第三十三話 推し活開始
# 第三十三話 推し活開始
翌日の放課後、アルトはセオドアに頼み込み、昨日アリシアが複製できなかった風の霊術を調べるため、魔術研究室の一つを借りていた。研究室にはセオドアのほか、当事者であるアリシア、昨日から妙にこの話へ食いついているマイルス、そして精霊魔法との違いが気になるというフィーネまで集まっている。
「まず昨日と同じくらいの風を、普通の魔術とアルト君の霊術で起こして比べてみようと思うんだけど、これでいい?」
アルトがそう言って、天井から吊るした薄い木板を指差すと、セオドアはすぐには頷かなかった。
「その前に一つ聞こう。アルト君の言う『同じくらいの風』とは、何をもって同じとするんだ?」
「え? 同じくらい板が動けば、だいたい同じじゃないの?」
「では、板が同じ距離だけ動いても、一瞬だけ強い風が吹いた場合と、弱い風が長く吹いた場合は同じなのか。板の重さが違っていてもいいのか。窓から別の風が入ってきたらどうする?」
アルトは口を開いたまま少し考え、それから吊るされた板を見直した。
「……なるほど。同じだと思って比べても、他の条件が違ってたら何が原因か分からなくなるのか」
「そういうことだ。だから先に、なるべく変えないものと、意図的に変えるものを決める。対象の重量、距離、室内の状態、術を当てる時間、それらを可能な範囲で揃えたうえで、まず一つだけ違う条件を作るんだ」
「先生、それ最初から全部教えてよ」
「焦らなくていい。そのために私は教師をしているんだからね」
セオドアが笑うと、マイルスも横で小さく笑った。
「アルトは答えを聞くより、調べ方を教えてもらう方が向いてそうだね」
「だって調べ方が分かれば、別のことにも使えるだろ」
「ボクもそう思うよ。一つだけ条件を変えて比較するのは、かなり使いやすいやり方だからね」
アルトは何気なくマイルスを見たが、本人は普通に測定用の紙へ数字を書き込んでいた。
実験はアリシアの風魔術から始めることになった。木板の重量と位置を揃え、風を当てる時間も砂時計で計ると、アリシアは昨日使った初級風魔術を発動する。
板が揺れた。
一回目の距離を記録し、二回目、三回目と繰り返すと、細かな差はあっても結果はかなり近い。
「アリシア君の《魔法複製》は、こういう試験では便利だな。同じ術式を繰り返す精度が高い」
「ありがとうございます。ただ、昨日から一つだけ、どうしても複製できないものがありますけど」
アリシアはそう言ってアルトを見る。
「じゃあ俺も同じくらいの風にしてみる」
アルトは符を一枚取り出した。晴明の記憶が戻ってからは、火、風、水、土、雷といった五つの系統を霊術として組み直す感覚が急速に戻り始めている。結界や呪術の基本も頭の中にはあり、ネズミや小動物を探知役として使う方法まで思い出してきたが、知識が戻ったからといって、今の身体ですべてを以前と同じように使えるわけではない。
符に霊力を流し、木板へ風を送る。
一回目。
二回目。
三回目。
記録を見たアルトは首を傾げた。
「同じようにやったつもりなんだけど、アリシア先輩よりばらついてるな」
「なら、君の技量がまだ未熟という可能性が一つ。しかし、それだけで決めるのは早い」
「他にもある?」
「術者以外の条件が影響している可能性だ。君の霊術が魔術と違うものなら、我々がまだ測っていない何かを使っているのかもしれない」
その言葉に、アルトは昔の記憶を探る。
晴明だった頃、術を使う場所によって明らかに効きが違うことはあった。土地の状態、周囲にいる生き物、霊的な流れ、時間帯。経験として知っていたことは多いが、それらを一つずつ切り分けて確認しようとしたことは、思い返せばほとんどない。
「先生のやり方って、昔の俺にはなかったかもしれない」
「昔?」
「いや、それは後で話す。それよりもう十回やってみよう。窓も閉めて、符も同じ紙で作る」
アルトの目が完全に研究へ向いたのを見て、フィーネがくすっと笑った。
