第三十九話 最後の一本は、自分で決める
# 第三十九話 最後の一本は、自分で決める
春の実技評価を翌日に控えた放課後、フィーネは射場で何本目かの矢を放った。
今日の標的は固定されていない。横へ滑るように動き、途中で速度を変え、ときには別の標的と重なって射線を塞ぐ。
矢は動く標的の少し後ろを通り抜けた。
「うーん、また遅れたねっ」
「今のは途中で速度が変わったからな。最初の動きだけ見てると、ちょっと合わせにくいかも」
アルトが標的を見ながら答えると、そのすぐ横で紙をめくる音がした。
「晴明様、今の一射は先ほどより放つまでの時間が短くなっています。ただ、標的が加速した直後の修正が――」
「アリシア先輩」
「はい?」
「フィーネの練習なのに、なんで俺より詳しく記録取ってるんだ?」
「晴明様がフィーネさんへどのような助言をされ、それをフィーネさんがどう取り入れるのか。これも非常に重要な研究ですので!」
「もう学校ではアルトって呼ぶの、ほとんど諦めてない?」
「あはは……どうしてもつい」
アリシアは悪びれる様子もなく笑い、またノートへ何かを書き始めた。
少し離れた射線では、第38話でフィーネと言葉を交わした一年生が弓を構えている。
動く標的。
引き絞る。
放つ。
矢は力強く飛び、それでいて標的の中心近くへ正確に突き刺さった。
「やっぱり上手いねっ」
フィーネが素直に感心すると、相手もこちらを見た。
「君もかなり当たるようになってるね。でも、本番が練習と同じ動きとは限らないよ。私も本番では読み方を変えるつもりだから」
「うんっ。わたしも考えてみる」
相手はそれだけ言うと、また自分の練習へ戻った。
アルトも標的を見る。
「俺なら、今いる場所より次に来る場所を先に決めるかな。最初の何往復かで速度の変化を見て、ここを通るって場所を絞って待つ」
「なるほど……やってみるねっ」
フィーネはアルトの言った通り、標的の動きを何度か見た。
次に来る位置を考える。
速度を読む。
弓を引く。
――放つ。
矢は標的の端をかすめた。
「惜しい」
「うーん……もう一回」
二射目。
今度はさらに遅れた。
フィーネは弓を下ろし、少し首をかしげた。
「アルト君のやり方、分かるんだけど……わたしが全部考えてから撃とうとすると、逆に遅くなってる気がする」
「合わない?」
「アルト君には合ってると思うよ。いろんなものを一度に見て、先まで考えるでしょう? でも、わたしが同じことをすると、考えてる間に撃ちたいところが過ぎちゃうみたい」
「だったら、俺のやり方に合わせなくていいじゃん」
「え?」
「当てるのはフィーネなんだから、フィーネが当てやすいやり方を使えばいいだろ」
フィーネは少しだけ目を丸くした。
「せっかく教えてくれたのに?」
「教えた通りにやることが目的じゃないだろ。俺の考え方から使えるところだけ取って、いらないところは捨てればいいよ」
横でアリシアの筆が突然速くなった。
「なるほど……晴明様は、自らの方法を模倣させるのではなく、相手自身に最適解を選ばせる……」
「そんな大げさな話じゃないって」
「いえ、これは重要です!」
「アリシア先輩、またページ増えてるよっ」
「まだまだ書けます!」
フィーネが笑い、もう一度標的へ向き直った。
今度は全部を読もうとしない。
標的を見る。
前を横切る別の標的を見る。
そして、自分の横にいるサクラへ静かに意識を向ける。
アルトにも、以前よりわずかにはっきりした淡い気配が見えた。
フィーネはすぐには撃たない。
待つ。
一つ目の標的が射線を横切る。
まだ。
二つ目が少し遅れて動く。
その向こうに、一瞬だけ真っ直ぐな道ができた。
矢が放たれた。
乾いた音が響く。
命中。
「当たった!」
「今の、俺のやり方と全然違ったな」
「うんっ。全部の動きを予想するんじゃなくて、わたしが撃てるところが来るまで待ってみたの。サクラにも手伝ってもらって、ここならって思ったときに撃ったら当たったよ」
「じゃあ、それがフィーネのやり方なんだろ」
「うん。たぶん、こっちの方がわたしには合ってる」
もう一度。
今度も中心ではないが、しっかり標的へ刺さった。
さらに一本。
命中。
少しずつ、フィーネ自身の間合いができていく。
◇◇◇
日が傾き始めた頃、フィーネが新しい矢を手に取った。
「あと一本だけ撃って終わろうかな」
アルトは何も言わず、少し前の矢と今の矢を見比べた。
