第二十五話 千三十六年ぶり
# 第二十五話 千三十六年ぶり
王立魔法学校の第一段階を終え、暫定八百十二位という順位を叩き出した夜、アルトは宿の自室で翌日の魔術実技について考えるでもなく、机に置かれた小さな紙人形を眺めていた。
魔力零、ギフトなし。
そこだけを評価された結果なのだから、順位そのものはそれほど気にしていない。明日から自分が十五年間積み重ねてきたものを見せればいいし、晴明の記憶が戻った今は、むしろ以前より遥かに効率よく術を使える。
それよりも、ずっと気になっていることがあった。
安倍晴明。
陰陽術。
十二神将。
そして、その中でも特別だった一柱。
騰蛇。
炎を司る神将で、遥かな昔には蛇だったものが長い年月を経て黄金の龍へと至った存在。全盛期の晴明より遥かに強く、力で従わせるなど最初から出来る相手ではなかったし、晴明自身もそんなことをしようとは思わなかった。
協力してほしい。
最初は、それだけだった。
互いに利益のある条件を出し、必要なときに力を貸してもらう。やがて何度も一緒に戦い、話し、笑い、友となり、親友となり、いつしかその言葉でも足りない関係になった。
晴明の膨大な記憶を整理すればするほど、アルトには一つの疑問を無視出来なくなっていた。
トウ。
《探知(小)》というギフトでは説明出来ない能力。
ときどき壊れるように消える表示。
式神術の練習をしていたときには、教えてもいないのに霊力の流し方へ口を出した。
それだけなら偶然と言えたかもしれない。
だが晴明の記憶を取り戻した今なら分かる。
気配が似ているのではない。
魂が、知っている。
「……やっぱり、そうだよな」
アルトは立ち上がった。
◇
少しして廊下へ出ると、ちょうど自分の部屋へ戻ろうとしていたトウを見つけた。
「トウ、ちょっといい?」
「どうしたんだな。うん」
「俺の部屋に来てくれる? 二人だけで話したいことがある」
ほんの一瞬だった。
トウの表情が止まった。
けれどすぐに、いつもの顔へ戻る。
「分かったな。うん」
二人で部屋へ入る。
アルトは扉を閉めると、さらに念を入れて窓まで確認した。
「ちょっと待ってて」
晴明の記憶に従って霊力を巡らせ、部屋全体を包むように結界を張る。音を遮り、気配を遮り、内部の霊力の揺らぎさえ外へ漏らさない。
数日前までのアルトなら作ることさえ難しかった高度な結界だが、晴明の知識が戻った今は、まだ全盛期には遠くても理屈だけは完全に理解出来る。
その結界を見た瞬間、トウの指先が小さく震えた。
アルトは気づいていた。
「晴明の記憶が戻ってから、ずっと考えてたんだ」
「……何をだな。うん」
「十二神将のこと」
トウの表情から、わずかに色が消えた。
「その中に騰蛇って神将がいた。ものすごく強くて、晴明よりずっと強かった。だから式神って言っても、俺が無理やり従わせたわけじゃない。最初は協力してもらってただけだった」
トウは何も言わない。
「でも、そのうち友達になった。親友になって、それからもっと近くなって……最後には、夫婦とか恋人とか、そういう言葉だけじゃ足りなくなってた」
トウの唇が震えた。
アルトは静かにその顔を見つめる。
「俺、ずっと気づかなかったんだな」
七歳の頃から、すぐそばにいた。
毎日の訓練にもつき合った。
学校へも一緒に通った。
ダンジョンでは誰より早く危険を知らせてくれた。
何も思い出していないアルトのそばで、ずっとトウとして生きていた。
けれど今なら分かる。
アルトは、その名前を呼んだ。
「騰蛇」
その瞬間だった。
トウの顔が完全に崩れた。
「せいめいさまーーーーーー!」
胸へ飛び込んできた身体を、アルトは反射的に受け止めた。
「うわっ……!」
騰蛇はアルトの服を両手で掴み、顔を胸へ押しつけたまま、声を上げて泣いた。
いつもの平然とした表情も、「うん」と淡々と答える口調も、何も残っていなかった。
千年以上。
安倍晴明が死んだ地球の西暦一〇〇五年から、転移ゲートが閉じて晴明の魂が最後の転生者となった二〇二六年まで、千二十一年。
ミッドガルド歴五〇〇年にアルトとして生まれ、そして現在は五一五年。
晴明が最後にその名を呼んでから――千三十六年。
騰蛇は、その間ずっと忘れていなかった。
晴明の魂が別の世界へ渡れば追いかけ、アルトとして生まれたことを感じ取れば、そのそばまでやってきた。
思い出してもらえなくてもよかった。
気づかれなくてもよかった。
ただ生きていてほしかった。
守れれば、それでよかった。
それでも。
もう一度、名前を呼んでもらえた。
アルトは騰蛇の背中へ腕を回した。
