ファラとヨハン
『よく来たな、リッド』
『やぁ、ヨハン。久しぶりだね』
王都ベスティアに到着した僕達は獣人族の兵士達に先導され、都市の中心にそびえ立つ城へと移動した。
僕達は獣王戦に招待されているから、休む場所は城になるというわけだ。
城で出迎えてくれたのは獣王セクメトス、その夫タバル。そして息子のヨハンだった。
僕達一行が被牽引車から降りて間もなく、セクメトスとタバルが颯爽とやってきて父上やエリアス陛下達と挨拶を交わしていく。皆揃って笑顔だけど目の奥は誰一人笑っていない。
『政治だなぁ』なんて思っていたら、ヨハンが僕に声を掛けてきた。
『リッドが猫人族領に来た時から二ヶ月以上は経っているからな。確かに久しぶりだ。ちなみに僕は寂しくなんかなかったぞ』
『ふふ、そうなの? 僕はヨハンに会えてなくて寂しかったよ』
『本当か……⁉ あ、いや、はは。リッドは意外とさみしがり屋だったんだな』
彼は僕の答えに嬉しそうに破顔するも、すぐに照れくさそうに頬を掻きながらそっぽを向いてしまった。こうした仕草、猫っぽくて可愛いんだよね。
ヨハンは決まりが悪そうに視線を泳がすなか、僕の隣に立つファラに気付いてハッとした。
『あ、もしかしてこの子がリッドの奥さんか?』
『うん、紹介するね』
僕がそう言って目配せすると、彼女はこくりと頷き畏まった。
『お初にお目にかかります。リッド・バルディアの妻ファラ・バルディアと申します。どうぞよろしくお願いします』
『やっぱり君がファラだったんだな。僕はヨハン・ベスティアだ。よろしく頼む』
ヨハンは白い八重歯を見せてファラに手を差し出すも、僕はすっと二人の間に入った。
『えっと、リッド様?』
『ヨハン。いくら君でもファラにいきなり抱きついたら許さないよ?』
『え……⁉』
ファラは目を瞬いてたじろぎ、すっと僕の背後に隠れた。
『はは、失礼だな。いくら何でも初対面の人妻にそんなことはしないさ』
『そう? それならいいんだけど』
僕と彼のやり取りを見て、ファラは安堵した様子で前に出て握手を交わす。
ヨハンと初めて会った時、僕は彼に抱きつかれてびっくりしたから警戒したんだけど、どうやら杞憂だったみたい。
胸を撫で下ろしたその時、ヨハンが鼻先をすんすんさせた後、すーっと深呼吸をする。そして「おぉ⁉」と目を見開き、耳と尻尾をピンと立てた。
『あの、ヨハン様。どうかされましたか?』
『ファラ、君からはリッドに負けず劣らず良い香りがするぞ。例えるなら完熟した果物や焼きたてのチョコ菓子のような濃厚な甘い香りだ。その身にとんでもない力を秘めているとみた』
『か、香りですか……?』
ファラは言葉の意図が分からず困惑し、たじろぎながらこちらに視線を向けた。
やっぱり、こうなるのか。僕は小さなため息を吐いて、ファラの疑問に答えた。
『猫人族の中には相手が持つ香りで強さ、才能、相性を測れる一族がいるそうなんだ。獣王セクメトスとヨハンはその中でも特に鼻が利く一族らしい』
『な、なるほど。ヨハン様はそのようなお力があったんですね』
合点がいったらしい彼女が頷くと、ヨハンは『うむ』と腕を組んでドヤ顔を浮かべた。
『リッドもとても良い香りを持っているんだ。初めて会った時は女の子と間違えて求婚したほどだからな』
『え、求婚……?』
その言葉を聞いた瞬間、ファラの表情から笑顔が消える。
ゆっくりとこちらに視線を向けられ、僕は慌ててぶんぶんと首を横に振った。
『勘違い、間違いだから。速攻で断ったし、それにヨハンはシトリーと婚約したじゃないか』
『あ、そうか。そうですよね、申し訳ありません。つい早とちりをしてしまって』
彼女はハッとして破顔した。
よかった、早いうちに誤解が解けて。
『はは。でも、案外間違いではなくなるかもしれないぞ』
『それは、どういう意味でしょうか?』
ヨハンの茶化すような物言いに、ファラが眉をぴくりとさせながら聞き返す。
一応、彼女は笑顔だ。
目が笑っていないけど。
