第十三話 ファイアボール!……じゃない?
# 第十三話 ファイアボール!……じゃない?
昨日、確かに指先が熱くなった。
ただそれだけのことで、火が出たわけでも、光ったわけでも、何か特別なものが見えたわけでもない。それでもアルトにとっては、九歳になるまで毎日探し続けてきた「身体の中の何か」が、初めて自分から返事をしてくれたような出来事だった。
翌朝も、いつもの素振り、走り込み、父マックスとの打ち合いを終えたアルトは庭の隅へ座り、昨日と同じように掌を上へ向けた。
「またやってるのか?」
「昨日熱くなっただろ。もう一回出来たら偶然じゃないかもしれない」
「なるほどな。じゃあ父さんも見ててやる」
胸の辺りへ意識を向け、そこから腕へ、手首へ、掌へ、指先へと何かを動かすつもりで集中する。
一回目。
何もない。
二回目。
何もない。
三回、四回、五回。
やはり何も起こらない。
「昨日のは気のせいだったのかな」
「さあな。でも一回で諦めるお前じゃないだろ?」
「もちろん」
十回目まで試したところで朝食を呼ぶハイネの声が聞こえ、アルトはようやく立ち上がった。
「学校から帰ったらまたやる」
「そう言うと思ったよ」
◇
登校途中、アルトは昨日から何度も考えていたことをルウへ話した。
「昨日と今日で、何か違うことはなかったのか?」
「うーん……」
歩きながら思い出す。
胸。
腕。
掌。
そこまでは毎日やっている。
「あ」
「何かあったか?」
「昨日は最後に、指から外へ出ろって思ったかも」
「それまでは?」
「掌まで持ってこようとしてただけ」
「ならば、違いはそこかもしれぬな。もう一度、外へ出すところまで意識してみればよかろう」
「それだ!」
アルトの顔が明るくなる。
「ただし」
「なんだ?」
「何が出るか分からぬのだ。人へ向けるなよ」
「分かってる」
「水も用意した方がよいな」
「そこまでいる?」
「昨日、指が熱くなったのであろう?」
「……確かに」
「安全に試して、それでも成功した方がよかろう」
「うん。そうする」
ルウはアルトの研究を止めない。けれど、アルト一人なら忘れてしまいそうなことを一つずつ補ってくれる。最近では、アルト自身もそれが当たり前のように感じ始めていた。
◇
事情を聞いたエレウスも、放課後の実験場所を校庭の端に移し、水桶まで用意した。
「先生まで水持ってきたの?」
「何が起こるか分からないんでしょう?」
「うん」
「なら必要です」
「ルウと同じこと言ってる」
「良い助言だったということですね」
七人が少し離れて見守る中、アルトは何もない地面へ向けて掌を伸ばした。
胸から腕。
腕から掌。
そして今度は――外へ。
「…………」
何も起こらない。
もう一回。
何もない。
十回。
二十回。
指先が少し疲れてきても、昨日の熱は戻ってこなかった。
「昨日のは気のせいだったのかなあ」
フィーネが心配そうに言う。
しかしルウは首を横に振った。
「そうと決めるのはまだ早かろう。昨日一度起きたのなら、何か別の条件があった可能性もある」
「そっか。じゃあアルト君、また考えよ?」
「うん」
アルト自身も、出来ないから終わりという発想にはならなかった。
「何が足りないんだろ」
◇
その日の帰宅後、アルトは魔法の練習を始めていたアーニャへ頼み込んだ。
「もう一回やって!」
「さっきやったよ」
「お願い。一回だけ!」
「お兄ちゃん、近い」
「邪魔しないから!」
アーニャは呆れながら掌を前へ出し、習ったばかりの簡単な火種を作るために集中した。
ポッ。
小さな炎が掌の少し先へ浮かぶ。
「おお……」
「またそんな顔してる」
「どうやって外に出した?」
「どうやってって……こう」
「こうじゃ分かんないって」
「中のやつを、えいってするの」
