第三十八話 庭を散歩しているようではないか
第38話 庭を散歩しているようではないか
休日。《希望の夜明け》は、初めて中級ダンジョンの入口に立っていた。
初級ダンジョンを攻略した経験はある。しかし、中級は明らかに別物だ。アルトたち自身、それを軽く考えてはいなかった。
「今日は攻略が目的じゃない。まず上層を見て、今の俺たちがどこまで通用するか確かめる。危ないと思ったらすぐ戻ろう」
「承知であります。無理に先へ進まず、退路を常に確保するのであります」
「そうじゃな。初めて来る場所で欲を出しても仕方ないのじゃ」
レオンとガルドがうなずき、フィーネも弓を確かめる。ノエルは回復の準備をし、ルウは周囲を眺めながら腕を組んだ。
「お主にしては随分と慎重であるな」
「中級だからな。それに、前よりいろいろ見えるようになった分、むしろ怖さも分かるよ」
晴明としての記憶が戻ってから、アルトの成長速度はそれまでとは明らかに変わっていた。術の理屈を一から見つける必要がなく、かつて何十年もかけて学んだ知識を土台にして鍛えられる。それでも、今の身体と霊力が昔の晴明そのものになったわけではない。知っていることと、今できることは別だった。
「じゃあ、行こう。トウは近くを頼む。俺は少し広めに見る」
「分かったんだな、うん」
ダンジョンへ入ると、アルトはすぐに十数体の式神たちを放った。ほかにも鼠、虫、小鳥たちにも協力してもらう。洞窟の奥へ散った式神たちは、それぞれ別の道を進み、その視界と気配がアルトへ流れ込んでくる。
以前なら、索敵はそこで終わっていた。
今は違う。
アルトは式神を通して霊術を使える。
つまり、式神そのものを遠くに伸ばした手足として扱えるだけでなく、その場にいる魔物へ霊的な意思を送り、返ってきた意思もそのまま受け取れる。
本人がそこまで歩いていって、直接相手の機嫌を確かめる必要すらない。
「……いた」
「敵?」
フィーネが小声で尋ねると、アルトは首を横に振った。
「いや。こっちに敵意はない」
数百メートル先。鼠の式神が捉えているのは、一頭のウォーウルフだった。
アルトの目に見える情報では――Lv110。《高速包囲》。
初級で出会った魔物とは明らかに格が違う。
だが、そのウォーウルフから流れてくる感情には警戒こそあっても敵意はなかった。
アルトは鼠の式神を通して、そのまま意思を送る。
『初めまして。俺たちは上の方を少し見て回りたいんだ。通ってもいいか?』
ほとんど間を置かず、返事が返ってきた。
『いい。お前、変な人間だな。こっちの声が全部分かるのか?』
『分かるよ。そっちも俺の言ってること分かるだろ?』
『分かる。……面白いな、お前』
アルトが小さく笑った。
「何笑ってるの?」
「向こうも俺のことを変なやつだと思ってるらしい」
「何を話しておるのだ、お主は」
ルウが呆れた声を出す。
そこへウォーウルフから、さらに情報が届いた。
『右へ行くな。大きいのが怒ってる』
別の式神を右の通路へ向かわせる。
大きな影。
オーガ――Lv120。《巨腕殴打》。
明確な敵意。
「右はやめよう。オーガが一体いる。かなり機嫌が悪い」
「もう分かるのか?」
レオンが驚くと、アルトはうなずいた。
「式神を通して直接話してるからな。近づく必要はないよ」
さらにウォーウルフが別の魔物へ声をかけたらしい。
少しすると、別方向に放っていた式神へ新しい意思が届いた。
『そっちの人間、狼の友達か?』
リザードマンだった。
Lv135。《尾撃》。
『今日会ったばっかりだけど、もう友達でいいのかな?』
『あいつがお前を友達だと言っている。なら友達だ』
「……早いな」
「何がじゃ?」
「友達が友達を紹介してくれた」
ガルドがしばらく黙ったあと、大きなため息をついた。
「ダンジョンアタックでそんな台詞を聞くとは思わなかったのじゃ」
リザードマンからも情報が入る。
正面の通路にはストーンガーゴイル。さらに奥にはヴェノムマンティス。別の広間にはレッサーワイバーンが休んでいる。