「アルト君、また止まらなくなってるよっ」
「でも面白いだろ。俺、同じ術なら毎回ほぼ同じになると思ってたんだ」
「それなんだけど、わたしの精霊魔法も少し似てるかもしれないよ?」
アルトがすぐに振り返った。
「どういうこと?」
「わたしが同じようにお願いしても、サクラが力を貸してくれる感じって毎回少し違うの。元気なときもあるし、あんまり乗り気じゃないときもあるし、それに場所によっても違う気がするんだよっ」
「サクラって、桜の精霊だよな?」
「うんっ。わたしの友達」
アルトは少し考え込み、やがて机の上の紙へ三つの言葉を書いた。
魔術。
霊術。
精霊魔法。
「魔術は術者が自分の魔力を使う。霊術は……まだちゃんと説明できないけど、俺一人だけで完結してない感じがある。精霊魔法もフィーネ一人じゃなく、サクラと一緒に使うなら、こっちの方が霊術に近いのかもしれないな」
「じゃあ、わたしのも一緒に調べる?」
「いいの?」
「もちろんだよっ。わたしも精霊魔法のこと、もっと分かるようになりたいもん」
「じゃあ決まりだな」
フィーネが嬉しそうに頷くと、セオドアも新しい紙を取り出した。
「比較対象が三つになったな。ただし、一度に全部を調べようとするなよ。分からなくなったら、また一つずつだ」
「分かった。先生、このやり方、かなり便利だな」
「便利というより、長い時間をかけて積み上げられてきた考え方だよ」
アルトはその言葉に少し引っかかったが、そのときアリシアが再び符へ視線を向けた。
「アルト君。もう一度だけ、私にも試させてもらえますか?」
「もちろん」
アルトが同じ風の霊術を使う。アリシアは瞬きすら惜しむように見つめ、《魔法複製》を働かせた。
しかし、何も起きない。
もう一度。
やはり風は生まれなかった。
「……やっぱり駄目です。普通の魔術なら、理解できた術式そのものが頭の中に入ってくるような感覚があるのに、アルト君の術だけは、何を複製すればいいのかさえ分からないんです」
「俺も、なんで出来ないのかはまだよく分からない。でも、魔術とは仕組みが違うってことだけは、かなり確からしくなってきたな」
アリシアは符を見つめたまま、少し迷うような顔をした。
「一つ、聞いてもいいですか? その術は誰に習ったんです?」
「誰にっていうか……前世の俺が使ってたものだと思う。最近記憶が戻ったんだ」
「前世?」
アリシアの声が変わった。
「アルト君、前世はどこにいたんですか?」
「日の本だな。大和って言った方が近いのかな。京に住んでた」
アリシアが完全に止まった。
マイルスの手も、ほんの一瞬だけ止まる。
「……いつ頃ですか?」
「今から千年くらい前だと思う。こっちへ来てから年代の数え方も違うし、正確には分からないけどな」
「京……千年前……日の本……」
アリシアの口から小さく言葉が漏れる。
「アルト君、もしかして……陰陽師だったんですか?」
「そう呼ばれてたな」
「お名前は?」
「昔の名前?」
「はい。お願いします」
アルトは、なぜ急にそこまで真剣になったのか分からず首を傾げた。
「安倍晴明だけど」
研究室が静かになった。
「…………」
「アリシア先輩?」
「せ……」
「せ?」
「晴明様ぁぁぁぁぁっ!?」
「ええっ!?」
突然の大声にフィーネが肩を跳ねさせ、アルトまで思わず一歩下がった。
「本物ですか!? 本当に安倍晴明様!? 平安京の陰陽師で、式神を使って、あの安倍晴明様なんですか!?」
「たぶんその安倍晴明だと思うけど、今はアルトだから落ち着いてくれない?」
「落ち着けるわけありません! 私、前世で晴明様が大好きだったんです! 本もゲームも漫画も――あっ」
アリシアが止まる。
アルトが目を細める。
「本? ゲーム?」
横からマイルスが、思わずと言った様子で呟いた。
「やっぱり安倍晴明様だったんだね」
今度はアルトがマイルスを見る。
「やっぱり?」
「…………」
「マイルス?」
