8 面倒なことになったら、あの高貴なお方もみ消して貰えばいいさ
狙うのは 田中志寿古 田中定行 part 2
貧しい農家に生まれた志津古が同じ村の男と都にやってきて、細々と商売を始めたのが '瀬戸屋花菱' の始まりだった。
夫は商才があり、何年もかかったが小さいながらも店を構えるまでになった。
夫は不正を決して許さない真面目な男だった。志津古が釣り銭をちょっと誤魔化しただけでも激怒した。
「そんな事をしたら店の信用が落ちるって、何回も言ってるのに分からないのか!」
しかし、世間から見れば志寿古の夫は暴力も振るわない、賭け事もしない、他所の女には目もくれない…優しい良い夫だった。
でも、志津古はそんな夫が疎ましかった。
(けっ!何だよ!善人ぶりやがって…)
だから、夫が早くに子供二人を残して亡くなった後、志津古はすっきりとしてやりたい放題にしてきた。
志津古には倫理観も道徳観もなかった。自分がいいと思う事が全てで、そうして生きてきた。何をやっても良心の呵責など感じた事もない。そんな言葉すら知らないのだ。
長男の正行は姿形も性格も死んだ夫にそっくりだった。それが気に入らなかった志寿古は、正行が子供の頃から暴言を浴びせ、手を上げ、足で蹴り、タバコを押し付けた。一度だけ熱湯をぶっ掛けようとしたが、さすがにそれはまずいとやめておいた。
次男の定行の性格は志寿古にそっくりだった。小さな子供の頃から警察沙汰になるスレスレの事ばかりして喜んでいる様な男だが、志寿古は定行を溺愛していた。
夫の死後、志津古は一人で店を続けた。小銭を貯め、その金で金貸しを始めた頃から志津古に運が回ってきた。悪運が強い…とでも言うのだろうか。何をしても警察には捕まらなかった。
借金のカタに志津古は幾つも商家を乗っ取った。
'瀬戸屋花菱' という店の名前も乗っ取った小さな商家のもので、その洒落た名前が功を奏したのか、本業としている食品卸問屋は意外な程うまく行った。
瀬戸屋花菱が押しも押されもせぬ地位を築いたのは長男の正行の手腕だ。志寿古はそれを認めていて社長は正行にしている。しかし、正行が大人になった今も、死んだ夫に似た善良な顔を見ると志津古はイライラとするのだった。
誰にも言っていないが、志津古の体に異変が起きたのは2週間ほど前の事だった。腹の真ん中にコリコリと何かができたのだが、どうってことないさと放っておいた。
ところが、そのコリコリはどんどんと大きくなり痛みもひどくなってきた。こりゃまずい…とさすがの志津古もびびって医者に見せに行った。
医者と言っても最近どこからかやって来た流れ者の若い医者で、金はあまり取らないという噂を長屋で小耳にはさみ、金はあまり取らないなら、まぁいいか、とケチな志津古はその医者の所に行ったのだ。
ちょっと触っただけで医者は渋い顔をした。
「これは…よくないですなぁ。私には何もできん」
「できん…って、なんだよ!医者だろうがよ。
なんとかしろ!」
そう言われた医者は、良い祈祷師なら知っております、と言った。
普通ならその時点で、こいつはヤバいぞ、と思うところだが、自分もそんなヤバい奴である志津古は変だとは思わなかった。
「腕は確かですぞ。病が治るまで金は取らない、という良心的な祈祷師です。行くだけ行ってみてもよろしいかと…」
「ふん、場所を教えな」
医者から祈祷所の場所を聞いた志津古は医者に向かって言い放った。
「お前に金は払わないよ。…だって、お前は何もしてないじゃないか!」
こうして息子達や店の者には知られずに、志津古は祈祷師の所へと通い始めたのだった。
***** *****
しゃらん…しゃらん…
鈴の音が社に響く。
大木に囲まれて陽が差さず、静まり返った神社の境内に人影はない。だが、底冷えのする社の中にはシズと名乗っている老婆が俯いて正座をしていた。
しゃらん…しゃらん…しゃらん…
祓いたまえ…
参らせたまえ…
人の世の…禍い祓いたまいて
御力を参らせたまえ…
シズの前には白衣に緋袴、千早を着て鈴を手に持った巫女がいて、小さな声で神楽を歌いながらゆっくりと舞っていた。
巫女が円を描くように一際大きく腕を回すと、和紙で纏め水引で括っている黒く長い髪が揺れ動いた。
しゃしゃしゃしゃんっ!!!
