第三十五話 勇者を本気にさせた日
# 第三十五話 勇者を本気にさせた日
翌日の放課後、王立魔法学校の実技場に集まったのは、アルトとストライク、監督役のマリア先生、それにフィーネ、ルウ、トウ、ノエル、マイルス、アリシア、ラインハルトくらいだった。正式な大会でも公開試合でもなく、教師の監督下で行う一度の模擬戦にすぎない。ただ、選抜試験で一度戦った二人が今度は最後まで決着をつけるとあって、その場にいる者たちの視線は自然と二人へ集まっていた。
「昨日説明した通り、HPが一割以下になった時点で敗北よ。危険な呪術や魂、精神へ直接作用する攻撃は禁止、私が止めたら何をしている途中でも即座に中止すること。二人ともいいわね?」
「うん、分かった」
「承知しました。よろしくお願いします」
マリアが二人のHPシステムを起動すると、薄い障壁が身体を包み、表示がともに百パーセントを示した。
【アルト HP100%】
【ストライク HP100%】
アルトは開始位置へ立ちながら、改めてストライクへ意識を向けた。
【ストライク・ローゼンベルク】
【Lv105】
【ギフト:《勇者》】
選抜試験から大きく数字が変わっているわけではない。それでも剣技、身体操作、魔力運用をはじめ、戦闘に関わる能力の並びは十五歳とは思えないほど高い。
そして自分へ意識を向ければ、
【アルト】
【Lv112】
【ギフト:なし】
第一章の終わりには百だった。それが晴明の記憶を取り戻し、以前なら手探りだった霊術を知識から組み直せるようになったことで、わずかな期間にもかかわらず成長速度は明らかに上がっている。
もちろん、どちらの数字も誰かへ話すつもりはない。そもそもレベルという概念を知る者さえ、この世界ではごく少数なのだ。
(数字だけなら俺の方が少し上か。でも、それで勝てるなら苦労しないよな)
選抜試験では勝った。しかし、あれは一発を通して次へ進む形式だった。今日は違う。相手のHPを最後まで削らなければ勝ちにはならない。
アルトは腰の符を確かめ、小さな式神を二体だけ地面へ放った。
「準備はいい?」
「いつでもどうぞ。選抜試験の借りは返させていただきますので」
「俺も昨日よりは強くなってるつもりだからな」
マリアが右手を上げる。
「それでは――始め!」
最初に動いたのはストライクだった。
一直線に距離を詰めてくる。その速さを見て、アルトは正面から受けることを最初から捨てた。
左から風を送る。
押し飛ばすほど強くない。だがそのまま踏み込めば身体の軸がわずかに崩れる程度には強い。
ストライクは右へ一歩ずれた。
(そこ)
右側には薄い結界を斜めに張ってある。見えにくい壁へ触れたストライクが、反射的にさらに半歩だけ進路を変える。
足元の土が盛り上がった。
「っ!」
ストライクが跳ぶ。
アルトはそれを待っていた。
空中へもう一枚の結界。
身体の向きがわずかにずれ、その着地点へ置いてあった符が光る。
火球が横から直撃した。
【ストライク HP100% → 86%】
「入った……!」
フィーネが小さく声を上げる。アリシアは声を出すより早く、猛烈な勢いでノートへ何かを書き始めていた。
ストライクは着地すると、自分のHPを一度確認してからアルトを見た。
「なるほど……わたくしを直接止めるのではなく、進む場所を少しずつ限定して、最後は貴方が望む位置へ誘導したのですね」
「もう分かったの?」
「一度見せていただきましたから」
ストライクが笑う。
「では次は、そのつもりでいきます」
再び踏み込んでくる。
今度は最初の風へ合わせ、剣と魔法で正面から流れを崩した。アルトが土を隆起させると、その位置を読んで避ける。
(昨日のラインハルト先輩と同じだ。でも、それは考えてある)
アルトは右側へ弱い水の術を飛ばした。
ストライクなら避ける。
そう思った。
しかしストライクは避けなかった。