「まあ、ここまで来たら隠す意味も薄いかな。ボクの前世も日本人だよ。君より千年くらい後の時代だけどね」
「日本……?」
「日の本の、ずっと後の呼び方だと思えばいいよ」
「マイルスも転生者だったのか」
アルトが驚いていると、今度はセオドアが額へ手を当てた。
「安倍晴明様とは……いや、これはさすがに驚いた。アルト様――いや、アルト君」
全員の視線がセオドアへ集まる。
数秒の沈黙。
「先生、今『様』って言った?」
「言っていない」
「言いましたね」
マイルスが即座に指摘する。
「マイルス君、こういうときだけ正直だな」
アリシアが勢いよくセオドアへ振り向いた。
「先生も日本人だったんですか!?」
「前世はね。私は物理学を学んでいた。こちらへ転生してからは、この世界の魔術研究を続けている」
アルトは三人を順番に見る。
「……つまり、アリシア先輩も、マイルスも、セオドア先生も、みんな同じ日の本のずっと後の時代から来たってこと?」
「そうなります!」
「そういうことだね」
「大雑把にはそうだ」
三人から返事が返ってきた。
「全員じゃん!」
フィーネが耐えきれず笑い出した。
「なんか、すごいことになっちゃったねっ」
「わたしにとってはもっとすごいんです!」
アリシアは再びアルトへ向き直り、ノートを胸元へ抱える。
「晴明様、先ほどの符をもう一度詳しく見せていただけませんか。それから式神の作り方と、五行の術と、結界と、もし呪術も使えるなら――」
「ちょっと待って。普通にアルトって呼んでくれない?」
「分かりました、アルト様!」
「様もいらないって!」
「努力します!」
「そこ努力が必要なの!?」
マイルスが肩を震わせ、セオドアまで笑いを堪えている。
「でも、これは研究としてもかなり面白いね。アリシア先輩の《魔法複製》で再現できないなら、通常魔術とは根本構造が違う可能性が高い。それに、先生の実験方法を使えば少しずつ切り分けられるだろう?」
「うん。それにフィーネの精霊魔法も比べたい。晴明だった頃に知ってたことを思い出すだけじゃなくて、こっちの世界の魔術を知れば、もっと違うやり方も見つかるかもしれない」
セオドアは、その言葉を聞いて静かに頷いた。
「それでいい。前世でどれほど有名だったとしても、君は今ここへ学びに来た生徒なんだからね。私が教えられることは教えるし、君から学べるものは私も学ぶ」
「うん。よろしく、先生」
「こちらこそ。アルトさ……アルト君」
「また様づけしそうになったよね?」
「気のせいだ」
「絶対違うと思う」
研究室にまた笑いが起きた。
そのとき、開いたままの扉から声がした。
「ずいぶん楽しそうですね」
ストライクだった。
「ストライク、どうした?」
「少し貴方に用がありまして。選抜試験からこちら、また色々と新しいことを覚えているようですし、今の貴方と一度きちんと戦ってみたくなりました」
「選抜で戦っただろ?」
「ペイントを一発つければ終わる試験でしたからね。次はHPシステムを使って、どちらかが敗北判定を受けるまで続けませんか?」
アルトは少しだけ笑った。
「HPシステムとやらは分からんが、いいぞ。俺も、今の自分がどこまでやれるのか試したい」
「では決まりですね。今度こそ、わたくしが勝ちますので」
「俺だって負けるつもりはないからな」
アルトとストライクが笑って視線を合わせる一方、その少し後ろでは、アリシアがすでにアルトの符を何枚見せてもらえるか考え始めていた。
王立魔法学校へ入って、まだほんの数日。
アルトは現代の学問という、自分が前世では知らなかった新しいものを学び始め、同時に、自分と同じ世界から来た転生者たちとも出会った。
そしてその中の一人には、どうやら早くも妙に熱心な追っかけまで出来てしまったらしい。
アルト自身は、まだその厄介さをよく分かっていなかった。
次回更新は明日の12時の予定です。
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