どれも今の《希望の夜明け》が、わざわざ正面から戦う必要のない相手だった。
「左ならしばらく安全だって」
「お主と一緒におると、ダンジョンアタックというものを勘違いしてしまいそうになるな」
ルウが半ば本気で言った。
「今のところ、ほとんど歩いてるだけだもんねっ」
「庭を散歩しておるようではないか」
「俺の庭にウォーウルフやリザードマンはいないけどな」
「そういう意味ではない」
さらに進むと、今度はウォーウルフ自身が合流した。
敵としてではない。
アルトたちの少し前を歩き、ときどき振り返りながら先導している。
途中からリザードマンまで加わった。
「……完全に案内されてるねっ」
「前からアルトは異常だったが、今回はさらにおかしいぞ。まるまる1階分戦闘なし、罠解除なしで通り過ぎてしまったではないか。しかも魔物が完全に味方だ。アルトの能力とんでもないことになってきたな」
「うん。まあ、たしかに助かるけど、これで自分たちが中級を攻略できる強さだと勘違いしない方がいいな」
アルトはそう言いながら、前方へ式神を走らせる。
次の瞬間、表情が変わった。
「止まって。ここは避けられない」
細い通路の先。
ボーンランサー――Lv125。
その後方に、半透明の影。
レイス――Lv130。《半霊化》。
アンデッドだった。
こちらの意思を送っても、魔物たちのような明確な返答はない。しかも左右は崩れ、迂回路もない。
「今度は本当に戦うぞ。ガルド、前を頼む。レオンは右。ルウとフィーネは後ろから。ノエルは無理に前へ出ないで」
「分かったのじゃ!」
「承知であります!」
アルトはガルドへ身体に追従する結界を重ね、その後方には外からの攻撃だけを遮る結界を張った。
ボーンランサーが地面を蹴る。
骨槍を突き出したまま、一気にガルドへ迫った。
「ぬおっ!」
ガルドが盾で受ける。
アルトの結界まで大きく揺れた。
「重いのじゃ! 初級とは全然違うぞ!」
「レオン、今だ!」
「承知であります!」
槍を受け止められた一瞬にレオンが踏み込み、骨の胴へ斬撃を叩き込む。しかし一撃では崩れない。
一方、レイスが壁をすり抜けるようにして後衛へ回り込もうとした。
物理攻撃の通りにくい相手。
だがアルトは、直接術を放つ必要がなかった。
レイスの背後の壁を走っていた鼠。その小さな身体を借りて、雷の霊術が放たれる。
青白い雷がレイスを貫いた。
「ネズミさんからも出せるの!?」
「式神だけじゃなく、動物たちまで霊力でつながってるからな!」
ルウの魔法も重なり、レイスの姿が大きく揺らぐ。
そのとき、ボーンランサーがガルドの盾を押し下げた。
「フィーネ!」
「見えてるよっ!」
フィーネが弓を引く。
狙いは、槍を振り上げたことで露出した肩口。
アルトは反射的に風の霊術を重ねた。
矢を少しでも速く、確実に届かせるために。
だが――。
「っ!」
矢がわずかに流れ、狙った場所を外した。
フィーネが驚いたようにアルトを見る。
「ごめん。今の俺のせいだ」
「アルト君が風を?」
「ああ。助けようとして……邪魔した」
その間にもボーンランサーは動く。
「後で話す! もう一回来るぞ!」
ガルドが再び槍を受け、レオンが横から斬り込む。ウォーウルフまで飛びかかり、骨の脚へ食らいついて体勢を崩した。
完全に味方として戦っている。
リザードマンも尾で槍の軌道を外した。
フィーネがもう一度矢をつがえる。
「アルト君。今度は任せて」
アルトは一瞬だけ手を動かしかけ、止めた。
「ああ。任せる」
矢が放たれる。
今度は風を足さない。
フィーネ自身が読み、自分で選んだ軌道を飛んだ矢は、ボーンランサーの肩口へ正確に突き刺さった。
骨が崩れる。
そこへレオンの剣。
最後にガルドの盾撃。
ボーンランサーが床へ散らばった。
残ったレイスも、アルトの式神を起点とした霊術とルウの魔法で消えていく。
静かになった通路で、しばらく誰も口を開かなかった。
「……勝ったね」
フィーネが息を整えながら言う。
「ああ。でも、これ二体だけだぞ」
