第二話 ギフトがなくても
# 第二話 ギフトがなくても
ギフトがないと分かったからといって、翌朝が来なくなるわけではなかった。
いつもの時間に目を覚ましたアルトは、まだ少し眠い目を擦りながら服を着替え、家族を起こさないようにそっと家の裏へ出ると、昨日までと同じ場所に置いてある木剣を手に取った。神殿で《ギフトなし》と告げられたことも、魔力までないと分かったことも夢ではなく、思い出せば今でも胸の奥が少し重くなる。それでも木剣を握って構えてみれば、昨日までと重さは変わらず、腕も脚もちゃんと動いた。
「いーち、にーい、さーん……」は
「……やっぱりやってるのか」
声に振り向くと、寝起きらしいマックスが庭の入口に立っていた。
「何が?」
「何がって、剣の練習だよ。昨日あんなことがあったから、今日はさすがに休むのかと思ってたんだが」
「なんで?」
「なんでって……」
マックスはそこで言葉に詰まった。
「お前には剣のギフトがなかっただろ?」
「うん」
「だから、その……剣を続けるのが嫌になったんじゃないかと思ってな」
アルトは木剣を止め、少しだけ考えた。
昨日は確かに嫌になりかけた。
自分には何もないと言われ、毎日やってきたことに意味なんてなかったのではないかと思った。けれど、結局昨日も剣を振ったし、今朝起きたらやはり身体が勝手に庭へ向かっていた。
「でも俺、昨日より下手になったわけじゃないだろ?」
「……まあ、それはそうだな」
「だったらいいじゃん。二十七、二十八……」
「途中から続けるのか」
「父さんが話しかけるから忘れそうになっただろ」
「悪かったよ」
マックスは苦笑すると、自分も木剣を一本手に取った。
「じゃあ今日は、父さんが少し相手してやるか」
アルトの木剣が止まった。
「ほんと?」
「ああ。ただ振ってるだけじゃ分からないこともあるからな。今日は打ち合ってみよう。ただし、父さんはちゃんと手加減するぞ」
「分かった。いくぞ!」
「もうかよ。まあいい、来い」
アルトは勢いよく地面を蹴り、父へ向かって木剣を振り下ろした。
カンッ!
「あっ」
次の瞬間には木剣を横から弾かれ、その勢いで尻餅をついていた。
「もう一回!」
「早いな」
「今のどうやった?」
「お前が真正面から振ってきたから、横から払っただけだ」
「じゃあもう一回!」
二度目も簡単に弾かれ、三度目には木剣を受け止められ、四度目には攻撃する前に父の木剣が額のすぐ前で止まった。
「参ったか?」
「まだ」
「しつこいなあ」
「父さん、なんで俺が打つ前に分かるの?」
マックスが少し意外そうな顔をする。
「分かるって?」
「俺がこっちから打とうとしたら、父さんはもう動いてるだろ?」
「なるほど。お前、そういうところはちゃんと見てるんだな」
「教えて」
「剣だけを見るな。相手の肩や腰、それから足も見るんだ。剣を振る前には身体が先に動くからな。慣れれば少しずつ次の動きが分かるようになる」
「肩と腰と足……」
アルトはすぐに構え直した。
「もう一回!」
「まだ説明の途中なんだけどな」
「やりながら教えて!」
「はいはい」
それから何度も挑み、何度も負けた。肩を見ようとすれば腰を見るのを忘れ、腰を見ているうちに剣が飛んできて、足まで見ようとすれば何も分からなくなる。それでも十回近く繰り返した頃、マックスが軽く振った木剣を、アルトは初めて身体を横へずらしてかわした。
「お?」
「今の!」
「今の?」
「今のもう一回やって!」
「お前、避けられたことより、どうやったかの方が気になるのか?」
「だってもう一回できたら、偶然じゃないだろ?」
マックスは少し黙った後、笑った。
「なるほどな。じゃあ、あと三回だけだ」
「五回」
「三回」
「四回」
「……四回な」
「よし!」
「交渉まで覚えやがった」
結局、マックスは五回付き合わされた。
剣の練習が終わると、アルトはいつものように庭の端へ胡座をかき、目を閉じて身体の内側へ意識を向けた。マックスは木剣を片づけながらその様子を見ていたが、今度こそ本気で呆れたような顔をした。
「それもやるのか?」
「やるぞ」
「昨日、魔力がないって言われたばかりだろ?」
「うん」
「じゃあ何を探してるんだ?」
「いやあ、俺にも分からん」
「ははは、分からんのかよ」
