表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
理屈っぽい天使と堕天使のクリームダウン  作者: Ehrenfest Chan
第2話:風前のしあわせ
PR
12/16

2-5 寄羽の渡星橋

 今日の昇降口の前はやけに賑やかで、人だかりができていた。よく見てみると、全校生徒の短冊を抱えられそうなほど大きな笹の木が置いてある。そう言えば、明日は七夕だっけ。新暦の方だけど。この群衆は短冊を書いている人の集まりらしい。


「せっかくだし、書いてこうよ。願うことは、未来を希望することだから。この先も生きててほしい私からすると、何か一つでも願い事を見つけてほしい、な」


 まだ本気を出していない太陽から目を逸らしながら、昇降口の方へ向かう。莉央奈は人だかりを半目で見つめながら、憂いで満ち足りた表情で、嘆息のように本音を言った。


「願い事、かー。痛みも苦しみもなく、後悔する隙もなく、すぱっと意識が消えること、なんて書いたら、バチが当たりそう」

「たまたま見た人に、痛い奴だと思われるよ。記名するんだから」

「まー確かに。じゃあ、書くことないなぁ」

「願い事が見つけられますように、でいいんじゃない?」

「そういう願い事って、内心生きてたいって思ってるみたいじゃん」

「でも、もし幸せに生きることができるなら、苦しみも悲しみも忘れて呼吸ができるなら、別に生きたっていいよね。だから、叶う可能性があるかとか、叶える能力が私たちにあるかとか、そういうのはどうでもよくて、幸せを無責任に願うだけ願ったらいいと思う」

「まあ、そうなのかなー」


 私たちは人ごみの間隙を縫って、笹の隣に立っている生徒会の人の元に行った。


「何色にしますー?」

「黄色を2枚お願いします」

「かしこまりー。お目が高いですねー」

「格の違いはないと思いますけど……」

「一番余ってたのでー。助かるー」


 どうやら皆、あまり約束を守る気がないらしい。それはともかく、横に並べられている長机に移動して、短冊を莉央奈にも渡す。自分の短冊には「夏が終わるまでに、莉央奈さんが幸せになれますように」と書いた。少し直球すぎる気もするが、用件が織姫だか彦星だかに対して正確に伝わらないと意味がないので、これくらいが丁度いいだろう。


 横にいる莉央奈の方を見ると、私の説得に絆された割に、手が止まっていた。


「で、莉央奈さんは何を書くの?」

「んー……。あ、決めた」


 莉央奈は私の短冊を一瞥すると、ペンですらすらと文字を書き連ねた。「身近の人の願いが叶いますように」と。


「本当は、自分のことを書いてほしかったんだけど」

「幸せを無責任に願うだけ願ったよ。最初は、玉樹ちゃんの願いが叶いますようにって書こうと思ったんだけど、名前を出すのが恥ずかしかったから、誤魔化した」

「私?」

「まあ、一番身近なのは玉樹ちゃんだよね。これで玉樹ちゃんの祈りが2倍」


 莉央奈は右手で2を作って、歯を見せて微笑みながら少し得意げにアピールしてくる。


「つまり、回り回って莉央奈さんは、自分の幸せを願ってるってこと?」

「え?ちょっと、違うかな……。私には、これくらいしかしてあげられないなーと思っただけ」

「思ってもないことを頭に浮かべるだけでも、いつかまるで初めからそう考えてたみたいに錯覚するから、いいと思うよ」


 そんな文言を独り言のように付け足しながら、他にあまり短冊がない木の裏側に自分の短冊を吊るす。莉央奈は「玉樹ちゃんは、いつも、いつも通りだよね」とか呟きながら、私の短冊のすぐ隣、同じ枝に結んだ。並んだ同じ色の短冊を一目する。微風に私の短冊が揺られる。莉央奈もその瞬間を眺めていた。少しでも希死念慮にひびが入っただろうか。希望的観測から、自分の視線が莉央奈の横顔に吸い寄せられていた。


 莉央奈を一発で幸せにする銀の弾丸なんてなくて、こういう細やかな日常のイベントを何十回も積み重ねていくしか方法はないんだろう。そんなことは分かっている。だから、きっかけの一つとして、短冊を書くことを提案したのだった。目に見える成果が得られないと不安に駆られる。それは莉央奈と出会った時から同じだけど、今の私の胸中は少しだけ換気された後のような感じがした。多分、志佐のおかげだ。霧が立ち込める林の中で、殺人鬼から逃げ回るような闇からは逃れられた。もしかしたら、志佐と二人きりで話した莉央奈も、何か変わっていたり……したらいいんだけど。


