3-10 平行線を引っ張って
夏休みが近いからか、教室は浮かれた空気で満ち満ちている。具体的に状況を言うなら、右も左も遊びに行く話ばかりしている。かく言う私も、莉央奈とどこに行くか、今から熱心にプランを練っている。とりあえず、私が倒れて行けなかったお店と首里城には絶対行くとして。あとは海だよねぇ。
そんなことを考えていると、担任が教室に入ってきて、帰りのホームルームが始まった。……なんか視線を感じる。最近ずっとこうだ。いやまあ、迎伊からの視線だって分かっているんだけど。でも、なぜホームルーム中も授業中も休み時間も、休まず視線を送り続けているのかは不明だった。何か伝えたいことでもあるんだろうか。だったら直接言いにくればいいわけで。つまるところ、見つめていること自体に意味があるってことになる。
というか、私こそ一人でごにょごにょ考えてないで、直接聞きに行くべきか。ホームルームが終わり次第、今日こそ事情を聞いてみよう。そう思ったんだけど、ホームルームが終わるとすぐに莉央奈たちがやってきてしまう。あ、今日ってゴミ出し当番だっけ。莉央奈たちは先に昇降口に行って待っているとのことだった。ペットボトルの袋を持って廊下に出る。もしかしたらと思って左右を見回してみたけど、さすがに迎伊は見当たらなかった。
ゴミの集積所はプールのさらに奥にあって、昇降口とは真逆の場所にある。えーっと、あったあった、あのコンクリートでできた細長い小屋みたいな場所だ。プールサイドの建物と学校の敷地を囲うように植わる樹木で陰になっている。誰か作業している……迎伊だった。そう言えば、もう一人のゴミ出し当番って迎伊だっけ。ちょうど良かった。早歩きで日陰の方へ向かった。
「迎伊さんっ」
「何?」
「教室で私のことをすごく見てくるけど、何か話したいことでもあった?」
言い淀んでも仕方ないので、特に前置きなく質問すると、迎伊の表情が急変する。真夏の日差しよりも鋭く睨み付けてきて、怒りをぶつけたいという意思表示をされた。張り詰めた空気が、アスファルトから立ち上る熱気とか、吹奏楽部の低音パートの音出しとか、色んなものを遮断する。迎伊に強制的に向き合わされる。まあ相対したところで、なんで怒っているのかは聞いてみないと分からないんだけど。
「見てないってことはないよね。他の人にも聞いたから」
「……気付いてないの?」
「何に?」
「私、沓掛さんのせいで酷い目に遭ったんだけど」
前に話した時とは違って、刺々しい声でそう訴えてきた。
「あの時、協力してもらって以降、何か関わったっけ?」
「それだよそれ。沓掛さんに頼まれた通り嫌味を言ったら、まるで私が本当にそう思ってるみたいに認識されたんだよっ。しかも間が悪いことに、この間倒れたでしょ?それも私のせいみたいになってる。おかげで高校生活最後の夏はぼっち確定」
「私のせいで不利益があったなら、きちんと謝らないといけないよね。ごめんなさい」
「別に、謝られたって溜飲は下がらないんだけど」
「分かった。私がその誤解を解くよう説得して回るよ」
「はぁ?そんなこと頼んでないでしょ」
顎を少し突き出すようにして、薄ら笑いを浮かべてきた。
「ますます評判悪くなるじゃん」
「そうならないよう、きちんと説明すれば……」
「なんかさ、沓掛さんってずれてるよね」
「どこが?迎伊さんと問題共有ができてないってこと?」
「それもそうだけど。何に対しても明確な解決策が存在して、それをこなしさえすれば問題が解決するはずって、世界を単純化して考えるところがずれてる。現実世界はテストとは違う。答えを当てればいいってもんじゃない」
「つまり、説得して回るという根本的解決以外に、何かしてほしいことがあるってこと?」
「違うっ。沓掛さんには人の心がないの……?」
怒っている理由も分かっているのに、どうして和解できないんだろう。和解する気がないってことなのかな。だったら話すだけ無駄なのに。
「喜怒哀楽愛憎欲蔑、一通り感情はあると認知してるんだけど。それが人の心じゃないの?」
「あんな小芝居を打ったって、莉央奈ちゃんのためにも誰のためにもならない。それを理解できないのがおかしいって言ってるの」
「莉央奈さんのためにならなかったかは判定できないけど、周りに与える影響が大きいみたいだから、もうやらないよ」
「その、こっちは正しいことを言ってるんだから、納得しないあんたが悪いみたいな顔やめてよ!ほんっとムカつく。莉央奈ちゃんと仲がいいからって調子に乗り過ぎ」
迎伊はそう言って、私の横を通り過ぎていった。問題は何も解決してないけど、本人がこれ以上、話したくないなら引き止めるわけにもいかない。まあ、調子に乗っているように見られているということは、常に頭に入れておいた方がいいんだろうな。
