第六話 五分だけの仲間たち
# 第六話 五分だけの仲間たち
翌日の放課後、アルトは授業が終わると、いつものように木剣を持って校庭の端へ向かった。昨日は勢いで「五分でもやればいい」と言っただけなので、本当に全員が今日も来るとは思っておらず、自分一人でもいつも通り練習するつもりだったのだが、校庭へ出たところで、すでに何人もの姿が昨日と同じ場所に集まっているのが見えた。
「早いな」
「アルト殿が遅いのであります」
レオンはすでに木剣を持ち、昨日エレウスから教わった基本の構えを何度も確認していた。
「授業終わったばっかだぞ」
「自分は先に準備をしておいたであります」
「真面目だなあ」
「アルト殿に言われたくないであります」
少し離れたところではガルドが小さな木盾を腕へ固定しており、フィーネは昨日と同じ子供用の弓を抱え、ノエルは薬草の本を開きながら校庭の隅を見ている。トウは何も持たずにぼんやり立っていたが、目だけは周囲をゆっくり見回しており、ルウは木陰に立って全員の様子を眺めていた。
「本当に全員来たんだな」
「昨日、今日も参加すると申し上げたであります」
「ワシも五分くらいなら鍛冶屋の手伝いに響かんからのう」
「トウも来たな。うん」
「うちは薬草覚える」
「わたしも今日は絶対、昨日よりいっぱい当てるんだからねっ」
最後にルウが腕を組む。
「我だけ来ぬ理由もあるまい」
「いや、俺は別に毎日来いって言ったわけじゃないぞ」
「なら、来てはならぬのか?」
「そういう意味じゃないけど」
「では問題ないであろう」
「ルウ、最近ちょっとゼノおじさんに似てきたな」
「父上の何が悪い」
「悪いとは言ってないって」
ルウは少しだけ口元を緩めた。
七人が集まっていることに気づいたエレウスが、教室から一冊の薄い帳面を持って出てきた。
「今日も続けるんですね」
「うん」
「昨日だけで終わると思っていましたか?」
レオンが尋ねる。
「そこまでは言いませんが、毎日続けるというのは大人でも案外難しいことですよ。せっかくなら、少し面白いことをしてみませんか?」
「面白いこと?」
アルトが真っ先に食いついた。
「記録をつけるんです」
「記録?」
「昨日何回出来たか、今日は何回出来たか、何が出来なくて、何が少し出来るようになったのかを残しておけば、本当に上達しているか分かりやすいでしょう。私の《演算》は数字を整理するのが得意ですから、必要なら手伝いますよ」
「それ、いいな!」
アルトの顔が一気に明るくなる。
「例えばレオン君なら、型を崩さず何回振れたか。ガルド君なら、盾の構えを保ったまま何歩動けたか。フィーネさんなら十本中何本が的へ当たったか。トウさんなら、目を閉じた状態で何人の位置を当てられたか。ノエルさんなら、一日に何種類の薬草を正しく見分けられたかという具合です」
「我は?」
「ルウさんは魔力をどれだけ意識出来たか、でしょうか。ただ、これは数字にするのが難しいですね」
「ならば、出来た日は丸、出来なかった日は横線でよかろう」
「いい考えです」
エレウスが頷く。
「アルト君は何を記録しますか?」
「父さんとの打ち合いで何回かわせたか、何回当てたか。それと……身体の中の何かが分かったか」
「後半はルウさんと同じですね」
「じゃあ俺も丸と横線」
「それでいいでしょう」
エレウスは帳面を開いた。
「ただし、一つだけ大事なことがあります。この数字は、誰が一番すごいかを決めるためではありません」
「じゃあ何のため?」
「昨日の自分と比べるためです」
フィーネが首を傾げる。
「レオン君とフィーネさんでは、やっていることもギフトも違います。比べてもあまり意味がないでしょう。でも昨日のフィーネさんと今日のフィーネさんなら、どちらが出来たか分かります」
「そっか」
