19 『龍を宿す弾丸』
ゲヘナでは、泥棒が出た程度で騒ぎ立てられることはまずない。
それが、すでに生活の一部となってしまっているからだ。
しかし、そこにアステリア旅団と虚のメンバーが居合わせているとなれば、話は別だ。
特殊能力者同士の諍い――騒ぎにならない方がおかしい。
だが、その喧騒すら意に介さず、玩具の銃を構えた男は、遠ざかっていく標的を見据えた。
「この銃、借りるねー」
軽く手を振り、射的屋台の店主にそう告げる。
返事を待つこともなく、男は玩具の銃を肩に乗せるように構えた。
――その瞬間、空気が変わる。
「特殊能力、月穿龍牙」
発動と同時に、玩具の銃が姿を変えた。
安っぽい木製のそれは、白金の装飾を纏う重厚な銃へと変貌する。
「はい、どーん」
気の抜けた声とともに、弾丸が放たれた。
その軌道に、龍の影が宿る。
一直線に、寸分の狂いもなく、空気すら置き去りにして標的へと突き進む。
龍が宿った弾丸が牙を剥いた。
逃走していた男の足に、正確無比に弾丸が突き刺さる。
「がッ!?」
撃たれた男が悲鳴を上げる間もなく、その体は龍の影に呑み込まれた。
弾丸の軌道に沿って走った龍の影が、そのまま男を咥え上げる。
そして空間を滑るように引き戻され、シュカたちの目の前で、ぺっ、と軽い音を立てて吐き出された。
「ぐえっ……!」
地面に転がる男。逃げ場は、もうどこにもない。
「はーい、回収完了〜!依頼どーも……って。お嬢何してんの?」
間延びした声とともに、射撃した男がのんびりと歩いてくる。
銃は、いつの間にか元の玩具の姿へと戻っていた。
お嬢という言葉で、シュカとレイドは目を見合わせてから、少女に視線を向ける。
少女は怒っているのに、どこか泣きそうな顔で駆け寄り、男の体をぽこぽこと叩き始めた。
「リューエンのばかぁぁぁ!わたしの護衛なのに、なにしてたの!わたしがもらったお金も持ってかれちゃってたの!」
「え、そーだったの〜?」
気の抜けた返事。
「気づいてよ!!すぐそこにいたでしょ!?」
「いやー……射的に夢中でさ……」
「そんなのどうでもいいでしょ!!」
びしっと言い切られ、リューエンは「えぇ……」と肩を落とす。
「結構いいとこだったのに……」
そのやり取りに、レイドが呆れたように口を挟む。
どうやらリューエンとは顔見知りのようだ。
「リューエンお前、護衛の自覚あるのか?」
「あるある。ちゃんと回収したでしょ?」
ひらひらと手を振るリューエン。
「結果オーライだよ」
「過程が最悪なんだよ」
レイドはため息をついてから、改めて少女を見る。
「……で、お嬢ってのは?」
リューエンは、そんなレイドの問いに答えるために、少女の頭にぽんっと手を置いた。
「あー、この子はミーシャ。一年前にギルドの前で倒れてたのをウチで保護してんだよ」
それまでリューエンに対してぷんすか怒っていたミーシャだが、シュカとレイドの方を見て、少しだけ表情を和らげた。
「ミーシャっていいます……さっきは、ありがとう」
「ううん」
シュカは首を振る。
「ピアノ、すごく綺麗だった」
その一言で、ミーシャの顔がぱっと明るくなった。
「ほんと!?ありがと!」
そんなやり取りをする二人を見ながら、リューエンが口を開いた。
「それで、そっちの男の子は?……はっ、もしやルーガンさんの隠し子!?」
「んな訳ねーだろ!!この俺のバディになった、シュカだ!」
レイドが即座に否定すると、リューエンは「ふーん」と気の抜けた声を漏らした。
「バディねぇ……」
