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勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


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第3話 英雄管理局からの命令

「英雄管理局です。勇者カイゼルの遺体確認に参りました」


 扉の向こうから聞こえた声に、俺の手が止まった。


 記録紙には、まだ乾いていない文字が残っている。


『勇者カイゼル。公式死因、魔王の黒槍による胸部貫通。実際の致命傷、背部刺創』


 見つかれば終わりだ。


 俺だけではない。

 ここにいる聖女エリシアも、ただでは済まない。


 国葬前の遺体確認は禁止されている。

 まして、勇者の死因に疑いを持ち、記録まで残していたとなれば、反逆の疑いをかけられてもおかしくない。


 エリシアが息を呑んだ。


 俺はすぐに記録紙を二つに折り、作業台の下に滑り込ませた。

 黒花の花びらは、小さな薬包紙に包んで胸元の内ポケットへ押し込む。


 勇者の背中には白布を掛け直した。


 胸の傷だけが見えるように。


 自分の手つきが、嫌になるほど早かった。


 隠すことに慣れている。


 葬儀屋は死者の味方だ。

 そう思っていたはずなのに、俺の体はもう、生者の都合に合わせる動きを覚えていた。


「ノアさん……」


 エリシアが小さく呼んだ。


「奥へ」


「でも」


「見つかれば、あなたまで疑われます」


 俺は清拭室の奥にある遺体用具棚を指した。

 大きな棚の陰なら、すぐには見えない。


 エリシアは迷ったが、やがて頷いた。

 白い修道服の裾を押さえ、音を立てないように奥へ移動する。


 その直後、扉が開いた。


 入ってきたのは、黒い外套を着た細身の男だった。


 年齢は三十代半ばほど。

 髪をきっちり後ろへ撫でつけ、銀縁の眼鏡をかけている。

 胸元には、金の羽根と剣を組み合わせた紋章。


 英雄管理局の紋章だ。


 男の後ろには、二人の護衛兵がいた。

 どちらも無言で、こちらを値踏みするように見ている。


「あなたが担当葬儀官ですか」


「王都葬儀局所属、ノア・アーベルです」


「私は英雄管理局記録監査官、ディート・ヴァルナー」


 男は名乗ると、棺台の上の勇者を一瞥した。


 死者に向ける視線ではなかった。


 まるで、納品された品物の状態を確かめる商人のような目だった。


「進捗を確認します」


「国葬は明日の正午と聞いています。清拭と外傷処置を進めています」


「胸の傷は?」


「処置中です」


「目立つようにしてください」


 即座に言われた。


 俺は思わず男を見た。


「目立つように、ですか」


「国民は、勇者がいかに壮絶な戦いの末に命を落としたかを知る必要があります」


「死者の傷は、見世物ではありません」


 口にしてから、しまったと思った。


 護衛兵の一人が、わずかに手を剣へ寄せた。


 ディートは怒らなかった。

 ただ、薄く笑った。


「葬儀官殿。あなたは少し誤解している」


「誤解?」


「国葬とは、死者のためだけに行うものではありません。生きている民のために行うものです」


 その声は冷静だった。


「民には物語が必要です。魔王に胸を貫かれながらも、最後の力で世界を救った勇者。その姿こそが、王国の希望になる」


「たとえ、それが事実と違っても?」


 男の笑みが消えた。


 空気が冷える。


「事実とは、記録されたものです」


 ディートは静かに言った。


「そして記録は、我々が管理する」


 その一言で、俺は理解した。


 この男にとって、勇者カイゼルがどう死んだかなど問題ではない。

 どう記録されるか。

 どう民に語られるか。

 それだけが重要なのだ。


「勇者カイゼルの死因は、魔王の黒槍による胸部貫通」


 ディートは一語ずつ確認するように言った。


「背面の傷については、国葬時に見えないよう完全に覆うこと。処置記録には記載しないこと。遺族への説明も不要です」


 奥の棚の陰で、エリシアが息を詰める気配がした。


 俺は、そちらを見ないようにした。


「遺族にも、ですか」


「勇者はすでに個人ではありません」


 ディートは棺台に横たわるカイゼルを見下ろした。


