2「紋白蝶」
何の進展もないまま結局現在に至る。学年は上がった。幸いなことに少女とはまた同じクラスだった。そして自己紹介があったので、少女の名前を知ることができた。
彼女の名前は宮下瑠奈。いい名前だと、勝手に思う。
瑠奈はいつもクラスで一人だった。誰かと馴れ合うつもりもないのか、班行動の際や配膳の際も他人に協力しようとする動きは見られなかった。
クラスの者たちは彼女のそんな行動を受け入れているのか、誰も彼女を責めたりしなかった。
かく言う僕もまたクラスでは一人だ。僕の場合は単純に「クラスに馴染めなかった哀れな転校生」とでも思われているのか、時々優しく声をかけられることがある。
だが僕にはそんな哀れみなど必要ない。僕の目的はただ、あの紋白蝶――瑠奈とどうやって関係を築くかしか考えていなかった。
潰れた芋虫を思い出す。僕が掌で思い切り潰したその芋虫は、黄色の体液を垂れ流して死んでいた。
瑠奈が潰れれば、どうなるのだろうか。
ふと、僕はそんなことを考える。だが人間を潰すなど到底無理だ。
だからあくまでこれは想像の話である。
きっと、体中の穴という穴から血が噴き出てしまうだろう。あの華奢で小さな体から、大量に。
ある日のこと。席替えを経験し、僕と瑠奈はまた隣同士になった。同じ日、国語の授業で班の人たちとこの物語についての解釈を話し合うという時間があった。
僕と瑠奈はもちろん、班の者たちの会話に混じれることはなく――。
僕はじっと瑠奈を見つめた。すると瑠奈もまた僕を見つめる。互いに目線を送り合う不思議な時間は、話し合いの時間が終わるまで続いた。
今回は瑠奈が視線を外すことはなかった。何か心境の変化でもあったのだろうか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
放課後、僕はいつもの公園に寄った。茂みの方に行って、潰せそうな虫を探す。
また緑色のぶよぶよとした芋虫がいた。それを手に掴み取って、ぎゅっと握る。
また、小さな水風船の破裂するような感覚。黄色の体液が手から溢れて地面へと垂れ落ちていく。
手を広げた。潰れた芋虫の残骸が手の中にある。
手を淡々と振り、芋虫の死骸を落とす。茂みが揺れる。
「ねぇ」
女の子の声がした。僕は慌てて声のした方を振り返る。
後ろに、瑠奈が立っていた。彼女は僕と同じくランドセルを背負ったまま。
「何してたの」
僕は答えられない。別に虫を潰すことに疚しさなど覚えていない。
瑠奈だ。瑠奈と話すことに、僕は『緊張』というものを覚えてしまうのだ。
「えっと、その・・・」
「手、見せて」
瑠奈は先ほど芋虫を潰した方の手を掴んだ。僕はおずおずと手を開く。芋虫の体液が染み付いた手を見て、瑠奈が不意に微笑む。
「悪い子なんだね、君って」
胸がドキリとした。瑠奈の手が、僕の手に触れている。それだけで何か心の奥から温かい感情が湧き上がって来る。
母の遺体を見た時とは違う温かさだった。
僕の目線は瑠奈の目に釘付けだった。
瑠奈の目が僕を映している。
「虫、殺すの好きなの?」
「うん」
「そっか」
瑠奈が僕の手を離す。もっと握っていてほしかったのに。瑠奈の体温が離れた喪失感に、僕はちょっとばかり悲しくなる。
すると瑠奈が長袖を捲った。左腕が露わになる。左腕の手首には包帯がぐるぐると巻かれていて、少し血が滲んでいる。
それから彼女は茂みの方に手を差し込むと、小さな芋虫を摘み取った。人差し指と親指で摘まんでから、ぎゅっと力を込めて押し潰す。また体液が零れ出て、地面へと垂れる。
「私も好きなんだよね、虫を殺すの」
そう言って、瑠奈は手を振って芋虫を落とした。
「一緒だったんだね、私たち」
瑠奈の言葉に、僕は恥ずかしいような嬉しいような複雑な気持ちを覚えた。
それから彼女と共に手を洗うべく、水飲み場の方へと向かう。蛇口を捻って水を出す。春にしてはまだ冷たい水が、心に優しかった。
「そういえば、今日の宿題やった?」
瑠奈の問いに、僕は首を横に振る。
「それなら私の家に来てよ。一緒に宿題、やろ?」
高揚感が沸き立った。
今なら空も飛べそうだ。




