第64話 夜の亡霊が見せるものは……
次の日、気持ちのいい朝を迎える。曇りのない快晴だ。
温暖な地域とはいえ、早い時間帯は少し肌寒い。すっかり落ちた焚火をつけ食事をした。身体が温まるとぱっちり目が覚めてくる。
「これからどうする。一緒に行くか?」
食後、荷物をまとめている時に青年が告げた。俺は鞄を身に着けながら言う。
「いいや。とりあえず1人で頑張ってみる」
「わかった。何かあったら狼煙でも挙げてくれ」
「ありがとう。お互い無事で」
「ああ、健闘を祈る」
挨拶を交わしあい、手を振って別れる。
せっかく仲良くなったけど別々の道を歩き出す。昨日通ったのと変わらない景色の中を踏み越えていく。しばらく進んだ先で砂を蹴る音が微かに聞こえてきた。
(何かいる)
まず偵察だと思い、岩陰に隠れて覗き込む。
合図を送ったから試験官も物陰に隠れる。慎重に進路の方角を見てみたら、鐘型の帽子みたいな触覚が見切れていた。しかも1体だけじゃない。
「コロコロハットだ。たくさんいる」
「どうしますか」
無意識に呟いた言葉へ反応が返ってきた。
答える前に魔物をよく観察する。虫にしては大きく子犬くらいありそう。太く立派な後肢で地面を掘っていた。こっちに気づいていない様子だ。
「気づいてないみたいだから迂回しましょう」
「わかりました」
気づかれる前にと、息を殺して来た道を引き返す。
安全地帯まで来たら俺はメモを取り出した。簡単な生息や徘徊域を確認する。
(さっきの群れは出現地がちょっとズレてたっぽい)
だいたいの現在地を逆算してメモに印を書く。
ペン先でとんとんと顎を叩き、どのルートで進むかを考えた。地形の書き込みと合わせて見てみる。さっきの道から少し右に逸れた所が進めそうだ。
「右のほうから回り込めそうです」
試験官が頷いて応じ、メモをしまって右の道なき路を行く。
武者修行が目的じゃないから戦闘は必要最低限だ。
やむを得ない時は倒して慎重に足を進める。てっぺんまで太陽が昇った頃、周囲はちらほらと緑が茂る断崖絶壁に挟まれていた。この辺りはだいぶ険しい。
(今どの辺だろう)
段々とわからなくなってきた。メモを書き足しているけど限界を感じる。
ふと視界の端に気になるものを捉え立ち止まった。
「あれは、もしかして……」
速足で近づき、崖下に生える樹木を見つめる。そこにはオレンジ色の実がなっていた。小ぶりだけど、この特徴的な香りは間違いない。
「これオレンジだ! 食べられるかな」
見事に色づいた実を1つもぐ。皮を剥いてひと粒を口に入れる。
甘酸っぱい果汁と、柔らかな食感が口いっぱいに広がった。問題なく食べられそうだ。俺が勧めると、試験官は歩み寄ってきて1つ食べる。
「美味しい」
「ですよね。幾つか採っていきましょう」
「はい」
一緒に食べ頃の果実をもいで、袋に入れてから鞄にしまう。
本日のご飯兼おやつを獲得だ。戦利品を獲たような感覚で気分が上がってきた。
「冒険らしくなってきた~。よし、もっと先に行くぞ!」
握り拳を作って俺が言うと、笑い交じりの声が返ってくる。
「ふふ、元気ですね」
「当然です。探検ってやっぱり楽しいですから」
意気揚々とまた歩き始めた。だけど時間が過ぎるのはあっという間で夜になる。
日が落ちきる前に良さげな場所を探して野営した。
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翌日、同じように奥を目指して何度目かの夜が訪れる。
小さな灯りを手に辺りを見張っていた。眠気でたまにあくびが出てしまう。首を振ったりして払うが気を抜くと船を漕ぎ出す。
ガシャン、と音がして俺は飛び起きた。
心臓がバクバクと激しく脈打っている。足元には光の失せたランタンが落ちていた。うっかり落としてしまったようだ。
「あぁ、これ町に戻ったら直さないと」
しばらくは松明で代用するしかない。
壊れたランタンを片づけている時、不意に正面から不審な気配を感じる。顔を上げたら月明りしかない暗闇の中に、ぼんやりと少年が1人立っていた。
(子供? なんでこんなところに……)
子供は武器らしい物を一切身に着けていない。それどころか寝間着みたいだ。
妙に青白くて生気を感じさせない立ち姿に鳥肌が立つ。