そう言いながら、リューエンは、先程カバンとお金を奪おうとしていた男に向けていたような視線を、シュカへと向ける。
「……いつから、アステリア旅団はエデンの人間を囲うようになったの?」
そう言うリューエンの表情は緩いままだが、声だけは酷く冷たい。
空気がわずかに沈み、さっきまでの軽さが嘘みたいに、周囲の喧騒だけがやけに遠く聞こえた。
レイドの表情が一瞬だけ硬くなる。
「……おい、リューエン」
「冗談だよ」
すぐに、いつもの調子に戻るリューエン。
だが、視線だけはシュカから外れない。
「ただ、正直言って、警戒はしてるけどね。ゲヘナを“生きる価値のない人間の場所”だと思ってるエデンの人間が、何を思ってゲヘナに馴染もうとしてるの?何が目的?」
その言葉に、シュカの呼吸が一瞬だけ止まる。
周囲の喧騒は相変わらずあるのに、そこだけ切り取られたみたいに静かだった。
レイドが一歩前に出て、リューエンに対して怒りの籠った眼差しを向ける。
「リューエン、お前——」
「レイド」
リューエンは軽く手を上げて制したまま、視線だけをシュカに向ける。
「別に責めてるわけじゃないって。純粋な疑問」
その言い方は柔らかいのに、刃みたいに鋭い。
ミーシャが不安そうにリューエンの袖を握る。
「リューエン……」
シュカは小さく息を吐いた。
そして、一度目を伏せて、ゆっくりと顔を上げた。
「目的、って言われると……難しい。最初は、何にもなかったと思う。僕は、突然変異体だ。突然、訳もわからないまま炎に包まれて、エデンでの全てを失った。ゲヘナに来たばかりの僕には、何にもなかったんだ」
レイドが横目でシュカを見る。
シュカは、そんなレイドに「大丈夫」とだけ言って、話を続けた。
「エデンにいたときは、外のことって、あんまりちゃんと考えたことなかった」
「……」
「ゲヘナは危ない場所だって聞いてたし、何も知ろうとしないで、ただ教わったことだけを信じて、ここにいる人は怖い人ばっかりだって思ってた」
そこで一度だけ、言葉が途切れる。
「でも、違った」
シュカの視線が、リューエンに向く。
「レイドや、ルーガンさん。アステリア旅団のみんなが僕を認めてくれた。何にもなかった僕に居場所をくれて、優しくしてくれた。町の人も、あたたかくて、優しさで溢れてた」
リューエンの表情は変わらない。
ただ、瞬きだけが一度増えた。
シュカは続ける。
「僕自身に、目的って言えるものは、まだない。でも……」
小さく拳を握る。
「ゲヘナが怖いだけの場所じゃないって知った。これからは、自分の目で見て確かめたい」
その言葉が落ちた瞬間、空気が少しだけ変わる。
ミーシャがぱっと笑った。
「ね!シュカいい人だよ!」
レイドが小さく息を吐く。
「当たり前だ。俺が連れてきたやつだぞ」
「自慢すんな」
リューエンは軽く目を細めたまま、しばらくシュカを見ていた。
そして、やれやれと言ったように息を吐きながら、再び特殊能力とともに玩具の銃に手をかける。
シュカはびくりと反応し、レイドはシュカの前に立ち塞がるが、その銃口がシュカに向けられることはなかった。
リューエンが狙っているのは、シュカではなく周囲にいた人々だった。
「だってさ、聞いたよね〜?」
間延びした声。だが、空気は一切緩まない。
「エデンから来たとしても、この子はゲヘナに害を成すことはしないよ」
銃口がわずかに動く。
「だからさ」
笑っているはずなのに、目だけは笑っていない。
「それ以上殺気向けるなら、俺が相手するよ」
その言葉が落ちた瞬間、空気が一段階だけ“冷える”。
ざわつきかけていた人混みが、明確に引くのが分かった。
