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勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


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第5話 胸の傷はあとから作られた

 勇者カイゼルの胸には、黒く焼けた傷があった。


 王国広報局が発表した死因は、魔王の黒槍による胸部貫通。


 たしかに、何も知らない者が見れば、そう信じるだろう。


 胸の中央からやや左。

 心臓に近い位置に、焼け焦げたような穴がある。


 黒い縁。

 裂けた皮膚。

 魔力に灼かれたような変色。


 壮絶な戦いの末に魔王の槍を受けた英雄。


 そういう物語にふさわしい傷だった。


 だが、ふさわしすぎる。


「きれいすぎるんだ」


 俺は呟いた。


 エリシアが、隣で息を詰める。


「傷が、ですか」


「はい。作られた傷は、作った者の意図が出ます」


「意図……」


「見た者に、こう思わせたいという形になる」


 俺は細い銀針を取り、胸の傷の縁にそっと触れた。


 死者の肌に余計な力をかけない。

 傷を広げない。

 触れるのは、必要な場所だけ。


 父に最初に教えられたことだ。


 死者の体は、証言台だ。

 葬儀屋は、そこに乱暴な足跡をつけてはならない。


「魔王の黒槍による傷なら、もっと深く魔力が入ります」


「魔力が入る?」


「傷口の奥まで、黒い焼けが続くはずです。皮膚だけではなく、筋肉や骨にも痕が残る」


 俺は胸の傷の周囲を慎重に確認した。


「でも、この傷は表面だけです。皮膚と、そのすぐ下の浅い部分だけが焼けている。内側にはほとんど届いていません」


「つまり……」


「あとから焼いたんです」


 エリシアの顔が強張った。


「死んだあとに?」


「はい」


 言葉にすると、改めて胸が重くなった。


 死者の体を整えることと、死者の体を偽ることは違う。


 欠けた頬を補う。

 潰れた傷を隠す。

 遺族が最後に恐怖ではなく別れを受け取れるようにする。


 それは葬儀屋の仕事だ。


 だが、これは違う。


 勇者の胸につけられた傷は、遺族のためではない。

 民のためでもない。

 王国が用意した物語のための傷だ。


「兄は、死んだあとまで利用されたのですね」


 エリシアの声は低かった。


 俺は答えられなかった。


 代わりに、作業台から小瓶を取った。


 中には、薄い青色の液体が入っている。

 葬儀局で使う魔力反応薬だ。


 外傷に残った魔力の属性を調べるためのものだが、本来は事故死や魔獣被害の確認に使う。

 勇者の遺体に使うことは、命令書には含まれていない。


 だからこそ、今しかできない。


「少し下がってください」


 俺はエリシアに言った。


「何をするんですか」


「胸の傷に残っている魔力を見ます」


 俺は細い筆に反応薬を含ませ、胸の傷の縁に一滴だけ落とした。


 液体は黒い焼け跡の上を滑り、傷の縁で一瞬止まった。


 次の瞬間、淡い金色に光った。


 エリシアが息を呑む。


「金色……」


「聖属性です」


 俺は眉をひそめた。


「でも、背中の傷と同じではない」


「違うのですか」


「背中の刺し傷に残っていた聖属性は、刃そのものの魔力でした。細く、深く、まっすぐ残っていた」


 俺は胸の傷を指さした。


「こちらは、表面に塗られたように広がっている。刃ではありません。焼印か、魔術具です」


「魔王の黒槍ではない」


「少なくとも、俺にはそう見えます」


 エリシアは兄の胸を見つめた。


 黒い傷。

 英雄の物語の中心になるはずだった偽りの傷。


 その周囲で、反応薬の金色の光がゆっくりと消えていく。


「聖属性で、魔王の傷を作った……」


 彼女は小さく呟いた。


「そんなことができるのですか」


「できます」


 俺は作業台の引き出しを開けた。


 そこには、葬儀用の道具が並んでいる。


 縫合針。

 香油。

 化粧粉。

 皮膚を固める薬。

 欠損部を補う蝋。

 そして、魔力焼けを目立たなくするための処置具。


「戦場から戻った遺体は、損傷が激しいことがあります。魔獣に焼かれた遺体や、魔法で傷ついた遺体も多い。だから葬儀局には、傷を整える技術があります」


「整える技術を、偽るために使った……?」


「おそらく」


 俺は道具の一つを手に取った。


 細い金属製の輪に、短い柄がついたもの。

 本来は火傷痕の縁を均一に整えるための道具だ。


 だが、使い方を変えれば、傷を作ることもできる。


「胸の傷の縁が、不自然に均一なんです」


「均一だと、おかしいのですか」


「本物の戦闘傷は、もっと乱れます。相手も動く。受ける側も動く。肉も裂け方が一定ではない」


 俺は傷口を示した。


「でも、この胸の傷は、縁の焼け方がそろいすぎている。まるで、同じ温度の道具を押し当てたように」


「焼印……」


「はい」


 エリシアの手が震えた。


 怒りを抑えているのだとわかった。


「兄は、魔王に胸を貫かれたのではない。死んだあと、誰かに胸を焼かれた」


「そうです」


「その誰かは、葬儀局の道具を使った可能性がある」


 俺はすぐには頷けなかった。


