第十五話 敵かどうかは、話してから
# 第十五話 敵かどうかは、話してから
森の近くに狼が出たという話は、あっという間に町へ広がった。家畜を襲われるかもしれず、子供が森の近くを歩くこともある以上、衛兵たちが警戒するのは当然で、マックスも仕事仲間とともに森へ続く道を封鎖していた。
「見つけたら無理に近づくな。町へ向かってくるようなら討つ」
若い衛兵がそう言うと、周囲の大人たちも頷いた。
アルトはその言葉を聞いても、すぐに反対しなかった。
「父さん」
「なんだ?」
「ちょっとだけ調べていい?」
「狼をか?」
「うん」
「助けたいのか?」
アルトは少し考えた。
「まだ分かんない」
マックスが息子を見る。
「あいつが人を襲いに来たなら、町を守らないといけないだろ。でもポチは、怪我してて弱ってるって言ってる。だから何しに来たのか、先に知りたい」
「近づくつもりじゃないだろうな」
「鳥とポチとトウで調べる。近づく必要が出ても、父さんたちが見てるところだけにする」
マックスはしばらく黙ったあと、頷いた。
「それならいい。ただし、狼が町へ向かって動いたら父さんたちは止めるぞ」
「分かった」
「勝手に森へ入るなよ」
「入らないって」
以前のアルトなら、気になった瞬間に自分の足で確かめに行こうとしていたかもしれない。それを知っているマックスは、少しだけ安心したように息を吐いた。
◇
学校が終わる頃には、いつもの六人も話を聞きつけて集まっていた。
「自分も同行するであります」
レオンが木剣を腰へ差す。
「戦いに行くわけじゃないぞ」
「承知であります。それでも、何かあれば大人へ知らせる役くらいは出来るであります」
「ワシは盾を持っていくぞ。近づかんでも、万一には備えた方がよかろう」
ガルドも小さな盾を抱えている。
「トウは探すな。うん」
「うちは治療道具持ってく」
ノエルは薬草と布を入れた袋を肩へ掛けた。
「わたしは遠くから見てるねっ。弓も持ってくけど、勝手には射たないから」
フィーネが言う。
「我はアルトの近くにおる。どうせ研究を始めれば周りが見えなくなるからな」
「今日はちゃんと見るって」
「それならなおよい」
まだ正式なパーティーでも何でもない。
それでも、何かが起きると、それぞれが自分に出来ることを考えるようになっていた。
◇
まず鳥の視覚を借りる。
森の縁。
木陰。
そこに一匹の若い狼が横たわっていた。
後脚に大きな傷があり、毛には血と泥が固まっている。腹もかなり痩せており、町を襲うために来た獣というより、そこまで逃げてきて力尽きたように見えた。
「やっぱり動いてない」
「周りは?」
ルウに聞かれ、鳥の視界を少し広げる。
「近くに他の狼はいない」
トウも目を閉じる。
「近くに大きいのはいないな。うん。でも、ずっと森の奥に何か大きい反応がある気がする」
「前にポチが言ってたやつかな」
「たぶん。同じかどうかまでは分からないな。うん」
森の奥の存在は気になったが、今調べるべき相手は目の前の狼である。
ポチへ聞く。
「若い狼?」
《若い》
「群れは?」
《いない》
「はぐれた?」
《たぶん》
「人を襲ったことある?」
ポチは少し考えた。
《分からない》
アルトは頷いた。
「じゃあ、本人に聞くしかないな」
◇
一定の距離まで近づくことは、衛兵たちの許可を得た。
弓を持った衛兵が後方に立ち、マックスもすぐ動ける位置にいる。前へ出るのはアルト、ルウ、ガルド、ノエルの四人だけで、レオン、フィーネ、トウは少し離れた場所から周囲を見る。
「ここから先は、狼が嫌がったら止まるぞ」
アルトが言う。
「うむ」
ルウが頷き、ガルドも盾を構えた。
十歩ほど進んだところで、狼が顔を上げた。
「グルルルル……」
《来るな》
アルトはすぐ足を止めた。
「分かった。ここから行かない」
狼の唸り声が少し弱くなる。
《……分かる?》
「うん。全部じゃないけど、かなり分かる」
狼が明らかに戸惑った。
《人なのに?》
