第四十六話 夏休み、中級ダンジョンへ
【第四十六話 夏休み、中級ダンジョンへ】
天蓋大森林での野外大演習から数週間が過ぎ、王立魔法学校にも一学期最後の日がやってきた。偽の標識や幻惑の痕跡、明らかに不自然な状態で現れたブラックドレイクについては今も教師たちが調査を続けているらしいが、生徒たちに新しい情報はほとんど知らされていない。だからといって学校生活まで止まるわけではなく、マリアから夏休み中の注意を聞き終えた教室には、長い休暇を前にした一年生らしい浮ついた空気が広がっていた。
「それで、ストライクは夏休みどうするんだ?」
帰り支度をしながらアルトが尋ねると、ストライクは迷う様子もなく答えた。
「もちろん鍛える。大演習では、俺一人ではどうにもならない場面が何度もあったからな。勇者だから強い、なんて思っていたつもりはないが……あのブラックドレイクを前にした時、まだ足りないとはっきり分かった。夏の間に、できる限り身体も剣も鍛え直すつもりだ」
「お前は本当にそこがぶれないな。マイルスは?」
「僕は王宮の用事がかなり入っている。それに、大演習の件について聞かれることも多いだろうね。ただ、全部を仕事で潰すつもりはないよ。僕だってあの時、助けてもらう側だった。少なくとも次に同じことが起きた時、もう少し自分でできることを増やしておきたい」
マイルスが苦笑すると、ストライクが腕を組んだ。
「それでアルト、お前たちはどうする。まさか夏休みまで朝から晩まで研究というわけでもないだろう」
「研究もするけど、《希望の夜明け》は中級ダンジョンへ通うつもりだ。前に一度入って、上層の途中までは行けたからな。今度は夏休みの間に中層まで攻略したい」
「中層まで?」
ストライクの声が少し大きくなる。その横から、もっと大きく反応した者がいた。
「中級ダンジョンですか、アルト様!? それはつまり、晴明様が本格的なダンジョン攻略を――」
「アリシア先輩、晴明様に戻ってる」
「……アルト様です。もちろん分かっていますとも。ただ、夏休みになれば学校でアルト様のお姿を拝見できる時間が激減してしまうではありませんか。せめて同行を――」
「今回は《希望の夜明け》の七人で行くよ。前から七人で挑戦してるダンジョンだから」
アルトがやんわり断ると、アリシアは机に両手をついて深刻そうにうつむいた。
「夏休み……恐るべき制度です。推しと会う機会を強制的に減らすとは……」
「休むための制度だからね?」
フィーネが笑い、マイルスも肩を揺らした。転生者同士であることが互いに分かってからというもの、アリシアは以前にも増して遠慮がなくなり、学校にいる間はかなりの頻度でアルトの近くにいる。それでも公の場で晴明の名を叫び続けるわけにはいかないことだけは理解しているらしく、本人なりに努力している――たまに今のように漏れるだけである。
翌朝、《希望の夜明け》のメンバーが学生寮の庭に集合していた。王立騎士学校へ通うレオンと、王都の普通高校へ通うガルドは、王立魔法学校の大演習には参加していなかったため、七人が顔を合わせるとアルトは妙にほっとした。
「やっぱり七人揃うと落ち着くな」
「でありますな。こちらも本日より夏季休暇に入っておりますので、ダンジョン攻略には問題なく参加できるであります」
「わしの学校なんて夏休みに入った瞬間、みんな遊びの話ばかりじゃ。なのに、こっちは朝から中級ダンジョンの攻略会議なんだから、同じ十五歳とは思えんのう」
ガルドはそう言いながらも楽しそうだった。しかも鍛冶屋の息子だけあって、冒険より先に持ち帰る素材の相場まで調べている。
「上層でもちゃんと素材を持って帰れりゃ、装備の修理や薬、食料なんかの経費を引いても、一回あたり一人二十五万ガルくらいにはなるじゃろう。中層なら五十万ガルくらいも狙えるらしいぞい。普通はその分、消耗も増えるんじゃがのう」
「じゃあ、効率よく倒せば、その分残るってことだねっ」
フィーネが言うと、アルトは頷いた。
