第四十四話 誰かが罠を仕掛けたということでしょうか
第四十四話 誰かが罠を仕掛けたということでしょうか
アルトたちが戦闘地点へたどり着いたとき、ストライクは三頭のウォーウルフを相手に一歩も退かず、その後ろではマイルスが他の生徒たちをまとめていた。地面にはすでに倒された魔物もいるが、仲間を守りながら戦っているせいで、ストライクにもいつもの余裕はない。
「ストライク、マイルス! 助けに来たぞ!」
「アルト!? 本当に来たのか! ここは中層なんだろう!」
「先生には知らせてある。怒られるのは全員で帰ってからだ。ストライクはそのまま前を頼む。マイルスは動ける生徒をまとめてくれ。後ろからレッサーワイバーンも来てるから、ここで長く戦うのはまずい!」
「分かった。みんな、聞いてくれ! 怪我をしている者を一人にしないで、動ける者は二人一組で支えるんだ。戦える者も追いかけるな、僕たちの目的はここから出ることだ!」
マイルスが声を上げると、混乱しかけていた生徒たちが動き始めた。ストライクも目の前のウォーウルフへ踏み込み、一頭を大きく弾き飛ばす。
「前は俺が止める! アルト、後ろは任せた!」
「おう。フィーネ、上の奴を見てくれ。ルウは後方から来る奴、トウは浅層へ戻れそうな道を精密探査してくれ。ノエルは怪我人を頼む!」
「任せてっ! サクラ、あのワイバーンの動きを一緒に見て!」
『うん! フィーネ、右上から来るよ!』
頭上の枝葉を押し分けるようにレッサーワイバーンが急降下してくる。アルトの目には、その姿とともに《レッサーワイバーン Lv160》《急降下爪撃》という情報が浮かんでいたが、その数字を口にはしない。
フィーネはすぐには射たなかった。サクラと感覚を合わせながら落下軌道を読み、十分に引きつけたところで矢を放つ。精霊魔法を重ねた一本が翼のすぐ脇を抜け、レッサーワイバーンが反射的に体を傾けた。
「ルウ、今だ!」
「承知した。こちらへ来たことを後悔するがよい!」
ルウが放った魔法が横からぶつかり、崩れた飛行姿勢をさらに乱す。レッサーワイバーンは地面すれすれで翼を立て直したものの、そのまま大きく旋回して距離を取った。
アルトは後方へ結界を重ねながら、生きた鳥たちと紙の式神を別々の方向へ走らせた。戦っている相手だけを見ていては、また別の魔物に囲まれる可能性がある。
「アルト、左は駄目なんだな。探索魔法に大きい反応が二つあるんだな。右なら今のところ少ないけど、少し遠回りになるんだな、うん」
「右へ行こう。近い道より全員で帰れる道だ」
「それなら、こちらの子はもう動かして大丈夫よ。傷は塞いだけれど、無理に走らせないで。誰か一人、肩を貸してあげて」
ノエルが回復魔法を終えると、マイルスがすぐ近くの生徒へ指示を出した。
その間にもウォーウルフの一頭がストライクの横を抜けようとする。だが、突然目の前に何人ものアルトたちが現れたかのように動きを止め、牙を空振りさせた。
「今なんだな、うん!」
トウの幻想魔法だった。
ストライクは一瞬も迷わず、その隙に剣の腹でウォーウルフを大きく吹き飛ばす。
「相変わらず、お前たちと戦うと何が本物か分からなくなるな!」
「今は分からないままでいいから、こっちへ下がってくれ!」
冗談を返す余裕はあったが、アルトは戦闘を続けるつもりはなかった。鳥の目、小動物の耳、紙の式神、そして敵意を持たない森の生き物たちから送られてくる情報をつないで、戦わずに抜けられる場所を選んでいく。
やがてウォーウルフの群れは深追いをやめ、レッサーワイバーンも再び近づいてこなくなった。
ようやく足を止められる場所まで下がると、マイルスが息を整えながらアルトを見た。
「本当に助かったよ。でも、まだ信じられないよ。僕たちは何度も標識を確認したんだ。浅層から入り口へ戻っているつもりだったのに、どうして中層へ入っていたんだろうね」
「俺たちが来る途中で、変な標識を見つけた。入り口へ戻るように見えて、実際には中層へ向かう向きになってた。それに、周りに薄い魔法の痕跡もあった」
「誰かが罠を仕掛けたということでしょうか?」
ストライクが眉をひそめた。
「よく分からないけど、その可能性はあると思う。今は触らずに残してあるから、先生たちに調べてもらおう。まずは全員で浅層へ――」
そこまで言ったところで、アルトとトウが同時に森の奥を見た。
昨夜から何度も感じていた気配が、先ほどまでとは比べものにならないほど近い。
「アルト。あの気配、近くなってるんだな」
「ああ。でも今はそっちにかまってられない。全員を帰すのが先だ」
「うん。それでいいんだな」
トウが満足そうに頷いた直後、森の様子が変わった。
木々の上にいた鳥たちが、一斉に飛び立つ。足元を走っていた鼠や小動物たちも同じ方向から逃げ始め、アルトへ流れ込んできた感覚は、どれも似たものだった。