「人だけど」
《変》
「また言われた」
後ろでルウが少し笑った。
「人を襲いに来た?」
《違う》
「じゃあ、なんでここまで来た?」
狼は森の奥を見る。
《追われた》
「何に?」
《大きい》
《強い》
《群れ。逃げた》
《自分。遅れた》
傷ついた後脚を見る。
「その怪我で?」
《そう》
「群れを探したい?」
《探す》
「でも、このままじゃ無理だろ」
狼は答えなかった。
ノエルが少し離れた位置から傷を見た。
「アルト。傷、悪くなってるかも」
「治せる?」
「《回復(小)》だけじゃ無理。でも洗って薬草使えば、今よりはいい」
アルトは狼へ向き直った。
「傷を治せる奴がいる」
《人。嫌》
「怖い?」
《怖い》
「触らせたくない?」
《嫌》
無理に説得するのはやめた。
少し考え、アルトはノエルを見る。
「俺の手、ちょっと擦っていい?」
「何するの?」
「狼に見せる」
「変なことするな」
「ちょっとだけ」
ガルドの盾の縁へ指を軽く擦り、小さな赤い傷を作る。
「おい、それくらいにしとけ」
マックスの声が飛ぶ。
「分かってる!」
ノエルがアルトの指へ手を添える。
「少しだけ回復する」
淡い光。
その後、薬草を潰して傷へ当てる。
「ほら」
アルトは狼へ指を見せた。
「ノエルは傷を悪くしない。治す方だ」
狼はしばらくノエルを見ていた。
《アルト。いる?》
「いる」
《なら。いい》
「ノエル、いいって」
「承知」
ノエルがゆっくり近づく。
狼が唸りかけると、アルトはその場へ座った。
「大丈夫。俺いるから」
《動くな》
「動かない」
ノエルが傷を洗い、出来る範囲で《回復(小)》を使い、そのあと薬草を塗って布を巻く。ギフトだけでは足りない。けれど、薬師の家で毎日覚えてきた知識と組み合わせれば、出来ることはずっと増える。
「終わり」
《痛い。少し》
「でも前よりまし?」
《まし》
アルトが笑う。
「ノエル、すごいな」
「うち、毎日やってるから」
「やっぱそれだな」
◇
治療が終わっても、狼を町へ入れるわけにはいかなかった。
若い衛兵が慎重に言う。
「助けるのは構わない。でも野生の狼だ。町では飼えないぞ」
「うん。本人も町には入りたくないって」
「飼うって言わないのか?」
「なんで? 群れに帰りたいんだって」
狼を見る。
《群れ。探す》
「ほら」
「俺には分からないが……まあ、そういうことなら傷が治るまで町の外で見てやるくらいか」
「ありがとう」
そのときだった。
森の方から鳥たちが一斉に飛び立った。
《走る》
《大きい》
《怖い》
「何か来る!」
トウも同時に顔を上げた。
「森から一匹、速いの来るな! うん!」
茂みが激しく揺れた。
飛び出してきたのは、大きな猪だった。
こちらを狙っているというより、何かに追われるように必死で走っている。
「全員下がれ!」
衛兵たちが動く。
しかし進路の先には、騒ぎを見に来ていた小さな子供たちがいた。
「レオン! 子供!」
「承知であります!」
レオンが駆け出し、一人の子供を抱えて道の外へ飛び込む。
「ガルド、右から来る!」
「よし、任せるぞ!」
ガルドが盾を構え、真正面から止めようとはせず、猪が進む方向へ斜めに身体を入れた。ぶつかる瞬間に盾をずらし、進路をわずかに外側へ向ける。
「ぐぬっ!」
「ガルド!」
「平気じゃ!」
フィーネが弓を構える。
「アルト君、どっちへ逸らす?」
「あっち! 人いない方!」
「分かったっ!」
矢が猪の前方の地面へ突き刺さった。
驚いた猪がさらに方向を変える。
「トウ!」
「次、左へ来るな! うん!」
アルトは鳥の目で周囲を見る。
左側にはまだ一人、小さな女の子が転んだまま動けずにいた。
「まずい!」
猪がそちらへ向く。
その瞬間。
《危ない!》
治療したばかりの狼が飛び出した。
「おい!」
狼は傷ついた脚を引きずりながら女の子の前へ立ち、猪へ牙を剥いた。
「グルルルルル!」
《来るな!》
猪が一瞬ひるむ。