「人と比べるより、自分が前より一つ出来るようになったかを見る方が、長く続けるには役に立つと先生は思いますよ」
アルトは何度も頷いた。
「先生、その帳面ずっと残しておいて」
「もちろん」
「俺も自分で書く」
「では、文字の練習にもなりますね」
「それもあるのか」
「一つやって二つ覚えられるならお得でしょう?」
「先生、頭いいな」
「《演算》ですからね」
「ギフト使ってる?」
「今はあまり使っていません」
「じゃあ先生本人が頭いいんじゃん」
エレウスは少しだけ笑った。
「そう言ってもらえると嬉しいですね」
◇
最初に練習を始めたのはレオンだった。
「まず昨日教わった型を三十回やるであります」
「三十回って決めてるの?」
「父から、数を決めて途中でやめない方がよいと教わったであります」
「いいじゃん」
レオンは背筋を真っ直ぐに伸ばして木剣を構え、一回ごとに足の位置や剣先を確認しながら、非常に丁寧に振り始めた。動きそのものはまだ硬く、肩にもかなり力が入っているが、一度教わった形を勝手に崩そうとはせず、何度失敗しても最初の構えへ戻ってやり直す。
「レオン、肩に力入りすぎじゃない?」
「分かるでありますか?」
「父さんによく言われる。肩が固いと次の動き遅くなるって」
「なるほど。では少し抜いてみるであります」
レオンが息を吐き、もう一度振る。
ブンッ!
アルトは思わず振り返った。
「今の音すごくない?」
「そうでありますか?」
「俺より重い木剣なのに」
「父からも、身体だけは丈夫だと言われるであります」
「剣向いてるんじゃない?」
「《剣技(小)》でありますが、そう言ってもらえると嬉しいであります」
レオンは少しだけ照れたように笑い、また型へ戻った。
隣では、ガルドが盾を構えている。
「アルト、ちょっとこっちへ来てくれんか」
「なんだ?」
「盾は持っておるだけではよう分からん。軽く打ってみてくれ」
「いいぞ」
アルトが木剣を構える。
「いくぞ」
「うむ、来い」
ガンッ!
軽く叩いたつもりだったが、木剣の方へかなりの反動が返ってきた。
「お前、硬くない?」
「ワシではなく盾が硬いんじゃ」
「でも普通もうちょっと動かない?」
「そうかのう?」
「じゃあ少し強くするぞ」
「よし」
ガンッ!
今度は先ほどより強く打ったが、ガルドは足を少し滑らせただけで構えを崩さなかった。
「やっぱ硬いって」
「ワシじゃなくて盾じゃ」
「絶対お前もだろ」
「分からんのう」
本人は本気で不思議そうな顔をしている。
「じゃあ次は動きながら受けてみるか」
「うむ。それが難しいんじゃ」
ガルドが一歩横へ移動すると、盾の角度がすぐに崩れた。
「あ」
「ほらのう」
「止まってるとすごいのに」
「ワシもそう思う」
「じゃあ今日は、動いても崩れないの一回出来たら勝ちだな」
「勝ちなのか?」
「昨日の自分に」
「なるほどのう。よし、それでいくぞ」
少し離れた場所では、トウが布で目を隠されて立っていた。
「準備出来たな。うん」
「じゃあみんな移動するぞ」
フィーネ、ノエル、ルウが音を立てないように位置を変え、レオンも木剣を置いて少し離れる。アルトは面白くなって、わざと息を殺しながらトウの真後ろへ回り込んだ。
「いいぞ」
トウが少しだけ首を傾ける。
「レオン、右だな。ガルド、前。フィーネ、左後ろ。ノエルは右後ろ。ルウは……左だな。アルトは……」
アルトは息を止めた。
「後ろだな。うん」
「なんで分かった!?」
「なんとなくだな。うん」
「音立ててないぞ」
「空気が動いた気がするな。うん」
「それ《探知(小)》?」
「たぶん。うん」
「たぶんばっかだな」
「アルトもよく言うな。うん」
「確かに」
フィーネは昨日と同じ距離から藁束へ向かって弓を構えていた。
「今日は絶対当てるんだから」
「肩に力入ってない?」