さっきまで好奇心や警戒心で向いていた視線が、今度は別のものに変わる。
「面倒な相手に触れたくない」という、現実的な判断だ。
シュカは、何が起きたのかわかっていなかったが、リューエンの行動を理解したレイドが小さく舌打ちする。
「……やりすぎだろ」
「そう?やりすぎくらいじゃないと、こういうのは止まらないからね〜」
リューエンは肩をすくめるだけだった。
視線だけが周囲をなぞる。
そこにあった空気の圧が、少しずつ霧散していく。
ミーシャが小さく息を吐いた。
「……もう、大丈夫?」
リューエンはその問いに、ようやく視線をミーシャへ向ける。
「ン!だーいじょーぶ!」
そう笑って、リューエンは今度こそ真っ直ぐにシュカに向き直る。
戸惑うシュカに対して、手を差し出す。
「周りの人達を落ち着かせるためとはいえ、怖がらせてごめんね〜」
その言葉で、シュカはようやく先程のリューエンの言葉の意味を理解する。
ゆっくりと、二人の手が触れて握られる。
「あ、ありがとう……」
「どーも。自己紹介がまだだったね。俺はリューエン。虚のギルドメンバーだよ、よろしくね〜」
その軽い口調は、さっきまでの冷たさが嘘のように感じられるほど自然だった。
シュカは少しだけ戸惑いながらも、握られた手の温度を確かめるように視線を落とす。
「シュカです!よ、よろしくお願いします……!」
リューエンは、シュカの名前を聞いてすぐ、にぱっと笑みを浮かべる。
「ね〜ね〜、俺、シュカっちのこと気に入っちゃった〜」
「……シュカっち……?」
シュカが思わず聞き返すと、リューエンは当然のように頷く。
「うん、シュカっち!」
レイドが横から即座に眉をひそめる。
「勝手に変な呼び方すんな」
「え〜いいじゃん、親しみやすくて」
リューエンはまったく気にしていない様子で肩をすくめた。
それから、少しだけ顎をしゃくって続ける。
「ここじゃなんだしさ、ウチのギルドに遊びに来なよ!」
その言葉に、レイドの表情が一気にわかりやすく不満げになる。
「は?今から?」
「そーだよ」
「せっかくシュカと二人で食べ歩きする予定だったんだけど!」
「別にそんなの、いつでも出来るくなーい?ゲヘナで暮らすなら、頼れる場所は多い方がいいでしょ〜?虚の場所なんて知っといて損ないじゃ〜ん」
その言い方は軽いのに、内容だけは妙に現実的だった。
レイドが一瞬黙り、シュカも同じように考え込む。
確かにここは、何が起きるかわからない場所だ。
今日だって、さっきまでただの観光のはずだった。
リューエンはさらに、決定打みたいに肩を揺らす。
「それにさ、美味いもん食うなら、うちのギルドの酒場が一番だよ〜」
「酒場……?」
その単語に、シュカの表情が少しだけ動く。
レイドはそれを見て、さらに不満そうにする。
「お前、食い物で釣るのズルくね?それに、シュカはこう見えて酒の悪魔なんだぞ!」
「え、いいじゃ〜ん!俺と一緒に飲もうよ」
あっさり返されて、レイドは言葉に詰まる。
その横で、ミーシャがぱっと顔を上げた。
「ギルド、行くの……?」
ミーシャの視線がシュカに向く。
シュカは一瞬だけ迷ってから、小さく頷いた。
「えっと、良いなら行ってみようかな」
その言葉を聞いた瞬間、ミーシャの顔がぱっと明るくなる。
「やったぁ!」
そんな二人を見て、レイドは肩をすくめて息をつく。
本当は、少しだけ不満だった。
けれど、楽しそうにしているシュカを見ていると、それもどうでもよくなる。
「ったく、しゃーねーな」
レイドはそう言いつつも、その表情は柔らかかった。




