第六十五話 ずっと俺のそばにいてほしい
# 第六十五話 ずっと俺のそばにいてほしい
フィーネが床へ崩れ落ちた光景は、離れた通路にいたアルトにも、分身の視覚を通じてはっきりと伝わっていた。桜色の光が消え、魔力の槍がフィーネの身体を貫く。彼女が守ろうとしたのは、自分の姿をした分身だった。攻撃を受けても紙が破れるだけで済んだはずなのに、そのためにフィーネが倒れている。
「フィーネ! フィーネェェェェ!!」
アルトは駆け出そうとした。しかし、目の前には閉鎖された隔壁があり、普通に走っていては間に合わない。今すぐ行かなければ。どうしても彼女のそばへ。そう強く願った瞬間、晴明だった頃の知識と、今世で鍛え続けた霊術が一つにつながった。自分と分身の位置を示す霊的なつながりが、突然、鮮明に感じられる。
次の瞬間、アルトの身体が消えた。
フィーネのそばにいた式神と、本体の位置が入れ替わっていたのだ。式神との入れ替え式転移。これまで研究しても成功しなかった術が、フィーネのもとへ駆けつけたいという強烈な思いによって、初めて成功した。
しかし、アルトにはそんなことを喜ぶ余裕などなかった。目の前には血を流して倒れているフィーネがいる。慌てて抱き起こすと、身体には誰が見ても致命傷と分かる深い傷があった。
「フィーネ! しっかりしろ! 俺だ、アルトだ! 頼む、目を開けてくれ! 今すぐ何とかするから!」
そのころ、ルウとトウにもフィーネの異変が伝わっていた。アルト本人への攻撃は完全に阻止していた。式神分身が破壊されてもアルトには何の危険もないことも分かっていた。しかし、その分身を本物と勘違いしたフィーネが、自ら攻撃の軌道へ飛び込むことまでは予測できなかった。
「なんてことだ!」
「あってはならないことが起きてしまったんだな」
「そうだ、ノエルだ!」
二人は周囲の敵を行動不能にすると、負傷者の治療を続けていたノエルの前へ突然現れた。
「わあ、二人とも突然出てきてビックリ」
「ノエル、秘技を使え!」
「え?え?」
「そなたの正体分かっておる。できるのだろ?連れて行くぞ」
「急ぐんだな」
「わ、わかりましたから、あれ~」
ノエルは二人に連れられ、あっという間にフィーネのもとへ運ばれた。そこで目にした傷の深さに、一瞬だけ表情を変える。しかし、すぐに治療を始めると、アルトへ静かに声をかけた。
「アルトちゃん、フィーネちゃんをしっかり抱いていてあげてね。何があっても、その手を離さないで。うちもできる限りのことをするから」
アルトは頷き、フィーネの身体を強く抱きしめた。
フィーネが、ゆっくりと目を開ける。目の前にアルトがいることを確認すると、安心したように微笑んだ。
「アルト君、無事だったんだ。よかった」
「すまん、俺の分身だったんだ」
「…私らしい間抜けな最後ね。でもアルト君のために死ねるんなら悪くないかな」
「死ぬなんて言うな。助けてみせる。少しだけ我慢してくれ」
「無理だよ。これ致命傷だよ。ノエルにも直せないわ。ねえ、アルト。最後にお願い」
「なんだ?」
「抱きしめて」
「ああ、いくらでも抱きしめてやる。だから死ぬな」
アルトはフィーネを抱きしめた。彼女の身体は驚くほど軽く、少しずつ力が失われていくように感じられた。フィーネは震える手を伸ばし、アルトの頬へそっと触れる。
学園祭の日、二人で歩いた帰り道。あのときは、今日がいつまでも続いてくれたらいいのにと思っていた。もっと一緒にいたかった。もっとたくさん話したかった。いつか自分も、アルトの隣で胸を張って戦えるようになりたかった。
けれど、もう時間がないのだろう。
フィーネは最後の力を振り絞り、アルトへ微笑みかけた。
「アルト君、大好きだったよ。幸せになってね。じゃあね」
「フィーネ!だめだ、死んじゃダメだ!」
「…」
「フィーネ?フィーネ!」
「…」
「フィーネェェェェェェ!!」
「…」
「…」
アルトはフィーネを抱きしめたまま、何度も名前を呼び続けた。返事はなかった。ノエルはすぐそばで静かに魔法を使い続けていたが、その表情を確かめる余裕さえアルトにはなかった。ただフィーネを失いたくない、その思いだけが胸を埋め尽くしていた。
どれほどの時間が流れただろう。
腕の中で、声がした。
「…死なないわね」
「とっくに直したわよ」
「え?ノエル致命傷直せたの?ほんとに?」
