第6話 勇者パーティーの帰還者たち
備品庫の奥に、葬儀局の灰色の制服を着た男が立っていた。
俺は反射的にエリシアを背にかばった。
「誰だ」
問いかけると、男は棺の陰からゆっくり出てきた。
若い。
俺より少し年上だろうか。
痩せた頬に、落ちくぼんだ目。
その顔には見覚えがあった。
「マティス……?」
王都葬儀局の夜間担当だ。
普段は遺体搬送や備品管理をしている。
口数は少ないが、仕事は丁寧だった。
少なくとも、俺はそう思っていた。
マティスは俺を見ても、すぐには答えなかった。
視線は、俺の手元にある木箱へ向いている。
旧式焼き鏝が一本欠けた箱。
底に残った黒い粉。
乾いた赤黒い染み。
見られた。
いや、違う。
この男は、見られる前からここにいた。
「マティス。どうしてここにいる」
「……片づけを」
「この時間に?」
「命令です」
その一言で、背筋が冷えた。
「誰の命令だ」
マティスは唇を噛んだ。
言いたくない。
だが、黙っていられるほど腹も据わっていない。
そんな顔だった。
「英雄管理局か」
俺が言うと、マティスの肩がびくりと震えた。
答えは、それで十分だった。
エリシアが一歩前に出る。
「あなたが兄の胸に傷をつけたのですか」
声は静かだった。
だが、その静けさの中に、刃のような怒りがあった。
マティスは彼女の顔を見て、目を見開いた。
「せ、聖女様……なぜここに」
「質問に答えてください」
「違います。俺は……俺は、道具を運んだだけです」
「誰に?」
マティスは黙った。
俺は木箱の底から、黒い粉を少量紙に取った。
「これは魔力焼けの粉だ。胸の偽装傷に使われた焼き鏝の痕跡と一致する。道具を運んだだけでも、十分関わっている」
「俺は命令されただけだ!」
マティスが叫んだ。
声が備品庫の石壁に跳ね返る。
「逆らえなかったんだ。英雄管理局の監査官に、局長命令だと言われた。旧式焼き鏝を一本出せと。使用記録は残すなと」
「その焼き鏝を受け取ったのは誰だ」
「知らない」
「本当に?」
「顔は見ていない。外套をかぶっていた。でも……」
マティスは喉を鳴らした。
「鎧の音がした」
「鎧?」
「騎士だと思う。歩くたびに、金具が鳴っていた。それと、右手に白い手袋をしていた」
俺はエリシアを見た。
彼女の表情が硬くなる。
「勇者パーティーの生存者の中に、騎士がいましたね」
「近衛騎士レオン……」
エリシアがその名を口にした。
勇者カイゼルと共に魔王領へ向かい、生きて戻った三人のうちの一人。
近衛騎士レオン。
宮廷魔術師サイラス。
神官補佐マリナ。
その三人だけが、勇者の最期に近い場所にいた。
「レオン卿は、兄の護衛でした」
エリシアは低く言った。
「王家から派遣された近衛騎士です。兄とは遠征前から何度も剣を合わせていました」
「信頼されていた?」
「少なくとも、兄は背中を預けていました」
背中。
その言葉が、備品庫の冷たい空気に落ちた。
勇者は、背中から刺されていた。
背後に立つことを許された者。
聖属性の刃を扱える者。
鎧を身につけた者。
白い手袋をしていた者。
条件が一つずつ、近衛騎士レオンへ寄っていく。
「マティス」
俺は声を落とした。
「その騎士は、何か言ったか」
「……急げ、と」
「それだけか」
「胸の傷が目立たなければ、勇者の死が無駄になる、と」
エリシアの肩が震えた。
泣いているのではない。
怒りをこらえている。
「兄の死が、無駄になる……?」
その声は、ひどく冷たかった。
マティスは慌てて首を振る。
「俺が言ったんじゃない! その騎士が、そう言ったんだ!」
「他には」
俺は問い詰めた。
「その騎士は、何か持っていなかったか」
「短剣を」
マティスが言った瞬間、俺の心臓が跳ねた。
「短剣?」
「鞘だけ見えた。白銀の鞘だった。儀礼用みたいな、細い短剣だ」
聖銀粉。
聖属性の刃。
勇者の背中に残った細い刺し傷。
つながった。
まだ証拠としては弱い。
だが、無視できる偶然ではない。
俺は木箱を閉じた。
「マティス。このことを誰かに話したか」
「話せるわけないだろ」
「なら、今夜は何も見なかったことにしろ」
「ノア、お前……何をする気だ」
「死者の記録を取るだけだ」
マティスは青ざめた。
「やめろ。お前の親父さんみたいになるぞ」
俺の手が止まった。
「父を知っているのか」
「局じゃ有名だった。死因を書き換えろって命令に逆らって、記録を残した。それで……」
「それで?」
マティスは視線を逸らした。
「英雄管理局に連れて行かれた」
備品庫の空気が、さらに冷たくなった。
俺は、父が失職したのだと思っていた。
葬儀局から追われ、心を壊し、死んだのだと。
だが、違うのか。
父は英雄管理局に連れて行かれた。
なら、父の死もまた、記録されていない死なのかもしれない。
エリシアが、俺を見た。
心配するような目だった。
俺は拳を握り、無理やり呼吸を整えた。
「……今は、勇者のことが先です」
そう言わなければ、崩れそうだった。
俺たちはマティスを備品庫に残し、地下廊下へ出た。
背後で、彼が小さく言った。
「レオン卿には気をつけろ」
俺は振り返った。
「なぜだ」
「勇者様の棺が運ばれた夜、あの人は泣いていた」
「泣いていた?」
「ああ。でも、悲しんでる顔じゃなかった」
マティスは震える声で続けた。
「罪人みたいな顔だった」
扉が閉まった。
廊下に出ると、雨音が少し遠くなっていた。
代わりに、王城の方角から鐘の音が聞こえる。
国葬の準備を告げる鐘だ。
エリシアは、廊下の先を見つめていた。
「ノアさん」
「はい」
「勇者パーティーの三人に会いに行きます」
「危険です」
「知っています」
「特にレオン卿は、実行犯かもしれない」
「だからこそ会います」
彼女は振り返った。
その瞳に、もう迷いはなかった。
「兄が背中を預けた人が、兄を殺したのか。私は、自分の目で確かめたい」
俺は頷くしかなかった。
清拭室へ戻る途中、俺は記録紙を取り出した。
歩きながら、短く書き足す。
『旧式焼き鏝を受け取った人物。鎧の音。白い手袋。白銀の儀礼用短剣。近衛騎士レオンの可能性』
まだ、可能性だ。
断定してはいけない。
死者の傷を読む者は、思い込みで記録を汚してはならない。
だが、線は見えてきた。
勇者の胸を偽装した者。
勇者の背中を刺した者。
勇者の死を物語に変えようとする者。
その先に、勇者パーティーの帰還者たちがいる。
王城の鐘が、もう一度鳴った。
明日の正午まで、残された時間は少ない。
そして俺たちはまだ、勇者がなぜ殺されなければならなかったのかを知らない。