「じゃ、暑いし早く教室に行こっか」

「あぁうん。今日の最高気温37℃だってさ。暑すぎるよねー」


 莉央奈に言われて、笹の木を後にした。何度だって莉央奈のことを確認する。全てを諦めようにも、私にはあんな瞳はできない。私には全てを諦めることはできない。



 昼休み、私と淑乃は志佐に連れられて、ピロティのような場所に来た。しかも私たちの教室がある校舎とは別の校舎。校舎の中の方が涼しいから、わざわざ外に出る人は皆無だけど、日差しを遮れて、扇風機の弱ぐらいの涼しい風が時々吹いて、冷房で冷え切った身体を温めるにはちょうどいい。もっとも、向こうの校舎にもピロティはあるので、わざわざこちらに来る理由はあまりない。


「それでは、なっちに幸せになってもらうための、作戦会議、いや、ブリーフィングをするぞー!」


 わざわざ志佐が説明してくれたように、そういう意図の集会なので、莉央奈の目の届かない場所に行く必要があったのである。ここ一週間ぐらい色々懊悩しているけど、結局、私一人ではどうしたらいいのか、特にアイデアが湧いてこなかった。でもこれからは、志佐の力を借りられる。淑乃が同伴しているのが、少々、気になるけど。


「ブリーフィングではないと思うけど」

「細かいことは、どーでもいいんだよ。なっちが自殺しなければいいんだから」

「それはそうだけども」


 校舎の壁沿いにある、プールサイドに置かれていそうな青と黄色のベンチに腰かけて、お弁当を食べながら、横に座る志佐と話した。私とは反対側の、隣のベンチの少し距離が離れた場所に、いつも通り朴訥とした淑乃が座っている。


「さしずめ戌亥は関わってしまったのね。辞めた方がいいって何度も言ってるのに」

「いや、友達がピンチなんだから、助けるに決まってるっしょ!薄情だなぁ、よっしーは」

「厄介事に巻き込まれないよう自衛してるだけ」

「あ、あの、洲鎌さんは莉央奈さんのこと、何か知ってるのっ?面識があるとか……」

「え?何も知らないし、面識もないけど」


 目を丸くして淡々と突き返された。やれ厄介事だのやれ得しないだの、莉央奈がとてつもなくめんどくさいことを知っていそうな口ぶりだったので、実は隠れ利害関係者なのかと思い少し焦った。


「んで、なっちって何をしたら喜ぶの?」

「さ、さあ?」

「好きなものとかさ」

「うぅーんと……、あぁー、えっとぉ……」


 別に間投詞を捻り出すように言ってみても、知らないものは知らなかった。でも、まるで知っているように、思い出そうとしているような態度を取ってしまう。私の癖と呼ぶべきものだ。


「例えば……好きな食べ物は?あ、フォアグラとトリュフが好きって言ってたな」

「え、そうなの?」

「じゃあじゃあ、好きな曲は?」

「なんだろう。一番確率が高いのは、一般に同世代の女子に人気なJ-POPだけど」

「J-POPは曲名じゃないよ。んー、そうだ、今、一番欲しがってる物は?」

「知らないけど、生きがい、とか?」

「概念だなぁ……。じゃあ、趣味は?」

「あ、知ってるっ。美味しい物を食べることと、映画やドラマ鑑賞!」


 自己紹介で言っていたのを、そのまま引用しただけである。


「おぉ、なら、どんな作品を見てる?」

「え、それは知らない……」

「同じ家にいるんだから、話題に上ったり、スマホを覗いてみたりしてないの?」

「わ、わざわざ覗かないよ。マナー違反だよ」

「ちょっと、知らなすぎだなぁっ!」


 志佐が手にしているコッペパンの間から、焼きそばがぼとぼとと彼女のスカートの上に落ちた。


「また溢してる……」

「今のはたまっちゃんがびっくりさせるからいけないんだよっ」

「私が悪いの?大きな声を出そうとして、手への注意が逸れて、それでパンを持つ力が弱くなって焼きそばが落ちたように見えたけど」

「説明はどうでもよくてっ。たまっちゃん、全然なっちのこと知らないじゃん。なに、秘密主義なの?」

「秘密主義というか、不干渉というか……。この前までお互い存在すら認知してなかったのに、いきなり距離を詰めすぎるのも、煙たがられるだだろうから……」


 奥に座っている淑乃が、足を組みかえ口元の砂糖を拭ってから、会話に入ってきた。


「世話がないわね。何をしようとしてるのか知らないけど、コミュ障では人を救えないでしょう。海底撈月だから辞めたら?」

「コミュ障じゃないけど?特に気の合う友人が2、3人いて、普通ぐらいに仲がいい友人が5、6人ぐらいいて、よく話すぐらいの友人が10人ぐらいいる、ごく平均的な交友関係を持ってて、会話をするのは苦じゃないし、日常生活に支障が出たこともない。どう考えてもコミュ障ではないと思うけど」