どれほどそうしていたのか、自分でも分からなかった。
騰蛇は泣き続けた。
アルトは何も言わず、その身体を抱きしめていた。
千三十六年。
ようやく、その名前をもう一度呼ぶことが出来た。
◇
翌朝。
「……トウちゃん、近くない?」
宿の食堂へ向かう廊下で、フィーネが怪訝そうな顔をした。
アルトのすぐ横を歩いているトウの肩は、ほとんどアルトの肩へ触れている。
「そうか? いつも通りだな。うん」
「絶対違うよっ! 昨日までそんなにくっついて歩いてなかったよっ!」
「フィーネの気のせいじゃないかな。うん」
涼しい顔で言いながら、トウはごく自然にアルトの腕へ自分の腕を絡めた。
「待て」
今度はルウが止まった。
「トウ、お主、今一体何をしておる?」
「歩いてるだけだな。うん」
「歩くために腕を組む必要がどこにあるのだ!」
「こうした方が歩きやすいかもしれないな。うん」
「明らかに歩きにくいであろう!」
アルトも苦笑する。
「トウ、さすがにちょっと近いって」
その言葉に、トウがアルトを見上げた。
「嫌か?」
一瞬だけだった。
昨日泣きじゃくっていた騰蛇の顔が重なる。
「……まあ、別に嫌じゃないけど」
「そうか。なら問題ないな。うん」
さらに密着した。
「問題あるよっ!」
フィーネがすぐ反応した。
「わたしだってアルト君と腕組みたいのに、なんでトウちゃんだけなの!」
「なんでそうなるんだよ!」
ルウはしばらく二人を観察すると、目を細めた。
「お主ら、昨夜何かあったな」
「まあ……ちょっと」
「ちょっと何があったのだ?」
「トウが話していいって言うまで、俺からは言わない」
「二人だけの秘密まで出来てるーーー!」
フィーネの声が宿の廊下へ響いた。
トウだけは、何事もなかったような顔をしている。
「朝から元気だな。うん」
「誰のせいだと思ってるの!」
なお、昨夜感情が決壊した瞬間にだけ口から出た「晴明様」という呼び方を、トウがもう一度使うことはなかった。
晴明の記憶がある。
晴明から続く魂でもある。
それでも今ここにいるのは、アルトだ。
二人とも、それは最初から分かっていた。
「アルト、試験遅れるぞ。早く行くな。うん」
「お前が腕離したらもうちょっと速く歩けるんだけど」
「これくらいなら歩けるな。うん」
「絶対離す気ないだろ」
「うん」
「そこは素直なんだな……」
◇
第二試験の魔術実技は、王立魔法学校にある複数の演習場を使って同時に行われた。
課題は攻撃、制御、防御の三つ。
最初に目を引いたのは、やはりストライク・ローゼンベルクだった。
《勇者》のギフトを持つ侯爵家の少年は、攻撃では高出力の魔法で標的を正確に破壊し、制御課題でもほとんど乱れを見せず、防御魔法も高い水準で成立させた。
「さすが勇者だ……」
周囲から声が上がる。
「ありがとうございます。しかし、わたくしとしては、まだ力の配分に改善出来る部分があったと思います。もう少し無駄を減らせればよいのですが」
「普通に強いな、あいつ」
アルトは素直に感心した。
一方、マイルスの実技は派手ではなかった。
必要な標的だけを壊し、必要な量だけ魔法を使い、余分な光も衝撃もほとんど出さない。
「マイルス、無駄ほとんどないな」
アルトが言うと、ちょうど戻ってきた本人が笑った。
「力いっぱい撃つ必要なんてないんだよね。課題を達成出来れば、それ以上は消耗するだけだと思うよ」
「やっぱ頭使ってるな」
「君にそう言われると悪い気はしないね」
フィーネは精霊魔法と弓を組み合わせ、トウは探索魔法と幻想魔法で課題そのものを巧みに処理し、ノエルは回復魔法を細かな出力で制御した。ルウは相変わらず攻撃、防御、制御のどれをやらせても高水準で、試験官から「専門はどこなのか」と聞かれて少し困らせていた。
そしてアルトの順番になった。
試験官が書類を見る。
「魔力測定値、零。ギフト、なし……使用可能な魔術を申告してください」
「魔術は使えません」
試験官の手が止まった。
「……何ですって?」
「陰陽術なら使えます。魔力じゃなくて、霊力っていう別の力を使う術です」
「陰陽術……推薦書に記載されていた未知術体系ですね。課題を満たせるのであれば、使用を認めます」
「ありがとうございます」
アルトは最初の標的へ手を向けた。
「エアカッター!」
三枚の風刃が異なる軌道を描き、標的を同時に切断する。
続けて複数の火球。
直線ではなく、途中で軌道を変えながら別々の標的へ命中した。
最後は雷を細く絞り、標的内部の金属機構だけを停止させる。
試験官が魔力計を見る。
零。
