26 『災厄の双眸』
シュカとミーシャが黒い影に呑まれてから、どれほど走り回っただろうか。
人気の消えた黄昏街に響くのは、自分たちの足音と荒い呼吸だけだった。
「シュカーーーーっ!!」
瓦礫を蹴散らしながら、レイドは喉が潰れそうなほど叫ぶ。
返事はない。
崩れた建物の隙間を覗いても、倒壊した家屋を飛び越えても、二人の姿はどこにも見当たらなかった。
「ミーシャーーーーッ!!」
リューエンも負けじと声を張る。
しかし返ってくるのは、吹き抜ける風だけ。
静かすぎる。
この街そのものが、生き物のように息を潜め、自分たちを見下ろしているようだった。
「クソッ……!」
焦燥を抑えきれず、レイドは近くの石壁へ拳を叩き込む。
鈍い衝撃と共に壁が砕け、細かな石片がぱらぱらと地面へ転がった。
「どこ行ったんだよ……!」
あれほど近くにいたのに。
一瞬だった。
手を伸ばせば届く距離だったのに、何もできなかった。
悔しさが胸の奥を焼く。
リューエンにも、余裕は見えない。
普段なら「まあ何とかなるよ」と軽口の一つでも叩く男が、今は真剣な表情で辺りを見回している。
「この街……」
ぽつりと呟く。
「どこまでも嫌な感じしかしないね」
「あぁ」
レイドも短く返す。
人の気配はない。
なのに、誰かに見られているような感覚だけが、ずっと背中へまとわりついていた。
「とにかく探すぞ」
「了解」
二人は再び走り出す。
崩れた建物を縫うように駆け抜け、細い路地へ飛び込んだ、その時だった。
「……ん?」
リューエンが足を止める。
道端に、小さな石造りの祠が建っていた。
長い年月を経たのだろう。
屋根は崩れかけ、苔がびっしりと張り付き、風化した石像は原形すら分からない。
「こんな所に祠?」
レイドも眉をひそめる。
「神様でも祀ってたのかねぇ」
リューエンは興味深そうに近づく。
「触るなよ」
「大丈夫大丈夫」
ひらひらと手を振りながら、祠の横を通り抜けようとして――
「……っと」
足元の瓦礫へ靴先を引っ掛けた。
身体がよろける。
「おわっ」
リューエンの肩が祠へぶつかった。
ごとり。
石が転がる音。
「あ」
間抜けな声が漏れる。
レイドは嫌そうな顔で振り返った。
「……お前、今なんかやった?」
「いやぁ?」
「疑問形で返すな」
石像には、ひびが走っていた。
「……」
「……」
二人は無言で顔を見合わせる。
「これ……」
「帰ろう」
「賛成」
踵を返した、その瞬間だった。
大きな地鳴りで足元が揺れる。
「うわっ!」
「何!?」
石畳が盛り上がり、建物の壁へ無数の亀裂が走る。
路地の奥で、巨大な何かが地面を突き破った。
轟音、爆煙。
崩れた建物が紙細工のように吹き飛ぶ。
砂煙の向こうから、ゆっくりと持ち上がる巨大な首。
黄金色の双眸。
山ほどもある漆黒の鱗。
翼を広げるだけで周囲の建物が軋み、暴風が街を吹き抜ける。
龍だった。
それも、人間など蟻ほどにも見えないほど巨大な存在。
「…………」
「…………」
二人は固まった。
龍がゆっくりとこちらを見る。
黄金の瞳と目が合った。
その巨大な口が静かに開く。
胸が大きく膨らみ、口元に熱が集まり始めた。
「……レイド」
「……あぁ」
「これって。間違いなく」
二人は同時に叫んだ。
『逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
反射的に互いへしがみつく。
『ぎぃやぁぁぁぁあああ!!』
「お前のせいだろ!!」
「いやっ、今のはさぁ〜!ほら、事故だから!!」
「事故で済むサイズじゃねぇぇぇ!!」