「アルト君、弓出来るの?」
「出来ない」
「じゃあ言わないでよぉ」
「父さんが剣のときそう言ってるから」
「剣と弓は違うでしょ?」
「でも力入りすぎてるのは一緒じゃない?」
フィーネは少し考え、肩の力を抜いた。
「じゃあ、やってみる」
弦を引く。
ヒュッ。
矢が飛び、藁束の端へ浅く刺さった。
「…………」
フィーネは一瞬固まった。
「当たった」
「当たったな」
「当たったあ!」
弓を持ったまま飛び跳ねる。
「アルト君! 見てた!?」
「見てたって」
「ほんとに?」
「ちゃんと刺さったぞ」
「えへへ」
フィーネはものすごく嬉しそうに矢を取りに走った。
「もう一回やる!」
「今の記録しとけよ」
「うんっ!」
ノエルは校庭の隅にしゃがみ込み、そこに生えている草を一つずつ手に取っていた。
「これは止血。これは腹痛。こっちは似てるけど毒あるから使わない」
「そんなに分かるの?」
矢を回収して戻ってきたフィーネが横から覗き込む。
「家で毎日見るから」
「ノエルも毎日やってるじゃん」
「手伝いだから、練習と思ったことない」
そのとき、フィーネが弓弦で指先を擦った。
「痛っ」
「見せて」
ノエルがすぐに手を取る。
「ちょっと赤い」
「大丈夫だよ」
「回復してみる」
ノエルが指先へ手を添えると、ほんのり淡い光が浮かび、フィーネの表情から少し痛みが抜けた。
「わ、ちょっと楽になった」
「《回復(小)》だから、これくらい」
ノエルはそれだけで終わらず、近くに生えている葉を一枚摘んで指先で揉み、フィーネの傷へ当てた。
「これもつけとく」
「何?」
「傷に使う草」
近くで見ていたエレウスが頷く。
「良い判断ですね、ノエルさん」
「何が?」
「ギフトだけで全部治そうとせず、自分が知っている薬草も使いました。出来ることを組み合わせた方が、出来ることは増えます」
「承知」
ノエルは相変わらず短く答えたが、少しだけ嬉しそうだった。
最後にルウを見ると、木陰へ腰を下ろし、自分の両手をじっと見ている。
「どう?」
「身体の中にあるものを手へ寄せようとしておるのだが、これがなかなか難しい」
「触っていい?」
「お主は毎回それを聞くな」
「だって分かりやすいから」
「まあ、構わぬ」
アルトがルウの手首へ指を当て、目を閉じる。
温かさ。
脈。
その奥に、ごく薄く別の何かが流れているような感覚。
「前より分かる気がする」
「そうか?」
「うん。ルウ、もう一回手に集めてみて」
「簡単に言うな」
「お願い」
「仕方あるまい」
ルウが集中する。
しばらく何も起きなかったが、やがて掌の上にほんの一瞬だけ淡い光が浮かんだ。
「出た!」
「む?」
「今光ったぞ!」
「我にも見えた」
「もう一回!」
「無茶を言うな。今のでかなり疲れた」
「じゃあ今日は丸だな」
「そういうことになるな」
アルトは嬉しそうに頷いたあと、自分の掌へ視線を落とした。
「じゃあ俺もやる」
「またか」
「だってルウに出来たんだから、何か分かるかもしれないだろ」
「お主には魔力がないと何度言われても諦めぬな」
「ないのは分かってる。でもルウの中にあるものが何なのか分かれば、俺にも似た何かがあるかもしれないじゃん」
「なるほど。完全に同じものだけを探しているわけではないということか」
「そうそう」
「ならば好きにするとよい」
アルトも座り込み、胸、腹、腕、指先へ順番に意識を向ける。
何も起きない。
それでもしばらく続けた。
「どうだ?」
「分からん」
「横線だな」
「今日はな」
「明日は?」
「またやる」
「そう言うと思った」
ルウが笑った。
◇
「はい、五分です」
エレウスが声をかける。
「もう?」
フィーネが驚いて弓を下ろした。
「もう五分ですよ」
「全然短いじゃん」
「だから五分って言っただろ」