「もう傷ひとつないはずよ?」
「ほんとだ」
フィーネが自分の身体を確かめると、先ほどまで深く傷ついていた場所には、傷跡すら残っていなかった。ノエルはいつもの穏やかな笑顔に戻り、大きく息をついた。
「フィーネ!よかった、フィーネ!」
「アルト君!なんだか最後まで恥ずかしい。せっかくお別れ済ませたのに、死ななかったなんて。なんて間抜けな生き残り方」
「そんなことかまうもんか。助かってよかった。フィーネ、本当によかった。よかったよおおおお」
「アルト君…。あ、あり、ありがどぅぅぅ」
「フィーネェェェェェェ」
「ふえーーーーーーん」
アルトはフィーネを抱きしめたまま、子供のように泣き続けた。フィーネも最初は恥ずかしがっていたが、アルトがあまりにも泣くので、とうとう自分まで大声で泣き出してしまった。二人とも顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、何度も名前を呼び合っている。
ノエルはその様子を見て、疲れ切った顔で微笑んだ。せっかく助かったというのに、二人とも泣くばかりで、ちっとも離れようとしない。だが、今はそれでいいのだろう。しばらく二人を見守ってから、そっと距離を取った。
◇
「ふう。なんとかなった」
「よくやったんだな、ノエル」
「精魂使い果たしましたよ~」
フィーネが無事に助かったことを確認し、ルウとトウもようやく安堵した。しかし、二人の表情はすぐに険しくなった。
「それにしても、腹が立つ!」
「そうなんだな」
「許さん!」
「トウもなんだな」
「あ、二人とも怖い」
「私も許しませんよ?」とリク。
「うわぁ、リクさんまで」
その瞬間、残存する敵部隊にとって、悪夢のような出来事が始まった。
校舎の外側でなお抵抗を続けていた魔族たちが、次々と姿を消していく。逃げようとした者も、魔法を放とうとした者も、悲鳴を上げる暇さえなかった。何が起きたのか認識することすらできず、身体は分子レベルまで分解され、文字どおり跡形もなく消滅してしまった。
その一方で、学校の建物にも、避難していた生徒たちにも、被害は一切なかった。
敵司令官と思われる人物だけは、ルウによって氷漬けにされ、仮死状態のまま残されていた。自殺術式を発動する暇さえ与えられず、抵抗することもできない。後ほど王国騎士団が尋問するため、生きたまま確保されたのである。
その光景を目撃した若い騎士団員たちは、ただ震えていた。
「い、今、何があったんでしょう?」
「さ、さあ?我々では何があったのかさっぱり分からん。」
「それになんでしょう?この震え。さっきから恐ろしくて恐ろしくて、震えが止まりません」
「き、きっと、ルウ様達がお怒りなのではないかな?」
「ひぃぃ。敵が一瞬で消えるように死んでしまいました。司令官は氷漬け。あのパーティーだけは怒らせてはいけませんね」
「うむ。い、一応、仕事だから残党がいないか確認したら、すぐに帰還しよう。ここにいて巻き添えを食らったらかなわん」
「はい。いそいで帰りましょう!」
「あ、こらまて、残党の確認だってば!こら!またんか!」
若い騎士たちは残党の確認も忘れて我先に帰還に走り、上官が慌てて追いかける。王国騎士団の精鋭たちでさえ、何が起きたのか理解できず、若手騎士たちの混乱をただ眺めるしかできなかった。
こうして、王立魔法学校への襲撃事件はようやく終わりを迎えた。
◇
その後、教師たちの協力によって安全結界へ仕込まれた不正な術式は解除され、学校では被害状況の調査が始まった。王国騎士団と宮廷魔法師団は敵司令官を引き取り、事件の背後関係を調べることになった。
ユリウスやエレオノーラも、アルトの式神による救助が多くの生徒を守ったことを認めていた。勇者に迫る実力、中級ダンジョン中層の最年少攻略、千を超える友だちとの連携、さらに無数の式神と多重分身。その力はますます大きくなっている。しかし同時に、アルトがその力を人々を守るために使っていることも、今回の事件ではっきりと示された。
「アルト、今回の事件では君の式神に本当に助けられた。君から情報が届かなければ、皆無事に避難できたか分からない。正直、これほど大きな力を一人の学生が持つことには、今でも戸惑いがある。しかし、君が生徒たちを守るために戦ってくれたことには、心から感謝している」とユリウス。
