≪六章≫君には愛を ボクには獣の祝福を ④
カエデが昏く微嗤む。
十数度、無駄弾をやり過ごして、残る距離は五メートルとまで差し迫った。
どちらかが一歩踏みだせばゼロになる間合い。
それはカエデにとって致命的な射程であるはずだ。
それでも魔導書を手にしない。
いまさら用意したところで、『氷帝の戦刃』が切り裂くほうが速い。
なれど、絶対者は不敵に嗤った。
勝機などほぼ皆無だと指摘されれば、是と答える。
去り際を認めるのもまた強者としての条件だ。
それでも退かない。
むしろ魔導書もなしに必勝を見出したからこその嘲りであった。
「ククッ、果てるがいい!」
接近戦において最強である冬弥の氷爪に対して、カエデは素手で突貫した。
正気の沙汰ではない。
しかし常識をくつがえすがゆえに畏れられるのが魔術師である。
中でも、魔術師の常識さえも凌駕する超越者にとってこの程度の状況は――冷静になってみれば――窮地ではない。
「オオオオオオオオオオオオオオ!」
氷爪が大上段から襲う。
それに、カエデは黒く染まった魔力で強化した掌をブチ当てた。
「失意の漆黒!」
ぶつかり合う魔術と魔術。
衝撃の余波が空気を振動させ、二人の肌にぶつかる。
「!?」
驚愕はどちらのものだったか。
冬弥の爪は触れたモノを凍結させ、氷の塵に変質させる効力がある。
だがその常識は、非常識の権化によって打ち破られた。
「果てろ三下!」
砕け散ったのは氷の爪。
対するカエデの掌は無傷のまま。
周囲に乱舞していた木の葉がいくらか凍りつき散らされたが、当の本人にはなんの害もおよんでいない。
冬弥の氷爪が万物を氷塵に変質させるのであれば、カエデが発動した魔術は万物を破砕する能力に特化している。
教会を一撃で破壊できる大威力を収束させ一点に放つ荒業に、神狼の爪は耐えきれなかった。
実際は賭けの要素が大きかっただろう。
いくら破砕に特化していても、現代魔術で神代魔術に対抗できる道理がない。
この結果はひとえに、年季の差だと言えよう。
冬弥は神代魔術をあつかう『転生体』ではあるが、覚醒したばかりで魔術の制御などろくにできない未熟者。
カエデは現代魔術を主に使うが、数々の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の魔術師。
魔力制御の技術に雲泥の差があるのは必然である。
いくら強力な術でも精細を欠けば、磨きぬかれた技に敗北するは必定。
中遠距離用の弾丸とは別に近接戦用の切り札まであったとすれば、誰も敵うはずがない。
最凶と称されるのもうなずける。
だが侮るなかれ。
所詮はヒトの常識と対比した非常識と絶対性。
仮にも『神』の名を冠する冬弥の魔術は、人外の非常識であると識れ。
――殺ッタ――
「終わりだ、カエデ」
氷爪を砕かれながら、冬弥は不敵につぶやいた。
同時に、砕かれたはずの氷の破片がドーム状に散りばめられる。
「ぬっ!?」
カエデは一つ勘違いをしていた。
かつて幼いトウヤをこれと同じ手法で殺害していた。
ただし、あのころのトウヤはあくまでも“魂”を内包しただけの『転生体』であり、『神』の魔術を真似できただけの魔術師だ。
ならば冬弥は何者か。
決まっている。
冬弥はトウヤを改良して造られた、『神』を再現するための器である。
トウヤと違って冬弥は、『神』の恩恵をより忠実に発動できるのだ。
たとえ同質の魔術であっても、そこに秘められた真実は異なる。
トウヤの氷爪は似て非なるもの。
過去に破壊したからと言って、今回も同じであるはずがない。
銀狼の術を正確に再現している冬弥の氷爪はどのような魔術や技法を持ってしても、その効力までなくすことは不可能だ。
折れた爪の欠片が広く宙に舞っていく。
氷点下を下回っていた空気が、カエデを中心にして絶対零度の極寒へと至る。
「くっ、キサ……――――」
気づいたときにはもう遅い。
分子と同等にまで細かく散った氷の粒子は呼吸をするまでもなく、皮膚から体内へと侵入していく。
そも、絶対零度ともなればまばたきの間に全身が氷のオブジェにさせられる。
さらに冬弥はカエデの再生のカラクリを熟知している。
そのためにダイヤモンドダストを発生させ、飛び交う魔弾を氷結させたのだ。
カエデが肉体の再構成のために必要な木の葉ごと、まとめて機能を停止させるために。
体内と体外。
両面から瞬間冷凍された生物に抵抗の余地はなく、完全に活動を停止した。
二度と、再生することはない。
もっと早くに気がついていれば対処できたのかもしれない。
カエデは冬弥だけと戦闘していたのではなかったのだ。
彼が亡霊と蔑んだ№108――トウヤとも戦っていたのだと。
「これまで犠牲にしてきた命の重さを知れとは言わない。悔やむ時間すら、お前にはやらない」
粉砕された氷の爪が再形成された。
もはや動けない父に向けて、爪をかける。
淡い水色の光が爪先に宿る。
「けど、一つだけ感謝してやる……お前がいなきゃ、俺は司に会うこともできなかった」
かけられた爪が、一閃。
カエデを真一文に切り裂いた。
ヒトの形をしていたオブジェが白銀の粒となって夜空へ散る。
風に散った氷の破片から一粒の、球形の淡い光が冬弥の手に降りてきた。
彼女は、司は……死してなお、冬弥にその“魂”をゆだねたのだ。
――別レノ挨拶ハヨイノカ? ――
心優しい獣の問いに、冬弥は微笑んだ。
「……いいさ。いつだって会える」
見あげた月は儚く輝き、悲壮な少年を包んでいた。
月光を浴びる氷雪は果てしなく幻想的で――――悪辣な敵の死に様は、どうしようもなく美しかった。
これが冬弥からトウヤへの、最初で最後の仇花……そして、七年におよぶ因縁への決着。
次回は12/30
22:00投稿予定です。