『どういう意味も何もない。君も聞いているはずだ。僕とリッドで行う試合の結果次第で将来バルディアと獣王の一族で縁談が行われる、とな』
『それは聞いておりますが……』
『つまりだ、ファラ。将来的に私達の子供達が結婚して子を成せば、世代を超えて僕とリッドの血が混じった子が生まれるわけだ。だから、私とリッドが結婚したと言ってもあながち間違いではない、というわけだ』
正論といわんばかりに胸を張り、ドヤ顔で自信満々に語ったヨハン。
獣人族には強者同士で子を成し、強い子を意図的に後世へ残す『強化血統』という文化がある。
血が濃くなることの危険性に気付き、昨今ではその文化は廃れつつあるらしい。だけど、獣人族全体には『後世に強い子を残すべき』という認識は未だに根強い。
ヨハンの発言にはそうした背景もあるんだろうけど、ここまで何の疑いもなく自信満々に持論を語られるとは思わず、僕とファラは呆気に取られてしまう。そして、先にハッと我に返ったのはファラだった。
『そ、そんなのはただのこじつけではありませんか⁉』
『こじつけではないぞ。そもそも、いずれリッドと君が子を成すのは事実だろ?』
『私とリッド様の子……⁉』
ヨハンからさも当然のように告げられ、ファラが顔を耳まで真っ赤にして後ずさった。しかし、彼は気にする様子もなく再び鼻先をすんすん鳴らす。
『大丈夫、香りからしてリッドとファラはおそらく相性抜群だぞ。きっと二人の血を受け継ぐ才気溢れる子が生まれてくるはずだ』
『な、ななな……⁉』
ファラが顔を真っ赤にしたまま狼狽するなか、ヨハンはにこりと笑って尖った八重歯を見せた。
『だからさ、強い子を産んでくれ。ズベーラとバルディアの未来のため、そして僕とリッドのために』
『……⁉ 勝手なことばかり言わないでください』
顔を真っ赤にしていた彼女だったが、きっと目付きを鋭くして声を荒らげる。その瞬間、凍てつく冷気を纏った魔波が吹き荒れた。
『はは、さすがはリッドの奥さんだ。良い魔波じゃないか』
ヨハンは飛び下がるも、にこにこしたままだ。むしろ、この状況を楽しんでいるようにも思える。
ファラはヨハンを見据えたまま威儀を正し、深呼吸をしておもむろに切り出した。
『私はリッド様の妻です。貴方のために動くことなんてあり得ません。それに話を聞いていれば、最初からリッド様が負けること前提の物言い。実に……』
彼女は含みのある言い方で微笑み、少しの間を置いてから続けた。
『実に不愉快極まります』
『……そうか、それは申し訳なかった』
ヨハンは畏まって頭を下げるも『だけどね……』と続け、顔を上げて不敵に笑った。
『僕はリッドに負けるなんて微塵も思ってない。だから、勝つこと前提で話をすることは当然じゃないか』
『ヨハン、その言葉。そっくりそのまま返すよ』
僕が答えると、彼は嬉しそうに笑った。
『ふふ、そうか。じゃあ、試合で白黒をつけられることを楽しみにしているよ』
『あぁ、楽しみにしてるよ。でも、覚えておいてね』
『……何をだい?』
彼が首を傾げると、僕はにこりと微笑んだ。
『妻を不愉快にさせたことさ。知っているだろ、僕は愛妻家なんだ。試合でその報いは受けてもらうよ』
『わかった。せいぜい気を付けることにしよう』
ヨハンは肩を竦めてから、『あ、そうそう』とファラを見やった。
『僕のことはヨハンって気軽に呼んで良いからね。その代わり、ファラって呼ばせてよ』
『……わかりました。しかし、人の目もありますのでヨハン殿と呼ばせていただきます。よろしいでしょうか?』
本来であれば他国の王子に対して使う敬称は殿下や様が基本だ。
ヨハンから言い出したとはいえ、礼節を重んじるファラが敬称を変えた。
つまり、彼女は彼に対して相当怒っている。
実に不愉快極まります、なんて言葉を彼女から引き出したんだから当然と言えば当然なんだけど。
『わかった。ファラがそれで良いなら何でもいいぞ』
ヨハンは気にする様子もなくにこっと笑うも、急に遠くを見て『あれは……』と呟いた。
