幕間・激烈なる母娘喧嘩2
「は、速い。あぐ……」
ファラは咄嗟に腕を交差し、懐に入り込んできたエルティアが繰り出した蹴撃を受ける。
しかし、その衝撃によって踏ん張っていた足が地面を抉り、強制的に後退させられた。
「最初の構えから跳び蹴り。次から順に回し蹴り、貫拳、抄拳、掌底、飛び膝蹴り、踵落とし、正拳突き、逆突き、胸元に抜手で行きますよ」
エルティアは即座に距離を詰め、告げたとおりに技を繰り出して追撃する。
一方のファラは初撃で体勢を崩されたことが響き、鋭い連撃を回避することはままならず、受けるだけの後手に回っていた。
「さっきまでの勢いはどうしました、ファラ。防ぐだけで精一杯のようですね」
「ば、馬鹿にしないでください。そもそも何故、攻撃手段を言う必要があるのです。駆け引きのつもりですか」
「最初に言ったでしょう。お手本を見せてあげましょう、と」
エルティアは答えながら強烈な踵落としを繰り出し、ファラが腕を交差させていた防御を無理矢理に下ろすように崩した。
「うぐ……」
「まだ終わっておりませんよ」
続けてエルティアが繰り出した正拳突きと逆突きをファラは何とか躱したが、体勢が完全に崩れてしまう。
そしてその時、ファラはハッとして一瞬で血の気が引いた。
「ま、まさか。この機を狙っていたのですか」
「相変わらず察しは良いようですね。猛虎十連撃の九撃は全て最後の一撃を確実に与えるための布石。貴女がいま、この一撃を避けられないように」
エルティアの視線は、ファラの顔には向けられていなかった。
彼女の露わとなった胸元の肌に根を張って肥大化した翡翠晶にのみ、エルティアの冷たく凍てついた眼差しは向けられている。
「ファラ・バルディア。貴女にそのように悍ましく、禍々しく、卑しい光は全く以て不釣り合いです。いますぐ正気に戻してあげましょう」
拳から手刀に変えられたエルティアの手には、白い冷気が漂っている。
「これで、終わりです」
体勢を崩されているファラは避けようがない。
エルティアとファラの戦いを見つめていたライナー、カペラ、アスナ。
この場にいる誰もがこれで終わったと、そう思った。
無論、エルティア自身もだ。
白い冷気を纏った手刀が胸元に伸びてくるなか、ファラは目を見開き「馬鹿にしないでください」と怒号を発した。
次の瞬間、魔波が生じて狂風が吹き荒れる。
「ぐ……」
寸でのところでエルティアは後方に吹き飛ばされ、受け身を取って着地して身構える。
彼女は眉を顰めて自身の手刀を見つめ、「……一手及ばず、ですか」とぐっと口を結んだ。
「母上様がここまで武闘派だとは、知りませんでした」
可愛らしくも凜とした声が響き、エルティアが正面を見やればファラがにこりと微笑んでいた。
だが、先程までのファラとは違い、全身から黒と黄緑が混ざり合った魔力が揺らめいている。
ファラの黒い魔力は周囲の風に雷のように迸り、それはまるで黒い風のようであった。
「でも、私だってリッド様の隣に立つために頑張ったんですよ。母上様だけが武闘派だと、思わないでください」
「……初めて見る姿、感じる気配です。それは翡翠晶の力ですか、それともリッドから学んだ力ですか」
エルティアが身構えたまま訝しんで尋ねると、ファラはこくりと頷いた。
「はい。リッド様から学んだ力を、あのお方から得た翡翠晶で増大したのです。母上様は知っていますか、私の持つ属性素質は四つあるのです」
「それは初耳ですが、どうやって自らの属性素質を調べたのですか。まさか、一つ習得するにも大変な魔法を全ての属性で試したとでも?」
「いいえ。バルディアには、人の持つ属性素質を確認できる機器があるんです。公にはされていませんけれど」
ファラはちらりとライナーを見て軽く会釈すると、エルティアも横目で彼を見やった。
「ライナー殿、今の言葉は事実なのでしょうか」
