表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/40

第35話 英雄管理局の正体

 勇者カイゼルの声が、王城前広場に残っていた。


『俺を、一人の人間として送ってほしい』


 その声が消えた後も、誰もすぐには動けなかった。


 民衆は、棺を見ていた。


 白い花に飾られた英雄の棺ではない。

 背中に本当の致命傷を残し、胸に偽りの傷を焼きつけられた、一人の死者の棺を。


 王国の物語は、崩れた。


 だが、崩れた瓦礫の下には、まだ別のものが埋まっていた。


 勇者一人の死ではない。


 もっと多くの死者たちの名。

 もっと古くから続いてきた嘘。

 王国が英雄と呼び、民に祈らせ、都合よく飾ってきた死。


 そのすべての中心にあったのが、英雄管理局だった。


 ミラ王女が、帳簿を開いた。


 国葬の壇上で、彼女の手は震えていた。

 けれど、声は震えていなかった。


「これより、王女ミラ・ヴァルクラインの名において、英雄管理局の内部記録を読み上げます」


 宰相バルドの顔が、初めて明確に歪んだ。


「殿下」


 その声は低かった。


「それ以上は、王家そのものを傷つけます」


「傷つくべきです」


 ミラは言った。


「王家がこの仕組みを許してきたのなら、傷つかずに済む資格などありません」


 民衆がざわめく。


 王女が王家の罪を認めようとしている。


 その事実に、広場の空気が大きく揺れた。


 バルドはすぐに表情を整えた。


「若さゆえの感傷です。国の仕組みは、あなたが思うほど単純ではない」


「単純ではないからといって、死者の死因を書き換えていい理由にはなりません」


 ミラは帳簿を掲げた。


「英雄管理局。表向きの職務は、英雄の功績を記録し、遺族を保護し、国葬および慰霊事業を管理すること」


 彼女は一拍置いた。


「しかし実際には、王国に都合の悪い英雄の死を隠蔽し、公式物語に沿うよう加工する機関でした」


 広場が凍った。


 加工。


 その言葉が、死者に向けられた瞬間、人々はようやく理解し始めた。


 王国は英雄を讃えていたのではない。


 英雄を材料にしていたのだ。


 ミラは一枚の記録紙を読み上げた。


「剣聖アーロン。公式発表、魔族軍との戦闘により壮烈な戦死。英雄管理局内部処理、遺体返還不可。理由、頸部注射痕および毒物反応を遺族に確認される恐れあり」


 剣聖アーロンの娘が、群衆の中で口元を押さえた。


 周囲の人々が彼女を見る。


 彼女は崩れなかった。


 ただ、首から下げていた古い剣の柄を握りしめた。


「父の遺体を返さなかったのは……そういう理由だったのですね」


 ミラは苦しげに目を伏せた。


「記録には、さらにこうあります。剣聖の死因について異議を唱えた遺族には、弔慰金増額と引き換えに沈黙誓約を求めること」


 民衆から怒号が上がった。


「遺族を買収したのか!」


「英雄の家族にまで!」


 バルドは表情を変えない。


 だが、その沈黙こそが答えだった。


 ミラは次の記録を読む。


「賢者リディア。公式発表、禁呪暴走による自滅。内部処理、拘束痕の隠蔽。遺体は密葬。弟子筋への監視継続」


 賢者リディアの弟子である老人が、杖を震わせた。


「先生は……狂ってなどいなかった」


 その声は細かった。


 けれど、広場にはっきり届いた。


「王国が、先生を狂人にしたのか」


 ミラは続けた。


「竜騎士バラム。公式発表、暴走竜を止めるため殉職。内部処理、王国騎士団による処刑痕あり。竜の暴走原因に王国軍実験の疑い。関係資料は英雄管理局第五保管庫へ移送」


 王国軍の兵士たちの間に動揺が走った。


 自分たちの祖父や父が信じてきた英雄譚。

 訓練場で唱和してきた勇ましい物語。


 その裏に、処刑や毒殺や拘束死が隠されていた。


 俺は父の記録簿を開いた。


 ミラの帳簿と、父の手書きの記録。


 別々の場所に残された二つの記録が、同じ死者の同じ傷を指している。


 父は、一人でこれを残していたのだ。


 王国の公式記録から消された死者たちのために。


「ノアさん」


 エリシアが小さく言った。


「読んでください」


 俺は頷いた。


 父の記録簿を持ち、民衆へ向き直る。


