2 予定より早くなってしまうけれど、私と結婚してくれるかい?
本日2話目の掲載です。
美夜の独白 1
王都では香り高いお茶が、もう何年も流行っている。
赤い薔薇を溶かした様な色と香り、微かな酸味が甘いお菓子によく合うと評判のそのお茶は '華そうび' という名前。
素敵な名前でしょう?
'そうび' とは薔薇の事で、薔薇の花から色と香りの成分を取り出すのに大変な苦労があったって聞いてる。そのためか値段は少々高めではあるけれど、庶民に買えない値段ではないわ。
もちろん貴族の間でもこのお茶が好きな人が多くて、特に貴族の令嬢達、私のお友達はずっとこのお茶を飲んでる。
だって、美容効果があるっていう話だもの。
本当かしら?わからないけど。
今、私はカーテン越しに光が差す部屋で、その香り高いお茶を飲んでる。すぐ側には私の夫、西院七条家当主の尊さまがいて、一緒にお茶をしてるの。
「やはり '華そうび' はおいしいわ。私の大好きなカステイラにも良く合うもの。
そう言えば…尊さまは何かあった時の合言葉は 'カステイラ、カステイラ、カステイラ' だって、私を揶揄ってましたね」
私が尊さまの顔をちょっと睨むと、尊さまがクスッと笑った。
「もうっ!私の美夜は可愛いねとか言って…。
あの頃は大変だったのですからね」
でも、私もわかっているの。元気が出るように、尊さまはわざと私にあんなこと言ってたって。
なんだか、もう随分と昔の出来事みたい。
尊さまは、私が小さな頃から大好きだった方なの。
私の八歳年上の夏夜お兄さまの親友。
整った顔立ちだけではなく、佇まいも所作も美しく優雅な男。将来はこの国を支える頭脳と言われているほどの秀才であり、武芸にも長けている男。皆から愛され慕われる心優しい男。
見た目も力も頭脳も地位も…。欠けたものが何一つない完璧な男。
それが私の旦那さま…西院七条尊さまなの。
私が八歳の時だった。
夏夜お兄さまと尊さまが私の実家、鬼頭家の庭にある満開の桜の下で寝転がっているのを見た私は、尊さまのお側にいたくて走って桜の木まで行ったの。
二人の間に割り込むように入って同じように寝転がっていたら、私はいつのまにか眠ってしまって…。
気がついたら尊さまが私をそっと抱き上げて下さっていた。私がうっすらと目を開けると尊さまが言ったの。
「寒くなったから、屋敷の中に入るよ。
大丈夫だ、美夜。落としたりはしない。でも怖かったら両手で僕の首に掴まっていなさい」
お兄さまは、美夜は尊に抱っこして欲しかったんだろう、と言ったけど本当は少し違った。
私を尊さまが離さなかったの。尊さまはわざとゆっくりと歩き、私の耳元で囁いた。
「美夜、大きくなったら私のお嫁さんになっておくれ」
「そうしたら、ずーっと尊さまの側にいられるの?」
私が無邪気にそう聞くと、尊さまは『ああ、そうだよ』と笑った。
「僕は美夜が大好きだ。ずっとそばに居て欲しいと思ってるよ」
私は嬉しくて、ぎゅっと尊さまにしがみついた。
「私も尊さまが大好き!お側にずっといたいです」
「約束だ。美夜」
私は桜の花弁が舞う中、尊さまにずっと抱きしめられていた。
16歳の尊さまは本気だった。
尊さまは私と婚約したいってお父様に申し込んだの。
貴族の間では小さい頃から婚約をする事はよくある事だったから、何の差し障りもなく私と尊さまの婚約話はまとまった。
私と尊さまが婚約したという話は瞬く間に皆に知れ渡った。
'美夜さまをウチの息子の嫁に…' とそれまで申し込んでいた数多くの貴族達が歯軋りして悔しがった、とずいぶん後になってからお兄さまに聞いた。
尊さまと結ばれたいと恋をしていた多くの令嬢達は、悔し涙を流したり寝込んだりしたらしい。婚約した相手が8歳の子供だと知って愕然としたかもしれない。
私の心の中には尊さましかいなかったし、尊さまも私を愛してくださったの。
私はずっと尊さまに守られて大きくなった。
***** *****
「美夜、尊!大変だぞ!」
夏夜お兄さまがそう言いながら筆頭侯爵、西院七条家に駆け込んで来た時、私は尊さまと庭の四阿でお茶を飲んでいた。
その時、私と尊さまは婚約して8年目。
私は16歳で尊さまは24歳になろうという、夏の暑い午後だった。
広大な敷地を待つ西院七条家には大きな池があって、四阿はその池の辺にあったの。涼しい風が吹き抜けて心地よく、蝶や蜉蝣が辺りをふわふわと飛んでいた。
私と尊さまはピタッとくっついて座り、微笑みながら見つめ合っていたわ。だって、尊さまと会うのは久しぶりだったんですもの。
そんな所に無粋に現れたお兄さまに、尊さまがぶっとした顔で言った。
「なぁ、夏夜…邪魔するんじゃないよ。
お前もよくよく知ってると思うけど、私はね、国防軍の少将として忙しく過ごしてたんだ。
今日はやっと手に入れた念願の休暇なんだよ!