『二人ともすまない。また、あとでな』
『え……? う、うん』
僕達の返事も待たず、彼は走り出す。視線を向ければ、その先にいたのは『シトリー』だった。
『シトリー、会いたかったぞ』
『ヨ、ヨハン様⁉ 急にどうされたんですか⁉ わわ、こんな人目のあるところで抱きつかないでください』
『いいじゃないか。ずっと待っていたんだぞ』
『きゃあああ⁉ 抱きついたまま香りを嗅がないでください⁉』
『ヨハン、シトリーが嫌がっているからやめてくれ』
『アモンも久しぶりだな。だが、それは聞けないな』
『ふふ、ヨハン。面白い子ねぇ』
シトリーを抱きしめて離さないヨハン。
ヨハンに抱きしめられ、顔を真っ赤にするシトリー。
困惑するアモン。
楽しそうに笑みを浮かべるラファ。
何だか、遠目から見ても大変なことになっている。
苦笑しているなか『リッド様』とファラに呼びかけられた。
『うん? どうしたの』
『……絶対に、絶対にヨハンに負けないでください』
本人が目の前にいないとはいえ、ファラが敬称を使わないなんて。
驚きつつも、僕はこくりと頷いた。
『わかってる。絶対に負けないよ。そのために高負荷修練をしたんだからね』
『はい、約束ですよ。それと……』
ファラは気恥ずかしそうに顔を赤らめ、視線を泳がせる。
どうしたんだろうと首を捻ると、彼女は『え、えっと……』と切り出した。
『わ、私はリッド様と出会えて幸せです。でも、将来に子供ができたとして、その子にはできるだけ好きな道を生きてほしいと思ってて。その、だから必ず勝利するって約束してほしいんです』
ファラはそう言って、おずおずと小指をこちらに差し出した。
彼女は生まれながらにして帝国との政略結婚が決まっていた子だ。
だからこそ、自身と同じ道を子に歩ませたくない、そう強く思ったのかもしれない。
『わかった。約束する。必ず勝って、勝利をファラに捧げてみせる』
『ありがとうございます、リッド様』
互いの小指をからめ、指切りをしたその時、ファラの背後でずっと黙っていたアスナが『ご馳走様です』と小声で呟いていた。
これらの出来事があって、ファラのヨハンに対する好感度は地に落ちてしまっている。
もちろん表立って嫌悪感を出すような真似をする彼女ではない。
でも、ヨハンと接する間はずっと目が笑っていないのだ。
「ヨハン殿、残念ながらこの目は生まれつきのものですから。どうか気にされないでください」
「やれやれ。リッドの妻ってことは、僕とはいずれ親戚になるんだぞ。もうちょっと愛想を見せてくれたって良いじゃないか」
ファラとヨハンのやり取りが聞こえ、僕は我に返って現実を直視する。
二人は笑顔で視線を交わしてるが、目が恐ろしく冷たい。
ヨハンの背後にはシトリーがいるけど、いつもと違うファラの雰囲気にがくがくと震えて怯えているようだ。
ファラは口元を上着の裾で上品に隠し「これは異な事を……」と笑みを溢した。
「それはリッド様に試合で勝ってから仰ってください。レナルーテには『寝言は寝て申せ』という言葉がございます。絵空事で筋の通らないことを仰るのは、どうかご自分の夢の中だけでしてくださいませ。呆れて物も言えません」
「へぇ……?」
寝言は寝て言えって、さすがにちょっと言いすぎじゃないかな。
ファラの言葉にどきりとして心配になるも、ヨハンは「はは、あっはは」と楽しそうに笑い出した。
「面と向かって、ここまではっきり言う女の子は君が初めてだよ。リッドが愛妻家になるのも納得だな」
「ふふ、そうだね。僕には勿体ないぐらい素敵な奥さんだよ」
即答して横目でファラを見やれば、彼女の強ばっていた顔が少し緩んだ気がする。でも、ファラは小さく咳払いして再び畏まった。
「……褒めていただいたようで嬉しく存じます。ですが、こんなことで誤魔化されませんからね」
彼女がそう言ってそっぽを向いたその時、「さて、諸君。そろそろ時間だ」とセクメトスの声が観覧席に響いた。