水の一撃を肩で受け、そのまま前へ出る。
【ストライク HP86% → 81%】
「受けた!?」
「今日は一発受ければ終わりではありませんからね。これくらいなら、距離を詰める方が得です!」
一気に懐へ入られる。
剣。
アルトは結界を出したが、完全には止めきれない。防御ごと押し込まれ、HPが一気に減った。
【アルト HP100% → 74%】
「なるほど……そういう戦い方もあるのか」
「考えている暇はありませんよ!」
「だったら、考えながら戦う!」
アルトは後ろへ下がりながら符を二枚投げた。
一枚目は火。
ストライクが避ける。
二枚目も火――に見せた。
実際に発動したのは足元の土だった。
「これは――」
足がわずかに沈む。
その瞬間、小さな式神が死角側へ回り込んだ。アルトは共有された視界からストライクの剣の位置を読み、結界を斜めに出して軌道だけを変える。
空いた場所へ雷の符。
弾けた。
【ストライク HP81% → 55%】
今度は、その場にいた誰も声を出さなかった。
ただフィーネが息を呑み、ラインハルトが腕を組んだまま少し目を細める。
「昨日の一回目より、もう複雑になってるな……」
アリシアだけは小声で、
「晴明様……やっぱりすごい……」
と呟いていた。
ストライクは自分のHPを見た。
五十五パーセント。
まだ半分以上ある。
しかし、それまで浮かべていた余裕のある笑みが少しだけ変わった。
「アルト」
「ん?」
「選抜試験で負けたあとも、正直なところ、次に普通に戦えばわたくしが勝てると思っていました」
「そうだったの?」
「ええ。ですが、それは貴方に失礼だったようです」
ストライクは剣を構え直した。
「ここからは、本気でいきます」
何かが爆発したわけではない。
光に包まれたわけでもない。
それなのに、アルトにははっきり分かった。
次の一歩が違った。
「速っ――」
風を出すより先に進路を変えられた。
土を隆起させようとした位置へ入らない。
符を投げれば、それが発動する前に剣で弾く。
結界を張れば壊そうとするのではなく、縁を滑るように通り抜ける。
速さだけではない。
判断が速い。
こちらが選択肢を作ってから選ばせるのではなく、選択肢そのものが完成する前に潰してくる。
「アルト君、気をつけて!」
フィーネの声が飛んだ直後、ストライクの剣が結界を抜けた。
【アルト HP74% → 48%】
「くっ……!」
アルトは下がる。
しかし、まだ終わるつもりはない。
(追いつけないなら、来る前に置く)
火ではなく、水。
地面を濡らす。
その上へ土。
足場をわずかに変える。
正面へ結界を一枚。
その外側にもう一枚。
ストライクは一枚目を避け、二枚目も読んで抜けた。
(そこまででいい)
死角に残していた符が光る。
「なっ――!」
風と雷が同時にストライクの身体を捉えた。
【ストライク HP55% → 36%】
「やった!」
今度はフィーネの声が少し大きくなる。
「本気になったストライクへ、まだ通したか……」
ラインハルトが感心したように呟く。
しかしアルトには喜んでいる余裕はなかった。
そこからのストライクはさらに厄介だった。
同じ符を二度見ない。
式神の位置まで意識している。
アルトが何を見ているかを逆に読もうとしてくる。
剣撃を一度受け止めた。
【アルト HP48% → 29%】
(まだいける。でも次は何を使う? 風なら避けられる。土はもう読まれてる。水から雷か、それとも先に結界を――)
使える術はある。
むしろ多い。
火。
風。
水。
土。
雷。
式神。
結界。
幻想。
晴明だった頃の知識は、思い出せば思い出すほど増えていく。
けれど――選ぶ時間が必要だった。
右からストライクが来る。
「風!」
避けられる。
なら土。
跳ばれる。
空中へ結界。
ストライクが剣を振り上げた。
(来る!)