アルトはそのまま木剣を振り続けている。
「アルト君、終わらないの?」
「俺はもっとやるぞ」
「五分って言ったじゃん」
「最低五分って意味。時間あるならもっとやればいいだろ」
「なんだ、それ」
「何もしない日を作らないための五分だよ。疲れてる日とか、用事ある日でも五分なら出来るだろ」
「じゃあ、元気な日はいっぱいやっていいの?」
「いいんじゃない?」
「ならわたしもう少しやる!」
「自分も型をあと十回確認したいであります」
「ワシも動きながら一回は受けたいのう」
「トウももう少しやる。うん」
「うちもあと二つ薬草覚える」
「ならば我ももう一度だけ試すとしよう」
結局、その日も五分だけで帰った者はいなかった。
それから一月ほど経った。
七人の自主練は、本当にほとんど毎日続いた。全員が毎日同じ場所へ集まれるわけではなく、家の手伝いがある日は朝に少しだけ済ませる者もいれば、雨の日には校舎の軒下で出来ることだけを行い、疲れている日は本当に五分で終えることもあった。それでも「何もしなかった日」を作らないというやり方だけは、いつの間にか七人の共通した習慣になっていた。
エレウスが提案した記録も続いている。
「フィーネさん、最初の日は十本全部外れていましたが、今日は十本中三本ですね」
「三本!」
「昨日は二本でしたから、一本増えました」
「アルト君、聞いた!?」
「聞いてるって」
「三本だよ!」
「すごいじゃん」
「えへへ」
「レオン君も型を崩さず振れる回数が増えました。最初は十二回でしたが、今日は三十一回です」
「まだまだであります。父は百回でも崩さないであります」
「では、まず三十二回を目指しましょう」
「承知であります」
「ガルド君は、最初は一歩動くだけで盾の角度が崩れていましたが、今日は五歩まで保てました」
「おお、五歩じゃ!」
「トウさんも、目隠しで五人中四人の位置を当てています」
「もう一人が難しいな。うん」
「ノエルさんは一月で新しく覚えた薬草が二十三種類。ルウさんも、最初より魔力を手へ集めやすくなっていますね」
「うむ。まだ安定はせぬがな」
最後にアルトを見る。
「アルト君は、お父さんとの普段の打ち合いで攻撃をかわした回数が増えていますね」
「父さんも最近ちょっと速くしてくるから、前より当てられる回数も増えたけど」
「条件が変わっているなら単純には比べられません。それでも以前より見えるようになったという感覚があるなら、ちゃんと成長していますよ」
「やっぱ毎日やれば伸びるんだな」
「そうですね。ただ、ずっと同じ速さで伸びるとは限りませんから、焦らず見ていきましょう」
「おう」
この時点では、誰もその数字を他の子供たちと真剣に比べようとは思っていなかった。毎日練習しているのだから上達するのは当然であり、エレウス自身も、七人が熱心だから結果が出ているのだろうと考えていた。
ただ、全員が一緒に、一月ほとんど途切れることなく続けているという事実だけは、少し珍しいことだった。
◇
その日の午後、エレウスが読み書きの授業をしている最中、アルトはふと窓の外へ視線を向けた。
何匹もの小虫が飛んでいく。
蝶も、蜂も、同じ方向から離れている。
さらに屋根の上に止まっていた鳥たちまで、一斉に羽ばたいた。
《怖い》
《大きい》
《走る》
《逃げる》
「……ん?」
「アルト君、どうしました?」
エレウスが気づく。
「先生、なんか来る」
「何か?」
「分からない。でも虫も鳥も逃げてる」
教室の何人かがざわついた。
「また虫と話してる」
「今度は何?」
しかしエレウスは笑わない。
「どちらから逃げていますか?」
アルトは窓の外を見る。
「あっち。市場から続く道」
「分かりました」
エレウスが立ち上がった、その直後だった。
遠くから大きな音が聞こえた。
ガラガラガラッ!
