20 『水底に消える』
結局、シュカたちはリューエンに案内されるまま、“虚”のギルドへ向かうことに。
「じゃ、しゅっぱーつ」
間延びした声とともに、リューエンがひらひらと手を振りながら歩き出す。
ミーシャは、シュカの手を取って嬉しそうについていく。
祭りの喧騒を抜け、大通りから外れる。
そこから先は、まるで別世界だった。
細い裏路地。
その頭上には、赤い提灯がぽつぽつと吊るされ、淡い灯りが石畳を照らしている。
何度も路地を曲がり、狭い通路を潜り抜け、ときには建物と建物の隙間みたいな道まで進んでいく。
「……すごい」
シュカは思わず呟いた。
ただ路地に入っただけなのに、まるで異世界へ迷い込んだみたいだった。
湿った空気。
酒と煙草の匂い。
遠くから聞こえる笑い声。
どこまで行っても景色が変わり続ける。
「ウチに初めて依頼しに来た人、だいたい迷子になるんだよね〜」
リューエンが軽い調子で笑う。
「俺、もう帰れる気しねぇ」
レイドが即答した。
「安心して〜。俺もたまに迷うから」
「お前が迷うなよ!」
そんな会話をしているうちに、視界がふっと開ける。
橋だった。
その下には、提灯の灯りで僅かにきらきらと反射する水が広がっている。
篝火を焚いた船が、水面を静かに行き来していた。
揺れる赤い火が水に反射し、幻想的な光景を作り出している。
そしてシュカは、そこで違和感に気づいた。
「川の中に……線路?」
水の中。
沈んだ線路が、川底に見えていた。
錆びついたレール。
水草が絡みつき、半ば朽ち果てながらも、確かにそこに存在している。
「あー、アレね」
橋の欄干に肘をつきながら、リューエンが口を開く。
「元々は、禁止薬物をゲヘナ中に流してた組織の運搬路だったらしいよ〜」
「運搬路……?」
「そ。何年も前に、結構ヤバい薬を作ってた組織があってさ。能力者を暴走させたり、中毒者を出したり、ゲヘナ中で大問題になったんだって」
リューエンの口調は軽い。
だが、話の内容は重かった。
ミーシャが少しだけ顔を曇らせる。
「……今でも、その時の話する人いる」
「148年前の事件のやつだな」
レイドが珍しく真面目な顔になる。
リューエンは続けた。
「で、その組織を潰したのが、“白髪に赤い瞳の男”」
その瞬間、ふとシュカの頭の中に、黒いローブの男の姿が過ぎる。
だが、148年も前の話だ。
あんなに若い男のはずがない。
シュカは慌てて首を振り、リューエンへ向き直った。
「その男が、一瞬で組織を壊滅させてさ〜。特殊能力で支配した水を操って、線路ごと水底に沈めたんだって。だから今、こんな川みたいになってんの」
「えっ、これ川じゃなくて、全部一人の特殊能力で出した水なんですか!?」
シュカは驚きながら、水底を見つめた。
沈んだ線路。
闇の中へ続く鉄の道。
まるで、過去そのものが沈んでいるみたいだった。
「ンで、その男が、“虚”を立ち上げた初代ギルドマスターらしい」
「らしい?」
シュカが首を傾げる。
リューエンは肩をすくめた。
「今代もそうなんだけどさ〜。ウチのマスター、“幽霊”だから」
「……幽霊!?」
シュカが思わず声を上げる。
「そ、幽霊」
リューエンはけらけら笑った。
「幽霊みたいに全然姿見せないの。ゲヘナ中でヤバい仕事ばっか片付けてるらしいけど、幹部でも見たことないやつが殆どだよ〜。俺も見たことないし」
「いやいや、幹部ですら知らないのかよ」
レイドが呆れたように言う。
「知らなーい。ウチそういうギルドだし。まぁいいんじゃない?マスターがいなかったら、虚はとっくに全滅してたんだし」
あっけらかんと言い切るリューエン。
その時、レイドがふと思い出したようにシュカを見る。
「ていうか、シュカお前、“虚のマスター”の話知らないのか?」
「虚の……マスター?」
「ゼーレは虚のギルドマスターなんだけど、今、虚にいるメンバーは誰もゼーレを見た事がねーんだよ。もちろん俺もな!」
レイドはそう言いながら、橋の欄干にもたれかかる。
「だけど、ウチじゃルーガンさんとか、特攻部隊隊長のラグナロクさんがゼーレと面識あるらしい。一切話してくれないけどな」
「いや、そもそもラグさんに関しては、俺、話してるところというか、表情が動いてるとこさえ見たことないよ??」
