第三十六話 その翌朝
# 第三十六話 その翌朝
ストライクに負けた翌朝も、《希望の夜明け》の七人はいつもと変わらない時間に起き、寮の裏にある訓練場所へ集まっていた。
「アルト君、昨日は惜しかったねっ。最後の切り返し、わたしも見てたけど、動きが変わったと思ったときにはもう間に合わなかったよ」
「俺も似たようなもんだよ。動き自体は見えてた。でも、そこから何を使うか決めるのが遅れた。負けは負けだけど、前より何が足りないかは分かった気がする」
昨日の模擬戦を直接見ていたのは、王立魔法学校にいる仲間たちだけだ。レオンとガルドには昨夜、寮へ戻ってから一通り話してある。
「話を聞く限り、ストライク殿は相当な使い手でありますな。自分も機会があれば、一度剣を合わせてみたいであります」
「わしは見とらんから何とも言えんが、本気のアルトを倒したんなら強いんじゃろうな。まあ、負けた翌朝からもう訓練しとるアルトも相変わらずじゃが」
「負けたからだろ。次に同じ負け方したくないしな。ガルド、そろそろ始めよう。今日は結界を少し変えてみるから、違和感があったら言ってくれ」
「分かったのじゃ。遠慮なく張るがよい」
ガルドが大盾を構える。
アルトが符を動かすと、ガルドの身体を包むように薄い結界が重なった。移動中なら七人全体の安全確保に使う結界だが、戦闘では敵の攻撃を正面から受け止めるガルドへ個別に重ねることで、もともとの頑丈さをさらに引き上げられる。
「どうだ?」
「問題ないのじゃ。前より身体に沿っとる感じがするのう。これなら動く邪魔にもならん」
「よし。レオン、頼む」
「承知であります。それでは行くであります!」
レオンが地面を蹴った。
真正面から振り下ろされた剣を、ガルドが大盾で受け止める。鈍い音が響き、結界の表面が一瞬だけ揺れた。
その直後、トウがガルドの横へ人型の幻影を作り出す。
「フィーネ、右から来るのだな、うん」
「見えてるよっ」
フィーネは弓を引いた。
だが、すぐには放たない。
ガルドの横をレオンが抜けるのを待ち、その背中が射線から外れたところで弦を離した。
矢は幻影の胸の中心へ突き刺さる。
「今の、昨日より待った?」
「うんっ。撃てると思ったところですぐ撃たずに、レオン君がどこへ動くか見てみたの。先に撃ったら邪魔になったかもしれないでしょう?」
「その方が動きやすかったであります。自分が抜けた直後に矢が来るなら、相手も避けにくいと思うであります」
「なるほどな……」
アルトは頷きながら、その一連の動きを頭の中でもう一度なぞった。
敵を見つけたら先に動く。
危険があれば先に結界を張る。
敵がこちらを見る前に幻影で別方向へ誘導する。
できることが増えた今のアルトにとって、それは大きな強みだった。
晴明だった頃の記憶を取り戻してから、使える知識は一気に増えている。火、風、水、土、雷。結界や幻影、呪術の基礎。そして式神。
少し前までとは違い、今なら数十体の式神を同時に扱える。
今日も訓練場所の周囲には、小さな式神を広く散らしていた。そこへ普段から協力してくれるネズミや鳥、虫たちまで加えれば、かなり広い範囲を大まかに把握できる。
ただし、知っていることと、それを戦いの最中に正しく選べることは別だった。
昨日は、それを思い知らされた。
晴明の知識が戻ったからといって、今の身体が一瞬で過去と同じになるわけではない。
だったら、使えるようになるまで繰り返せばいい。
「アルト、次は我が相手をしてやろう。先ほどから考え込んでばかりでは、身体の方が暇をしておるぞ」
「ちょうどいい。結界を張り直す練習をしたいから、少しずつ場所を変えて撃ってくれないか?」
「注文が多いのう。まあよいわ、その程度なら付き合ってやる」
ルウの魔法が飛ぶ。
アルトは一枚目の結界で受け、その結界を維持したまま少し離れた位置へ二枚目を展開する。続けて風を走らせ、土を盛り上げて次の攻撃の角度を変える。
一つずつなら、もう難しくはない。
課題は、それを迷わずつなぐことだった。
