17 『気配の無い来訪者』
すれ違っていたものが、すべて元通りになったわけではない。
それでも――離れていた間に生まれた冷たさを埋めるように、シュカとカインは互いを離さなかった。
その様子を、羨ましそうに、どこか拗ねたような視線で見つめていたレイドも、シュカがそこまで感情を剥き出しにしているのを見て、安心したように肩の力を抜いていた。
「けほ……っ」
カインが咳き込む。
その音に、シュカははっとして様子をうかがった。
レイドも異変を感じたのか、すぐに二人のそばへしゃがみ込む。
「どうした」
「カイン、大丈夫?どこか悪いの……?」
シュカの問いかけに、カインはゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫。少し疲れただけだから」
カインがそう言ったところで、ルーガンが口を開いた。
「目が覚めたばかりだからな。さすがに万全ってわけじゃねぇ。それに、エデンからいきなりゲヘナだ。疲れも溜まってるはずだろ」
一度言葉を区切り、少しだけ口元を緩める。
「カイン、今日はもうリリアナのところで休んでろ。無理して倒れたら、今度はシュカに強烈なタックルぶちかまされるぞ」
「えっ、ルーガンさん!?そんなことしませんよっ!」
慌てて否定するシュカに、ルーガンは肩をすくめる。
「どうだか。さっきはスゲェ勢いで突っ込んでたからなぁ」
軽く笑うその声に続くように、カインも小さく息を吐いてから、かすかに笑みを浮かべた。
そのまま、リリアナが一歩前に出る。
「行きましょうか。シュカのそばにいるためにも、今はしっかり休むことが大事よ」
そう言われて、カインは頷く。
しかし、ふと動きが止まった。
離れようとしていた手が、わずかにためらう。
視線が、シュカへと戻る。
――離れがたいのは、きっとお互い様だった。
シュカもまた、その手を引き止めかけて――そっと力を抜いた。
今は、引き止めるべきじゃないと分かっているから。
それでも、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「カイン!」
思わず、名前を呼んでいた。
振り返ったカインに、シュカはまっすぐ視線を向ける。
「僕を探しにきてくれて、ありがとう」
一瞬の沈黙。
カインの瞳が、わずかに揺れる。
それから――張り詰めていた何かがほどけたように、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
「……ああ」
やわらかな笑みが、口元に浮かぶ。
その表情を最後に、カインは今度こそ背を向けた。
リリアナとともに、静かに部屋を後にしていく。
扉が閉まる音が、やけに静かに響いた。
カインとリリアナの姿が見えなくなっても、シュカはしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……行っちゃったな」
ぽつりと呟く。
どこか寂しさの残る声だったが、その表情は――さっきまでとは違っていた。
確かに、前を向いている顔だった。
そんなシュカの隣で、レイドが口を開く。
「カインだけじゃねーからな」
「え……?」
「だーかーら!そんな寂しそうな顔すんな!お前には今、相棒である俺もいるんだからな!」
頬を膨らませながらも、シュカを気遣うレイドに、シュカは小さく笑った。
「ありがとう、レイド」
そんな二人のやり取りを見て、ルーガンは安堵の息を漏らす。
「ま、ひとまず一件落着ってとこか」
軽い調子の言い方だったが、その声には確かな安堵が混じっていた。
そして、そのまま二人に視線を向ける。
「お前らも、色々続いて疲れただろ」
そう言って、ルーガンは机の棚から二つの巾着袋を取り出し、シュカとレイドに手渡した。
「これは?」と戸惑うシュカの横で、レイドがはしゃぐ。
「お!給金じゃん!ラッキ〜!……って、今月早くね?」
「それは特別報酬だ。シュカの能力覚醒もあったが、二人にはデケェ仕事を背負わせちまったからな。だから明日は仕事のことなんて忘れて、ガキらしく遊んでこい」
その言葉を聞いても、シュカはすぐには反応できなかった。
手の中の巾着袋を、ただじっと見つめる。
「……これが、給金……」
ぽつりと呟く。
ずしりとした重み。
中で触れ合う硬貨の感触。
エデンにいた頃、金を手にする機会がなかったわけではない。
けれど――これは、明らかに違っていた。
(僕が……ここで、生きた証……)
そんな感覚が、胸の奥にじんわりと広がる。
「……僕なんかが……いいんですか、本当に」
どこか不安そうに顔を上げるシュカに、ルーガンは一瞬だけ目を細めた。
そして――
「いいっつってんだろ」
