18 『邂逅の街』
任務での成果を考慮したうえで、特別報酬として給金を受け取ったシュカとレイド。
シュカはまだ、カインのことが頭から離れなかったが、「それはシュカが疲れたままでいる理由にはならねーぞ!」というレイドに、アステリア旅団の本拠地から連れ出されて、ゲヘナの町を歩き回っていた。
仕事としてではなく、観光のような名目の今日は、何故だか今まで見ていた風景とはまた違う雰囲気を感じさせる。
「なぁなぁ、まず何する?食べ歩きとかするか!?」
レイドは、アステリア旅団に来てから即任務続きだったシュカの疲れを吹き飛ばすくらい、楽しい時間を過ごしてほしいと張り切っており、シュカの手を引いてどんどん町中を突き進んでいく。
道中で声を掛けてくれた住人たちへの返事も忘れず、さながら彼の特殊能力である雷のような明るさだ。
「食べ歩き……してみたい!もっと美味しいものたくさん知りたい!」
「よしきたぁ!なら、虚が管理してる北中央一区が有名なんだ。行ってみるか!」
「うんっ!」
そうして二人が足を踏み入れたのは、先程までのおどろおどろしい、これぞゲヘナという雰囲気とは違い、人の多い活気のある町だった。
アステリア旅団ではなく、虚が管理する、ゲヘナ北中央一区だというこの地区は、ゲヘナの食糧倉庫と呼ばれる地区であり、特殊能力で維持される農業、牧場区域でもあるのだという。
通りに一歩足を踏み入れただけで、空気が変わったように感じられた。
薄暗さは相変わらずだが、それでもまるで、陽の光のような人の気配と騒がしさ。
それを、両側に所狭しと並ぶ屋台が更に活気づけている。
「あそこの肉串おすすめだぞ!」
レイドがそう言って指さした先には、一口大の肉がいくつも串に刺さったもの。
だがしかし、レイドがおすすめするものだ。
「本当に、大丈夫……?」
シュカがそっとレイドへ視線を向けるが、肉串の屋台の方向から漂ってきた美味しそうな匂いがシュカを誘惑する。
「おい、なんだよその顔は」
シュカの顔を見て、むすっとするレイド。
「だって、レイドのおすすめはハズレだって、ルーガンさんが……」
「今回はガチだって!さっきの話まだ引きずってんのか!?それに、食い物は判定外だから!!ほら、ポテト美味かっただろ!?」
「……たしかに」
そう言いつつ、肉が焼けるいい匂いに釣られたシュカの視線は既に肉串の屋台へと引っ張られている。
「だろ?だから食い物のことは俺を信じろって!ルーガンもそう言うハズだぜ!」
レイドは得意気に胸を張り、そのまま屋台の方へ歩み寄った。
レイドが肉串の列に並ぼうとしたところ、アステリア旅団のメンバーだと気付いた客たちが彼に道を開け始める。
少々やり過ぎなところもあるようだが、日頃からゲヘナの治安を維持するために動いているアステリア旅団への信頼ゆえだろうか。
しかしレイドは軽く手を挙げてそれを制した。
「すんません!ちゃんと並ぶんで、俺のことは気にしなくて大丈夫っすよ!」
その言葉で、並んでいた客たちは柔らかな笑みを浮かべ、元の位置に戻り始める。
「シュカ、買ってくるからちょっと待ってろ」
そう言って離れていくレイドの背中を見送りながら、シュカはふと肩の力を抜いた。
さっきまで感じていた胸の重さが、少しだけ軽くなっている気がする。
周囲の人たちが見せた反応も、レイドの振る舞いも、全部が、温かかった。
(ちゃんと、ここで生きてるんだな……)
そんなことを思いながら、少し離れた場所で待つことにする。
人の流れに目を向けていると、不意に耳に入ってきたのは、柔らかな音色。
「……ピアノ?」
音のする方へ視線を向けると、通りの端。
そこにある古びたピアノの前に、小さな女の子が座っていた。
鍵盤はところどころ欠け、外装も傷だらけ。
それでも、少女の指が触れるたびに、澄んだ音が静かに空気へ溶けていく。
ゲヘナの中で、ひときわ光るような美しい音色だ。
足を止めている人が、数人。
その中に、自然とシュカも混ざっていた。
(……きれい……)
ゲヘナの空気とはどこか異質な、優しい音。
気がつけば、シュカは最後まで聴き入っていた。