「アルト君、さっきより速いよっ」
「まだ足りない。昨日の最後だったら、これでも間に合わないと思う」
「もっと速くするの?」
「速さも欲しいけど、それだけじゃないかな。何をするか迷ってる時間を減らしたい。選んでからじゃなくて、状況を見た時点で次が自然に出るくらいまでやらないと」
「だったら、わたしが見えたことも後で教えるねっ。昨日の試合で、いくつか気になったところがあったから」
「助かる。それ、学校で見せてくれ」
朝練が終わりかけたところで、ガルドが大盾を地面へ置いた。
「ところで今週末はどうするのじゃ? 学校が始まってから、まだ七人でダンジョンへ行っとらんじゃろう」
「自分は空いているであります。騎士学校で始まった訓練も、実戦で試してみたいであります」
「トウも行くのだな、うん」
「わたしも行きたいっ」
「うちも大丈夫」
「我も構わぬぞ」
全員の返事を聞いて、アルトは少し考えた。
《希望の夜明け》は、すでに初級ダンジョンを攻略している。
現在はC級パーティー。
次にB級へ上がるには、中級ダンジョンを攻略しなければならない。
「じゃあ、今週末は中級ダンジョンに行ってみるか。ただ、最初から攻略するつもりでは行かない。まずどんなところか見て、今の俺たちでどこまでやれるか確かめよう。危ないと思ったら戻る」
「それがよいのじゃ。初級を攻略したからといって、中級まで同じとは限らんからのう」
「探索は俺とトウ。俺は式神を広く出して、必要なら動物や鳥、虫にも手伝ってもらう。戦わなくて済む相手なら、幻影で違う方へ誘導するし、フェンリルの加護で敵対せずに済みそうなら、そっちを試す。何でも倒して進む必要はないからな」
「トウは近くをしっかり探すのだな、うん」
「戦闘になったらガルドに個別の結界を張る。後ろにも結界を置くから、ガルドが受けて、レオンが攻撃。フィーネとルウは後ろから援護して、ノエルは回復を頼む」
「承知であります」
「任せるのじゃ。わしが止めておる間に、好きなだけ攻撃すればよい」
「ガルド君、それだと毎回ガルド君が一番大変じゃない?」
「わしはそれが得意なんじゃから、それでよいのじゃ」
七人が笑う。
学校が三つに分かれても、《希望の夜明け》は変わらない。
王立魔法学校へ通う五人。
王立騎士学校へ通うレオン。
王都の普通高校へ通うガルド。
平日はそれぞれ別の場所で学び、朝と夜には同じ寮へ戻ってくる。そして週末になれば、また七人でダンジョンへ向かう。
それぞれが別の場所で覚えたことを持ち寄れる今の生活を、アルトは結構気に入っていた。
◇◇◇
その日の魔術史の授業で、ベアトリス先生は二つの古い史料を教卓の上へ並べた。
「今日は、同じ戦いについて書かれた二つの記録を比べてみましょう。こちらには『王国軍、大勝』とあります。もう一方には『多数の負傷者を出しながら敵軍を退けた』とあります。さて、どちらが正しいと思いますか?」
一人の生徒が手を挙げた。
「どっちも王国軍が勝ったなら、大勝したっていう最初の方じゃないですか?」
「そう読むこともできます。ですが、勝ったという結果だけが分かっても、その戦いで何が起きたのかまでは分かりません」
ベアトリスは二つの史料へ視線を落とす。
「書かれたことと、起きたことは分けて考えましょう。記録はとても大切です。でも、一つの言葉だけを見て、その出来事のすべてが分かったと思ってはいけません」
アルトは昨日の模擬戦を思い出した。
記録だけなら簡単だ。
――ストライク勝利。アルト敗北。
それだけで終わる。
だが実際には違う。
最初の誘導は通じた。
攻撃も当てた。
ストライクが本気になってからも、何度か自分の狙いは通った。
最後も、相手の動きをまったく捉えられなかったわけではない。
見えていたのに、選ぶのが遅れた。
授業が終わると、アルトは昨日の模擬戦について書いたノートを開き、短く記してあった敗北という結果の下へ、気づいたことを書き足していった。
誘導は通じた。
攻撃を受けることまで計算して距離を詰められた。