その一瞬でマックスが女の子を抱き上げ、別の衛兵が猪との間へ入った。
「アルト! 火、使えるか!」
「うん!」
火球は飛ばせない。
大きな炎も出せない。
でも、使い道なら考えてきた。
アルトは道脇にあった乾いた藁の束を掴み、人のいない側へ置いた。
指先へ集中する。
ポッ。
小さな火。
藁へ移す。
炎が上がった。
猪が火を見て足を止める。
「今だ!」
衛兵たちが囲み、逃げ道を森側だけに残して追い立てる。
猪はそちらへ走り去った。
誰も大怪我をしていなかった。
狼も、その場へ座り込んだだけで無事だった。
◇
若い衛兵が、女の子を守った狼をしばらく見つめていた。
「……こいつ、本当に人を襲いに来たわけじゃなかったんだな」
「うん」
「最初から討つつもりだった。悪かったな」
狼がアルトを見る。
《何?》
「謝ってる」
《何を?》
「まあ、いいってことだと思う」
《よく分からない》
「俺もたまに人の言うこと分からないから大丈夫」
「お前まで何言ってるんだ」
マックスが笑った。
「アルト」
「ん?」
「今日はよくやった」
「みんながだろ?」
「ああ。みんなだ。それと、最初に『殺すな』って騒がず、ちゃんと調べようとしたのもよかった」
「だって、本当に人を襲う狼なら町守らないといけないじゃん」
「そうだな」
「でも、そうじゃないかもしれないなら、先に確かめた方がいいだろ」
マックスは少しだけ驚いたように息子を見てから、静かに頷いた。
「ああ。その通りだ」
◇
狼は町の外で数日間治療を受けた。
ノエルが毎日傷を確認し、アルトたちも学校帰りに様子を見に来た。少しずつ脚が動くようになり、食事も取れるようになる。
そしてある日。
「もう歩ける?」
《走れる》
「町に残る?」
《嫌》
「即答かよ」
《森。群れ》
「だよな」
アルトは笑った。
「じゃあ行ってこい」
狼は少しだけ歩き、振り返る。
《アルト》
「ん?」
《友》
「おう」
《また》
「またな」
狼は森へ走っていった。
最後まで首輪をつけることも、名前をつけることもなかった。
友達になったからといって、自分のものになるわけではない。
アルトにとっては、それが普通だった。
◇
森から帰る途中、フィーネが少し後ろから声をかけた。
「アルト君って、やっぱり変だね」
「また?」
「いい意味だよ」
「ならいい」
「みんなが怖いって思ってるものでも、最初から悪いって決めないでしょ?」
「だって、分かんないまま決めるの嫌じゃん」
「……そっか」
フィーネはそれ以上何も言わなかった。
ただ、その言葉を大切なもののように心の中へしまった。
ルウも横からアルトを見る。
「アルト」
「ん?」
「相手を知ってから決める、という考え方は忘れぬ方がよいぞ」
「当たり前じゃない?」
「……そうであるな」
ルウは少しだけ笑った。
◇
その夜、水面へ自分を映す。
《アルト Lv15》
「上がった!」
さらに見る。
《意思疎通 熟練度5》
「こっちも五!」
《剣術》は四。
《体術》は三。
《魔力操作》は相変わらず横線のままだった。
「まあ、こっちはそのうちだな」
アルトは記録を書き終え、眠りについた。
◇
翌朝。
庭で剣を振っていたとき、突然見たことのない景色が頭へ流れ込んできた。
低い視点。
木々の間。
地面を蹴る感覚。
匂い。
風。
そして前方に、何匹もの狼。
《見つけた》
「…………」
アルトが木剣を止める。
近くにいたルウが気づいた。
「どうした?」
「昨日の狼」
「何かあったのか?」
「群れ、見つけたみたいだ」
「お主からつないだのか?」
「いや」
アルトは少し驚いたまま森を見る。
「向こうから見せてきた」
もう一度、短い感覚が届いた。
《友》
アルトは笑った。
「よかったな」
遠く離れていても、それだけはちゃんと伝わった。
次回更新は明日の12時の予定です。
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