3「君に傷付けられたい」
僕は瑠奈の家によく行くようになった。もちろん、宿題をするためだ。
必ずと言っていいほど、彼女の家に行く前には公園へ寄り、虫を殺す。
蝶を手で叩き落としたり、名前の分からないような小さな甲虫を踏み潰したり、蟻に水をかけたり、芋虫を握り潰したり――。
まだ僕の手には、芋虫を握り潰した時の独特な感覚が残っている。
春も終わりを迎えた頃、僕と瑠奈は学校でも共に時間を過ごすようになった。クラスの者たちからすればあぶれ者同士の馴れ合いにしか見えないだろう。だがしかし単なるあぶれ者としてではなく、僕と瑠奈は互いに心の奥深くで潜む『何か』を感じ取って、それを互いに共有していたのだ。
いつものように彼女の家へ行く。アパートの、ごく普通の家庭だった。
彼女の部屋へ入ると毎度良い香りに包まれる。花の芳香剤が置かれた部屋、ぬいぐるみがたくさん並んでいる。イヌ、ネコ、トリ、クマ、ペンギン、パンダ・・・。
部屋の中央に置かれた座卓の前、四角い水色のクッションを敷いて座り、差し向かいに座った瑠奈と共に課題を進めていく。
今日は保健体育のプリントの宿題があった。男女の体の発育についての内容で、僕は少しばかり瑠奈の視線が気になってしまう。
「どうしたの?」
ちらちらと彼女を見ていたからか、そう尋ねられてしまった。
「なんでもない」
「ふぅん」
否定したはいいが動揺を隠せていなかったのか、怪訝そうな目をした瑠奈が言う。
「見せてよ」
そう言った瑠奈にプリントを取り上げられた。内容に目を通しながら、「ふぅん」と彼女は呟く。
「面白いね、人間の体ってこうなるんだ」
「そうだね」
「お母さんの体とかお父さんの体は見たことあるけど、私も同じように成長していくのかな」
すると瑠奈が立ち上がる。
「見たい?」
「え」
瑠奈は自分の胸に手を当てて、持ち上げる動作をする。ちょっとだけ、彼女の胸は膨らんでいた。
「勉強するなら、実際に見た方が早いでしょ」
瑠奈は真顔でそう言った。
彼女のその悠然とした態度はどこから来るのか。僕の心臓は先ほどから激しく暴れていて、落ち着きがない。
喉もからからに乾いていて、思考も纏まらない。
僕はゆっくりと、首を横に振った。
「駄目だよ。瑠奈は自分のこと、もっと大切にしないと」
「日常的に虫を殺すような人がそんなこと言うんだ」
「でも瑠奈は僕にとって――」
「僕にとって?」
いつの間にのぼせたのだろうか。僕の顔は途轍もない熱気を纏ってしまった。
「なんでもない」
僕は下を向いて返事をする。またまた「ふぅん」と瑠奈が言う。
彼女はゆっくりと座ると、何事もなかったかのように宿題をし始めた。
座卓の上に置かれた保健体育のプリントを、自分の手前まで持ってきて、僕は鉛筆を握る。問題を解き進めていく内に、ふと、視線が彼女の方へ吸い寄せられていく。
鉛筆を片手に宿題を解き進めていく瑠奈の姿を見つめていると、突然、彼女は鉛筆を置いた。
何も言わずに、彼女はこちらをじっと眺めている。
「やっぱり、見たい?」
僕はぶんぶんと首を横に振った。
「そう」
無表情で彼女はまた宿題を解き始めた。
残念そうに、彼女は眉を垂らしていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
宿題を終えた。そろそろ家に帰らなくてはならない。
僕は立ち上がろうと、足を動かした。
その瞬間だった。
「ねぇ」
瑠奈が僕を上目遣いで見る。
「今日、私の家に泊まらない?」
座って、僕は彼女の話に耳を傾ける。
「ごめん、流石に帰らないと」
「お願い」
どうしても彼女は僕に泊まってほしいようだった。僕は渋々頷いた。
「私のお母さんが今いるから、広くんの親に伝えてもらうね」
「うん」
「やった」
瑠奈がニコリと笑う。
僕はこれでいいかと、半ば自分を納得させるように考えた。
正直、瑠奈の家に泊まることは嫌ではない。なら何を躊躇っているのかというと、それは僕の義母の目だった。
義母・・・僕を引き取ってくれた叔父の妻は、僕を一人にしないよう注意している。それは僕の精神状態のことを考えてのことだ。世間一般的には、母を亡くしたばかりの子供は心が壊れたりするものなのだろう。
別に僕はそんなことないのに。
悪く言うつもりはないのだが、どうしても鬱陶しいと思ってしまう。
すると突然、瑠奈が座卓の引き出しを開けて何かを取り出した。それはカッターナイフだった。
どうして瑠奈がカッターナイフなど物騒な物を持っているのか。
そして、それを何のために取り出したのか。
「ねぇ」
カッターナイフを握って、瑠奈が僕を見る。
「私の手首、切ってよ」
僕は目を見開いていた。彼女が今一体何を言ったのか、理解が追い付かなかった。
瑠奈は服の袖を捲って、包帯の巻かれた腕を露わにする。包帯をゆっくりと解いていく。すると、幾つもの細い線状の傷が走る腕が見えた。
「広くんと出会って、私は思ったの。『君に傷付けられたい』って」
僕は息を呑んだ。「はい、これ」と瑠奈が僕の目の前にカッターナイフを置く。
僕はゆっくりとカッターナイフを手に取り、刃を出した。
それを見た瑠奈が、にっこりと嬉しそうに笑うのだ。