アルトは正面へ防御を置く。
だが剣は振り下ろされなかった。
ストライクが着地寸前で一度身体を沈め、逆側へ切り返した。
式神の視界には見えている。
アルト自身にも見えている。
それでも、次の術へ切り替えるよりわずかに早く剣が届いた。
【アルト HP29% → 8%】
鋭い警告音が鳴る。
「そこまで!」
マリアの声と同時にHP障壁が試合終了を示した。
アルトは数秒その場に立ったまま、自分の表示を見つめた。
八パーセント。
敗北。
「……負けたな」
ストライクも荒くなった呼吸を整えながら剣を下ろす。そのHPは三十六パーセント。決して余裕の勝利ではなかった。
「ええ。今回は、わたくしの勝ちです」
そう言ってから、ストライクはアルトへ手を差し出した。
「ですが、ここまでわたくしに出させたのは貴方です。選抜試験の時とは、まるで別人のようでした」
アルトはその手を取った。
「負けは負けだ。次は、その先まで行く」
「ええ。ですが、次もわたくしが勝ちますので」
「それはやってみないと分からないだろ」
二人が笑うと、マリアが近づいてきた。
「二人ともお疲れさま。ストライクはきちんと相手に合わせて戦い方を変えられていたわ。アルト君も組み立て自体は通っていた。問題は最後ね」
「やっぱり、迷ったところ?」
「そう。手札を知らないわけじゃない。むしろ逆よ。あなたは使える手札が急に増えすぎて、その中から何を出すかを選ぶのに一瞬遅れている。知っていることと、実戦で瞬時に使えることは別なの」
「なるほど……昔の俺なら出来たことでも、今の俺が同じように出来るとは限らないもんな」
「そこが分かったなら十分よ。次は、崩された後の一手ね」
ラインハルトが二人のところへ来て、楽しそうに笑った。
「いやあ、最近の一年はどうなってるんだ? 《勇者》はいるし、もう一人は安倍晴明様だし」
「先輩、また様が付いてる!」
「これはまだ直らないって!」
隣ではアリシアが大事そうにノートを閉じた。
「晴明様、本日の敗北まで含めて、すべて記録しました!」
「負けたところは消してくれない?」
「絶対に嫌です!」
「やっぱりそう言うと思ったよ……」
帰り道、昨日と同じようにフィーネがアルトの横を歩いていた。
「アルト君、最後のところなんだけどね。ストライク君が本気になった少し前と、最後に切り返す直前、右肩がほんの少し下がったように見えたの」
「右肩?」
「うん。ほんとに少しだけだから、わたしの気のせいかもしれないけど……昨日、ちゃんと見ててって言われたから、ずっと見てたんだよっ」
アルトは試合の最後を思い出した。
自分は符、結界、足元、剣ばかりを見ていた。
「俺、全然気づかなかった。ありがとう、フィーネ。次はそこも見るよ」
「うんっ。わたしも一緒に見るね」
アルトは笑った。
負けたのは悔しい。
それでも、昨日より一つ、見えるものが増えた気がした。
その日の夕方。
誰もいなくなった実技場の近くで、ストライクは一人、先ほどの勝負を思い返していた。
「……やはり、選抜試験の時より強くなっていますね。このわずかな期間に、目に見えて成長するとは。彼の成長速度は、ギフトなしでは説明できません。いったい、どういうことなのでしょう?
模擬戦を申し込むのは早すぎる気もしましたが、私の勘が早く彼と模擬戦をやれと言っていました。やってみて正解でしたね。やはり彼のことは注目しておかなければなりませんね」
一方、少し離れた場所を歩いていたマイルスも、今日の戦いを思い返しながら小さく呟いた。
「……やっぱり彼は面白い。模擬戦でも、人族最強のギフト《勇者》にここまで対抗できるとはね。しかも選抜試験の時より、明らかに強くなっている……」
そして、誰にも聞こえないほどの声で続けた。
「彼は――ボクたちの最後の希望なのかもしれないね」
次回更新は明日の12時の予定です。
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