陽炎が立ち込める暑さで、冷房で貯めておいた体内の冷気が全て吹き飛び、気が付くと汗が垂れてきた。遠くから野太い音が聞こえてくるようになる。莉央奈たちを待たせているし、さっさと終わらせて戻ろう。って、迎伊、ゴミ捨てを中途半端な状態で放置していったのか。まあ、損害を被ったんだから、これくらいは贖罪として引き受けろということなんだろう。
「戻ってくるのにずいぶん時間がかかったけど、何かあったの?」
帰り道、ふいに莉央奈がそんなことを聞いてきた。
「どこにあるか分かんなくて」
「えー、玉樹ちゃんが道に迷うことなんてあるー?」
「いや、一度でも行ったことのある場所なら覚えてるだろうけど。初めて行ったから」
「んー……、まあそっかー」
こめかみに指を置いて少し考えてから、勝手に納得してくれた。迎伊と言い合ってた、とはとても言えないな。これ以上、莉央奈に気を遣ってもらうわけにはいかない。むしろこの間、救急車を呼んで病院で話し相手になってくれたんだから、何かを返さないといけないぐらいなのに。
「でも」
「でも?」
「な、なんかあったらっ。私に相談してくえうと……しい……」
「え?」
急に滑舌が悪くなって、どうしたんだろう?視線が指揮棒のように揺れて、背筋を伸ばしてみたり丸めてみたりして身体を前後にさせる。様子がおかしくなればなるほど、気になって莉央奈を観察してしまう。
「こ、この間みたいになったら、困るし?」
「だから大丈夫だって。そんなに私が、同じ過ちを繰り返しそう?」
「えっ、いやいやいや、そんなこと思ってない思ってない!でも、分かんないでしょ、分かんないんだよっ」
「まあ、不測の事態は起こり得るだろうけど……。というか耳赤いけど、大丈夫?」
「きょ、今日は触らせないからねっ」
そう言って莉央奈は、後ろで組んでいた手を耳元へ持っていって、強固にガードする。心配になる赤さだ。大丈夫かな……。
あの日以来、迎伊が見つめてくることはなくなったけど、今度は逆に私が見つめるようになっていた。確かに最近の迎伊は、ずっと一人で行動している。本人が言ってきたことは本当のようだった。迎伊と距離を取ろうという空気感が、クラス内で醸成されてしまっている。このまま皆が誤解していると、本当に迎伊はぼっちのまま卒業することになってしまう。そんな喪失、私には償い切れない。だから、迎伊にはあんな風に言われたけど、クラス中の人たちに片っ端から話しかけて事情を説明することにした。被害者だと思われている私の口から説明すれば、迎伊の無実も信じてもらいやすいだろう。
——でも、何日たっても迎伊は独りぼっちだった。皆、私には分かったって言ってくれるけど、全く改善される兆しがない。もしかして、私も嫌われているのかな。だとしたら、志佐に代わりに説得してもらう?この件の責任は私にある以上、他人に尻拭いをさせるのもおかしな話か。既に事情を説明した人にも、今一度念押ししようかなぁ。
選択授業を終えて、教科書とノートを抱えながら、少しふらふらさせながら購買へ向かう人の波に逆らって、自分の教室までひとり廊下を歩く。ほぼ無意識で、すれ違う人の顔を次々にスキャンしていた。で、迎伊と目が合う。別に向こうは関わりたくないだろうから、あんまり合わせないようにしようと目を逸らす。しかしその配慮も虚しく、「ちょっと来て」と教科書を抱える腕を、もぐように引っ張られる。
迎伊がばたっと非常口の扉を閉じる。その瞬間に、さっきまで耳をつんざいていた廊下の騒擾が、ぴたりと止む。非常階段の踊り場まで連れてこられた。まだ上の階があるからここは日陰になっているけど、蒸し暑いことに変わりはない。
「なんでこんなことしたのっ」
「皆から無視されたままじゃ嫌だって言ってた。今回の件は私が発端だし、きちんと元に戻すのが道理だよね」
「そんなこと頼んでないッ!」
音圧が胸を鈍く震わせる。逆鱗に触れたんだろうけど、どうすることもできず角に追い詰められる。
「ますます評判が悪くなるって、はっきり言ったはずだよ。なんで分からないの?」
「だからって、何もしなければずっと疎外されたままだよ」
「別にいいし。沓掛さんには関係ない」
「待ってたって状況が固定化されるだけだと思う」
「分かってるよっ。それとも、私のこと一人じゃ何もできない奴だって、馬鹿にしてるの!?」
「だったら……」
「これ以上、惨めな思いを私にさせないで!」
とっさに反射で目を瞑る。結果的に何も飛んでこなかったけど。明日には地球が滅びるみたいな、未来がない状況だったら叩かれていてもおかしくなかっただろう。問題を解決するより、そんなにプライドの方が大切なのかな。一人だと、そのプライドを見てくれる人もいないのに。
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「なんで分かんないの?二度と私に関わらないで!」
「もう仲良くしたくないって気持ちは尊重するけど、私の罪まで固定化されたら困るよ」