アルトはガルドの結界を確かめた。かなり削られている。
ノエルもすぐガルドの腕を確認していた。
「大きな怪我はないけど、何度も同じのを受けるのは無理ね」
「わしもそう思うのじゃ。これを雑魚と言われると困るのう」
アルトは改めて周囲を見る。
ウォーウルフやリザードマンがいなければ、さらに苦戦していた。
戦える。
だが、余裕があるわけではない。
「やっぱり俺たち、中級を正面から攻略できる実力じゃないな」
「そのようであるな。ここまでほぼ無傷で来られたのは、お主の友人たちのおかげであろう」
「うん。そこは勘違いしない方がいい」
その後も、魔物たちの情報網は驚くほど役に立った。
『その箱は開けるな。ミミックだ』
『上にガーゴイルが二体いる。左へ行け』
『ワイバーンが寝ている。起こすな』
式神を通じて次々と情報が届き、アルトたちは危険な場所を避けて進んでいく。
ついには、本来なら何度も戦闘が必要なはずの上層を、驚くほど少ない戦闘回数で奥まで進んでしまった。
そして、大きな扉の前でウォーウルフが足を止めた。
『ここまでだ』
アルトも扉の先へ式神を送る。
広い部屋。
巨大なオーガ。
オーガ・チャンピオン――Lv185。
《剛撃》。
《地面叩き》。
さらに、この先へ進めたとしても、中層にはトロール、ボーンナイト、レイスアーチャーなど、上層以上の敵が待っている。
『お前たちはまだ行くな』
ウォーウルフがはっきり伝えてきた。
『今は危ない』
リザードマンも同意する。
『もっと強くなってから来い。そうしたら、また案内する』
アルトは少しだけ扉を見つめたあと、すぐに仲間へ振り返った。
「今日はここまでにしよう」
「まだ体力ならあるよっ?」
「体力の問題じゃないんだ。ここまでは、みんなが敵を避けられる道を教えてくれたから来られた。でも、さっきみたいに戦闘を避けられない場所が続いたら、今の俺たちじゃ危ない」
フィーネは扉を見たあと、素直にうなずいた。
「うん。じゃあ次に来るときは、ちゃんともっと強くなってからだねっ」
「そうだな。そのときは、自分たちの力でもここまで来られるようになってたい」
帰路も、魔物たちは途中まで一緒に歩いてくれた。
ダンジョンの中で出会ったはずなのに、別れ際にはもう敵とは思えなかった。
「また来るよ」
『次はもう少し強くなって来い』
「努力する」
ウォーウルフが鼻先をアルトの手へ軽く押しつけ、それから仲間たちと奥へ戻っていった。
その夜、宿舎へ戻ってから、アルトはフィーネに改めて頭を下げた。
「昼の矢、ごめん。あれは完全に俺が余計なことをした」
「ううん。助けようとしてくれたのは分かってるよ。でもね、アルト君が何かしてくれるって思うと、私も無意識にそっちに合わせようとしちゃうみたい」
「……俺が先回りしすぎてるのか」
「だから、助けてほしいときは私から合図する。それでいい?」
アルトは少し考えてからうなずいた。
「ああ。そうしよう。次は、フィーネが任せてって言ったらちゃんと任せる」
「約束だよっ」
「ああ。約束する」
それから一週間ほど後。
学校の射撃練習場では、アリシアがいつものようにアルトの近くにおり、フィーネから週末の中級ダンジョンについて聞いていた。
「ウォーウルフに案内されて、リザードマンまで味方になったんですか?」
「うんっ。最後は『もっと強くなってから来い』って言われちゃったけどね」
「晴明様、とうとうダンジョンの魔物まで現地協力者に……」
「アリシア先輩、言い方がおかしいだろ」
そのとき、少し離れた射線から鋭い音が響いた。
一人の同級生が放った矢が、小さな的の中心へ深々と突き刺さっている。
威力がある。
それでいて、正確だった。
その生徒は次の矢をつがえながら、フィーネへ視線を向けた。
「小さい的でも、手加減はしないよ」
フィーネはその矢をじっと見つめ、それから自分の弓を握り直した。
次回更新は明日の12時の予定です。
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