「本当に何もないのか確かめてるんだ」
アルト自身にも、何を探しているのかは分からなかった。神官が何度も調べたのだから、魔力がないという結果はきっと正しいのだろう。それでも目を閉じれば心臓が動いているのは分かるし、呼吸をすれば胸が膨らみ、腕へ強く意識を向ければ指先まで何かが流れているような気もする。
それが血なのか、体温なのか、それともまったく別の何かなのかは分からない。
分からないから、気になる。
気になるなら、調べてみたい。
アルトにとっては、それだけのことだった。
◇
昼前になると、ハイネが店で使う品物を買い足すため町へ出ることになり、アルトも荷物持ちとしてついていった。
家を出て間もなく、最初に声をかけてきたのは、近所で駄菓子屋を営んでいるオウサカおばちゃんだった。いつもなら遠くからでも大きな声で笑っている人なのに、今日はアルトを見つけるなり少し心配そうな顔になる。
「アルトちゃん、昨日のこと聞いたよ。大変やったなあ」
「うん。でも大丈夫だぞ」
「そうかあ。あんたは昔から元気やもんなあ。はい、飴ちゃん」
オウサカおばちゃんは店先の瓶から包み紙に入った飴を何個か取り出し、アルトの手へ押し込んだ。
「え、いいの?」
「ええよ。飴ちゃん食べて元気出しな」
「ありがとう!」
「またいつでもおいで。ギフトがあろうがなかろうが、アルトちゃんはアルトちゃんや」
少し歩いたところでは、果物屋のダンおじさんに呼び止められた。
「おう、アルト!」
「ダンおじさん」
「昨日、神殿で大変だったらしいじゃねえか」
「みんな知ってるな」
「この町で隠し事なんざできるかよ。ほら、これ食って元気出せや」
大きなリンゴが一つ飛んできたので、アルトは慌てて両手で受け止めた。
「これ売り物だろ?」
「一個くらいで店は潰れねえよ。それにお前、いつも店の前通るたびにうまそうな顔して見てただろ」
「見てただけだぞ」
「だから今日は食え」
「ありがとう!」
それで終わりではなかった。
パン屋の前を通れば、少し形が崩れて売り物にならないからと焼きたての小さなパンをもらった。肉屋では干し肉を一切れ持たされ、八百屋では「これなら弟と妹にも食べさせられるだろ」と甘い野菜まで袋へ入れられた。
「アルト、人気者ねえ」
横を歩くハイネが笑う。
「なんでみんな今日こんなにくれるんだ?」
「心配してるのよ」
「俺を?」
「そうよ」
アルトは少し黙った。
昨日、神殿で聞いた《かわいそう》という言葉が、まだ心のどこかに引っかかっていた。今朝までは、町の人たちまで自分を見るたびにかわいそうな子だと思うようになるのではないかと、少しだけ嫌な気持ちになっていた。
実際、みんな心配そうな顔をする。
けれど、オウサカおばちゃんもダンおじさんも、アルトを馬鹿にしているわけではなかった。
元気を出せと言ってくれる。
食べろと言ってくれる。
また来いと言ってくれる。
昨日までと同じ名前で呼んでくれる。
その後も町を歩くたびに誰かに呼び止められ、気づけばアルトの両腕には、飴、リンゴ、パン、干し肉、野菜と、五歳の身体では抱え切れないほどの食べ物が積み上がっていた。
「母さん、ちょっと持って」
「自分でもらったんでしょう?」
「もう無理だって!」
「仕方ないわね」
ハイネが笑いながら半分を受け取る。
そのときだった。
アルトの目から、突然涙がこぼれた。
「……あれ?」
自分でも意味が分からなかった。
悲しくはない。
昨日のことを思い出したわけでもない。
それなのに次から次へと涙が出てきて、慌てて袖で拭っても止まらなかった。
「アルト?」
ハイネがしゃがみ込み、心配そうに顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「分かんない。俺、なんで泣いてるんだ?」
もう一度涙を拭い、腕に抱えた食べ物を見る。
オウサカおばちゃんの飴。
ダンおじさんのリンゴ。
みんなが自分のためにくれたもの。
アルトはしばらくそれを見つめていたが、やがて自分でも理由が分かった。
「ああ……そっか」
「何が?」
「俺、嬉しいんだ」
ハイネは何も言わず、続きを待った。
「みんな、俺のこと心配してくれてるんだな」
「そうよ」
「ギフトなくても?」