「馬が暴れてるぞ!」
「避けろ!」
教室中の子供が窓へ集まりそうになる。
「全員、窓から離れてください。先生の指示があるまで勝手に外へ出ないこと」
普段と同じ穏やかな声だったが、不思議と全員が動きを止めた。
アルトには今度は鳥の声が届く。
《馬》
《怖い》
《走る》
《学校》
「先生! こっち来る!」
エレウスの表情が変わった。
「皆さん、教室の奥へ移動します。慌てずに――」
「右の道だな。うん」
トウが突然言った。
「分かるの?」
アルトが振り返る。
「地面と音。速いな。うん」
遠くから馬の蹄と荷車の車輪が激しく地面を叩く音が近づいてくる。
ドドドドドッ!
校庭では別の学級の子供たちがまだ遊んでいた。教師たちが避難させ始めたものの、突然のことで何人かが何をすればよいか分からず立ち尽くしている。
「レオン!」
「はいであります!」
「小さい子、校舎入れるぞ!」
「承知であります!」
レオンはすぐに校庭へ向かい、大きな声を出した。
「皆、こちらへ来るであります! 押さずに校舎へ入るであります!」
普段から姿勢が良く声も通るため、何人もの子供が反応する。
「ガルド、あの柵倒れそう!」
「うむ、任せるのじゃ!」
暴走してきた荷車が道脇の柵へぶつかったらしく、半分外れた木柵が校庭側へ倒れかけている。ガルドは走ってその下へ入り、両腕で支えた。
「うおっ……重いのう!」
「大丈夫か!?」
「これくらいなら平気じゃ! 早う通すんじゃ!」
七歳の子供が支えているとは思えないほど、柵はそこで止まった。
「私、何すればいい!?」
フィーネがアルトを見る。
「あそこ! 泣いてる子いる!」
「分かった!」
フィーネは動けなくなっていた小さな女の子のところへ走り、手を握る。
「大丈夫だよっ。一緒に行こ?」
ノエルはその近くで転び、膝を擦りむいた子供へすぐにしゃがみ込んだ。
「歩ける?」
「痛い……」
「少しだけ回復する。あとでちゃんと洗う」
淡い光が浮かび、泣いていた子が少し落ち着く。
ルウは周囲を見回しながら、押し合いになりそうな子供たちへ声を飛ばす。
「押すでない! 順番に行けば間に合う! こちらへ来るのだ!」
アルトは校庭へ出た。
ドドドドドッ!