命中はしている。
けれど、まとまりが少しずつ悪くなっている。
肩も、朝よりわずかに重そうだった。
「フィーネ、今日はもう終わろう」
「え? でも、あと一本だけだよっ」
「その一本、今日撃たないと駄目?」
フィーネがアルトを見る。
「明日の一本のために、今日は終わりにしよう。ここでもう一本当てても、明日本番で疲れてたら意味ないだろ?」
フィーネはしばらく黙って、それからふっと笑った。
「それ、前にわたしがアルト君に言ったのと似てるねっ」
「だから効果あるだろ?」
「うん。ある」
フィーネは手にしていた矢を戻した。
「じゃあ、最後の一本は明日に取っておく」
「その方がいいと思う」
「でも明日は、その一本をアルト君に決めてもらわないからねっ」
「もちろん。フィーネが決めるんだろ?」
「うんっ。最後の一本は、自分で決める」
片づけを終えると、アルトとフィーネは並んで寮への道を歩き始めた。
「明日、やっぱり緊張するかな」
「するんじゃない? 俺だって本番なら緊張するし」
「アルト君でも?」
「するよ。でも今日みたいに、その場で見て決めればいいと思う。練習と同じじゃなくても、フィーネなら気づけることあるだろ」
「……うん。そうだねっ」
二人は話しながら少しずつ前へ行く。
その後ろを、トウとルウが歩いていた。
トウが前を行く二人を見て、ぽつりと言った。
「いいのかな? フィーネに先を越されてしまうのだな、うん」
「そういうおまえこそ、もうアルトにくっつかなくてよいのか?」
「トウはもう満足したのだな、うん。それにトウが四六時中横にいると、アルトとフィーネ、ルウがくっつけないのだな、うん」
「ま、待て。なぜ我もアルトとくっつく?」
ルウが足を止めかけたが、トウはいつもの調子で歩き続ける。
「トウがアルトを見つけたときには、もうルウがアルトの横にいたんだな、うん。感謝しているんだな、うん」
「あ、いや、これにはわけがあってだな……」
「どんなわけでも、横にいてアルトを守ってくれていたのは事実なんだな、うん」
「それと我がアルトを好きというのは繋がるのか?」
「態度を見ていれば分かるんだな、うん。ルウはもっと自分に正直になるんだな、うん」
ルウはしばらくトウを見つめた。
「そなたがそういうことを言うとは思わなかったな。もっと独占欲が強いのかと思ったぞ」
「トウはもう、アルトと一心同体なんだな、うん。アルトが嬉しければトウも嬉しい。アルトが悲しければトウも悲しい。アルトが大切にしたい人はトウも大切にしたいんだな、うん。」
「……それに、アルトは弱いんだな、うん」
「……。ああ、弱い。だが、だからこそ、強くなる」
「その強くなるに、ルウが必要なんだな、うん」
ルウはすぐには返さなかった。
前を歩くアルトを見て、それから小さく息を吐く。
「……まったく。お主は時々、妙に鋭いことを言うな」
「自分に正直になるんだな、うん」
「二度言わなくてよい!」
少し先を歩いていたアルトが振り返った。
「何かあった?」
「何でもない!」
「そうなのだな、うん」
「トウ!」
フィーネがくすくす笑い、アルトはよく分からないまま首をかしげた。
◇◇◇
翌日。
一年生の春の実技評価。
精密射撃の会場へ入ったフィーネは、目の前に並んだ標的を見て足を止めた。
昨日まで練習していた配置とは違う。
標的の間隔も、動く方向も、射線が開く場所も同じではない。
「……ほんとに違うんだ」
観客側では、アルトの隣に当然のようにアリシアが立っていた。
「晴明様、昨日の練習とはかなり違いますね。フィーネさんへ何か伝えなくてよいのですか?」
「今はいいよ」
アルトはフィーネを見る。
「フィーネが自分で見てるから」
フィーネは標的を一つずつ確認した。
動く速さ。
重なる順番。
射線が開く瞬間。
そして一度だけ、観客席へ目を向けた。
アルトと目が合う。
アルトは何も言わなかった。
フィーネも何も求めなかった。
ほんの少し笑って、すぐ前へ向き直る。
弓を握る。
深く息を吸う。
昨日までの答えが、そのまま使えるとは限らない。
だったら、今日の答えは今日決めればいい。
開始の合図を待ちながら、フィーネは静かに標的を見つめた。
次回更新は明日の12時の予定です。
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