『怖い』
『大きい』
『来る』
「……みんな止まってくれ。何か来る」
トウもすぐ探索魔法を広げる。
「大きいんだな。さっきのワイバーンとは全然違うんだな」
やがて古木の向こうで、巨大な枝がへし折れた。
一度。
二度。
黒い鱗に覆われた巨体が、木々の間から姿を現す。
アルトの目に情報が浮かんだ。
《ブラックドレイク Lv290》
《能力 黒炎ブレス》
アルトは息を呑んだ。週末に挑んだ中級ダンジョンで、自分たちの純粋な戦闘力がまだ中級攻略水準に届いていないことは嫌というほど分かっている。その中級でも深い場所に現れるような相手が、なぜ学校の中層区域にいるのか。
「……今までの相手とは全然違う。まともに戦うのはやめた方がいい」
ストライクが剣を構えたまま聞く。
「勝てないでしょうか?」
「さあな。やってみなきゃ絶対とは言えないけど、少なくとも一年生が正面から戦うような相手じゃないと思う。まず話せるか試す」
アルトは紙の式神を一体、ブラックドレイクの前方へ飛ばした。
『聞こえるか? 俺たちは戦いに来たんじゃない。ここから帰りたいだけだ。道を空けてもらえないか?』
返事はなかった。
アルトはさらに意識をつなぐ。
『縄張りに入ったことを怒ってるなら謝る。すぐ出ていく。何かしてほしくないことがあるなら教えてくれ』
それでも、何も返ってこない。
「アルト君、駄目なの?」
「……変なんだ」
「話せない魔物ということか?」
「そういう感じじゃないんだ。怒ってるとか、警戒してるとか、腹を空かせてるとか、普通なら何か伝わってくる。でも、こいつからはほとんど何も感じない。話が通じないというより……自分で考えて動いてないみたいだ」
ブラックドレイクがゆっくり首を動かした。
フィーネの前を通り、ノエルを見ても止まらない。
視線の先にいたのは、ストライクとマイルスだった。
二人が横へ動く。
ブラックドレイクの首も追う。
もう一度逆へ動く。
やはり追った。
アルトの表情が変わる。
「……こいつ、二人を狙ってる」
「僕とストライクを?」
「たぶん。少なくとも今はそう見える」
マイルスが偽の標識があった方向を振り返る。
「だとしたら、僕たちがここへ来たことも、この魔物がいることも……」
「そうかもな。でも、今はそれどころじゃない。そろそろ来るぞ」
ブラックドレイクが大きく息を吸い込んだ。
口の奥に黒い炎が集まり始める。
「全員、俺の後ろへ! ストライクも受けようとするな!」
アルトは即座に結界を重ねた。外からの攻撃を遮り、内側からの攻撃を通す一方向結界。その前へ、さらに何枚もの結界を重ねる。
次の瞬間、黒炎が森を一直線に焼いた。
一枚目が砕ける。
二枚目も破れる。
三枚目に亀裂が走ったところで、ルウが横から魔法をぶつけ、炎の流れをわずかに逸らした。
それでも熱が頬を打ち、周囲の木々が焦げた。
「……これは何度も受けられないな」
アルトが息を整える。
少し離れたところで、ルウがトウへ低い声をかけた。
「トウよ。このままでは危ういな。我らが片づけるべきではないか? ここまで来れば、隠しておるものにこだわって皆を危険へ晒す方が愚かであろう」
「それならトウが先にやるんだな。トウが本当の姿になれば、あれくらい何とでもなるんだな」
「よいのか?正体が露見するぞ」
「秘密はあとで考えればいいんだな。アルトたちが死んだら、あとで考えることもできないんだな、うん」
ルウは一瞬黙り、それから静かに頷いた。
「それもそうであるな。我とて秘密を守るために、お主らを見殺しにする気などない」
トウが一歩前へ出る。
ルウの周囲にも、これまでとは違う気配が集まり始めた。
そのときだった。
「……あ、待つんだな」
トウが足を止めた。
「む?どうした?」
「仲間が来るんだな。さっきより、ずっと近いんだな」
トウは森の奥を見つめていた。その顔に浮かんでいるのは恐怖ではなく、懐かしいものを待っていたような表情だった。
「アルトも、もう分かるはずなんだな、うん」
ブラックドレイクが再び口を開く。
先ほどよりも濃い黒炎が集まり、その視線はやはりストライクとマイルスから外れない。
アルトが結界を張ろうとした瞬間、森の奥から感じ続けていた気配が、一気に近づいた。
千年前の記憶。
トウと同じように、失ってから長い時間が過ぎても忘れられなかった気配。
「……まさか」
黒炎が放たれる。
アルトたちへ迫ったその直前、森の奥から一つの影が飛び込み、ブラックドレイクとの間へ降り立った。
轟音とともに、黒炎の流れが正面から止まる。
その背中を見た瞬間、アルトの口から、忘れていたはずの名が自然にこぼれた。
「……六合?」
次回更新は明日の12時の予定です。
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