 頷けば、疑いは身内へ向く。


 王都葬儀局。


 俺が働いている場所。

 父が働いていた場所。

 死者を送るはずの場所。


 そこに、勇者の死を偽るための手が入っているかもしれない。


「……この処置は、誰にでもできるものではありません」


 俺は言った。


「遺体の状態を知らない者がやれば、すぐに不自然になる。死後硬直の進み方、皮膚の乾き、血の沈み方を読める人間でなければ難しい」


「葬儀屋」


「あるいは、葬儀屋から技術を教わった者」


 清拭室に沈黙が落ちた。


 雨音が、石壁越しに響いている。


 俺は胸の傷をもう一度見た。


 偽装傷は、かなり丁寧に作られている。


 だが、丁寧すぎた。


 作った者は、見栄えを重視した。

 民が遠目に見たとき、胸の傷が英雄の最期として映えるように。


 だが、死者の体は舞台装置ではない。


 近くで見れば、嘘は残る。


「ノアさん」


 エリシアが言った。


「この傷を作った人を、探せますか」


「簡単ではありません」


「でも、手がかりはあるのですね」


「あります」


 俺は作業台の上に、胸の傷の写しを取るための薄紙を置いた。


 反応薬で浮かんだ痕を写し取る。

 焼け方の輪郭。

 魔力の濃淡。

 中心部の浅さ。


 そして、傷の縁に残った小さな線。


 俺はそこに目を留めた。


「これは……」


「何か?」


 エリシアが身を乗り出す。


 俺は拡大鏡を取り、胸の傷の右端を見た。


 黒い焼け跡の縁に、ごく細い三本の擦過痕がある。

 まるで、金属の留め具が皮膚をかすめたような痕。


「処置具の癖です」


「癖?」


「葬儀局の焼き鏝には、先端を固定する小さな爪があります。古い型のものは、押し当てるとこういう三本線が残ることがある」


「それは、王都葬儀局の道具ですか」


「古い備品です。今はほとんど使われていません」


 使われていない。


 だが、廃棄されてはいない。


 地下の備品庫に、まだ残っているはずだ。


 俺は嫌な予感がした。


 この胸の傷を作った者は、王都葬儀局の古い道具を使っている。


 しかも、それを使えば三本線が残ることを知らなかったか、急いでいて隠しきれなかった。


 つまり犯人は、完全な葬儀官ではない可能性がある。


 知識はある。

 だが現場の細部までは知らない。


 英雄管理局の人間が、葬儀局の道具を借りたのか。

 それとも、葬儀局内に協力者がいるのか。


「備品庫を確認しましょう」


 俺は言った。


「今からですか」


「今しかありません。明朝には英雄管理局が再確認に来ます。国葬用の衣装を着せられたら、胸も背中も調べられなくなる」


 エリシアは頷いた。


「私も行きます」


「危険です」


「ここにいても危険です」


 言い返せなかった。


 俺は勇者の遺体に白布を掛け直した。


 胸の偽装傷。

 背中の致命傷。

 右手の聖銀粉。

 黒花の花びら。


 すべてが、同じ方向を指している。


 勇者の死は、魔王との戦いで起きた悲劇ではない。


 誰かが殺し、誰かが飾り、誰かが記録を書き換えようとしている。


 俺は記録紙に新たな一文を書いた。


『胸部外傷は死後に形成。聖属性の魔力焼印による偽装傷。王都葬儀局旧式焼き鏝の痕跡あり』


 ペン先が止まる。


 そこまで書いて、俺は自分の手が震えていることに気づいた。


 王都葬儀局旧式焼き鏝。


 それは、俺の職場が勇者の死の偽装に関わったかもしれないという意味だ。


 父が守ろうとした場所。

 俺が逃げ込んだ場所。

 死者を正しく送るはずの場所。


 そこが、死者の嘘を作る場所になっているのかもしれない。


「ノアさん」


 エリシアが静かに言った。


「大丈夫ですか」


「大丈夫ではありません」


 俺は正直に答えた。


「でも、行きます」


 俺は記録紙を折りたたみ、内ポケットへ入れた。

 黒花の薬包紙も、胸元に収める。


 そして清拭室の扉を開けた。


 廊下には誰もいない。


 雨の音だけが、遠くから響いている。


 俺たちは灯りを落とし、地下備品庫へ向かった。


 石段を下りるたび、空気が冷えていく。

 湿った土と古い薬品の匂いが濃くなる。


 備品庫の前に着くと、扉には鍵がかかっていなかった。


 おかしい。


 葬儀局の備品庫は、常に施錠されている。

 遺体処置用の薬品や魔術具が保管されているからだ。


 俺はゆっくりと扉を開けた。


 中は暗かった。


 棚が並び、古い布、木箱、薬瓶、処置具が積まれている。


 俺は旧式焼き鏝の保管棚へ向かった。


 そこにあるはずの木箱を開ける。


 中には、焼き鏝が三本並んでいるはずだった。


 だが、一本だけ足りなかった。


 エリシアが息を呑む。


「使われた……?」


「おそらく」


 俺は木箱の底を見た。


 灰のような黒い粉が落ちている。

 そして、その横に、乾いた赤黒い染み。


 血だ。


 その時、背後でかすかな物音がした。


 俺は振り返った。


 備品庫の奥。


 古い棺の陰に、誰かが立っていた。


 こちらを見ている。


 灯りに照らされたのは、葬儀局の灰色の制服だった。


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