに見つめる。


 一方でレイドも、目の前の光景に引き寄せられるように近づいていた。


「……すげぇ」


 先ほどまで自分たちを追い詰めていた龍と同格の存在が、まるで瓦礫のように積み上げられている。

 信じられなかった。

 恐る恐る近くの龍の鱗へ触れる。


「硬っ……」


 思わず呟いた、その時だった。


「あぁ」


 穏やかな声がすぐ隣から聞こえる。

 振り向くと、いつの間にかゼーレが立っていた。


 レイドは肩をびくりと震わせる。


「あ、えっと……」


 ゼーレは穏やかに微笑む。


「君はアステリアのレイドだね」


「え、あ……はい」


「話は聞いているよ。”アステリアの狂犬”の噂は虚にまで届いているからね」


 思いがけない言葉に、レイドの動きが止まる。


「……もっと噛みつかれるかと思っていた」


「……へ?」


 一拍遅れて意味を理解し、レイドは慌てて首を横へ振った。


「いやいや、噛みつきませんよ!?」


 思わず素で突っ込む。


 虚のギルドマスター。

 ゲヘナ最強とまで噂される特殊能力者。

 そんな人物がレイドに対して放った第一声が、ボケだった。


「……」


 そんな事実にレイドはぽかんと口を開ける。


(え、何この人)


 思っていた人物像と違いすぎる。

 もっと威圧感の塊のような男だと思っていた。


 そばではリューエンが肩を震わせて笑いを堪えていた。


「ぷっ……!」


 ルーガンは呆れたようにため息をつく。

 そしてゼーレを親指で指す。


「お前らが勝手に神聖視してるだけだ。元からこいつは、こんな奴だぞ」


「えぇ……」


 レイドは思わず声を漏らした。

 信じられないというようにゼーレを見つめる。


 その肩書きからは、とても想像できないほどに、彼は穏やかで、それこそ戦など見たことがないような緩い雰囲気を持っている。


 そんなゼーレのそばに近寄った存在がいた。

 ミーシャだ。


 ミーシャはゆっくり、恐る恐るゼーレのところに近づいて、その手を引いた。


「うん?」


「あ、……あの、……ゼーレ?」


 不安気にゼーレを見上げるミーシャ。


「うん、そうだよ」


 ゼーレは穏やかに答えた。


「俺がゼーレ。初めましてだね、ミーシャ」


 そう言って、ゼーレはゆっくりとしゃがむ。

 ミーシャの視線の高さを合わせるために。


 ミーシャは少し驚いたように瞬きをした。

 名前しか知らなかったゼーレが、自分の名を呼んでくれた。


「あの……」


「うん?」


「ほんとに……ゼーレなんだ」


 小さく呟く。

 ゼーレは少しだけ首を傾げた。


「そうだね、俺はゼーレだよ」


「なんか……」


 ミーシャはゼーレをじっと見つめる。


「思ってたのと違う」


 ゼーレはただ少しだけ目を瞬く。


「ふふ、よく言われるよ」


「ほんとは、すこしだけ怖い人かと思ってた」


「怖い人かもしれないよ」


「ううん、やっぱり優しい。だからミーシャを保護してくれた」


 一瞬、ゼーレの表情が止まった。


 ほんの僅かな変化。

 ゼーレは、何も言わずミーシャを見る。


「俺は最後に許可を出しただけだよ。優しいのは俺じゃない」


 静かにそう答えた。

 それでもミーシャは嬉しそうに笑う。


 その笑顔を見て、ゼーレはどこか安心したように目を伏せた。


「虚では、楽しく過ごせている?」


 突然の問い。


「うん」


 ミーシャは迷いなく頷いた。


「みんな優しくて、だいすき」


「そう」


 短い返事。

 けれど、その声には僅かな安堵が混じっていた。


 ミーシャは不思議そうに首を傾げる。


「ゼーレは?」


「うん?」


「虚のこと、好き?」


 その問いに、ゼーレも迷うことなく答えた。


「好きだよ。みんなが帰ってこられる場所だからね」


 ミーシャには、その言葉の意味までは分からなかった。

 けれど、ゼーレの声は、龍を一瞬で消した時よりも、ずっと優しく見えた。

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