「今、必要とされてる水準のコミュニケーション能力に足りてないのだから、俗に言うコミュ障と形容して何が問題なの?」

「そういう意味なら、足りない能力はシーサーに補ってもらうから問題ないし」


 とは言え、淑乃が言っていることは、耳の痛い指摘としては正しい。今まで会ってきた人と

 同じ距離の詰め方ではいけないんだとも思う。


「あたしを頼ってくれるなんてぇー。たまっちゃんは……なんだ、あれだなぁっ」

「あっ、暑いからくっつかないで……」

「まずはとにかく、相手の趣味趣向や、その裏にある性格気質を調査するしかない。話はそれから。戌亥なんかに頼るのは愚の骨頂」

「まー、そうだよねぇ」

「えぇ?たまっちゃん??」


 なんか寄りかかっていた体重が軽くなったので、この隙に志佐から距離を取った。


「あ、愚の骨頂に共感したわけじゃないよ?ほ、本当だからねっ」

「だよね、だよねぇー。ふはぁーほっとした」


 ほんとの本当。今の私の、数少ない絶対的な味方なんだから。と、胸をなでおろす志佐を見ながら、解決まで一歩進んだと信じて、私も、きっと。


「でも、具体的に何を聞いたら今後のためになるかな」

「ねこまんま容認派か否か、とかどう?」

「価値観、意外と大事かも。一応、同じ家に住んでるしね」

「だから、ボケなのにー」



 さっきからスマホの通知が鳴り止まない。東京から逃げて一週間、かつての友人からのメッセージはようやくまばらになったのに。あれは聞いたか、これも聞いたかと、志佐からLINEがひっきりなしに飛んでくる。まるで飼い犬が喋れるようになったみたい。あーもういいや、直接聞こう。無駄に広い和室の隅から隅へ移動した。


「どうしたの?」

「同じ部屋にいるのに、いつも別々に過ごしてるのは、もったいないなーと思って。お話しよう」

「いいよー」


 私は座布団を山札から取って、足元に敷いた。何だか寂しかったので、もう1枚とって両手で抱きしめてみた。


「んー、何を話す?」

「莉央奈さんのことをもっと知りたいから、色々質問したい」

「そんなに深みのある人間じゃないけどね」


 莉央奈も延ばしていた足を引っ込めて、背中を壁から離して、お互い向き合ってなんか茶道でも始まる雰囲気になった。とりあえず、志佐と昼間に相談したことを思い出す。


「まー、NGは無いので、なんでもどうぞ?」

「えぇーっと、誕生日、誕生日はいつ?」

「11月3日」

「分かった。プレゼント、考えとくね」

「あぁ、楽しみにしてるね」

「えっ」

「なに?」

「いや、楽しみにしてくれるの?」

「誕生日を覚えててもらえて、嬉しくない人なんていないでしょ」


 莉央奈は、特に嬉しそうでも悲しそうでもなく、前髪も機微も揺らすことなくそう答えた。そんな常識が莉央奈にも当てはまるのが意外だった。まあ、ただの社交辞令かもしれないし、さらりと流すことにしよう。……本心で言っているのだとしたら、ハードルが上がるから勘弁してほしい。