「当たり前でしょう」
「そっか」
アルトは泣きながら笑った。
「俺、この町好きだ」
「そう」
「みんな俺のこと知ってるし、俺もみんな知ってる。なんか……家族がいっぱいいるみたいだな」
ハイネは一瞬だけ目を丸くし、それからアルトの頭を抱き寄せた。
「そうね。あんたはずっと、この町のみんなに育ててもらってるものね」
「俺、なんにも返してないぞ」
「五歳の子供がそんなこと考えなくていいの」
「でも、強くなったら返せるかな」
「何を?」
「分かんない。でも、困ってたら助けるとか」
「まずは自分で荷物を持てるくらい大きくなってからね」
「それとこれとは別だろ」
「今、半分お母さんに持たせてるでしょう」
「あ」
アルトは泣きながら笑い、ハイネも笑った。
昨日、ギフトがないと分かった。
それはやはり悲しい。
魔法が使えないかもしれないことも、剣の才能を神からもらえなかったことも悔しい。
けれど、それと自分が一人であることは、まったく別の話だった。
父と母がいる。
タクトとアーニャがいる。
ルウもいる。
そして町を歩けば、飴をくれる人も、リンゴを投げてくる人も、パンを持たせてくれる人もいる。
アルトは腕の中の食べ物を少しだけ強く抱えた。
この町が、昨日より少しだけ好きになった。
◇
買い物を終えて母と別れた後、アルトは家の近くでルウを見つけた。ルウは道端の低い石垣へ腰掛け、どこから拾ってきたのか分からない細い枝を指先で弄んでいる。
「ルウ!」
「アルトか。随分と荷物が多いな」
「みんながくれた」
「何をしたのだ?」
「心配された」
「なるほど」
ルウはそれ以上何も聞かなかった。
アルトは石垣の隣へ座り、もらった飴を一つ取り出した。
「食う?」
「もらおう」
「オウサカおばちゃんにもらった」
「ならば美味そうだな」
「なんで分かるんだよ」
二人で飴を口へ入れる。
しばらくして、アルトはふと思い出した。
「なあ、ルウ」
「なんだ?」
「俺、ギフトないぞ」
「知っておる。昨日、同じ場所にいたではないか」
「魔力もない」
「それも聞いておった」
「かわいそうじゃない?」
ルウは少し考えるようにアルトを見る。
「別に」
「なんで?」
「お主は昨日までと何か変わったのか?」
今度はアルトが考えた。
剣は振れる。
走れる。
母に怒られる。
弟妹は相変わらず騒がしい。
町のみんなも変わらない。
ルウもこうして隣にいる。
「……変わってないな」
「ならば、おまえはおまえだ。何も変わらん。それに、我には関係ないしな。ククク」
「やっぱお前、変な奴だな」
「だから、お主にだけは言われたくないぞ?」
アルトは笑った。ルウも笑った。
「あ、そういえば」
「なんだ?」
「ルウのギフトって何だった?」
ルウの眉がぴくりと動く。
「なんだ、見ておらなかったのか?」
「ああ、すまん。俺、自分のことで頭いっぱいだった」
「まったく、仕方のない奴だな。我のギフトは《魔力(小)》だ」
「魔力……小?」
「そうだ」
「強いの?」
「さあ?知らぬな。だが、小と付いておるのだから、大したものではあるまい」
「いいなあ。魔力あるだけ」
「昨日の今日でもう羨ましがれるのか、お主は」
「欲しいものは欲しいだろ。俺だって魔法使いたいもん」
「もん、か。くくく、そういうところはちゃんと五歳なのだな」
「なんだよ。ルウだって五歳だろ」
「無論である」
「じゃあ同じじゃん」
「どこが同じなのだ」
「同じ五歳」
「そういう話ではない」
「難しいこと言うなよ」
アルトはそう言って、もう一つ飴を口へ放り込んだ。
「甘っ。やっぱこれうまいな」
「我にももう一つよこせ」
「一個食っただろ」
「まだあるではないか」
「これは俺がもらったやつだぞ」
「先ほど一つくれたではないか。ならばもう一つくらいよかろう」
「しょうがないなあ。じゃあ一個だけな」
「うむ」
二人は並んで飴を舐めながら、しばらく何でもない話をした。
ギフトがあるとかないとか、魔力が多いとか少ないとか、そんなことよりも、五歳の二人にとっては、最後の飴をどちらが食べるかの方がずっと大事だった。
次回更新は明日の12時の予定です。
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