「……あぁ、リッドが考案してドワーフのエレンとアレックスの協力を得て作りだしたものだ。ものがものだけに存在は公にしておらん。エルティア殿も内密に頼む」
「そうですか。リッド・バルディア、あの子の発想には本当に驚かされますね」
決まりが悪そうなライナーの言葉を聞き、エルティアは深いため息を吐いた。
そして、彼女は改めてファラを見据える。
「それで、貴女の四つあるという属性素質は、見たところ二つは風と闇でしょうか」
「えぇ、正解です。私の持つ属性素質は風、闇、氷、雷だそうです。そして、今の私は風と闇による属性身体強化・風月を発動させました。これでもう母上様に勝ち目はありませんよ」
「それはまた、随分と大きく出ましたね。やれるものならやってみなさい」
エルティアの体から揺らめき上がる白い冷気の勢いが増していき、たちまち彼女の足下は凍りついた。
だが、ファラは笑みを崩さない。
「レナルーテに居た頃の私とは、もう違うのですよ。母上様」
ファラはゆっくりと身構えていき、すーっと深呼吸をしてエルティアを見据えた。
「これから繰り出す技、母上様がご存じなのか楽しみです」
「……リバートン家に伝わる武術で私が知らぬものはありませんよ」
エルティアが眉を顰めるなか、ファラの構えを見ていたアスナが「あれは祖父上の、まさか……」と声を震わせ、咄嗟に叫んだ。
「エルティア様、その技は、我が祖父カーティスの編み出したものです」
「気付くのが遅いですよ、アスナ。闇武・風月陰影多連撃」
言うが否や、黒い風に覆われたファラは大地を蹴った。
突風が吹き荒れ、彼女の足下にあった地面がえぐれて砂煙が巻き上がる。
瞬く間に間合いを詰められたエルティアだが、彼女は逆に好機と捉えた。
『風属性によって高速移動を可能とし、闇属性で飛躍的に攻撃力を高めた身体強化と言ったところでしょうか。実に攻撃的ですが、動きに合わせて反撃されれば諸刃の剣となりましょう。ファラ、貴女の力を利用させてもらいます』
エルティアは瞬時に判断し、正面から攻めてきたファラの動きに合わせて冷気を纏った手刀を繰り出した。
相手の勢いを利用した反撃【カウンター】であり、実戦経験が豊富なエルティアならではの攻撃だ。
彼女の手刀は黒い風を断ち切り、ファラの胸元を貫いた。
しかし、「駄目です、エルティア様」とアスナの声が再び響く。
すると、エルティアの目の前にいたファラが爆発のように黒い風を巻き起こして消えてしまった。
「ぐ……」
黒い風は容赦なくエルティアを切り刻み、勢いよく吹き飛ばした。
着地もままならずに地面を激しく転がっていくエルティアだが、途中で何とか受け身を取って立ち上がって身構え、正面、上下左右を見やるもファラの姿はない。
「母上様、どこを見ておられるのですか。ここです、私はここにいます」
背後から聞こえた声にハッとして振り向くも、ファラはすでにエルティアの懐に入り込んでいた。
「これで終わりです、母上様。風月・闇滅絶掌牙」
ファラが黒い風を纏った左手で手刀を繰り出すも、エルティアは咄嗟にその手を白い冷気を纏った右手で掴んだ。
次の瞬間、二人の魔力衝突によって魔波が衝撃波となって吹き荒れた。
「終わるものですか。ファラ、貴女を正気に戻すまでは終われません。例え、この命に代えてもです」
「この命に代えても、ですか。どの口が、どの口が言いますか。ふざけないでください」
激しい魔力衝突のなか、ファラの怒号が轟いた。
「母上様、私はずっと、産まれてからずっと逆らったことはありませんでした。遊ぶ間もなく、母上様と話す時間も与えられず、ひたすら国のために、将来のためにと様々なことを学ばされました。だけど、どんなに辛くても、悲しくても、寂しくても、それが母上様の愛なのだと。そう思っていました。ですが、私がリッド様をお慕いしていることをお伝えした時、貴女は、貴女は私との縁を切ったのです」