「じゃあ……そう言えば、住んでた場所って聞いてなかったよね。どこから常磐松へ通ってたの?」

「都下……だけど」

「都下のどこ?」

「えー、……国分寺」

「普段、スマホで何見てるの?」

「あ、えっと、大したものは見てないけど……。インスタを眺めて流行に思いを馳せたり、適当な漫画を読んだり」

「どんな漫画を読むの?」

「あんまりジャンルは気にしないかな。雑食」

「それじゃあ次は……」

「あのー玉樹ちゃん。なんか尋問みたいになってるし、玉樹ちゃんも自分の質問に答えるっていうのはどう?私も気になるよ、玉樹ちゃんのこと」

「た、確かに。シーサーと洲鎌さんにあれもこれも聞けって言われて、つい焦っちゃった」

「昼休みに私を一人にするなんて、何してるんだろうって思ってたけど、そんな話をしてたんだ」

「仲間外れにしたかったわけじゃないよっ……。上手い理由が思い付かなくて、何も言わずにいなくなったのは、悪かったと思ってる。ごめん」

「少し意地悪な言い回しをしちゃったかな。気にしてないよ。……ぼっち飯は新鮮だったけど」

「うわぁー、めっちゃ気にしてるーっ。これから莉央奈さん抜きで話したい時は、直接話すんじゃなくて、必ずスマホで話すようにする」

「そこまでしなくてもいいけど……。あ、で?質問の続きをどうぞ」

「えぇー、何を聞こうとしたんだっけ。そうだ、ねこまんまっていける?」

「ねこまんま?味噌汁をご飯にかけるやつ?」

「そう、それ」

「小学校低学年の頃にやってたかも。白米って味がないと思ってたから。……これを聞いて、何かわかるの?」

「莉央奈さんの価値観がわかる」

「それならいいけど……。ちなみに玉樹ちゃんはどっちなの?」

「やらない方が美徳とされてる空気を感じる」

「実に玉樹ちゃんらしい回答」

「次の質問ね。インドア派?アウトドア派?」

「うぅーん……、そう言えば意識したことないな。周りに合わせる……かな。誘われたら山に登るしボドゲもするし」

「私はインドア派なのかな。趣味を聞かれたら読書って答えるし。月に2、3冊しか読まないけど」

「どんなのを読むの?」

「推理小説が多いかなぁ。あとは新書とか。私も、雑食」

「本、昔からあんまり読まないなー。小学校の読書の時間とか、読んでるふりして友達と手紙交換しながら過ごしてたもん」

「まあ私も、特別読書に熱意があるわけじゃないよ。暇な時にちょうど良かったってだけ。それじゃあ……、今一番ほしい物は?死とかじゃなくて、物理的な物体でね」

「無難に服とか靴とかかな。まさか、こんなに長く滞在することになるとは思わなかったからね。玉樹ちゃんみたいに、親に荷物を送ってもらうわけにもいかないし」

「そのことなんだけど、昼休みに話した時に、シーサーから明日買い物に行かない?って誘われてるんだよね。だから、一緒に行こうよ」

「むしろ、置いてくつもりだったの?」

「莉央奈さんが置いてかれることを所望するなら」

「ショッピングは好きだから、ぜひ行きたいなー」

「分かった、シーサーにそう伝えとくね。でー、私の番か。うーん、欲しい物欲しい物……」

「玉樹ちゃんって物欲なさそうだよねー」

「そうかな。人並みだと思うよ。この間だってAirPods買っちゃったし」

「でも、今ほしい物はないんでしょ?」

「買いたい物は全部買い尽くしたかなぁ。強いて言うなら、サンダル、かな。荷物に入ってなかったから」

「本当に物欲がある人は、1個何かを買うと、2個新しい物を買いたくなるんだよ」

「前に、推し活にはまってる友達が同じようなことを言ってたな……。他には……東京にいた頃は、部活とかやってた?」

「部活かぁ。中学に入ったばっかの頃に、少しだけ陸上部に所属してたけど、すぐにフェードアウトしたっきり。それなりに足が速かったし、友達もたくさんいて楽しかったんだけど、人間ってより低い方に流れてしまうんだよね」

「私も同じ。中学の時は演劇部に入ってたんだけど、すぐ辞めちゃった。高校は天文部にしたけど、実質帰宅部みたいなものだよね」

「天文部かー。うちの学校にもあったかな」

「私はけっこう星好きだから、毎日でも天体観測したいけど、都会じゃそうはいかないから」

「星だと思ったら飛行機ってこと多いよね」

「うんうん。いっそ、天地がひっくり返ってくれればいいのに。あっそうだ、せっかくだし、今から屋上で星を見ようよ。七夕は明日だけど、今朝短冊を書いちゃったしね」


 気が付くと、使命感に突き動かされ、立ち上がって莉央奈を見下していた。「いいけど」と味気なくも確かな一言が返ってくる。私が動けば莉央奈も割と乗ってくれる。この信頼感は友達らしいなーと思う。気兼ねなく和室から出て、ベランダみたいな場所を通って外階段をリズムよく上っていく。


 おばあちゃんの家の屋上の直上には、それはもう満天の星空が広がっている、ということはなく、東京の夜空に毛が生えた程度の煌めきしかない。それでも、普段会うことのない志佐みたいな星に会えるので、おばあちゃんの家にいる間は、何度か夜空を見上げるのが習慣になっている。