馬車が見える。
馬は泡を吹き、必死に走っている。
《怖い!》
《痛い!》
《後ろ!》
《痛い!》
「痛い?」
アルトが目を凝らす。
荷車の片側の留め具が壊れ、曲がった金具が馬の後脚近くへ何度も当たっていた。
「馬が怒ってるんじゃない! 後ろが当たって痛いんだ!」
「アルト君、近づきすぎないで!」
エレウスの声が飛ぶ。
「分かってる!」
アルトは馬車の正面には出ず、横から動きを見る。
「大丈夫だから! もうちょっとだ!」
《怖い! 痛い!》
「分かった! 後ろのやつだろ!」
もちろん声をかけただけでは止まらない。
トウが叫ぶ。
「次、左へ振れるな。うん!」
「分かった!」
荷車が大きく左へ振れる。
「ガルド! 柵もう大丈夫ならこっち!」
「承知じゃ!」
「レオンも!」
「はいであります!」
「荷車止めるんじゃなくて、揺れだけ小さくして!」
「分かったのじゃ!」
「承知であります!」
二人は速度が落ち始めた瞬間に左右から荷車へ手を添え、完全に止めようとはせず、大きく振れている車体だけを少し安定させる。
「ぐぬぬ……!」
「重いであります!」
揺れが小さくなったことで、馬の脚へ当たっていた金具の衝撃も減った。
《痛い……少ない》
「そう! もう大丈夫だから!」
アルトは馬の横を走りながら声をかけ続ける。
「止まっていいぞ! 怖くない!」
《止まる?》
「止まっていい!」
馬の速度が少しずつ落ちる。
やがて校庭の端で、荒い息を吐きながら完全に止まった。
「止まった……」
アルトはその場へ腰を下ろした。
「はあ、疲れた」
御者と町の大人たちが遅れて駆けつけてくる。
「坊主! 大丈夫か!?」
「俺は平気。それより馬の脚見て。後ろの金具当たってる」
確認すると、確かに壊れた金具の先が馬の脚を傷つけていた。
「こんなことになってたのか……」
御者が青ざめる。
アルトは馬の鼻先へゆっくり手を伸ばした。
「もう痛くないぞ」
馬はしばらく荒く息をしていたが、やがてアルトの手へ鼻を寄せる。
《怖かった》
「うん」
アルトはそっと鼻を撫でる。
「もう大丈夫だ」
◇
騒ぎが収まった後、七人はエレウスの前へ並ばされていた。
エレウスはいつもの穏やかな表情だったが、少しだけ厳しい。
「まず、皆さんが人を助けようとしたことは立派です」
七人が先生を見る。
「ですが、自分まで大怪我をしてしまえば、助けられる人も助けられません。特にアルト君。暴走している馬車の近くへ行くのは非常に危険でした」
「はい」
「ガルド君とレオン君もです。正面から受け止めようとしなかったのは良かったですが、無理だと思ったらすぐ離れること」
「承知じゃ」
「承知であります」
「次に同じことがあれば、まず大人の指示を待つこと。分かりましたね?」
「はい」
「うむ」
「承知であります」
「うん」
「分かったっ」
「承知」
「分かった」
エレウスはそこで表情を少し緩めた。
「そのうえで、今日皆さんが出来たことには、それぞれ良いところがありました」
まずレオンを見る。
「レオン君は、大きな声で子供たちへ具体的に指示を出しました。慌てている人に何をすればいいか伝えるのは、とても大切です」
「はいであります」
「ガルド君は、ただ力を出しただけではなく、柵を支えながら人が通れるように考えました」
「うむ」
「トウさんは、馬車がどちらから来るか、どちらへ振れるかを知らせ続けました」
「うん。分かったところだけ言ったな」
「それで十分です」
「フィーネさんは、立ち尽くしていた子を見つけました。自分に出来ることが分からないとき、困っている人を探したのは良い判断でしたよ」
「うんっ」
「ノエルさんは、怪我をした子を見つけ、必要以上に回復の力を使わず応急処置をしました」
「承知、じゃない、はい」
「ルウさんは、避難している子供たちが押し合わないように周囲を見ていました」
「我に出来ることをしただけだ」
「それが一番大切です」
最後にエレウスはアルトを見る。
「そしてアルト君」
「うん」
「先生は今日、君が馬を『暴れている危険な動物』とだけ考えなかったことが、一番良かったと思います」
「え?」
「なぜ暴れているのかを考えたでしょう?」
「だって、痛いって言ってたから」
