彼女の瞳に映る『ツキト』とは誰だ? ~ネフィリムの心に落ちた、ドス黒い嫉妬の種~
彼女の瞳に映る『ツキト』とは誰だ? ~ネフィリムの心に落ちた、ドス黒い嫉妬の種~
ポポロ村の宿屋で迎える、静かな夜。
窓の外からは秋虫の鳴き声と、時折村を巡回するマンミア率いる自警団の足音が聞こえてくる。
「……んんっ、すぅ……」
部屋の隅にある簡素な木机に突っ伏したまま、セシリアは無防備な寝息を立てていた。
机の上には、昼間彼女が買い集めた大量の『陽薬草』や空の小瓶、そして【至高のコスメ錬金】で試作した色とりどりのポーション類が散乱している。
聞けば、ポポロ村で商会を立ち上げるための試作品らしい。前世とやらで染み付いた『社畜の癖』なのか、一度作業を始めると倒れるまで没頭してしまうのが彼女の悪い癖だった。
「……ったく。無理すんなって言ったのに」
部屋のベッドに腰掛けていたキッドは、小さくため息をつき、静かに立ち上がった。
足音を忍ばせてセシリアに近づき、自分のベッドから持ってきた毛布を、彼女の華奢な肩にそっと掛ける。
(こんなに無防備で……俺が男だってこと、わかってんのか?)
キッドは、月の光に照らされるセシリアの寝顔を見下ろした。
整ったまつ毛、ほんのりと桜色に色づいた頬。口元には満足そうな緩い笑みが浮かんでいる。
出会って数日。彼女と過ごす時間は、キッドにとってこれまでの16年間で最も温かく、不思議なものだった。
自分を気遣い、服を買い与え、美味しいものを食べさせてくれる。
何より、ネフィリムである自分の羽を、一切の嫌悪もなく『美しい』と撫でてくれた。
オロチの『鳥籠』で、ただの実験体として扱われてきた俺を、彼女は……。
(……いや。違う)
キッドの心に、ふと暗い影が落ちる。
セシリアは俺を見るとき、いつもこう言うのだ。
『私の推し!』
『月人くんにそっくり!』
『推し(顔)が尊い!』
と。
彼女の言動は突飛で、使っている言葉も半分くらいしか理解できない。だが、その言葉の端々から感じ取れることがあった。
(『推し』ってのは、多分、一番大切な存在って意味だろう。だけど……)
彼女が俺に向ける異常なまでの愛情と執着は、本当に『俺自身』に向けられたものなのだろうか。
「……んぁ……ツキト、くん……」
不意に、セシリアの小さな唇からその名前がこぼれた。
キッドの体が、ビクッと硬直する。
「ツキトくん……今日のライブも、最高だった、よ……。あぁっ、ファンサが……ビジュが良すぎて、無理……尊い……」
むにゃむにゃと幸せそうに呟きながら、セシリアは毛布に顔をすり寄せた。
「ツキト……」
キッドの喉の奥から、乾いた声が漏れた。
まただ。出会った時にも、彼女はその名前を呼んでいた。
『ライブ』『ファンサ』『ビジュ』……意味のわからない単語ばかりだが、それが特定の『男』を指していることだけは嫌でも理解できる。
(……王都にいた時の、恋人か? それとも、婚約破棄されたって言ってた、その相手か?)
心臓が、冷たい手で鷲掴みにされたようにギュッと収縮した。
彼女が俺を拾ってくれたのは。
俺の怪我を必死で治してくれたのは。
俺に服を買い、優しく微笑みかけてくれるのは。
――俺の顔が、その『ツキト』という男に似ているからなのか?
『月人くんに瓜二つ!』
『推し顔の美少年!』
出会った時の彼女の言葉が、耳の奥で呪いのように反響する。
俺は。
俺という存在は、彼女の中で、その『ツキト』という男の身代わりに過ぎないのか?