 今日は図らずも、雲や月明かりがほとんどなくて、人肌より少し涼しいぐらいの、心地良いそよ風が頬をくすぐるという、夜空を見上げるにはもってこいの天気だった。


「これが、屋上から見る夜空かー」

「こっちに来たばかりの時も、屋上には入ったよね」

「あの時は空なんて見上げてなかったから」

「今は空を見上げてられるほどには、心に余裕ができた?」

「そう……なのかもね。焦りはなくなった。ここだと、てきぱきする必要ないからね」


 それは良い変化なのかなと思う反面、人気が出てきたからずるずる引き延ばしを図ろうとする漫画作品のようなもので、作者謹製の渾身の結末だけは、変える気が更々ないという状況にも見える。まあ、証拠も証言もないのにあれこれ推測しても無意味なので、今は目の前のことに集中することにした。


「まだ夏の大三角はよく見えないかなぁ」

「何だっけ夏の大三角」

「はくちょう座のデネブ、彦星でわし座のアルタイル、織姫星でこと座のベガ」

「じゃあ、あのオレンジの明るい星は?」

「あれはうしかい座のアークトゥルスだよ。もう少し低い位置にスピカとデネボラがあって、あっ!あれだね、三つの星で春の大三角を形成してる。そりゃあ三つ、星があれば直線か三角形になるに決まってるけど」

「おー、天文部なだけある」


 私が説明し終えると、莉央奈は後ろで手を編んで、空を見上げたまま淡白に自然体に歓声を上げる。まあ、指さしても伝わりにくいとは思う。


「部活とか関係なく、小さい頃に見た図鑑とか、親に連れられて行ったプラネタリウムとかで見て、気付いたら覚えてただけなんだけど」

「それが凄いんだよねー。水族館の時もそうだったけど、普通は覚えようなんて考えもしないんだから」

「覚えてても、ちょっと嬉しい以外、インターネットとGPSのある現代社会じゃ使い道ないよ」

「まあ、それもそうなんだろうけど」


 タンス記憶を活かせる貴重な機会なので、莉央奈にもう少し星の名前を伝授しようと、赫々と輝くアンタレスにでも手を延ばそうとしたちょうどその時、莉央奈のスマホに電話がかかってきた。


「シーサー?」

「なっち!ねぇどうだった、なんかたまっちゃんから聞かれた?」

「んまあ、色々質問はされたけど」

「良かった!たまっちゃんなら、プライバシーだの肖像権だの言って、踏み込むのを躊躇いそうだからねぇ」

「むしろ、結構がつがつ来たよ」

「まあいいや、あたしが聞きたかったのはそれだけ。安心安心っ。これからも、たまっちゃんと仲良くしてあげてね!じゃっ」


 志佐からの電話が切れるや否や、莉央奈がなんかこっちを見てきた。志佐は心配性だなぁ、と苦笑いでも返していると、今度は私のスマホにかかってきた。


「たまっちゃん!全部聞けた!?」

「全部は無理だよ。結局、無難なことしか聞いてない。あんまり相談した意味なかったかも」

「えぇー。あれとかそれとか聞いてないの?」

「あれは没にしたでしょ」

「何を聞こうとしてたんだ……」

「あれ、なっちそこに居るの?」

「まあ、同じ家に住んでますし」

「というか、二人とも外?何してんの?」

「星を見てる」

「玉樹ちゃんが色々説明してくれてね」

「え、あの、聞き流される運命にあるプラネタリウムのナレーションみたいな説明を?たまっちゃん、なっちに嫌われるよ」

「嫌わないよ。そんなことで」

「なら、いいけどー」


 志佐の声がなくなると、反動で途端に辺りが静寂に包まれる。もう一度まばらに煌めきが散らばる夜空を見上げる。


「綺麗だけど、ちょっとしょぼいね」

「どうせなら、星のない部分の方が少ないぐらいの、満天の星空がいいな……」

「本当?夏休みに入ったら行こうよ」

「あ、独り言のつもりだったんだけど……」

「他人に聞こえてたら独り言じゃないと思うけど」

「でも、いいよ。玉樹ちゃんが私と行きたいなら」

「そう言えば、ここよりは若干綺麗に星が見える場所があるんだけど、今から行かない?割と近所だから」

「たった今、もっと綺麗な星空を見る予定を立てたのに?」

「ほら、七夕伝説には天の川が出てくるのに、ここだと明るすぎて見えてないから。七夕に託けて星空を見ようって提案したのに、肝心の天の川がなかったら、タイトル詐欺みたいなものじゃん」