ファラの目はいつの間にか潤み、涙が溢れ、頬を伝っていた。
「どれだけ、どれだけ悲しくて、辛くて、寂しかったかわかりますか。母上様に親子の縁を切られ、バルディアに嫁いだ私には帰れるところなんてありません。そして……」
ファラは潤んだ目を大きく見開き、エルティアの目を真っ直ぐに見据えた。
「私は誰よりもリッド様をお慕いしております。ですが、いつかリッド様の心に私以外の誰かが入るかもしれない……そう思ったら不安で、心が張り裂けそうで、いてもたってもいられません。だから、だから、私はリッド様の一番に、私以外の誰にも目を向けてほしくないのです。それの……それのどこが悪いんですかぁああああああああ」
ファラの全身を覆う黒い風の勢いが増していき、エルティアは徐々に押し込まれていく。
また、黒い風はエルティアの体を刻み始めるが、何故かファラの体も刻んでいる。
「……貴女の言うとおりです」
エルティアがおもむろに口を開いた。
「ファラ・バルディア、私は貴女を国のためになるよう育てました。何故なら貴女は王女だったからです。側姫である私の立場を保ち、向上させるためにはそれが一番でした。リッド・バルディアとの関係に反対したのも、どこぞの辺境に嫁いでは私の価値が低くなるからです。今でこそバルディアの価値は跳ね上がりましたが、当時の価値は低かった」
「は、母上様。貴女という人は……」
ファラが悔しそうに歯を噛みしめるなか、エルティアはにやりと口角を上げて笑った。
「そう、だからこそ貴女に死んでもらっては困るのですよ。今やバルディアの価値は青天井で跳ね上がり、嫡男リッド・バルディアと婚姻したファラ、貴女の価値は計り知れません。当然、レナルーテにおける私の立場も確固たるものとなりました。皮肉なものですねぇ、貴女がリッドを慕えば慕うほど、愛されれば愛されるほど、お前を捨てた私は幸福を得るのです」
「エルティア……エルティアァアアアアアアア」
ファラが感情を爆発させて叫ぶなか、エルティアはずいっと顔を寄せた。
「私の顔をよく見なさい、ファラ・バルディア。これが貴女を利用するだけして捨てた憎き、恨むべき、忌むべき女の顔です。さぁ、その残っている手で私の胸を貫いてごらんなさい」
「うあぁああああああああ。殺す、殺す、殺す、殺してやる、エルティアぁあああああああ」
ファラが黒い魔力を覆わせた右手を大きく振りかぶると、エルティアは残っていた左手を手刀に変えて白い冷気を纏わせた。
そして、横目でライナー達を一瞥する。
『ライナー殿、カペラ、アスナ。後のことは任せましたよ』
「エルティア殿、まさか相打ちで翡翠晶を砕くつもりか」
「なりません、エルティア様」
「駄目です、姫様はそのようなことを望む方ではありません」
エルティアの意図を察した三人が止めるべく動き出すも、ファラの右手はエルティアの胸に振り下ろされていく。
一方、エルティアの左手は真っ直ぐにファラの胸元で光る翡翠晶に向かっていく。
「うぁあああああああ」
「ごめんなさい、ファラ。貴女の言うとおりです、私は決して良い母ではありませんでした」
ファラとエルティア、それぞれの手が交差しようとしたまさにその時、緑の魔弾が二人の間に割って入って弾けた。
次いで強烈な突風が巻き起こって、ファラとエルティアを別方向に吹き飛ばす。
「……何者ですか」
受け身を取ったエルティアが魔弾が飛んできた方向を見やれば、そこには銀髪で紫の瞳を持つ可愛らしい少年の姿があった。
「あ、あぁ、貴方は、貴方様は……」
ファラはふらつきながら愛おしそうな声を出し、うっとりと少年を見つめている。
少年は「ふぅ……」と胸を撫で下ろしたように息を吐いた。
「よかった。何とか間に合ったみたいだよ、リッド」