「王都葬儀局、ノア・アーベル。葬儀官として、死者記録を読み上げます」


 声が震えないように、息を整えた。


「ここに記されているのは、王国の公式記録から削除された死者たちです」


 ページをめくる。


「国境砦守備隊長、ヘルマン・グレイ。公式死因、魔族の奇襲により戦死。実際の死因、撤退命令を拒否し民間人を逃がした後、王国軍督戦隊により射殺」


 群衆の中で、老女が悲鳴のような声を上げた。


「ヘルマンは、逃げた卑怯者だと……ずっと……」


 俺は次を読む。


「治癒術師セリア。公式死因、魔王領の瘴気感染。実際の死因、捕虜となった魔族の子どもを治療したため、反逆罪容疑で拘束。治療魔力を封じられ衰弱死」


 若い神官が膝をついた。


「セリア様は、教会で反面教師として教えられていた……敵に情をかけて呪われた愚かな治癒師だと」


 マリナが震えながら首を振った。


「違います。治癒師だったのです。敵味方を分けなかっただけで」


 さらに読む。


「第七歩兵隊、氏名不詳四十二名。公式死因、魔族の毒霧による壊滅。実際の死因、王国軍新型魔導兵器の誤作動。遺体は身元確認せず焼却」


 兵士たちの顔が変わった。


 名前すら残されなかった死者。


 それは、彼ら自身の未来かもしれなかった。


 英雄管理局は、英雄だけを管理していたのではない。


 死を管理していた。


 誰が英雄になるか。

 誰が反逆者になるか。

 誰が名誉の戦死を与えられるか。

 誰が名前もなく焼かれるか。


 そのすべてを、王国の物語に合わせて選別していたのだ。


「英雄管理局の正体は」


 俺は記録簿を閉じた。


「死者の名を守る機関ではありません。死者の死を、国家の都合に合わせて編集する機関です」


 広場に、重い沈黙が落ちた。


 その沈黙を破ったのは、バルドの笑い声だった。


 低く、静かな笑い。


「編集」


 彼はゆっくりと言った。


「よい言葉です。まさに国家とは、混沌とした現実を編集し、民が耐えられる形に整えるものです」


 エリシアが睨む。


「死者を道具にしておいて」


「死者はもう苦しみません」


 バルドは平然と言った。


「苦しむのは生者です。だからこそ、生者には物語が必要なのです」


「違う」


 レオンが低く言った。


 彼は勇者の棺の前に立っていた。


「物語が必要だったのは、民じゃない。お前たちだ。戦争を続ける理由、税を集める理由、兵士を死なせる理由。そのすべてを正当化するために、英雄の死を使った」


 バルドはレオンを見た。


「君もその仕組みに守られてきた」


「ああ」


 レオンは逃げなかった。


「だから俺も罪人だ」


 彼は民衆へ向き直った。


「俺は勇者カイゼルを刺した。妹を人質に取られていたとはいえ、刺したのは俺の手だ。俺は裁かれるべきだ」


 そして、バルドを見た。


「だが、お前は俺一人を処刑して終わらせるつもりだった。勇者殺しというわかりやすい罪人を作り、英雄管理局の仕組みは残すつもりだった」


 バルドは答えない。


 代わりに、背後の英雄管理局職員たちが動いた。


 黒い外套。

 金羽と剣の紋章。

 彼らはいつの間にか、広場のあちこちに散っていた。


 民衆を囲むように。


 証言者たちの近くへ。


 ミラ王女の側へ。


 俺は気づいた。


 告発が進めば進むほど、彼らは追い詰められる。


 そして追い詰められた組織は、証拠と証人を消そうとする。


「ミラ殿下、下がってください」


 俺が言うより早く、黒外套の一人が短剣を抜いた。


 狙いは帳簿。


 ミラの手元だ。


 だが、その前に剣が閃いた。


 レオンが黒外套の短剣を弾く。


「もう、背中からは刺させない」


 黒外套たちが一斉に動いた。


 広場が悲鳴に包まれる。


 王国軍の兵士たちは混乱していた。

 誰に従えばいいのか、わからなくなっている。


 宰相か。

 王女か。

 英雄管理局か。

 それとも、今見せられた死者の証言か。


 バルドは静かに手を上げた。


「英雄管理局緊急権限を発動する」


 その言葉に、黒外套たちが膝をつくように姿勢を低くした。


「国葬会場における魔王汚染および反逆扇動を確認。対象者、ノア・アーベル、エリシア・レインフォード、ミラ王女、レオン・クラウス、宮廷魔術師サイラス、神官補佐マリナ」