本気になった後にも攻撃は当てられた。
最後の動きは見えていた。
――見えてから、次の術を選ぶまでが遅かった。
「晴明様、何を書いているのですか?」
「うわっ、近いって。それと学校ではアルトで頼むよ」
「あっ……すみません、アルト君。ですが、昨日の模擬戦についてですよね? もし差し支えなければ、あとで見せてもらえませんか。晴明様が敗北をどう分析するのかは非常に興味が――アルト君が、です」
「言い直してもあんまり変わってないぞ」
アリシアは少し前まで、アルトの術をどうして自分の《魔法複製》で再現できないのか悩んでいた。
ところがアルトの前世が安倍晴明だと知ってからというもの、その方向性が完全に変わってしまった。
今も手には、すでに何かがびっしりと書かれたノートがある。
「昨日のことも書いたの?」
「もちろんです。まだ整理の途中ですが」
「やっぱり書いてるんだ……」
「アリシア先輩らしいねっ」
声のした方を見ると、フィーネが数枚の紙を持って立っていた。
「アルト君、朝に言ってたやつ。昨日の試合で気づいたこと、忘れないうちに書いてみたよ」
「お、見せて」
受け取った紙には、ストライクが踏み込む前の足先の向き、剣を振る直前の重心の沈み方、最後の切り返しの前に右肩がわずかに下がっていたことまで記されていた。
「ここまで見てたのか?」
「全部合ってるかは分からないよっ。でも、アルト君が見ててくれって言ったから。わたし、術のことはアルト君みたいには分からないけど、人がどう動くかは弓を使うときにも見るから」
アルトは、自分のノートとフィーネの紙を横に並べた。
見ていたものが違う。
自分は符、結界、攻撃、足場、距離を見ていた。
フィーネは、その中で動く相手そのものを見ていた。
「俺が気づいてないことばっかりだな。これ、かなり助かるよ」
「ほんと?」
「ああ。最後も攻撃が来てから考えてたけど、こういう予備動作が分かれば、その前から次を考えられるかもしれない」
フィーネは嬉しそうに笑ったあと、もう一枚の紙を取り出した。
「それでね。数週間後にある一年生の春の実技評価なんだけど、わたし、精密射撃に出てみようと思ってるの」
「いいじゃん。フィーネ向きだと思う」
「でも、弓が得意な子はほかにもいるし、わたしより強い矢を撃てる子だっているよ。それに、わたしのギフトは《弓力(微)》だからねっ」
「精密射撃なら、強い矢を撃ったやつが勝ちってわけじゃないだろ?」
「そうだけど……」
「だったらやってみればいい。昨日だって、フィーネには俺が見えてないものが見えてた。そういうところなら、十分勝負できると思う」
フィーネは手元の紙をしばらく見つめた。
「昨日、アルト君が負けるところを見て、悔しいだろうなって思ったの。でも今日になったら、もう次にどうするか考えてるでしょう?」
「まあ、悔しいからな」
「だからわたしも、《微》だからって最初から無理だって決めるんじゃなくて、ちゃんとやってみたい」
フィーネが顔を上げる。
「わたしも、自分で勝ってみたい」
「だったら、俺は応援するよ」
「教えてはくれないの?」
「聞かれたら一緒に考える。でも、最後に弓を引くのはフィーネだろ? 自分で勝ちたいって言ったのに、俺が全部決めたら意味ないじゃん」
一瞬だけ目を丸くしたあと、フィーネは笑った。
「うんっ。それなら、困ったときは一緒に考えてね」
「もちろん」
本番までは、まだ数週間ある。
その前には、今週末の中級ダンジョンも待っている。
昨日、たしかにアルトは負けた。
けれど、敗北したからこそ気づいたこともあった。
そして今度は、その隣でフィーネが自分の勝負へ踏み出そうとしている。
「アルト君」
「ん?」
フィーネは背中の弓へそっと触れ、少し照れくさそうに笑った。
「今度は、わたしの番だから」
アルトも笑って頷いた。
次回更新は明日の12時の予定です。
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