次の瞬間。
龍が吐き出した業火が、街を一直線に焼き払った。
石畳が溶ける。
建物が一瞬で炎に包まれ、轟音と共に崩れ落ちる。
熱風が二人の背中を叩いた。
「レイド!!」
「分かってる!!」
雷が弾ける。
青白い稲妻が全身へ走った。
「特殊能力・雷鳴ノ慟哭!!」
爆発的な加速。
二人は迫り来る炎の寸前を駆け抜けた。
しかし、背後から響く羽ばたきは、まるで死神の足音のように、ぴたりと止まらなかった。
龍は一度大きく翼をはためかせると、悠然と舞い上がる。
巻き起こる暴風だけで瓦礫が宙を舞い、崩れかけていた建物が悲鳴を上げるように軋んだ。
「まだ来るぞ!!」
レイドが振り返る。
龍は旋回しながら、二人を見下ろしていた。
その黄金の双眸には、獲物を逃がすまいとする獣の執念だけが宿っている。
「完全にロックオンされてるんだけど!?」
「知らねぇよ!!」
言い終えるより早く、龍が急降下した。
空気を裂くように、巨大な爪が一直線に振り下ろされる。
「散れッ!!」
二人は反対方向へ飛び退いた。
次の瞬間、地面が砕け散る。
石畳は紙のように抉れ、半径数十メートルが巨大なクレーターへと変わった。
砕けた石が弾丸のように飛び散る。
「ぐっ!」
レイドは腕で顔を庇いながら転がり、瓦礫へ背中を打ちつける。
一方のリューエンは崩れた壁を蹴って宙へ逃れ、そのまま軽やかに着地した。
「リューエン!こんなの正面から相手したらマジで死んじまうぞ!」
「もう十分死にかけてる!!」
龍は再び大きく羽ばたき、高度を上げる。
喉の奥が赤く染まり始めた。
「おい、また来るぞ!!」
レイドは歯を食いしばる。
全身へ雷を巡らせる。
稲妻が腕へ集まり、青白い光が激しく弾けた。
「雷轟ッ!!」
轟音。
一本の雷撃が真っ直ぐ空を裂き、龍の胸元へ直撃する。
閃光が視界を白く染めた。
「当たったか!」
リューエンが思わず声を上げる。
だが、煙が晴れた先。
龍は何事もなかったかのように翼を広げていた。
「……は?」
焦げ跡一つない。
龍はただ鬱陶しそうに首を振っただけだった。
「効いてねぇ!」
「いやいや、硬すぎでしょ!」
龍が咆哮する。
空気そのものが震え、窓ガラスが一斉に砕け散る。
そのまま巨大な口が開き、灼熱の炎が奔流となって吐き出された。
「伏せろ!」
二人は咄嗟に崩れた建物の陰へ飛び込む。
直後、業火が街路を飲み込んだ。
石造りの壁さえ赤熱し、数秒後には爆ぜる。
轟音、崩壊、熱風。
建物そのものが耐え切れず、音を立てて崩れ始める。
「ここも危ない!」
リューエンが叫ぶ。
二人は転がるように飛び出した。
背後で建物が完全に倒壊し、土煙が噴き上がる。
「空飛べる相手とか反則だろ!」
レイドは舌打ちした。
こちらは地上。向こうは壁に覆われているとはいえ、かなり高い位置を飛んでいる。
高度も速度も、何もかもが違う。
好きな高さから炎を吐き、好きな角度から襲いかかってくる。
このままでは一方的だった。
「……だったら」
レイドの目つきが変わる。
龍を真っ直ぐ見据え、拳を強く握り締める。
「空まで行ってやる」
リューエンが嫌な予感しかしない顔になる。
「ちょっ、レイド?」
全身へ稲妻が走る。
バチバチ、と雷鳴が響き、足元の石畳が砕け始めた。
「リューエン、少し時間を稼げ!」
「まさか……」
顔を引き攣らせるリューエンを気にも止めずに、レイドは不敵に笑う。
「背中に乗りゃ、さすがに逃げられねぇだろ!」
「いやいやいや待って待って待って!」
リューエンの制止も聞かず。
レイドは雷鳴と共に、一直線に空へ跳び上がった。