そう言いながら、わしゃわしゃと遠慮なくシュカの頭を撫でる。
「わっ……!?」
少し乱暴で、でもどこか雑な優しさ。
「お前はウチの仲間だ。拾っといて使い捨てるような真似はしねぇよ」
ぐしゃぐしゃにされた髪を、シュカは慌てて整える。
けれど、その表情は困ったようでいて――どこか嬉しそうだった。
「……はい」
小さく、でもしっかりと頷く。
その様子を見て、レイドがにやにやと口を挟む。
「シュカ……ほんと初心者丸出しだな」
「う、うるさいな……!」
「よ〜し!そんなシュカに、明日はゲヘナでのちゃんとした金の使い方教えてやるよ」
「使い方って……」
「だって、お前すぐ釣られそうだしな。ぼったくられたら笑えねぇし!」
レイドはそう言って、ぐいっとシュカの肩に腕を回す。
「つーわけで、ルーガン!シュカのことは相棒であるこの俺に任せとけ!」
「……レイド」
ルーガンはわざとらしく溜め息をついた。
そして、少しだけ遠くを見るような目になる。
「そういやお前、この前もやらかしてたよな」
「へ?」
きょとんとするレイドの前で、ルーガンは指を立てる。
「“身長が大きくなる薬”って言われて買ってきたやつ」
「あぁ〜〜っ!?ルーガン!?その話は……!」
「ただの精力剤だったな」
「ぎゃああああああああ!!」
レイドが即座に顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ルーガンのバカ!変態!なんでそれ今言うんだよ!」
両手で顔を覆いながら、勢いよく床を蹴る。
ルーガンはまったく悪びれず、肩をすくめた。
「いやぁ、まぁなんだ。どことは言わないが、デカくなるのは同じだったか」
それから、ちらっとシュカを見る。
「と……まぁ、シュカ。レイドに勧められたもんは基本ハズレだから、買うなよ〜」
「えっ、そんなレベルなんですか……?」
シュカが真顔になる。
「そんなレベルだ」
即答だった。
「ちょ、待てよルーガン!!誤解だろ!!あれは店の奴が嘘ついててだな!!」
「普通分かるだろ」
「うっ……」
レイドが言葉に詰まる。
その横でシュカは、真剣に頷いていた。
「……分かりました。レイドのおすすめは、慎重に判断します」
「おい待て!!信頼ゼロになるやつやめろ!!」
ルーガンは笑いながら、レイドの肩を軽く叩く。
「まぁ、そういうとこ含めてレイドらしいぜ」
「フォローになってねぇ!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐレイドを見ながら、シュカは思わず吹き出した。
「……ふふっ」
その笑いは、さっきまでの涙とは違う。
ちゃんと、今ここにある空気に溶けた笑いだった。
ルーガンはそれを見て、少しだけ目を細める。
そして、いつもの調子で軽く手を振った。
「まぁ、しっかり楽しんでこい」
✼✼✼
シュカとレイドが出ていった後、ルーガンは執務室の椅子に腰掛けて、まとめていた書類に目を通す。
カインの一件に関するエデンの動きだけでなく、先日起きた、シュカの覚醒の引き金となった件の調査の進捗をまとめているものだ。
『エデンとゲヘナの境界線が、ここまで揺らいでいるのは初めてだろうね』
突然背後から降り掛かった声に、ルーガンは少し肩を揺らしながらも怪訝そうな顔をして振り返った。
ルーガンの視線の先には、黒いローブを纏う男の姿。
「ゼーレ!お前いつからいた?心臓に悪いから急に現れるなっていつも言ってるだろうが!」
ゼーレと呼ばれた男は、ルーガンの小言に耳を傾けることなく、ローブを脱ぎながら、先ほどまでシュカたちがいたソファへと腰を下ろす。
執務室の灯りが、ゼーレの白い髪と赤い瞳の儚げな美しさを照らし出す。その存在感の希薄さが、かえってそれを際立たせていた。
「三十と七秒前からいたさ。ルーガンが気付かないから書類にゆっくり目を落とせたよ」
「相変わらず、怖ェくらい気配がねーな」
ルーガンはそう言いつつ、纏めた書類の束をゼーレの方に投げる。
難なく受け取ったゼーレは、軽く流すように書類に視線を落とし始めた。
そんなゼーレに、ルーガンは言葉を続ける。
「そういや、シュカの前に現れたんだってな」
「特殊能力の覚醒なんて、滅多に見れるものじゃないからね。しかもそれが、五大属性の炎ときたら尚更だ」
「その程度の理由で、わざわざお前が姿を現してたら今頃ゲヘナ中がパニックだぞ」
「ふふ、ただの確認だよ。君も気付いているだろう?覚醒のタイミングは人それぞれだが、あの子は早すぎる。突然変異体とはいえ、それまで反応が無かったとするなら、シュカは烙禍としてはまだ生まれたての赤子だ」
「……赤子、ね」
吐き捨てるように呟きながらも、その声には軽さがなかった。