演奏が終わると、控えめな拍手がぽつぽつと起こる。
ピアノの横には、小さな缶が置かれていた。
そこに、他の人たちと同じように、シュカはそっと巾着袋から硬貨を取り出して入れる。
(少しだけだけど……)
そうすると、女の子が、ぱっと顔を上げた。
「ありがとう」
小さな声だったが、確かに届いた。
「ううん、こっちこそ……」
シュカが微笑み返した、その瞬間だった。
「ガキのくせに、いい稼ぎしてんじゃねぇか」
低い声。
その場の空気が、変わる。
シュカが振り返るより先に、横から伸びてきた手が、少女の為に支払われた硬貨が入った缶を掴んだ。
「やめて……っ」
女の子の声が震える。
シュカは反射的に、男の腕を掴もうとした。
だが、「邪魔だ!」と振り払われてしまえば、シュカより何倍も大きな体の男に敵うはずもなく、乱暴に突き飛ばされる。
「うっ……!」
地面に背中を打ちつける。
視界が揺れて、その衝撃で、抱えていたカバンが手から離れた。
「……あ?」
男の声で、シュカはそれに気が付いた。
シュカが持っていたカバンは、古びているが、エデンで使っていたもの。
まだその中には、エデンで使っていた物も少し残されていた。
今、シュカの目の前には、カバンと、そこから転がり出たエデンの通貨があった。
男の表情が、一気に醜悪さを増す。
「……おいおい」
男の口元が、にたりと歪む。
「エデンの通貨じゃねぇか……」
舐めるような視線が、転がった硬貨からカバンへと移る。
「こりゃあ……思った以上の収獲だな」
「……っ、だめ……それ……!」
シュカは痛みを堪えながら手を伸ばす。
だが、男の動きの方が、圧倒的に速かった。
がしっ、とカバンごと掴み上げる。
「やめて!!それ返して!!」
シュカは必死に叫ぶ。
しかし男は、まるで面白いものでも見るかのように笑った。
その目は、完全に獲物を見つけた獣のそれだった。
「ゲヘナじゃあな、価値のあるもん持ってる奴が悪いんだよ。エデンの通貨なんて、侵入用に高値で取引される代物だ。誰が返すかよ」
「……っ」
言葉が、詰まる。
その一瞬の隙を逃すはずもなく、男は口を開いた。
「特殊能力、瞬神」
その特殊能力の名の通り、男の姿は一秒にも満たない速さでその場から遠のいていく。
このままでは、あっという間に見失ってしまう。
「シュカ!どうした!?」
異変に気付いたレイドがシュカの元に駆け寄ったのも、それと同時だった。
駆け寄ってきたレイドに、シュカは息を乱しながら顔を上げる。
「カバン……取られて……、それに……!」
うまく言葉にならず、焦りばかりが先に立つ。
その横で、少女が震える声で続けた。
「おかね……それに、その人のカバンも……あの人に持ってかれちゃった……!」
「……なるほどな」
レイドの表情が一瞬で変わる。
遊びの色は消え、任務中のそれに切り替わっていた。
「どっち行った」
「あっち……!」
シュカが指差した先には、すでに人混みの向こうへと消えかけている男の背中。
レイドは即座に舌打ちし、腕を振り上げた。
「雷迅!」
レイドの声と共に、バチンッと空気が裂ける。
雷が地面を走り、逃走経路の先へと一閃する。
遠くで閃光が弾け、人々のざわめきが一瞬止まる。
だが――シュカのカバンと少女のお金を持った男は止まらない。
「……距離が足りねぇか」
レイドが低く呟く。
男はさらに距離を広げている。
“瞬神”――その異常な加速では、直線の雷では追いつけない。
このままでは逃げられてしまうと判断したレイドは、すぐに懐から数枚の硬貨を取り出し、宙へ放った。
「虚!契約だ!!あの男を捕まえろ!!」
この町は、虚の管理下にある。
金さえ払えば、どんな依頼でも引き受けるギルドの手の中だ。
騒ぎにも構わず、のんびりと屋台で射的に興じていた男が、玩具の銃で硬貨を撃ち抜き、それを弾いて掴み取る。
「……あ、はいは〜い」
男は気の抜けた声でそう返した。
「んー……あっちの人ね、りょーかい」
視線だけで逃げた男を追い、のんびりとした口調のまま頷く。
その目は緩んだままだが、標的を見失う気配はなかった。




