表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/40

第30話 黒花の村防衛戦

 火矢が、空に向けられた。


 狙いは黒花の墓地。


 死者たちの名前が刻まれた木札の列だった。


 剣聖。

 賢者。

 竜騎士。

 勇者。

 王国に捨てられた兵士。

 魔族の子ども。

 誰にも知られず死んだ者たち。


 ようやく取り戻され始めた名前へ、王国軍は火を放とうとしていた。


「撃て!」


 監査官ディートの声が響いた。


 次の瞬間、火矢が放たれる。


 赤い線が空を裂いた。


「伏せろ!」


 レオンが叫ぶ。


 彼は前へ飛び出し、剣で一本目の火矢を叩き落とした。

 だが、すべては止められない。


 火矢のいくつかが木柵に刺さり、乾いた板に火が走った。


 村人たちの悲鳴が上がる。


 子どもが泣き、母親が抱き寄せる。

 老人たちは水桶を運ぼうとするが、震える手では足りない。


 俺は一瞬、動けなかった。


 剣は振れない。

 魔法も使えない。

 矢を落とすことも、火を消すこともできない。


 目の前で、村が燃え始めている。


 その時、黒花の墓地の奥にある石造りの小屋が目に入った。


 低く、半分地面に埋まった建物。

 村の納骨堂だ。


 葬儀屋の目だから、すぐにわかった。


 そして同時に、別のことにも気づいた。


 納骨堂には、必ず風抜きと搬出口がある。


 遺体を安置する場所は、空気と水の通り道を持っている。

 この村の納骨堂も同じなら、地下道があるはずだ。


「老人!」


 俺は元王国歩兵の老人へ駆け寄った。


「あの納骨堂、地下がありますね」


 老人は目を見開いた。


「なぜわかる」


「葬儀屋です」


 俺は短く答えた。


「遺体を運び入れる道があるはずです。村の外へつながっていますか」


「昔の排水路がある。だが、崩れていて――」


「子どもなら通れますか」


 老人は一瞬迷い、頷いた。


「通れる」


「なら、子どもと怪我人をそこへ」


 俺は村人たちに向かって叫んだ。


「全員、納骨堂へ! 戦える人は火を消すより、道を空けてください! 荷物はいりません。名前の木札だけ持てる人は持って!」


 村人たちは戸惑っていた。


 当然だ。


 突然現れた王都の葬儀屋の言葉など、信じられるはずがない。


 だが、エリシアがすぐに声を重ねた。


「ノアさんの言う通りにしてください! 子どもを先に!」


 その声で、人々が動き出した。


 魔族の母親が子どもを抱き、王国兵だった老人が義足を引きずりながら納骨堂の扉を開ける。

 人間の少年が、墓地の木札を必死に抱えた。


 火は広がっている。


 レオンは村の入口で王国軍の前列を食い止めていた。


 彼の剣は速かった。


 だが、殺してはいない。


 槍を弾き、盾を打ち、馬の進路を逸らす。

 王国兵たちを傷つけすぎないよう、ぎりぎりのところで止めている。


「なぜ本気で斬らない!」


 ディートが怒鳴る。


「相手は反逆者だ!」


 レオンは答えなかった。


 代わりに、剣の腹で兵士の胸当てを打ち、後退させる。


「俺はもう、命令で人を殺さない」


 その声が聞こえた。


 エリシアは村の中央に立ち、祈りの光を広げていた。


 火傷を負った魔族の子。

 矢を受けた王国兵。

 煙を吸って倒れた村人。


 敵味方の区別なく、彼女は癒やしていた。


「聖女様、そいつは王国兵です!」


 村人の一人が叫ぶ。


「この村を焼きに来た者です!」


「怪我人です」


 エリシアは答えた。


「今は、それだけです」


 その言葉に、王国兵の若者が呆然と彼女を見た。


 裏切り者の聖女と呼ばれた少女が、自分を癒やしている。


 その事実に、彼は槍を落とした。


 俺は納骨堂へ走った。


 中は狭く、湿っていた。


 壁には小さな骨壺が並び、木札が置かれている。

 人間の名も、魔族の名もある。


 床の奥に、石板があった。


「これか」


 俺は手をかける。


 重い。


 動かない。


 すると、角の折れた少女が駆け寄ってきた。


「そこ、こっち押す!」


 少女は壁のくぼみを押した。


 石板がわずかに浮く。


 俺と老人で力を合わせ、石板をずらした。


 暗い穴が開いた。


 冷たい風が吹き上がる。


 生きている道だ。


「子どもから!」


 俺は叫んだ。


 村人たちが列を作る。


 泣きじゃくる子どもを、母親が穴へ下ろす。

 老人たちがその後を支える。


 だが、全員は間に合わない。


 外で火の勢いが増した。


 火矢の第二射が来る。


 サイラスが村の入口で杖を掲げた。