「ああ。でも、ユリウスの指揮があったから避難が進んだんだし、先生たちもストライクも、みんな一生懸命頑張っていた。俺だって、みんなに助けてもらってたんだからな」
二人は握手を交わした。ユリウスの懸念がすべて消えたわけではないが、アルトに対する信頼は確かに深まっていた。
◇
数日が過ぎ、学校には少しずつ穏やかな日常が戻ってきた。フィーネもすっかり元気になり、サクラも十分に休んで力を取り戻している。仲間たちはフィーネが助かったことを喜び、ストライクもマイルスも、無事に一年を終えられることへ安堵していた。
そんなある日の夕方、アルトはフィーネを誘い、学校からの帰り道を少し遠回りした。学園祭の日、二人で歩いたことのある道だった。
「フィーネ、あのときのことなんだが。俺はずっと、君がそばにいるのが当たり前だと思っていた。毎朝一緒に練習して、学校で話して、週末にはみんなでダンジョンへ行って。そんな毎日が、これからもずっと続くものだと思っていた」
「アルト君、もう心配しなくても大丈夫だよっ。ノエルのおかげで傷もすっかり治ったし、私はこんなに元気なんだから。でも、あのときは本当に恥ずかしかったなあ。せっかく最後のお別れまで済ませたのに、結局生き残っちゃったんだもん。しかも守ったのが紙の分身だったなんて、思い出すだけで顔が熱くなっちゃうよっ」
「俺は、…。君が倒れたとき、本当に怖かった。今すぐ君のところへ行かなきゃって、それしか考えられなくなった。気がついたら式神と入れ替わって転移していたけど、そんなことはどうでもよかった。君がいなくなるのが、何より怖かった」
フィーネは黙ってアルトを見つめた。いつもなら照れ隠しに冗談の一つでも言うところだったが、アルトの真剣な表情を見ていると、何も言えなくなってしまった。
「俺、今まで自分の気持ちをちゃんと考えたことがなかったんだ。でも、あのときはっきり分かったよ。俺、フィーネが好きだ。これからもずっと俺のそばにいてほしい」
フィーネは大きく目を見開いた。やがて頬が真っ赤になり、目には涙が浮かんでくる。
「……アルト君、それって本当?私、ずっとアルト君のそばにいたかったんだ。学園祭の日も、今日がいつまでも続いてくれたらいいのにって思ってた。でも、私から言ったら困らせちゃうかもしれないし、もっと強くなって役に立てるようになってからの方がいいのかなって……。嬉しい。すっごく嬉しいよっ! 私もアルト君のこと、大好き!」
「フィーネ。本当に助かってよかった。これからも君に助けてもらうことがあると思うけど、よろしくな」
「うんっ! もちろんだよ。私ももっともっと強くなって、アルト君のそばにずっといられるように頑張るからねっ。でも今度は、自分のこともちゃんと守るよ。トウにも死んじゃダメって言われたし、あんなにアルト君を泣かせたら、私だって悲しいもん」
「そうしてくれ。俺も、フィーネと一緒に生きていきたいからな」
アルトが手を差し出すと、フィーネは嬉しそうにその手を握った。そして、少し恥ずかしそうにアルトの腕へ寄り添う。
春の柔らかな風が二人の間を通り抜けた。うしろでこっそりサクラが微笑んでいた。
◇
王立魔法学校へ入学してからの一年間、アルトは数え切れないほど多くのことを経験した。勇者と戦い、仲間とともに中級ダンジョンの中層を攻略し、動物や魔物、幽霊や妖怪たちとも友達になった。晴明だった頃の知識を取り戻し、使える術も飛躍的に増えた。それでもギフトは、相変わらず「なし」のままだった。
けれども、今はそれでいいと思えた。
学園祭の日、フィーネは今日という日がいつまでも続いてくれたらいいのにと願っていた。あれからいろいろなことがあったけれど、こうしてまたアルトの隣を歩いている。
フィーネは嬉しそうにアルトの腕へ寄り添い、アルトもそんな彼女を見て微笑んだ。
サクラもそんな二人を見てこっそり微笑んだ。
そして、そんな三人を遠くから見て、ノエル、トウ、ルウ、リクも微笑んだ。
覗き見だらけであった。
2章 完
次回更新は明日の12時の予定です。
皆様に大切なお願いがございます。
読んでみて少しでもいいと思っていただけましたら、、ブックマークと評価を★★★★★にしていただけるととっっっっても嬉しいです。(*´ω`*)
執筆を続ける励みとなりますので是非ともお願いいたします。m(_ _)m