「さっきから何を言ってるの……?理屈っぽくて、気持ち悪いよ?沓掛さん」
「きちんと問題は解決させて終わらせたい。ただそれだけなんだけど……」
「沓掛さんがどうしたいかなんて知らない。今、ここで誓って。二度と私に関わらないって」
「直接は関わらない。でも……」
「他の人に私の話もしないで。誓って」
「それは……いだっ……」
「誓って!」
手を払いのけるように突き飛ばされて、肩甲骨を腰壁の角にぶつける。背中にじんわりと痛みが広がって、手の甲がひりひりする。別に大したダメージではないけど、埒が明く未来が見えない。
私の言葉はいつも誰も説得できない。だから、他人を救おうとしてはならなかった。そうだよ、全部、全員、見境なく見捨ててしまえば良かった。私はきっと間違っている。最初からそう知っていたら、最期まで一人を選んでいたのに。
「玉樹ちゃんっ」
冷たい風が吹き付ける。風の元へ目線をスライドさせる。非常口の扉が開いて莉央奈が出てきた。救世主というほど大げさなものじゃないけど。心の片割れは彼女に縋ろうとしているのが分かった。
「あ、いや、さすがにやりすぎじゃないー」
「やりすぎって……。沓掛さんの肩を持つんだ、そうやって」
「私だったからまだいいけど、他の人が見たら、本当に玉樹ちゃんに嫌がらせする人だって認定されちゃうよ」
「今さらどう思われたって関係ない」
「どっちにしても、玉樹ちゃんは説得を試みてくるから、不毛と言いますか」
「はぁ、何が説得よ。変に理屈っぽくて、それを他人に無理に押し付けてるだけ。人の気持ちを理解しようとしない自己中な奴ってだけでしょ」
「それでも……私は、そこが玉樹ちゃんのいいところだと思う。的外れでも理解できないかもしれないけど。だけどその理屈で今、私はここに立ってるんだから。そんなこと、確かに望んでも頼んでもないけど、でも私がどう思ってようと、私がここに居る事実も理由も揺らがない。捉え方次第じゃないかな」
莉央奈はいつになく真剣な表情で、血の通った声でそう言い放った。迎伊はさすがに二対一は分が悪いと思ったのか、単に呆れ返ったのか、鼻で笑ってから非常階段を駆け下りていく。莉央奈がここにいるのは私のおかげって、確かに事実だけど……。
「赤くなってる。痛くない?大丈夫?」
気が付くと、莉央奈は私の手を持ち上げていて、親指で迎伊の手が当たった箇所をさすってきた。
「物が当たったら赤くなる。ただの生理現象だと思うけど」
「そういう問題じゃなくて……。もう、玉樹ちゃんは自分の身体を全然大事にしないんだから」
自殺を厭わない莉央奈が言えたことじゃないと思うけど……。
「それより、ちょっとくすぐったい」
「あぁ……。まあ、痛くないならいいけど」
腕を引っ込める。叩かれた衝撃と莉央奈の指の感触が混ざって、それを消そうと自分でも擦っていた。また莉央奈と目を合わせたり合わせなかったりする、特に意味のない時間が発生する。
「た、玉樹ちゃんっ」
急に名前を呼ばれてびくっとなる。そんな改まって声を張り上げて勇気を捻り出して呼ばなくても、目の前にいるんだから聞こえるのに。で……何?
「わ、私はいいと思うよ。今の玉樹ちゃんのままで。そりゃあ、合う合わないはあるだろうけど。合わない人がいるからって、自分を変えようと思う必要はないって。まあ、変わることを止めはしないけどね。私は、どんな玉樹ちゃんでもいいというか……ちょっとずるいかな」
言葉がすぐに出てこない。反論がないというより、聞き入ってしまったんだと思う。莉央奈が入ってきているのか、それとも莉央奈の瞳に自分が吸いこまれそうになっているのか分からなくなってきた。こんな風に、誰かに肯定してほしかった。根本的な部分を検証しないまま、ここまで来てしまったから。
「私のこと、少しは見直した?」
「え?今さら評価が変わることはないよ。莉央奈さんは元から優しいから。約束もきちんと守ってくれてるし」
「優しいわけじゃないよ……。今だって本当は、玉樹ちゃんに良く思われたくて、かっこつけただけだし……」
「私は莉央奈さんの自己評価、肯定しないよ。どういう意図であっても、誰かを肯定して励まして、効果を出せるんだから。全員が救えるわけじゃないだろうけど、少なくとも私にとっては効果があった。私から見たら、莉央奈さんはかけがえのない人だから。もう自分を卑下しないで」
「……そう?効果あったの?そう……」
「嘘なんて吐かなくても、莉央奈さんは誰かのためになれるって証明できたんだね」
「んんー、なんか結局、玉樹ちゃんの都合のいい方向に進んでる気がする……」
人の声が階段を上ってくる。「戻ろっか」と莉央奈が扉を開いて、冷房の風で莉央奈の髪がふぁさーとなびいた。莉央奈の闇隠しの笑顔で押し寄せる罪悪感。気が付けば、元の学校から逃げる理由然り、私ばかりが貰っている気がする。せめて、ちゃんと返したい。