「それはー、確かに……?」


 屋上に続く外階段を下りて、おばあちゃんの家を飛び出して、莉央奈と静謐な町に繰り出す。夜に二人で出かけるのはこれで2回目、まあ今回は何からも逃げてないし、追われてもない。天の川を求めた夜の散歩。町と同じゆったりとした時間軸で、夜の空気を味わいながら、とっておきと言うほど期待するものでもない場所へと莉央奈を先導する。


「坂道きついー」

「も、もう少しだから、あのホテルの辺りだから」

「思ったより近所じゃなかった」

「私の中の定義では近所だから」

「徒歩5分ぐらいを想定してたのにー」


 30分ぐらい歩いて、私と志佐にとってはいつもの丘に到着した。丘には大きいホテルが建っていて、そこの駐車場では眼下に丘下の町が一望できて、何にも遮られず夜空を眺められる。まあ、星の数がおばあちゃんの家に比べて増えている気はしないけど、開放感があるので差別化はできている。莉央奈をここに連れてきたということは、なんだかんだ言って私はこの場所を気に入っているのかもしれない。


「おー、着いたー」


 莉央奈はそう言って、ぐぐーっと身体を伸ばしていた。程よく身体の筋肉がほぐれて、思考がリセットされて、夜の散歩としては百点満点に近い。さて、なんとなく車止めの上に乗っかって、夜空を見上げて天の川を探す。正面を見ていてもまだ夜空で、まるで夜空に顔をうずめているような、VRゴーグルでも着けているような、そんな気分。


「天の川は……あー、うぅーん……」

「見えた?」

「んんー……あれ、だけど……」


 私は、なんか雲のようなもやのような、ミルクというよりカフェオレを溢したような、清流というよりは濁流のような、天の川らしきものを、首を傾げながら指さした。


「あー、あれが天の川か。初めて見た」

「感動……はしないよね、こんなのだと」

「拍子抜けではあるかも。雑な黒板係が消した後の黒板みたいー」


 あんなに頑張って歩いてきたのに、こんなもんかよと無駄すぎて笑えてきた。でも、それが息の詰まる日々からの解放で、莉央奈と目笑を交わせている理由なのだろう。薄っすらと色めいている莉央奈を、ほんの少し高い所から見ていると、たくさんの苦悩から東京ごと遠ざかって、穏やかで誰も莉央奈を責めない場所で、こんな出来事を積み重ねていけば、もしかしたら、と希望が膨ら……方針が定まっていくような気がした。


 夏が終わるまでに、莉央奈さんが幸せになれますように。そして、最後まで一蓮托生でいられますように。そう心の中で呟いてみると、夜空に浮かぶデネブが、微かに揺らめいた気がした。


「おーい、たまっちゃぁーん!なっちぃー!」


 車通りも人通りもない深閑を、志佐の自由闊達元気溌溂の呼び声が破壊してくる。その声で振り返ると、志佐が駐車場の出口を塞ぐように自転車を止めて、こちらに向かってきていた。


「いつの間にシーサー呼んだの?」

「いやいや、勝手に来ただけ」

「たまっちゃんが星を見るって言ったら、ここだって知ってるんだから」


 電話した時は家の屋上にいたけど……。志佐を徒労に従事させないという意味では、ここまで来てよかったかもしれない。


「ずーるーいーっ。二人だけでこそこそ、そういうことするなんてぇっ」

「ほぼ玉樹ちゃんに連れられただけというか」

「だからなんだって言うのさぁー」


 志佐は莉央奈の腕に絡まって、くるくるーってしている。


「そう言えば、なっちは明日、一緒に行くよねライカム」

「うん」

「やたーっ、よっしーも連れてくれば、4人が揃うぞー」


 で、こっちにピンボールみたいに跳ねてきて、抱きついてきた。うわ、汗すごっ。


「夜なのにテンション高いね……」

「シーサーっていつもこんな感じなの?」

「こんな感じなような気もするし、例年より一段ギアがかかってるような気もする……」


 まあ、明日も出かけるんだし、あんまり遅くなると家の人が心配するだろうから、手短に暗黒を背景に写真だけ撮って解散することにした。


「よっしーの顔写真を、この辺の空いたスペースにはっつけて送るね」

「いいよ、シェフのいらないひと手間」

「どうせなら、透明度下げてね」

「莉央奈さん!?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