「えい?」
「えい」
「なるほど……」
「分かったの?」
「よく分からんが、昨日の俺は『出ろ』って思っただけだった。アーニャは自分から押し出してる感じなのかも」
「たぶん?」
「もう一回!」
「やだ。疲れた」
「じゃあ明日!」
「アルト」
ハイネの声が後ろから飛ぶ。
「妹を研究材料みたいに使わないの」
「ちゃんとお願いしてるぞ」
「お願いされる方にも限界があるの」
「はーい」
◇
その夜、ルウと一緒に庭へ出た。
「アーニャの魔法を見て分かったことはあったか?」
「まだよく分からないけど、俺はずっと身体の中を動かそうとしてただけだったんだと思う」
「外へ出す力が足りなかった?」
「たぶん。だから今日は、掌まで持ってきたやつを、自分から押し出してみる」
「よかろう。地面へ向けるのだぞ」
「分かってる」
アルトはしゃがみ込み、土へ向けて右手を伸ばした。
胸。
腕。
手首。
掌。
そして、指先。
(外へ)
何もない。
もう一度。
(外へ出ろじゃない。俺が出す)
何かが動いた。
昨日と同じ熱が、腕の内側から一気に指先へ走った。
「……来た」
「どうした?」
「熱い」
逃がさないように、そのまま前へ押し出す。
ポッ。
小さな赤い炎が、指先の前へ一瞬だけ浮かんだ。
消えた。
アルトもルウも動かなかった。
「…………」
「…………」
「ルウ」
「なんだ?」
「今、出た?」
「出たな」
「火?」
「どう見ても火であった」
アルトの顔が少しずつ崩れる。
「出た……」
「うむ」
「出たああああああ!」
「うわっ! 急に叫ぶな!」
家の扉が勢いよく開いた。
「何だ!?」
「アルト! 今度は何!?」
マックスとハイネが飛び出し、その後ろからタクトとアーニャまで顔を出す。
「火出た!」
四人とも止まった。
「……何?」
「俺、火出した!」
マックスがルウを見る。
「本当か?」
「我も見た。ほんの一瞬だが、確かに火が出たぞ」
ハイネの表情が変わった。
「アルト、もう一度出来る?」
「やってみる」
一回。
出ない。
二回。
出ない。
「ちょっと待って!」
三回。
四回。
そして五回目。
ポッ。
小さな火が浮かんだ。
「出た!」
タクトが飛び跳ねる。
「兄ちゃん、魔法使った!」
「お兄ちゃん、ほんとに火出た!」
アルトは嬉しくなって家族の顔を見回した。
しかしハイネだけは笑いながら、少し目を潤ませていた。
「母さん?」
「……本当に出たのね」
「うん」
マックスが息子の頭へ手を置いた。
「四年か」
「何が?」
「お前、五歳のとき魔力なしって言われてから、ずっとやってただろ」
「うん」
「毎日?」
「うん」
「よく諦めなかったな」
アルトは少し不思議そうに父を見る。
「だって、使いたかったから」
それだけだった。
けれどハイネはとうとうアルトを抱き締めた。
「母さん、苦しいって」
「ちょっとくらいいいでしょう」
「まあいいけど」
◇
「兄ちゃん!」
タクトが目を輝かせている。
「それ火魔法だろ? だったらファイアボール出来るんじゃない?」
「ファイアボール……」
アルトの目も輝いた。
「やる!」
「アルト、今日はもう――」
「一回だけ!」
水桶の前へ立ち、誰もいない地面へ右手を向ける。
胸から腕。
掌。
外へ。
「ファイアボール!」
ポッ。
指先に小さな炎。
「…………」
「…………」
タクトが首を傾げた。
「小さっ」
「もう一回!」
集中する。
「ファイアボール!」
ポッ。
アーニャが冷静に言った。
「お兄ちゃん、それファイアボールじゃないよ」
「違うの?」
「ただ火が出ただけ」
「…………違うわ!」
家族全員が吹き出した。
アルトも一緒になって笑った。
けれど笑いながら、自分の指先を何度も見る。
「でも火だぞ」