「だがよ、その“赤子”があの規模の炎をぶちまけたんだぞ。冗談じゃねぇ」
ゼーレは書類から目を離さず、淡々と続ける。
「だからこそ、だよ」
一枚、紙をめくる音が静かに響く。
「成長の余地がある、なんて生易しいものじゃない。あれは――“何かに引き上げられた”覚醒だ」
「引き上げられた……?」
ルーガンの眉がぴくりと動く。
ゼーレはそこでようやく視線を上げた。
その瞳には、わずかな興味と――薄い警戒が混じっている。
「外的要因。もしくは、干渉」
「……エデンか?」
短く問い返す。
だがゼーレは、ゆるく首を横に振った。
「断定はできない。けれど、少なくとも“自然じゃない”のは確かだ」
静かな沈黙が落ちる。
部屋の中に、紙の擦れる音すら消えた。
ルーガンは舌打ちをひとつ。
「めんどくせぇ話になってきやがったな……」
「最初から、そういう匂いはしていただろう?」
ゼーレは軽く笑う。
「エデンから落ちてきた子供。未発現だった力。そして、あのタイミングでの覚醒」
指先で書類を軽く叩きながら、言葉を重ねる。
「偶然で片付けるには、少し出来すぎている」
ルーガンは椅子に深く腰を沈め、天井を仰いだ。
「……あいつはただのガキだ。やっと、普通に笑えるようになったばっかなんだよ」
「だからこそ、無防備で狙われやすい。それは、ルーガンならよく知っていることだろう」
「……分かってる」
短く吐き捨てるように返す。
ルーガンの指が、机の上を軽く叩いた。
「だから、目の届くとこに置いてるんだよ」
その言葉に、ゼーレはわずかに目を細める。
「だが――それでも限界はある。取れる選択肢は増やしておいた方がいい」
そして、ほんの少しだけ口元を緩めて、ゼーレは言葉を続けた。
「シュカを俺の所に、というのも良い選択肢だと思うんだが」
「はァ〜〜〜?」
間髪入れず、ルーガンが大げさに顔をしかめる。
「誰がお前なんかにシュカをやるかってんだ!掻っ攫おうとしても無駄だからなァ!?」
椅子から立ち上がり飛び跳ねる勢いで叫ぶルーガン。
ゼーレはその反応を、どこか面白そうに眺めていた。
「おっと。俺の所に来ようとしていたシュカを、横から掻っ攫ったのは誰だったか」
「うぐっ……!」
一瞬、言葉に詰まるルーガンだが、すぐに顔をしかめ、舌打ちする。
「それとこれとは話が別だろうが!それにもうシュカはウチのメンバーだしな!」
「そうかそうか」
くすり、と笑う声。
完全にからかっている調子だった。
ルーガンは不機嫌そうに腕を組み、視線を逸らす。
「まぁ良いさ。また何かあれば、いつでも俺を呼んでくれ。虚はいつでもアステリア旅団に力を貸そう」
「ハッ」
鼻で笑う。
「ギルドメンバーの前にさえ現れない、神出鬼没の“虚”のギルドマスター様のセリフだとは思えねーな」
「必要な時には現れているつもりだけれどね」
「それが少なすぎるんだっての。最近入った奴らなんて、一度もお前と会ったことないのがほとんどだろうが。噂だけが独り歩きしてよ」
ルーガンは椅子の背にもたれながら、呆れたように肩をすくめた。
「“虚のギルドマスター・ゼーレは実在するのか”とか、もはや都市伝説扱いだぞ」
「それはそれで興味深い評価だな」
ゼーレはまったく動じず、さらりと返す。
その態度がまた癇に障ったのか、ルーガンは額に手を当ててため息をついた。
「興味深いじゃねぇんだよ……」
一拍置いて、ぼそりと続ける。
「まぁいい。どうせお前のことだ。必要な時には“勝手に”出てくるんだろ」
「理解が早くて助かるよ」
「褒めてねぇ」
即答だった。
しばし、二人の間に静寂が落ちる。
そんな静寂を破ったのはゼーレだった。
「まぁ、近々顔を出すことにはなるだろうね。君から受けた依頼の件でも、確認しておかなくてはならないことがあるんだ」
そう言いながら、ゼーレはソファから立ち上がると、再びローブをその身に纏う。
「依頼って……先週頼んだやつだろ」
「あぁ、今日はその件で来てたんだ。良い情報も手に入ったし、俺はそろそろお暇するよ」
「は!?おい待て、ゼーレ!」
しかしそんなルーガンの声も虚しく、ゼーレの姿は既に消えていた。
その代わりに、とでもいうべきか、先程までゼーレがいた場所には、ルーガンが彼に渡したものとは違う書類の束が置かれていた。
先週彼に調査を頼んだばかりの書類だ。
ルーガンがゼーレに依頼したのは、他の筋に頼めば、短くとも数年、最悪の場合調査の完了さえできないかもしれないような内容の調査だった。
「いつもこうだ。急に現れて最後の最後に爆弾を落としていきやがる。……まぁ、あいつらが、ガキらしくいられる時間くらい、俺が守ってやんねぇとなァ」
ルーガンは、ゼーレが置いていった書類を手に取ると、立て掛けていた剣を手に、執務室を後にした。