「…………ッ」
ギリッ、と奥歯を噛み締める。
その瞬間。
キッドの左目――魔族の血を引く漆黒の瞳孔が、爬虫類のように細く収縮した。
『ドクン……ッ』
部屋の片隅に立てかけてあった二振りの剣のうち、闇の剣『ノワール』が、主の感情に呼応するように黒い魔気を纏って低く脈打った。
(嫌だ)
胸の奥底から、ドロドロとした黒い感情が湧き上がってくる。
身代わりなんて嫌だ。
彼女の瞳が、俺を通して別の男を見ているなんて、我慢できない。
俺の羽を撫でてくれるその手も、俺に向けてくれる狂おしいほどの熱も、すべて、俺だけのものにしたい。
「……セシリア」
キッドはゆっくりと手を伸ばし、眠るセシリアの髪に触れた。
サラサラとした髪の感触が、指先から伝わってくる。
そのまま首筋に手を這わせたくなる衝動を、キッドは必死に理性を総動員して押さえ込んだ。
もし今、俺が彼女を抱きしめたら。
彼女は驚いて、怯えて……二度と、あの屈託のない笑顔を見せてくれなくなるかもしれない。
俺は、ネフィリムだ。力加減を間違えれば、彼女の細い首など簡単に折れてしまう。
(……今は、これでいい)
キッドは触れかけた手を力なく下ろすと、ギリッと拳を握りしめた。
身代わりでもいい。
俺を『ツキト』と呼んで愛でるなら、それでもいい。
いつか必ず、彼女の瞳からその男の影を消し去って、俺自身を見させてやる。
そのためなら、どんなことだってしてやる。
暗い部屋の中、キッドの背後で漆黒の羽が、獲物を囲うように大きく広がっていた。
ネフィリムの少年に芽生えた、初恋。
それは純粋な恩義から、途方もなく重く、黒い『執着』と『独占欲』へと姿を変えようとしていた。
◇◇◇
翌朝。
「ふわぁぁ〜……よく寝た!」
窓から差し込む朝日に照らされ、私は大きく伸びをした。
気づいたら机に突っ伏して寝てしまっていたらしい。肩には温かい毛布が掛けられている。
「あ、キッドくんが掛けてくれたの? ありがとう!」
振り返ると、キッドくんはすでに身支度を整え、窓辺で外の景色を眺めていた。
振り返った彼の顔に朝日が当たり、そのあまりの美しさに私は朝から息を呑んだ。
「おはよーキッドくん! はぁっ、今日も朝から顔面偏差値が高すぎて寿命が十年延びたわ! 寝起きの推し(顔)からしか摂取できない栄養素があるッ!」
私が両手を合わせて拝むと、キッドくんはピクッと眉をひそめた。
そして、ズンズンと足音を立てて私に近づいてくると、不意に私の顔を両手で挟み込んだ。
「ふぁっ!?」
「……俺の顔、よく見ろよ」
「き、キッドくん? 近い、顔が近いわ! え、なに、ファンサ!? 朝から特大ファンサなの!?」
至近距離で見つめてくる、ヘーゼルナッツ色の瞳。
その奥に、どこか熱を帯びたような、射抜くような強い光が宿っていることに、能天気な限界オタクの私はまったく気づいていなかった。
「……セシリア」
「は、はい!」
「俺の名前、呼んでみろ」
「えっ? き、キッドくん……?」
「……そう。俺は、キッドだ」
キッドくんはポツリとそう呟くと、ふいっと手を離し、背を向けて部屋を出て行こうとした。
「ほら、さっさと顔洗って来い。ルナキンに朝飯食いに行くぞ」
「あ、うん! 待って、すぐ行くから!」
(なんだろう、今の……?)
私はドキドキと早鐘を打つ心臓を押さえながら、キッドくんの後ろ姿を見送った。
気のせいだろうか。
保護したばかりの時は、傷ついた野良猫(あるいは大型犬)のようだったキッドくんが。
さっき一瞬だけ、狙った獲物を絶対に逃がさない『肉食獣』のような目をした気がした。
「……いやいや、気のせい気のせい! 16歳の推し相手に何ドギマギしてんのよ、私!」
私はパンパンと両頬を叩き、オタクの理性を総動員して雑念を振り払う。
私の目的は、推し(顔)のキッドくんを世界一幸せに養うこと。
そのためにも、今日からポポロ村で【至高のコスメ錬金】を駆使して、ガンガン稼がなきゃいけないんだから!
私は、彼の中にドス黒く育ち始めた『嫉妬』と『独占欲』の種に気づかないまま、意気揚々と朝の準備を始めるのだった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
「キッドくん視点の嫉妬、しんどい(最高)!」
「寝言で元カレ(※アイドルです)の名前を呼ぶとかギルティww」
「セシリアさん、オタクのフィルター分厚すぎて全然気づいてない!」
と少しでも胸キュンしていただけましたら、
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次回、セシリアの錬金術が大爆発!?
ポポロ村で美容商会を立ち上げ、がっぽり稼ぐセシリアと、優秀な助手(番犬)として彼女に虫を寄せ付けないキッドの暗躍が始まります!
引き続き、どうぞお楽しみください!