最後に激しく鈴を鳴らしてから幣殿に向かって深々と頭を垂れた巫女は、ゆっくりと向きを変えてシズの方へ歩いた。そして、シズの前に跪き恭しく鈴を掲げ、お祓いでもするかのように二度三度と鈴を振った。
「終わりましてございます」
頭を下げる巫女の言葉に、頭を上げたシズはニタリと笑った。
「巫女さん。あんたの力は本物だね。
あたしの腹にできた塊は小さくなった。次で消えてなくなるだろうね」
「それはようございました。
それでは次のお祓いが最後となります。いつがよろしいでしょう?」
「明後日の昼前に来るよ。金もその時に持ってくる。全部で金30でいいんだろ?」
「左様でございます。お忘れなきように…」
「あぁ、わかってる」
そう言いながら、よっこらしょと立ち上がったシズは、締め切っていた社の扉をがたんと開け、振り返りもせずに小さな神社を後にした。
その後ろ姿を見送るように深くお辞儀をしたまま鈴を額の前に掲げていた巫女は、シズと名乗っている瀬戸屋花菱の主人、志津古が角を曲がり姿が見えなくなったのを確認して社の扉を閉めた。
巫女は小さな社の中を見回してから目を閉じ、静かに風が舞う中をすっと消えていった。
その姿を陰から見守っていた若い医者も消えて行った。
翌日、自分の行動が玉響達に見張られているとは知らない志寿古は、小汚いシズになって若い医者を訪ねた。
医者はボリボリと腹を掻きながら寝転がっていた。
「おい!起きろ」
志津古が医者を蹴飛ばしてそう言うと、医者は面倒くさそうに、今日は休みだ、と返事をした。
志津古はそんな医者を叩き起こして腹を見せ、ほれ、こんなに小さくなった、と嬉しげに言った。
「あれは本物だったね。いい女だし…。
あの巫女がどこに住んでるのか、教えてくれたら金をやるよ。欲しいだろ?」
医者はニヤニヤと笑い、金が先だな、と言って手を出した。志津古は、けっ!と吐き捨てるように言って金を医者の手に握らせた。
「あの女は、棚橋の交差点から右に入った三軒目の家に住んでる」
医者は志津古をしっしっと追払う仕草をして、酒の瓶を取り出したが、中身が空なのに気がついて、チッと舌打ちをした。
「ほれ、さっさと出ていけ。俺は酒を買いに行く」
追い出された志津古は早速その家を探し行った。そして、医者の家から三十分ほど歩いてようやく目的の家に着いた。
静まり返っているその家の中からは小さな鈴の音が聞こえて来て、志津古はふんと鼻でせせら笑った。そしてまた、三十分以かかる道を歩いてボロい長屋に戻って行った。
志津古は初めから巫女に金を払う気はない。
(やらせるだけやらせて殺っちまおう。
面倒なことになったら、あの高貴なお方にもみ消して貰えばいいさ。その為に色々とお付き合いしているんだからねぇ)
だが、長屋に帰る途中で気が変わった。
(そうさね…あの女には金の匂いがぷんぷんとしてるさね。上手く使ってやろうじゃないか。
ウブそうな娘だ。定にやらせりゃ、こっちの言いなりだよ)
志津古はニタニタと気持ちの悪い笑いを浮かべ、長屋に着いたが、その後ろを玉響達が追っていたことには気が付くはずもなかった。
夜になって志津古は部屋に定行を呼んだ。志寿古の顔が活き活きとしている事に定行は気づいて、ニヤッと嘲った。
(ばあさん、金の匂いさせてんじゃねぇか…)
定行にとって、母親の志寿古は単なる金蔓でしかない。
志寿古は溺愛する息子を前に笑顔を向けた。
「定、仕事だ。
明日、女を一人、言うことを聞くように躾けて来い。上玉の巫女だよ。お前も楽しみな…。
その巫女には金を渡す事になってる。大金だから、ちゃんと取り返せ。猫ババするなよ」
「ふん、任せとけって。うまく行ったら、金をくれよ」
場所と時間を指定された定行はニヤニヤと笑いながら部屋を出て行った。