「君にはそう伝わったんですね」
「うん」
「理由が分からないものを、最初から悪いものだと決めつけなかった。相手が人でも動物でも、事情が分かれば解決の仕方が変わることがあります。先生は、それを忘れないでほしいと思います」
アルトは壊れた金具を思い出した。
「そっか」
「ただし、次はもっと安全な方法を考えてください」
「はい」
エレウスが少し笑う。
「それにしても、皆さん、ずいぶん自然に役割が分かれましたね」
七人が顔を見合わせた。
「自分はアルト殿に言われたことをしただけであります」
「ワシもじゃ」
「トウは分かったこと言っただけだな。うん」
「わたしもアルト君に言われて子供連れてっただけだよっ」
「うちは怪我してたから」
ルウが腕を組む。
「つまり、アルトが勝手に皆を使ったということであるな」
「人聞き悪いな!」
「だが、間違ってはおらぬ」
「言い方!」
七人が笑い、エレウスも一緒に笑った。
◇
帰り道、今日の出来事のせいか、いつもより全員の会話が多かった。
「ワシら、なかなかいい組み合わせじゃったんじゃないか?」
ガルドが満足そうに言う。
「連携というものでありますな。自分は初めて経験したであります」
「冒険者みたいだったねっ!」
フィーネが目を輝かせる。
「トウたち、パーティーだな。うん」
「うちら、まだ七歳」
ノエルの一言で、全員が一瞬黙った。
「……確かに」
アルトが笑う。
「でも今日みたいなの、もっと上手く出来たら面白そうだな」
「また暴れ馬を待つつもりではあるまいな?」
ルウが聞く。
「そういう意味じゃないって。誰が何出来るか分かってたら、困ったときもっと早く動けるだろ」
「それはそうであるな」
「それに、みんな一月前より出来ること増えてるし」
フィーネが嬉しそうに弓を抱える。
「わたし三本当たるようになったもん」
「自分も型が三十一回まで出来るであります」
「ワシは五歩じゃ」
「トウは四人だな。うん」
「うち、二十三」
「我は光が前より出やすくなった」
全員が自分の数字を言い始める。
アルトは少し笑った。
「じゃあ一月後もっと増えてるかもな」
「そのためには明日もやらねばな」
ルウが言う。
「五分だけ?」
フィーネが聞く。
「最低五分」
「はいはい、分かったよっ」
そのとき、いつもの小鳥がアルトの肩へ降りてきた。
チチッ。
《アルト》
「おう」
鳥は周囲の六人を見る。
《群れ》
「群れじゃないぞ」
《いっぱい。一緒。群れ》
「友達だって」
《同じ》
「違うだろ」
「何を鳥と言い争っておるのだ?」
ルウが笑う。
「俺たちのこと群れだって」
「似たようなものであろう」
「ルウまで言うなよ」
「群れでもいいじゃんっ」
フィーネが笑う。
「仲間ってことでしょ?」
アルトは少し考えた。
「まあ、それならいいか」
鳥が嬉しそうに鳴く。
《群れ》
「だからそこは仲間だって」
七人の笑い声が夕方の道へ広がった。
その日の夜、学校ではエレウスが一人、七人の記録を眺めていた。
アルト。
レオン。
ガルド。
トウ。
フィーネ。
ノエル。
ルウ。
一月前と比べれば、全員が確実に上達している。
「皆さん、本当によく続けていますね」
エレウスは微笑み、今日の数字を書き足した。
毎日やっているのだから、上手くなるのは不思議なことではない。
今のところは、それで説明出来る。
ただ、七人全員の記録を並べてみると、少しだけ気になることもあった。
同じ年頃の子供たちと比べたわけではないので断言は出来ない。
それでも、一人や二人ではなく、全員が揃って、ほとんど一度も途切れることなく伸び続けている。
「……面白いですね」
エレウスは眼鏡を押し上げた。
そして、そのまま帳面を閉じた。
今はまだ、それだけだった。
誰も知らない。
この小さな帳面に並び始めた数字が、数年後には、本人たちですら驚くほど大きな差へ変わっていくことを。
ましてやアルト自身は、自分が皆よりずっと長い間、何年も前から同じことを続けているという事実が、どれほど大きな意味を持つのかさえ知らなかった。
次回更新は明日の12時の予定です。
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