「君、は――」
すぅーっと月光が射し、少年を覆っていた影を照らす。
心なしか鮮明になった色と、容姿に思いがけず息を飲む。
俯けていた顔が上がって虹色の瞳が俺を捉える。朝日を映したみたいな白金の髪は、独特の光沢を放ちとても幻想的だった。少年があっけらかんと笑う。
「兄さん、絵本を読んで」
「え?」
発せられた言葉を一瞬認識できなかった。実感が遅れてやってくる。
少年はゆっくりと笑みを引っ込め、小首を傾げて呟く。
「違う、兄さんじゃない? でも……」
十数歩先にいる彼を前に、俺は何も言い返せない。喉がつっかえていた。
いや、そもそも答えていいのか。話が通じる相手なのかもわからない。相手はこっちの沈黙が見えていないかのように続ける。
「早く誕生日が来ないかなぁ。そうしたら父さんも母さんも、義母さんも顕現されて、また家族全員が集まるね」
唐突に話題が切り替わり、まるで意味が分からなかった。
夢でも見ているかの如く断片的で脈絡がない。無邪気で、ころころと表情が変わる少年をただ見つめる。その瞳は俺を見ているようで、見ていなかった。
(逃げなきゃ)
後ろの彼女を起こして逃げたほうがいい。
しかし今になって身体が全然動かないことに気づく。まさか金縛りか。
(どうして!? あの少年の力なのか)
「今日も僕達のエルメシアは平和だなぁ。民も、兄さんも、美しくて大好きだ」
次から次へと謎の単語が押し寄せて困惑した。
なのに目の前の彼は「ほら、行こうよ」と少しずつ近づいてくる。一歩、また一歩と互いの距離が縮まるにつれて鼓動が跳ね上がった。
冷や汗が背筋を伝っていく。無垢な顔で歩み寄ってくる姿が、こんなにも恐ろしいなんて。
(やばいよ。足、足動いてよっ)
おかしなことに足音は聞こえてこない。
風や葉擦れの音が聞こえてくるも、他をかき消すほどじゃなかった。
あと3歩という所まで近づく。彼は歩み寄ろうと足を踏み出す。俺は息継ぎするのも忘れ、震えながら凝視する。
「一緒に行こう。皆、待ってるよ」
少年の細い腕が上がり、手がこっちに伸ばされた。耐え切れず瞼をつぶる。
「いぎゃぁっ」
短い悲鳴が聞こえ急いで目を開けた。
すると離れたところで、白と黒の煙を上げて倒れる姿が目に入る。
身体が動くようになって、思い出したように胸元を見下ろす。紐をつけ首から下げたタリスマンがほのかに光り輝いていた。
シュルシュルと横たわる人の形が崩れていく。
あっという間に本性が暴かれ、そいつはおもむろに起き上がる。ふわりと浮き上がってこちらを振り返った。闇色の布が翻り、杖を携え、フードの奥に顔なき虚無が覗く。
(夜を彷徨う亡霊、メロースだ)
ならば今しがたまで見ていたのは奴の幻覚だったのか。
「う、うぅぅあぁ」
不気味な声が響いて、とっさに身構える。
怪しげなオーラをローブに纏わせ、奴は眼前に浮かび続けた。
(近づいてこない)
タリスマンの力が利いているのかもしれない。
しばし睨み合いを続ける。見るからに剣が通じそうにない魔物だ。いつでも魔法が使えるように集中し様子を伺う。
「う、んん」
背後で身じろぐ気配がした。同時にメロースが後退していく。
ゆっくり数歩下がった後、魔物は音もなく姿を闇に溶かした。直後、試験官の寝起きっぽい声音が聞こえる。
「何かありましたか」
「うん、もう大丈夫みたい」
ふぅ、と息と共に肩の力が抜けた。構えを解いて振り返る。
「えっ、それってどういう意味です」
「はい。実は今、メロースが現れて、タリスマンのおかげで退けられたんです」
「そうだったんですか。すみません、気づかなくて」
「気にしないで下さい。たぶん奴の力が働いてたんだと思うし」
収集した情報とは違う状況だったが、毎回同じ行動をとる訳がない。
こういった不測の事態は本当に肝を冷やす。おかげで一層強く、警戒心を揺さぶられるのだった。
夜はつい怖い想像が浮かびがちですよね。
例えば、窓の向こうに広がる闇の中に人が立っていて、こちらを覗き込んでいるんじゃないか。
扉や引き戸の隙間からぬっと青白い手が伸びて来やしないか、等々。
家電の光さえも、寝静まる頃の暗闇の中では立派なホラーです。今回はそんな感じのイメージで執筆しました。