「それもある。ただ、金のために無理して奥へ行くのはやめよう。夏休みは中層まで。冬休みに深層、そこまで順調なら春休みに最深部を目指すくらいでいいと思ってる。前みたいに、まだ危ないと思ったらその日は帰る」
「承知であります。つまり今回の目的は単なる到達距離ではなく、現在の七人で安全に攻略可能な範囲を確認しながら、夏の間に中層攻略を完成させるということでありますな?」
「うん、そういうことだ。それから、今回から俺の旧友の六合が同行する」
「よろしくお願いしますね。あ、私は同行するだけですから。戦力としては数えないでくださいね」
六合は戦闘に加わるつもりはない。命に関わる危機が迫った場合だけ手を出し、それ以外は《和合の加護》を七人がどう使うのかを見るつもりだ。六合が戦闘に参加しては、アルト達の成長の機会を摘み取ってしまう。
ダンジョンへ向かう途中、少し前を歩くアルトたちを眺めながら、ルウが隣のトウへ声を落とした。
「しかしトウよ、六合自身が同行しておきながら戦わぬというのも妙な話ではないか。あやつが本気を出せば、この程度のダンジョンなど訓練にもなるまい」
「だから戦わないんだな。六合は、自分の加護をアルトたちがどう使うのか見たいんだと思うんだな、うん」
「自ら授けた加護であろう。それほど見る必要があるのか?」
「あると思うんだな。アルトたちは、たぶん六合が考えてるより早く使い方を変えるからな」
ルウは一瞬だけ六合へ視線を向け、それから楽しそうに口元を上げた。
「ほう。それなら我も見物させてもらおうではないか。自らの加護を見て本人が驚くというのであれば、なかなか愉快である」
「たぶん、そんなに待たなくても見られるんだな、うん」
中級ダンジョンへ入ると、アルトはすぐに紙の式神を四方へ放った。それとは別に、本物の鼠や虫にも協力してもらい、複数方向の視覚と気配を重ねていく。晴明の記憶を取り戻してから、この作業は以前とは比べものにならないほど滑らかになっていた。新しい力が突然生えたわけではない。ただ、前世で知っていた術の組み立て方を、今の身体と霊力に合わせて作り直せる。幼い頃から積み重ねてきた鍛錬へ千年前の知識が重なり、できることが加速度的に増え始めていた。
しばらく進むと、一頭のウォーウルフが岩陰から姿を現した。レオンが反射的に剣へ手を伸ばしかけたが、アルトが手で制する。
「大丈夫。前に会った友達だ」
アルトの目には、その姿とともに情報が自然に浮かぶ。
《ウォーウルフ Lv110》
《能力 高速包囲》
正確なレベルという概念自体、この世界では王族や一部の宮廷魔法師など、ごく限られた者しか知らない。アルトも数字を口にはしなかった。ただ、以前より相手の情報を読み取ることが自然になっている。
ウォーウルフはアルトの前まで来ると鼻先を寄せ、再会を喜ぶように尾を振った。その向こうからは、前回知り合ったリザードマンまで現れる。
「やあ、皆久しぶり」
『よく来たな。しかも少し強くなった』
「本当に来てくれたねっ……」
フィーネが嬉しそうに笑うと、ウォーウルフは彼女にも一度鼻を寄せてから、奥の通路へ顔を向けた。伝わってくるのは、歓迎だけではない。この先には戦う気の強いアンデッドがいること、そのさらに奥には大きなオーガがいること。そして今回は、前回のように「ここから先へ行くな」という強い警告ではなかった。
――今のお前たちなら、もう少し行ける。
アルトには、そんな感情に思えた。
「また案内お願いできるか?」
ウォーウルフが一声鳴く。
『かまわんぞ』
「ありがとう。じゃあ、一緒に行こう」
魔物を従えたわけではない。命令したわけでもない。ただ友達だから、危険な場所を教え、必要なら隣で戦ってくれる。《神獣の友》の加護を得てから広がった魔物との縁は、いつの間にかダンジョン攻略そのものを変え始めていた。
しばらくすると、サクラの態度がおかしくなった。
『ねえねえ、なんでゾンビキングが一緒についてくるの?』