術を三種類使っても、表示は動かなかった。
「本当に魔力を消費していない……」
「最初からないですから」
◇
制御試験は、さらにアルト向きだった。
小さな火で蝋燭の芯だけを点け、水を指定された量だけ器へ移し、風で薄い紙一枚だけを浮かせ、土を指定された形へ整える。最後は雷を金属棒だけへ通し、隣に置かれた器具には一切影響を与えない。
晴明の記憶が戻ったことで、以前とは比べものにならないほど霊力の無駄が減っている。
「五種類すべてを、これほど細かく制御出来るのですか……」
「火と風は長く練習してるので得意です。水と土と雷は後からですけど、やり方が分かったので最近かなり楽になりました」
試験官には「やり方が分かった」の意味までは分からない。
防御試験ではアルトが結界を選んだ。
「防御魔法ではありませんが?」
「結界術です。攻撃を止められればいいんですよね?」
「……認めます」
教師の攻撃が透明な境界へ衝突する。
一発。
二発。
三発。
それでも割れない。
さらに威力が上がると一部が揺れたが、アルトは攻撃を受けながら支点へ流す霊力を調整し、衝撃を結界全体へ分散させた。
「今、攻撃を受けながら構造を変えましたか?」
「右に偏ったので直しました」
試験官がしばらく黙った。
◇
試験を終えると、またストライクが近づいてきた。
「アルトさん、本当に魔力を使っていないのですね。昨日は失礼いたしました。しかし、これほど多くの術を続けて使われて、お疲れではありませんか?」
「大丈夫だって!」
昨日より返事が早かった。
「そうですか。それなら安心しました」
ストライクは心底安心した顔で去っていく。
アルトはその背中を見送った。
「やっぱ、いい奴なんだけどな……」
「アルト、あいつ苦手なのか? うん」
すぐ隣からトウが聞く。
「苦手っていうか、なんか調子狂うんだよ」
「そうか。うん」
「それよりトウちゃん!」
フィーネが割って入る。
「試験終わったんだから、そろそろアルト君から離れてよ!」
「試験が終わったことと関係ないな。うん」
「あるよっ!」
◇
夕方。
第二試験までを反映した暫定順位が掲示された。
昨日。
千人中八百十二位。
今日。
アルトの名前を探したフィーネが大きな声を上げる。
「アルト君、五百三位!」
「お、三百九人抜いた」
「三百人以上だよ! すごいよっ!」
「でも合格は四百四十人だから、まだ六十三人足りないな」
「なんでそんなに冷静なの?」
「次の試験あるだろ?」
ルウが腕を組む。
「昨日と同じことを言っておるな」
「だって本当にまだ終わってないし」
そこへマイルスもやってきた。
「八百十二位から五百三位か。君、本当に面白いね。魔力とギフトではほとんど評価されなかったのに、実技だけで三百人以上抜いたんだよね」
「でもまだ落ちる順位だぞ」
「だから面白いんだよ。あと一つ試験をやれば、どこまで行くのか見たくなるじゃないか」
「マイルスも変わってるな」
「君ほどじゃないと思うよ」
アルトは笑った。
◇
その夜、久しぶりに自分の数字を確認する。
《アルト Lv99》
《剣術 熟練度8》
《体術 熟練度8》
《意思疎通 熟練度9》
《霊力操作 熟練度9》
《火行術 熟練度9》
《風行術 熟練度9》
《水行術 熟練度8》
《土行術 熟練度8》
《雷術 熟練度7》
《結界術 熟練度8》
《呪術 熟練度7》
《式神術 熟練度4》
《幻想術 熟練度4》
《加護 神獣の友》
《加護 騰蛇と一心同体》
「九十九か」
あと一つ。
だが数字そのものより、晴明の記憶が戻ってから自分の伸び方が明らかに変わっていることの方が面白かった。
正しい方法を知っている。
だから同じ一時間でも、昨日までとは得られるものが違う。
アルトは翌日の試験内容を見る。
《第三試験――応用・複合課題》
「次は何やらされるんだろうな」
横から、いつの間に入ってきたのかトウが覗き込む。
「アルトなら大丈夫だな。うん」
「近いって。文字見えないだろ」
「見えるな。うん」
そこへ扉の外からフィーネの声が飛んできた。
「トウちゃーん! またアルト君の部屋にいるでしょーーー!」
「……よく分かったな」
「朝からずっと見てれば分かるよーーー!」
トウは涼しい顔でアルトを見る。
「明日も面白そうだな。うん」
暫定五百三位。
合格圏まで、あと六十三人。
第一章最大の選抜試験は、まだ半分も終わっていなかった。
次回更新は明日の12時の予定です。
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