第四十話 視(み)える!
# 第四十話 視える!
開始の合図が響いた。
けれどフィーネは、すぐには矢を放たなかった。
昨日まで練習していたものとは標的の配置も動き方も違う。横へ流れるもの、途中で速度を変えるもの、別の標的の後ろへ隠れるものまであり、ただ中心へ当てればいい競技ではない。どの標的を狙うのか、どの瞬間を選ぶのか、無理な一射を避けられるか。そうした判断も含めて精密射撃の評価になる。
フィーネは弓を構えながら、まず標的の動きを見た。
一つ目を見送る。
二つ目も、まだ撃たない。
観客側では、当然のようにアルトの隣を確保していたアリシアが、すでにノートへ猛烈な勢いで書き込んでいた。
「晴明様、フィーネさんは二つ続けて見送りました。昨日ならもう射っていたと思うのですが、何か狙いがあるのでしょうか?」
「さあな。でも、射てなかったんじゃなくて、射たなかったんだと思う。今はフィーネが自分で見てるんだから、俺たちは黙って見てようよ」
「なるほど……晴明様はあえて助言をしないことで――」
「だから何でも俺の研究にしなくていいって」
アルトが苦笑した、その直後だった。
少し離れた射線で、昨日から競い合っていた一年生が矢を放った。
速い。
しかも強い。
動いている標的の中心近くへ一本、続けて別の標的へもう一本。迷いがほとんどなく、それでいて雑でもない。
「やっぱり強いねっ」
フィーネは相手の射撃を見て、悔しそうではなく、むしろ楽しそうに笑った。
そして自分の標的へ向き直る。
三つ目。
今度は射線が開いた。
フィーネの矢が飛ぶ。
命中。
ただし中心からは少し外れていた。
次も当てる。
しかし相手はさらに良い位置へ当ててくる。
序盤は明らかに相手が先行していた。
「向こうの方が上手いな」
アルトが素直に言うと、ルウも腕を組んだ。
「うむ。力だけではない。動く標的へ迷わず射ち込む判断も速い。なかなかのものであるな」
「でもフィーネ、焦ってないのだな、うん」
トウの言う通りだった。
フィーネは相手が先へ行っても、撃てそうなもの全部に手を出さない。
射線が狭ければ待つ。
他の標的が重なれば見送る。
そして、ここなら届くと思った瞬間だけ射つ。
少しずつ、差が縮まっていく。
その途中だった。
アルトの視界の端で、何かが揺れた。
「……あ」
「どうしたのだ?」
ルウが見る。
アルトは返事もせず、フィーネの横を凝視した。
昨日までなら淡い気配しか分からなかった場所に、今ははっきりと一つの存在が見える。
「あ、見えた」
「何が見えたのである?」
「サクラだよ。サクラが見える。今までみたいにぼんやりじゃない。ちゃんといる」
フィーネのすぐそばで、精霊サクラが標的とフィーネを交互に見ていた。
そしてアルトと目が合った。
「あ……目が合った」
サクラの方も驚いたらしい。
明らかに「えっ?」という顔でアルトを見返している。
「向こうも驚いてるぞ。俺が見えてるって分かったみたいだ」
「晴明様、何が見えているのですか!?」
「アリシア先輩、今は静かに。フィーネの邪魔になるから」
アルトが声を落とした、そのときだった。
耳で聞いたのとは少し違う。
それでも、確かに声が届いた。
――どうしよう。フィーネが負けちゃう。
「……サクラ?」
サクラがまたアルトを見る。
今度は間違いない。
声まで聞こえる。
サクラはフィーネ以上に焦っていた。
相手の矢が決まるたびに落ち着きを失い、自分が何とかしなければと力を込めすぎている。
アルトは思わず笑った。
「サクラ、落ち着いて。フィーネに合わせればいいんだよ。サクラが一人で何とかしようとしなくていい」
サクラが不安そうにフィーネを見る。
「大丈夫だって。あいつ、ちゃんと見てるだろ? 慌てなくていい。フィーネが待ったらサクラも待つ。フィーネが射つと決めたら、そのとき一緒にやればいい」
――でも、相手の方が……。
「強いな。でも、それとフィーネができるかどうかは別だろ。ああ、サクラとフィーネならやれるよ。だからフィーネを信じて、サクラも自分を信じろ」
サクラはしばらくアルトを見ていた。
やがて、ゆっくり頷いた。
その直後だった。
フィーネの雰囲気が変わった。
それまでより呼吸がゆっくりになる。
弓を引く。
けれど撃たない。
サクラも先走らない。
二人で同じ標的を見ているように、じっと待つ。
一つ目が横切る。
まだ。
二つ目が重なる。
もう少し。
射線が開く。
放つ。
矢は中心近くへ突き刺さった。
「……合った」
アルトが小さく笑う。
「何がである?」
「フィーネとサクラだよ。今までより、ずっと合ってる」
そこから、フィーネの射撃はさらに安定した。
派手に連射するわけではない。
相手のような強烈な矢でもない。
それでも外さない。
撃つべきところだけ撃つ。
待つべきところでは待つ。
