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7 ボロ家からはいつもの様に罵声が響いていた


 遣い人の仕事 1

 狙うのは 田中志寿古 田中定行 part 1


* 遣い人の仕事が始まってしばらく経ち、尊は既に珠を3つ受けています。




 都の外れにある荒ら屋(あばらや)で、恨みを晴らしてほしいと強く強く願う女がいた。


(玉響さま。お願いでございます。

 この恨み、晴らしてくださいませ。

 殺してもまだ足りぬ相手でございます!

 どうか、玉響さま!

 この恨み晴らしてくださいませ!)


 女は騙され、夫と2人で作り上げた物を何もかも失った。


 人は女を嘲笑う。

 騙されたお前達が悪いのだ、と。


 しかし、女は夫と商談に行っただけだった。

 気がつくと、女は全裸で商談相手と同衾していた。夫も見知らぬ女と…。それから、二人とも脅され、傷つけられ…。抗うことすら出来ないまま、今まで苦労して築き上げた全てを奪い取られた。

 

 女達の訴えは誰にも聞き入れてもらえなかった。警察ですらも門前払いだった。


 夫は失意のまま寝込んでいる。明日の糧すらままならない。


 なぜなのか。

 何が悪かったのか。

 女には分からなかった。

 

 憎い!憎い!あの男が!

 憎い!憎い!殺しても殺しても、まだ足りない。


(玉響さま。お願いでございます。

 この恨み、晴らしてくださいませ。

 殺してもまだ足りぬ相手でございます!

 どうか、玉響さま!

 この恨み晴らしてくださいませ!)





     ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢






 '華そうび' の売り上げが順調な瀬戸屋花菱の本店は、大通りに面したレンガ作りの瀟洒(しょうしゃ)な建物で、朝から人がひっきりなしに出入りしていた。


 瀬戸屋花菱は最近力を付けてきた食品卸問屋。小売りもする店先はガラス張りで、商品が分かりやすく並べられているだけでなく、庶民の物を扱っているのに高級な雰囲気を醸し出していた。


 店の中はとても明るく掃除が行き届き、大きな甕には季節の花が品よく活けられて客の目を楽しませてくれる。店の両側には商品がずらりと並び、中央には大きなカウンターがあって商品を買い求める人が整然と並んでいる。

 使用人たちは活き活きとして、客への対応もしっかりと教育をされているのだと分かる。


 さすが、瀬戸屋花菱…!


 客の多くがそう思うのも、頷ける。


 その大きく立派な店の中を抜け、店の裏口から庭に出てしばし歩くと様子が一変する。


 雑草が伸び放題で外からは何がそこにあるのか窺う事すら難しいその場所は、店の者ですら誰も近付くことを許されないのであった。


 なんの事はないボロボロの建屋があるだけなのだが、ほとんどの者はそれを知らない。今にも壊れそうなその建屋は、この瀬戸屋花菱の実質的な経営者である田中志津古(しずこ)と、田中一家が住む家だ。

 建て替える金がないわけではなく、志津古がまだ住めるじゃないかと言い張り、立て替えられないでいるボロボロの傾いた家である。


 そんなボロ家からは、いつもの様に朝から志津古の罵声が響いていた。


「誰がこんなぬるいお茶を飲むってんだい!

 えっ?ほんとに!

 お前は何度言ったらわかるのかねぇ」


 志津古にピシャっとお茶をかけられた長男、正行の妻(まどか)は涙を堪えていた。


「お、お母様は昨日、熱いお茶は飲まないと…」


「うるさいね!口答えなんぞしてる暇があったら、さっさと入替えて来な!」


「申し訳ございません。ただいますぐに…」


 部屋を出ていく円を目で追いながら、夫の正行は母親に言った。


「母さん、もう少し円に優しくできないのかい?あれじゃまるで嫁いび「ええっ?あたしが嫁いびりでもしてるっていうのかい?冗談じゃない!円がどんくさいんだよ!」」


 正行は深いため息を吐いた。


「…母さん…」


 煙草をスパスパと吸いながら志津古は目の前に座る正行を睨みつけた。


「まったく!お前があんな女を嫁にするから!

 全く気が利かない女だよ。イライラするったら、ありゃしない」 


 灰皿に煙草をぎゅっと押し付け、志津古が正行を睨みつけた。その手元を見た正行は固まり、俯いた。大人になった今でも、正行は恐怖で志寿古には逆らえない。


「…で?お前は山田楼に断られたって言うのかい?

 バカなのか、お前は!