『ねえねえ、あれひょっとしてジャイアントゴースト?ちょ、ちょっとしばらくフィーネの中で休んでるね。用があったら呼んでね。』
『ひょっとしてサクラって、アンデットとか死霊とか弱いの?』
『 そ、そんなことないもん!じゃ、呼んでね。』
「 あ、隠れちゃった。あれ、絶対怖がってるよね。でもアンデッドや死霊を怖がる精霊?似たようなもんじゃないのかなあ。」
『『 全然違うわよ!』』
『 あ、聞こえてた?ごめん。てへへ』
ほどなくして、紙の式神から二つの敵影が伝わってくる。
《ボーンランサー Lv125》
《能力 骨槍突撃》
《弱点 左脚関節》
《レイス Lv130》
《能力 半霊化》
《弱点 霊的干渉》
この程度の差なら、能力も弱点もかなり鮮明に見える。アルトは仲間へ振り返った。
「前から二体。レオン、右。ガルドは正面。フィーネは左脚」
「承知」
「任せろ」
「うん。サクラ、合わせよう!」
それだけだった。
以前なら、誰がどの瞬間に動くのか、もう少し言葉が必要だった。だが《和合の加護》を通じて、アルトが何を狙っているのかが仲間へ自然に伝わっていく。ガルドがボーンランサーの突進を受け止めるよりわずかに早くレオンが右へ回り、フィーネとサクラの精霊魔法をまとった矢が左脚へ突き刺さる。崩れた瞬間にはウォーウルフが死角へ回り込み、レイスがフィーネへ向こうとしたところへトウの幻想魔法が視界をずらした。
「アルト、今なんだな!」
「ああ。ルウ、レイス!」
「任せよ。お主が当てる場所くらい、もう分かっておる!」
ルウの魔法がレイスの動きを止め、その一瞬へアルトの霊術が重なる。半霊化していた身体が大きく揺らぎ、そこへレオンの追撃が入った。ノエルは前へ出ず、それでも誰かが傷つけば即座に回復できる位置を保ったまま全体を見ている。
戦闘は、前回よりはるかに短く終わった。
六合だけが、少し離れたところで妙な顔をしていた。
「……アルト。今、レオンさんには『右』としか言っていませんでしたよね?」
「そうだけど?」
「フィーネさんにも左脚としか言っていません。それなのに、全員が攻撃の順番まで分かっていたように見えましたが……」
「なんとなく分かるんだよ。次に誰が動くのかとか、今は待った方がいいとか」
フィーネが当然のように答えると、六合の翡翠色の目が少しだけ大きくなる。
後ろで見ていたルウが、トウへ小声で言った。
「……本当に驚いておるではないか」
「だから言ったんだな、うん」
その後もウォーウルフとリザードマンの案内、式神と本物の動物たちから得る情報を重ね、《希望の夜明け》は前回よりずっと速く上層を進んだ。そしてやがて、アルトは見覚えのある場所で足を止める。
前回、自分たちはこの先へ進むべきではないと判断した。
その奥から、重い足音が響いてくる。
巨大な棍棒を肩へ担いだオーガが、ゆっくりと姿を現した。
《オーガ・チャンピオン Lv185》
《能力 剛撃》
《能力 地面叩き》
《弱点 ――》
「……やっぱり、ここから先は少し見えにくいな」
アルトは誰にも聞こえない程度に呟いた。自分との差が大きくなるほど、見える情報が曖昧になる。けれど、何も分からないわけではない。
オーガ・チャンピオンが棍棒を構える。
ウォーウルフも唸り声を上げ、その隣へリザードマンが並んだ。
アルトは七人と、ここでできた新しい友達を見回してから笑った。
「前は、ここで帰ったんだよな。でも今日は、この先へ行けるかも知れない。まずはこいつを越えられるかやってみよう」
オーガ・チャンピオンが地を震わせるような咆哮を上げる。
その瞬間、アルトの目の前で《弱点 ――》と途切れていた文字が、ほんのわずかに揺らいだ。
見えないなら、見えるまで観察すればいい。
千年前から、それはアルト――安倍晴明が得意としてきたことだった。
次回更新は明日の12時の予定です。
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