リューエンが面白そうに笑う。
そこまで聞きながら、シュカは無意識に水底へ視線を落とした。
沈んだ線路。
その側面の、錆びついた鉄の一部に、ある紋章が刻まれている。
それを見た瞬間、シュカの呼吸が止まる。
シュカの中で、あの日、あの時感じた感情が蘇る。
再び、その声が自分の中に響き渡った。
――燃やせ。
――壊せ。
――おまえを突き放したすべてを。
「――っ!!」
その瞬間、シュカの中で何かが弾けた。
頭の奥が焼ける。
胸の内側を、灼熱が暴れ回る。
「シュカ!?」
レイドの声。
次の瞬間、轟音とともに炎が噴き上がった。
紅蓮。
橋の中央から、爆発みたいに炎柱が吹き荒れる。
「うわっ!?」
リューエンが即座に後退する。
熱風が橋全体を揺らし、赤い提灯がばちばちと燃え散った。
シュカ自身も理解できていなかった。
止められない。
体の奥から、勝手に力が溢れてくる。
「あ……ぁ……」
視界が赤い。
脳裏に焼き付くのは、あの日の光景。
突然変異体だと言われ、連行された研究施設。
人間が生きていく為の研究なのだという名目で繰り返された実験は、シュカの心に深い傷を残した。
そして。
『お前は人間ではない。化け物だ』
その言葉が蘇った瞬間、炎がさらに膨れ上がる。
「ミーシャ、下がって」
リューエンの声だけが妙に冷静だった。
ミーシャは怯えたように頷き、慌てて後ろへ下がる。
「シュカ!!」
そんな中、レイドが迷うことなく一直線に炎の中へ踏み込んだ。
「来るなッ!!」
シュカが叫ぶ。
だが遅い。
レイドが止まるより早く、爆ぜた炎がレイドを弾き飛ばした。
「うぐッ……!!」
レイドの身体が橋の欄干へ叩きつけられる。
「レイド!!」
シュカの顔から血の気が引いた。
自分の力が、レイドを傷つけた。
「レイド!!あんまり近付くと……!」
リューエンが、近付きすぎると怪我をする危険を考えて発言した言葉だが、シュカの脳内では、突然変異体となったあの日の、『 “それ”はもうシュカじゃない!』という言葉が過ぎる。
しかし。
「うるせぇ!!」
レイドは痛みに顔を歪めながらも、無理矢理立ち上がる。
腕の一部は黒く焦げていた。
それでも、その目の光は消えない。
「シュカは俺の相棒で、親友なんだ!!」
炎が吹き荒れる。
熱で空気が歪む。
それでもレイドは、真っ直ぐシュカを見据えた。
「そんなシュカが泣きそうになってんのに、俺が何もしねぇわけにはいかねーだろうが!!」
「っ……!」
シュカの瞳が揺れる。
止めたい。
止めなきゃいけない。
なのに、炎はまるで意思を持った生き物みたいに暴れ狂っていた。
橋が軋む。
石畳が熱で赤く膨張する。
水面が蒸発し、白い蒸気が立ち昇る。
「シュカ!!」
レイドが叫ぶ。
「俺は大丈夫だからッ!!」
一歩。
また一歩。
炎を押し退けるように進む。
「俺だけを見てろ!!」
「……っ、ぁ……!」
シュカの呼吸が乱れる。
炎が揺れる。
レイドの声だけが、辛うじてシュカを現実へ繋ぎ止めていた。
だが。
それでも、もう抑えきれない。
熱が限界を超えて膨れ上がる。
橋全体が赤く染まり、空気そのものが悲鳴を上げ始める。
「ヤバ――」
リューエンが顔色を変えた。
次の瞬間。
熱で橋の欄干が崩落した。
「っ!?」
足場が消える。
シュカの身体が傾く。
そのまま、水底へ向かって落下した。
「シュカァァァ!!」
レイドが飛び込む。
同時に、リューエンも地面を蹴った。
二人の手が、落下するシュカの腕を掴む。
「掴まれ、シュカっち!!」
「離すな!!」
だが。
炎の熱で、橋そのものが崩れていく。
「っ……!」
シュカの身体がさらに沈む。
その時。
「シュカぁっ!!」
ミーシャが駆け出した。
迷いなく、シュカの足へ抱きつく。
「み、ミーシャ!?危な――」
止める暇もなかった。
さらに橋が崩壊し、バランスが崩れる。
そして、そのまま四人まとめて、水の中へ落下した。
轟音。冷たい水飛沫。
そして、世界が暗転する。
燃え盛る炎が、龍と雷、小さな少女と共に水底へ沈んでいった。
――しかし。
騒ぎに気付いた虚のメンバーたちが、崩壊した橋の様子を見に来た時。
そこには、一滴の水も。
シュカたち四人の姿も、残ってはいなかった。