 話し合いに行ったって向こうが、 'はいそうですか。それではこの会社は全て差し上げますね' など言うわけがないだろうがっ!

 わたしゃね、何が何でもあの菓子屋を手に入れたいんだよ。ウチの '華そうび' にはあのカステイラとかいう甘ったるい菓子が合うんだって、このあたしが言ってんだよ。

 どんな手を使ったっていいんだ。あの山田楼をウチの物にして、カステイラをウチで売り出すんだよ!」


 イライラと煙草を吸い続ける志津古は翡翠の玉簪で頭をガリガリと掻いた。高級な着物も結い上げた髪も崩れてぐだぐだになっているが、本人は気にもしない。こっちが志津古の本来の姿だからだ。


「母さん、そんなこと言ったって商いというモノ「えぇい、うるさい。(まさ)、お前は引っ込んでな!」」


 正行は項垂れて部屋から下がって行ったが、志津古の怒りは収まらない。


(さだ)!定行、出て来い!」


 次男の定行は、なんだよ、という顔で志津古の部屋に入って来た。


「定、山田楼の娘はまだ落とせないのかよ?」


「おふくろ、俺に任せとけって言ってるだろ?もう直ぐだよ。兄貴に任せといたら、いつまで経っても山田楼は手には入らねぇよ。ずっとそう言ってるじゃないか」


 くつくつと笑う定行は女好きのするいい男だ。


 仕立ての良いスーツを着こなし、今流行りのサングラスというものをかけて街を歩くとほとんどの女が振り返る。

 長めの髪にちょっと上がった目尻。その眼差しに女達はうっとりとして、定行がちょっと気のある素振りをすると女は言いなりになる。

 

 これまでにも定行は手堅い商売をしていた店の女を誑かし、店の権利全てを手に入れて志津古に渡してきた。


 まあ、たまに定行の色気に落ちない女もいて、そんな時は眠り薬を苦味の強い珈琲に混ぜて飲ませる事にしている。大抵の場合はそれで女は定行の言いなりになる。


 だが、'華そうび' という茶の時は本当に手こずった。


 '華そうび' は小さいながらも老舗と呼ばれた茶舗 'よし邑' が茶所の農家と苦労を重ねて作った茶だった。それをどこで聞いたのか志寿古が瀬戸屋花菱で売るのだと言い出した。


 若女将はなかなか落ちず、定行はあれこれと策を練った。そして時間は掛かったが、老舗茶舗 'よし邑' 全ての権利を手に入れ志津古に渡した。


 'よし邑' の若女将とその夫が今、どこでどうしているか…定行の知ったことではない。


 そんな定行はひらりと志津古の前に手を出した。


「軍資金!金がなきゃ女は落とせねぇよ。カフェに行くんだって金がいるんだぜ」


「けっ!」


 そう吐き捨てながらも、志津古は定行の手に金貨(たいきん)を乗せた。

 

「おっ!はずんだねぇ…」


 ヘラヘラとしながら部屋を出て行く定行を目で追って、志津古は円が何度も入れ直した華そうびをゆっくりと飲んだ。


 実の所、志津古は茶の味や菓子の味などさっぱりわからない。華そうびとカステイラという組み合わせが良い、というのも上客の一人がそう言ったからで、志津古自身がそう思っているわけではない。


(…こんなもの、どこがうまいんだか…)

 

 少し酸味のある茶を飲み干した志津古は部屋を閉め切り、床の間をすっと押して秘密の地下通路へ降りて行った。地下通路はいざと言う時の避難路で、知っているのは志津古と二人の息子だけだ。


 地下通路は瀬戸屋花菱の敷地を出た所にあるボロ長屋の一室に繋がっていた。


 その辺り一帯の地主は志津古だが、長屋でシズと名乗っているこの婆さんが自分達の地主だとは誰も思っていない。


 下品で汚いシズ婆さんはこの長屋の嫌われ者で、どこで何をしていようが誰も気にしない。それをいい事に志津古はこの長屋を出入り口にして町屋をうろつき、金になる話を探していたのだった。



 地下通路を抜け長屋の床下に着いた志寿古は、様子を窺って畳を一枚持ち上げた。そこはシズ婆さんの部屋で、小汚い継当てだらけのボロい着物と布団が一組隅にあるだけだった。


 志津古はボロに着替えて、髪もほぐして長屋を出た。部屋を出ても誰にも挨拶はされない。むしろ皆顔を背けている。


 だけど、志津古は気にならない。その方が好都合さ、とばかりにちびた下駄の音をカラカラとたて歩き出した。


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