 彼は俺たちを一人ずつ見た。


「全員、国家記録改竄罪および魔王共謀罪により、即時処刑」


 民衆から悲鳴が上がる。


 ミラが叫んだ。


「そんな権限、認めません!」


「王国非常時には、英雄管理局が国家物語の保全を担います」


 バルドの声は冷たかった。


「物語を壊す者は、国家を壊す者です」


「違います!」


 エリシアが叫んだ。


「壊れているのは、あなたたちの嘘です!」


 黒外套が迫る。


 レオンが前に立つ。

 エリシアが棺を庇う。

 マリナが祈りの光を広げ、サイラスが記録石を掲げる。


 俺は、父の記録簿を抱えた。


 逃げるわけにはいかない。


 ここで記録簿を奪われれば、死者たちはまた名前を失う。


 その時、民衆の中から一人が前へ出た。


 剣聖アーロンの娘だった。


「その帳面を、守って」


 彼女は隣の男に言った。


 賢者リディアの弟子も、杖を突いて前へ出る。


「先生の名を、また消させるものか」


 竜騎士バラムの従者の孫が、王国軍の槍を地面に置き、俺たちの前に立った。


「俺は、もう命令だけで槍を向けない」


 それに続いて、民衆が少しずつ動き出した。


 全員ではない。


 恐れて逃げる者もいる。

 まだ魔王の呪いを信じる者もいる。

 バルドの言葉にすがる者もいる。


 けれど、何人かは立った。


 死者の名を聞いた者たち。

 遺体を返されなかった遺族。

 英雄の物語に違和感を抱きながら沈黙してきた者たち。


 彼らが、俺たちと黒外套の間に立った。


 英雄管理局が初めて、民によって遮られた。


 バルドの顔が歪む。


「民よ、どきなさい」


 誰も動かなかった。


 老女が言った。


「息子の本当の死因を聞くまでは、どきません」


 若い兵士が言った。


「俺たちの死も、勝手に美談にされるのですか」


 神官が言った。


「治癒師セリア様の名を、教会は訂正すべきです」


 声は小さかった。


 だが、確かに増えていった。


 死者の名前が、生者を動かし始めていた。


 俺は記録紙を取り出し、書いた。


『英雄管理局、国家物語保全の名のもと、証言者および王女の即時処刑を宣告。民衆の一部、死者記録の保護を求めてこれを阻止』


 ペン先が震えた。


 けれど、今度の震えは恐怖だけではなかった。


 死者の記録が、俺一人のものではなくなっている。


 父一人が隠してきた帳面が、今、遺された者たちの手に戻ろうとしている。


 バルドは静かに目を閉じた。


「やむを得ません」


 彼はそう言って、懐から小さな黒い石を取り出した。


 黒花の根に似た、不吉な光を放つ石。


 サイラスの顔色が変わった。


「それは……封印石?」


「英雄管理局第五保管庫にあったものです」


 バルドは微笑んだ。


「魔王領から押収した黒花の根を、王都で研究していた副産物ですよ」


「やめろ!」


 サイラスが叫んだ。


「それを壊せば、封じていた瘴気が――」


 バルドはためらわなかった。


 黒い石を、床に叩きつける。


 割れた。


 次の瞬間、王城前広場の石畳の隙間から、黒い瘴気が噴き上がった。


 民衆が悲鳴を上げる。


 黒い霧が、棺へ、黒花の苗へ、そして人々へ向かって広がっていく。


 バルドの声が響いた。


「見るがいい! これが魔王の呪いだ! 黒花を持ち込んだ反逆者たちが、王都に災厄を呼んだのだ!」


 自分で瘴気を放ちながら、彼はそれを俺たちの罪に変えようとしている。


 英雄管理局の正体。


 それは死者の死因を変えるだけではなかった。


 災厄さえ作り、敵のせいにし、民を物語へ追い込む機関だった。


 黒花の苗が激しく震えた。


 エリシアがそれを抱きしめる。


「ノアさん!」


 俺は勇者の棺を見た。


 カイゼル様の遺体は、黒い霧の中でも静かだった。


 死者は嘘をつかない。


 だが、生者の嘘は、まだ死者を増やそうとしている。


 俺は記録簿を閉じ、黒花の苗のそばへ膝をついた。


「吸えるか」


 花に問いかける。


 黒花は震えた。


 小さな苗には、あまりにも重すぎる瘴気だった。


 このままでは、花が枯れる。

 王都も呑まれる。


 その時、勇者の棺の中で、聖剣が震えた。


 布に包まれた刃が、淡い光を放つ。


 まるで、死者がまだ終わっていないと言っているように。


 俺は聖剣を見た。


 黒花を見た。


 勇者の遺体を見た。


 そして、広場に集まった死者の遺族たちを見た。


 英雄管理局の正体は暴かれた。


 けれど、王国の嘘は最後の抵抗として、王都そのものを人質に取った。


 この瘴気を止めなければ、バルドはまた物語を作る。


 黒花が呪いだった。

 勇者の妹が裏切った。

 葬儀屋が王都を汚した。


 そう記録される。


 俺はペンを握った。


 まだ記録は終わっていない。


 死者の名前を守るためには、生きている者たちを、この嘘の霧から守らなければならない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