「うん」
「昨日まで何にも出なかったのに、今日は火が出たんだぞ!」
アーニャが笑う。
「お兄ちゃん、すっごく嬉しそう」
「当たり前だろ。小さいなら大きくすればいいじゃん」
「簡単に言うなあ」
「やってみないと分かんないだろ?」
それがアルトだった。
◇
翌日、学校でも小さな火を披露すると、フィーネが誰より先に喜んだ。
「アルト君、すごい! 本当に出来たんだ!」
「四年かかった!」
「四年も?」
ルウが横から言う。
「我が知る限り、アルトは一日たりとも諦めたことがないぞ」
「一日も?」
「動かせぬ日でも、頭の中で考えておった」
フィーネはしばらくアルトを見た。
「……すごいなあ」
「まだ小さいぞ?」
「そうじゃなくて、ずっとやったこと」
「フィーネだって弓続けてるじゃん」
「わたしはまだ一年くらいだよ」
「じゃあ四年やればもっと上手くなるかもな」
「……うんっ」
エレウスは火そのものより、アルトの表示を確認することに興味を示した。
アルト自身へ意識を向ける。
《アルト Lv14》
魔力を探す。
《魔力操作 熟練度――》
「変わってない」
「火魔法は?」
「出ない」
「火は実際に出せるのに?」
「うん」
エレウスも考え込む。
ルウが静かに言った。
「我らがこれを魔法だと思っておるだけで、別の何かなのかもしれぬな」
「魔法じゃない火?」
「よく分からぬ。ただ、その可能性もあるというだけだ」
「じゃあ何なんだろ」
アルトの目がすぐに好奇心で輝く。
エレウスが笑った。
「今は名前を決めなくてもいいでしょう。少なくともアルト君が、昨日まで出来なかったことを出来るようになった。それは事実です」
「じゃあ練習していい?」
「安全な場所で、大人がいるときだけですよ」
「分かった!」
◇
その日の夕食は少しだけ豪華だった。ハイネが「初めて火を出せたお祝い」と言い出し、ルウとゼノ、ミレイアに加えてフィーネまで呼ばれている。
「アルト君、おめでとう!」
「ありがとう。まだファイアボールじゃないけど」
「それはこれからでしょ?」
「うん」
フィーネは少し迷ってから尋ねた。
「アルト君って、ギフトがなくてもずっと魔法使いたかったんだよね?」
「うん」
「普通なら諦めない?」
アルトは少し考えた。
「でも、ギフトがもらえなかっただけだろ?」
「うん」
「なら、自分で出来るようになればいいじゃん」
「……そんなこと考える?」
「俺は考えたぞ」
「そっか」
フィーネは自分の《弓力(微)》を思い出したように、少しだけ笑った。
「じゃあ、わたしももっとやってみる」
「一緒にやろうぜ」
「うんっ」
◇
その夜、マックスが見守る中で、アルトは最後にもう一度だけ試した。
ポッ。
火が出る。
すぐ消える。
もう一度。
ポッ。
今度は消えない。
「父さん!」
「見てるぞ」
一秒。
二秒。
三秒。
火が消えた。
「三秒!」
「ああ」
「昨日より長い!」
「そうだな」
アルトは満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ明日は四秒だな」
「そんな簡単にいくか?」
「やってみないと分かんないだろ?」
マックスは笑った。
「ああ。そうだったな」
九歳のアルトがその日手に入れたものは、指先に浮かぶ小さな火だけだった。
それが何の力なのか、誰にも分からない。
《火魔法》の表示もなければ、《魔力操作》の数字も相変わらず現れない。
それでもアルトには、それで十分だった。
昨日は出来なかった。
今日は出来た。
なら明日も、もう一度やればいい。
次回更新は明日の12時の予定です。
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