美夜の学校まで迎えに行って授業が終わるのをずっと待ってさ、やっと愛する美夜と二人きりになったんだ!
いくら親友で美夜の兄さんでも、邪魔しちゃいけないよね?」
尊さまはお兄さまを手でしっしっと払った。
そして、私の美夜はかわいいね、などと言って私の頬を撫でてキスしようとしたのだけれど、尊さまの背後からお兄さまが更に声をかけた。
「尊、そんな事してる場合じゃないと思うけど?」
私はそんな事を言うお兄さまの顔をちょっと睨んだ。
「美夜もそんな顔してる場合じゃないと思うぞ!」
お兄さまはずんずんと私達に近づき、小声で言った。
「高衣玖皇子が美夜を側妃にすると言ったそうだ。高衣玖様付き侍従見習いの山崎からの話だから間違いない」
「えっ?高衣玖皇子が…か?」
尊さまが驚いたのも無理はない。
高衣玖皇子の色々な噂は十六歳の私だって聞いたことがあった。自分が欲しいと思った女性を手に入れるためにはどんな事もする。婚約者から奪い取った事もあるし、相手の気持ちなども関係なく強引だって。
えっ?そんなお方が…私を側妃に?
「…ええっ?」
私は自分の身に降りかかろうとしている事をようやく理解し、震えて泣き出してしまった。
そんな私を見て尊さまはにっこりと微笑んで、私の頭を撫でた。
「心配するな、美夜。大丈夫だ。
あの皇子に美夜を渡したりしないよ」
ほんの少しだけ考えていた尊さまは私の手を取り、すくっと立ち上がった。
「予定より早くなってしまうけれど、美夜、私と結婚してくれるかい?」
私はガクガクと震えながらも頷いた。
「貴族の結婚は帝に拝謁し、結婚申請書に玉璽を頂かなくてはならないから、明日の朝一番に美夜と私の二人で帝にお目にかかれるようにしておく。それくらいは西院七条家の力を使えばどうってことない。
美夜は帝に会う時の着る物なども整えておくんだよ。
今夜は私と両親とで鬼頭家の屋敷に挨拶に行くからね。待っていて。
何が起こるか分からないから、美夜は家から出てはいけないよ。
じゃあ美夜、行きなさい。
夏夜、頼んだぞ」
そう言われた私は、震えが止まらないながらも頷いて鬼頭家へと戻った。
夕方になって、西院七条のおじ様とおば様が鬼頭の家に来てくださった。両家は問題なく婚姻の書類に署名をし、夜は皆でささやかな会食をしたの。
(これで大丈夫。結婚した私に皇子は何もできないと尊さまが言っているのだから…。
尊さまが守ってくださるのだから…)
隣で優雅にナイフとフォークを使う尊さまを私が見つめると、尊さまは私の手を握ってくださった。
「心配するな、美夜。大丈夫だからね。
私が嘘を言った事はないだろう?
これでも私は西院七条の跡取りだよ」
尊さまが微笑むと、私は心が落ち着いてきた。
「はい、尊さま。大丈夫です。
だって、私は尊さまの妻になるんですもの」
私の声が少し大きかったのか、西院七条のおじ様…いえ、お義父様たちもにっこりと笑ってくださった。