 顔は真っ青だったが、目だけは鋭い。


「記録者だからといって、ただ見ているだけではありませんよ……!」


 彼の魔法陣が空に広がる。


 放たれた火矢の軌道が曲がり、何本かが地面へ落ちた。


 だがサイラスの体が大きく揺れる。


 無理をしている。


「サイラス様!」


 マリナが駆け寄り、祈りで支えた。


 彼女の手も震えていた。


 それでも、今度の祈りは偽りの傷を作るためではない。


 生きている人を支えるための祈りだった。


「撃ち続けろ!」


 ディートが叫ぶ。


「黒花を焼け! 墓ごと焼き払え!」


 火矢の一つが、墓地の中央へ落ちた。


 カイゼルの名が書かれた木札のそばに火が走る。


 エリシアが駆け出そうとした。


 だが、その前にレオンが飛び込んだ。


 彼は素手で火を払い、木札を掴んだ。


 白い手袋を外した右手が焼ける。


 それでも離さない。


「カイゼルの名を、二度と燃やさせるか」


 レオンは歯を食いしばって言った。


 その姿を見た王国兵の何人かが、完全に動きを止めた。


 勇者を刺した男が、勇者の名札を守っている。


 その矛盾が、彼らの命令を鈍らせていた。


 だが、後続の重装兵は止まらない。


 黒い盾を構え、村の入口へ押し寄せる。


 ディートの声が響く。


「迷う兵は反逆者と見なす! 進め!」


 その時、地面が震えた。


 最初は、馬の蹄かと思った。


 違う。


 村の墓地全体が、低く鳴っていた。


 黒花が一斉に揺れる。


 風はない。


 花びらが黒く光り、根元から細い根が地表へ浮かび上がる。


「何が……」


 俺は納骨堂の入口で立ち尽くした。


 黒花の根が、墓地の下から村全体へ広がっていく。


 火のついた木柵の下を這い、井戸の周りを囲み、倒れた兵士たちの足元を避けるように伸びる。


 まるで、意思があるようだった。


 サイラスが呆然と呟いた。


「黒花の根が……目覚めている」


 黒い根は、火を吸った。


 燃え上がる炎が、根に触れた瞬間、黒い煙へ変わり、花びらへ吸い込まれていく。


 村人たちが息を呑む。


 王国兵たちも動けない。


 ディートだけが叫んだ。


「魔王の術だ! 焼け! もっと火を――」


 その足元に、黒花の根が絡んだ。


 強く締め上げるわけではない。


 ただ、彼をその場に止めた。


 まるで、死者の墓を踏み荒らす者を拒むように。


 エリシアが、黒花の中心へ歩いた。


「兄さん……?」


 彼女の足元で、黒花が道を開く。


 カイゼルの木札の下から、ひときわ太い根が現れた。


 その根は、村の地下を通り、魔王城の方角へ伸びている。


 魔王の心臓へ。


 世界の瘴気を受け止める、黒花の根へ。


 俺の胸元の花びらが熱を持った。


 魔王ゼルグレイスの声が、かすかに響いた。


『守れ。まだ、根は生きている』


 その声は弱かった。


 だが、確かに聞こえた。


 黒花の根は、村を焼く火を吸い始めていた。


 同時に、黒い煙が根を通じて村の外へ流れていく。


 王国軍の前列が後ずさった。


「呪いじゃない……」


 若い兵士が呟いた。


「火を、消している……」


 その一言が、戦場の空気を変えた。


 何人かの兵士が弓を下ろす。


 重装兵の足が止まる。


 ディートが必死に叫ぶが、もう命令は広がらなかった。


 俺は納骨堂から最後の子どもを地下道へ送った。


 残っているのは、戦える大人と俺たちだけ。


 村は燃え尽きていない。


 墓地も、木札も、黒花も、まだ残っている。


 完全に守れたわけではない。


 家は焼けた。

 怪我人も出た。

 恐怖は消えない。


 それでも、村は消えていない。


 死者の名は、まだここにある。


 レオンが焼けた手で剣を握り直した。


 エリシアは倒れた兵士に祈りを捧げている。

 マリナは泣きながら治癒を続け、サイラスは震える手でこの光景を記録していた。


 俺は記録紙を取り出した。


『黒花の村、防衛戦。王国軍による火矢攻撃。黒花の根、火と瘴気を吸収。呪いではなく浄化作用を兵士多数が目撃』


 そこまで書いて、手が止まった。


 地面の震えが、まだ続いている。


 黒花の太い根が、さらに深く、さらに遠くへ伸びていく。


 魔王城の方角から、低い鼓動のような音が聞こえた。


 一度。


 また一度。


 心臓の音だ。


 サイラスが青ざめた顔で言った。


「魔王の心臓が……反応している」


 黒花の村を守る戦いは、終わっていなかった。


 むしろ今、世界を支える根そのものが、目を覚まそうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