21 『黄昏街』
最初に意識を取り戻したのはレイドだった。
鈍い頭痛。
背中に感じる硬い地面の感触。
しかし、どういうことか、何かに守られたのか怪我はしていないようだった。
「……っ」
ゆっくりと目を開く。
薄暗い。
いや、夜ではない。
空そのものが存在していなかった。
見上げた先には、黒い壁があった。
ゲヘナを覆う巨大な壁と同じものが、延々と続いている。
それだけで、ここがゲヘナの内側であることだけは分かった。
しかし、地下へ落下したはずなのに黒壁が見えるということは、自分たちはどこか別の場所へ飛ばされたのだろう。
「ここ……どこだ……?」
レイドはゆっくりと体を起こす。
周囲には見覚えのない建物が並んでいた。
だが、そのどれもが壊れている。
崩れた建物は、どれもゲヘナでは見たことがないほど巨大だった。
元は高層建築だったのだろう。
倒壊し、大量の瓦礫となって積み重なっている。
朽ちた看板。
割れた窓。
人の気配はない。
風だけが静かに吹き抜けていた。
まるで何百年も前に時間が止まった街。
そんな印象だった。
「う……レイド……?」
か細い声が聞こえる。
勢いよく振り返ると、少し離れた場所でシュカが身を起こしていた。
「シュカ!」
レイドは慌てて駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「う、うん……」
シュカは自分の手を見る。
炎は出ていない。
暴走も止まっている。
胸の奥にはまだ違和感が残っていたが、少なくとも先ほどまでの状態ではなかった。
それを確認して、レイドは大きく息を吐く。
「よかった……。怪我してねぇか?」
その言葉に、シュカの胸が痛んだ。
自分はレイドを傷つけた。
それなのに、レイドは真っ先に自分を心配してくれている。
「レイド、その腕……」
「あ?」
焦げた腕を見る。
「これくらい平気だ」
「平気じゃないよ……」
「ほっときゃ治る」
そう言って、レイドは笑った。
その時だった。
「ん〜……」
間延びした声に、二人が振り返る。
瓦礫の上に寝転がっていたリューエンが、大きな欠伸をしながら起き上がった。
「いや〜……マジで死んだかと思った」
「ピンピンしてんじゃねーか。お前は何があっても死なねぇだろ」
レイドが即座に突っ込む。
「ミーシャ!」
シュカが慌てて辺りを見回した。
少し離れた場所で、ミーシャが丸まって眠っている。
呼吸もある。
目立った怪我も見当たらない。
どうやら四人とも無事だったらしい。
ようやく安心しかけた時、レイドが周囲を見回しながら眉をひそめた。
「……で、ここ、どこだ?」
その問いに答えたのはリューエンだった。
いつもの軽い表情が、少しだけ消えている。
「多分だけど」
彼は街並みを見渡す。
「黄昏街だよ。ここ」
しばしの沈黙。
レイドが眉を寄せる。
「……は?」
「だからー、黄昏街だって。ターソーガーレーガーイー」
「いやいやいやいや!」
レイドは即座に首を振る。
「黄昏街って都市伝説だろ? シェリンから聞いたことあるぞ」
ゲヘナで『黄昏街』といえば、有名な都市伝説だ。
ゲヘナのどこかに存在すると噂される幻の街。
存在するとも、存在しないとも言われている場所。
誰も見つけられず。
辿り着いた者は帰ってこない。
そんな話だったはずだ。
「俺もそう思ってたんだけどね〜」
リューエンは苦笑した。
「でも、この景色見てると他に説明つかなくない?」
誰も反論できなかった。
廃墟の街。
空のない世界。
不自然な静けさ。
そして、橋から落ちたはずなのに辿り着いた未知の場所。
まるで古くから存在していた都市の遺骸だった。
レイドが立ち上がる。
「とりあえず、出口探すしかねぇな」
「賛成〜」
リューエンも立ち上がる。
ほどなくしてミーシャも目を覚まし、不安そうにリューエンの服を掴んだ。
四人は街の奥へ進もうとした。
その時だった。
不意に、リューエンがミーシャの首を掴んだ。
「え……?」
誰も理解できなかった。
細い首を掴まれ、その身体が宙へ持ち上がる。
「りゅ……えん……?」
苦しそうな声。
シュカの思考が止まる。
「な、何してるんですか!?」
レイドが飛び出す。
「リューエン!!」
だが、リューエンは反応しない。
その目に光はなかった。
焦点が合っておらず、まるで操り人形のようだった。
ぎり……と、指に力が込められる。
ミーシャの顔色がさらに青くなっていく。
「なん……で……」
涙混じりの声。
「……リューエンっ?」
その声に、ぴくり、とリューエンの身体が震えた。
ミーシャを捉えた瞳が揺れ、苦悶が顔に浮かぶ。
「……っ」
次の瞬間。
リューエンは特殊能力を発動する。
そして、創り出した銃で躊躇なく自分の腕を撃ち抜いた。
鮮血が散る。
「ぐっ……!!」
衝撃でミーシャが解放される。
レイドが慌てて抱き止めた。
「ミーシャ!」
「けほっ……けほっ……!」
その前で、リューエンが地面へ膝をつく。
肩で息をしている。
撃ち抜いた腕からは血が流れていた。
「おい! 何やってんだお前!!」
レイドが叫ぶ。
リューエンは額に汗を浮かべながら笑った。
「いや〜……これはヤバいね」
「何がだよ!」
「このままじゃ、全員ここで死ぬことになるよ」
その言葉に、全員が凍り付く。
リューエンは震える手で傷口を押さえた。
「この場所……自我を削ってくる」
静寂が落ちた。
誰も冗談だとは思えなかった。
実際に今、リューエンはミーシャを殺しかけたのだから。
「……これが、黄昏街が都市伝説になってる理由ってことかよ」
レイドが呟く。
「かもね〜」
リューエンは苦笑した。
「帰った人がいないんじゃなくて、帰る前に壊されるんだ」
ぞっとする話だった。
シュカは急いでカバンを開く。
「応急処置くらいなら……!」
中から救急セットを取り出し、慣れないながらも必死に処置していく。
「シュカっち、ありがと〜」
「でも、出血がまだ……」
「十分十分」
リューエンは笑う。
だが、顔色は悪いままで、出血量も少なくはない。
一刻も早く、まともな治療が必要だった。
「急がないとね」
包帯を巻き終えた腕を見ながら、リューエンが呟く。
「出口を探すよ」
その声は珍しく真面目だった。
「ここに眠る何かを叩き起こしちゃう前に」
誰も言葉を返せない。
風が吹く。
誰もいない廃墟の街。
崩れた建物の隙間から、不気味な軋みだけが聞こえていた。
そして、どこか遠く。
何か巨大なものが目を覚ましたような音が響く。
四人は顔を見合わせた。
ここはゲヘナのどこかだ。
しかし、長居してはいけない場所だということだけは、全員が理解していた。
だが、そこにいる誰一人として、その気配に気付くことはなかった。
『あぁ、シュカ』
それは、どこか懐かしむような声だった。
『これは運命と言うべきか。まさか、お前が私を目覚めさせるとはな』
誰にも聞こえないその声だけが、静かな廃墟へ溶けていく。
そして“それ”は、盤上の駒を眺めるように、シュカの気配を見つめていた。