気づけば、序盤についていた差はほとんどなくなっていた。
「いつの間に追いついたのでしょう……」
アリシアがようやくノートから顔を上げる。
「無駄な矢が少ないからだよ。向こうは強い。でもフィーネは、自分が一番当てやすい瞬間だけ選んでる」
「それが《弓力(微)》の勝ち方、ということですか?」
「ギフトの勝ち方じゃないと思う。フィーネの勝ち方だよ」
そして、最後の標的が動き始めた。
別の標的の後ろへ隠れながら左右へ移動し、射線が開く時間はほんのわずか。
先に競技相手が弓を引いた。
一度目の隙間。
即座に射つ。
矢は鋭く抜け、標的へ命中した。
周囲から歓声が上がる。
「すごい……」
フィーネも素直に呟いた。
そして自分の番。
弓を引く。
一度目の隙間が開く。
撃たない。
二度目。
まだ撃たない。
「晴明様、今なら――」
「アリシア先輩、今はフィーネの番だよ」
アルトは標的ではなく、フィーネとサクラを見ていた。
サクラも焦っていない。
フィーネの横で、一緒に待っている。
三度目。
前を横切る標的が完全に抜けた。
ほんの一瞬だけ、一直線に道が開く。
フィーネの指が離れた。
「ここっ!」
矢が走る。
狭い隙間を抜け、その向こうの標的へ突き刺さった。
中心近く。
一瞬遅れて、射場いっぱいに歓声と拍手が広がった。
フィーネは弓を下ろしたまま、しばらく自分の矢を見つめていた。
やがて評価がまとまり、結果が発表される。
一年生春季実技評価、精密射撃部門。
首位――フィーネ。
「……え?」
フィーネは結果を見て、もう一度見直した。
「わたし……一番?」
次の瞬間、顔いっぱいに笑みが広がる。
「やった……やったよっ!」
競い合っていた生徒がフィーネのところへ歩いてきた。
「悔しいな。最後に待てたのは、君の方だった」
「わたしも、途中までは追いつけないかと思ってたよっ」
「次は負けないから」
「うんっ。わたしも負けないよ」
二人は笑って手を握った。
そのすぐ後ろから、アリシアがアルトへ勢いよく振り返る。
「晴明様! 途中で何かされていましたよね? フィーネさんの精霊魔法が明らかに安定して――」
「いや、俺は何もしてないよ。フィーネが頑張ったんだよ」
「しかし――」
「最後の一本を選んだのも、待ったのも、射ったのもフィーネだ。俺だったら一回目か二回目で撃ってたかもしれない。最後まで待ったのはフィーネの判断だよ」
フィーネがアルトを見る。
「ほんと?」
「ああ。最後の一拍、すごくよかった。あそこで慌てなかったから通ったんだと思う」
「……うんっ!」
そのとき、フィーネの横にいたサクラと再び目が合った。
サクラが、にこっと笑う。
そして――片目を閉じてウインクしてきた。
「……ははっ」
アルトも笑って、同じように片目を閉じて返しウインクする。
「アルト君、何してるの?」
「いや、サクラがウインクしてきたから返しただけ」
「……え?」
フィーネの笑顔が固まった。
「アルト君、サクラが見えるの!?」
「うん。途中から急にはっきり見えるようになった。声も聞こえたよ」
「えええええっ!?」
さっきまでの歓声とは別の意味で、フィーネの声が射場に響いた。
その横でサクラは楽しそうに笑っている。
するとアルトの視界に、見慣れた情報が浮かんだ。
「……あれ?」
「今度は何なの?」
「加護が増えてる」
「え?」
アルトは自分に加わった新しい表示を見つめた。
名前も効果も、まだ詳しくは分からない。
ただ、それが精霊から与えられた加護だということだけは分かった。
アルトがサクラを見る。
「これ、サクラ?」
サクラは何も答えず、また楽しそうに片目を閉じてウインクした。
「……やっぱりお前か」
アルトが笑う。
虫や鳥、動物、そして魔物へ広がったつながりは、今日また一つ、精霊へと届いた。
少し離れたところでその様子を見ていたノエルが、口元だけで小さく笑う。
――若いっていいわね。
「フィーネ、ちゃんと自分で勝ったんだな、うん」
トウが嬉しそうに言うと、ルウも素直に頷いた。
「うむ。見事であったな」
「アルトも嬉しそうなんだな、うん」
「そうであるな」
「ルウも嬉しそうなんだな、うん」
「……何故そこで我を見る?」
「別に何でもないのだな、うん」
「絶対に昨日の話を引きずっておるだろう!」
トウはいつもの顔で前を向いた。
フィーネはそんな二人には気づかず、結果の紙を握ったままアルトのところへ駆けてくる。
「アルト君!」
「おう」
「勝てたよっ!」
「ああ。ちゃんと自分でな」
フィーネは少しだけ照れたように笑った。
その肩のそばでは、サクラも同じように笑っている。
アルトには、今度はその二人がはっきり見えていた。
次回更新は明日の12時の予定です。
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