「王国の象徴です」


 その瞬間、胸の奥に熱いものが走った。


 個人ではない。


 死んだ途端に、人間ではなくなるのか。

 弟であり、兄であり、友であり、剣を握って戦った一人の男ではなくなるのか。


 英雄という名前を貼られた瞬間、死者は王国の所有物になるのか。


「承服できませんか」


 ディートが俺を見た。


「いえ」


 俺は感情を押し殺した。


「命令は理解しました」


「よろしい」


 ディートは懐から封筒を取り出し、作業台の上に置いた。


 封蝋には英雄管理局の紋章が押されている。


「正式な命令書です。王都葬儀局長にも同じものを渡しています」


 俺は封筒を開いた。


 中には、簡潔な命令が書かれていた。


 一、勇者カイゼルの遺体は、胸部外傷を中心に処置すること。

 二、背部外傷は衣装および布で隠すこと。

 三、処置記録には胸部貫通傷のみを記載すること。

 四、遺体に付着した魔王領由来の異物は、すべて英雄管理局へ提出すること。


 四つ目の文を見た瞬間、俺の指が止まった。


 魔王領由来の異物。


 黒花のことだ。


 彼らは知っている。


 勇者が何かを持ち帰った可能性を、最初から警戒している。


「何か発見しましたか」


 ディートが尋ねた。


 俺は封筒から目を上げた。


「いいえ」


「本当に?」


「清拭中に確認した限りでは、ありません」


 嘘をついた。


 死者の前で、生者のために嘘をついた。


 胸が重くなった。


 だがここで黒花を渡せば、勇者が最期に握っていたものは二度と戻らない。

 焼かれるか、隠されるか、別の物語に作り替えられる。


 俺はそれを、もう見過ごせなかった。


 ディートはしばらく俺を見ていた。


 眼鏡の奥の目が、細くなる。


「葬儀官殿」


「はい」


「あなたの父上も、葬儀官でしたね」


 心臓が一拍、強く鳴った。


「……父をご存じなのですか」


「記録で」


 ディートは淡々と言った。


「優秀な方だったと聞いています。少々、記録にこだわりすぎたようですが」


 背筋が冷えた。


 父のことを、英雄管理局が知っている。


 いや、知っているどころではない。

 あの人が消えた理由に、この局が関わっていたのかもしれない。


「あなたは、父上に似ない方がいい」


 ディートは、静かに警告した。


「死者のために生者の人生を捨てるなど、愚かなことです」


 俺は答えなかった。


 答えれば、声が震えそうだった。


 ディートは満足したように頷くと、勇者の遺体へ近づいた。


 白布の端に手をかける。


 まずい。


 背中を見られれば、俺が処置していないことがわかる。

 それどころか、エリシアが見た痕跡まで気づかれるかもしれない。


「監査官殿」


 俺は一歩前へ出た。


「遺体は、現在清拭途中です。許可なく触れないでいただきたい」


「我々には確認権限があります」


「わかっています。ですが、清拭途中の遺体に不用意に触れれば、国葬用の処置に影響します」


 俺は作業台に置いてあった香油瓶を取った。


「胸の傷を目立たせるためには、皮膚の乾燥具合を調整する必要があります。今触れれば、処置跡が不自然になります」


 半分は本当。

 半分は時間稼ぎだった。


 ディートは俺の顔を見た。


「ずいぶん専門的ですね」


「葬儀屋ですから」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて、ディートは白布から手を離した。


「いいでしょう。国葬で失敗があれば、責任はあなたが取ることになる」


「承知しています」


「明朝、再度確認します。それまでに、命令通り整えておくように」


 ディートは外套を翻した。


 護衛兵たちも、それに続く。


 扉が閉まる直前、彼は振り返った。


「ノア・アーベル殿」


「はい」


「死者は、何も語りません」


 彼は薄く笑った。


「だから、余計な声を聞いたつもりにならないことです」


 扉が閉まった。


 足音が遠ざかる。


 完全に聞こえなくなるまで、俺は動けなかった。


 やがて、棚の陰からエリシアが出てきた。


 彼女の顔は青ざめていた。

 だが、その目には先ほどより強い怒りが宿っていた。


「兄を……物語にするつもりなのですね」


「もう、しているんです」


 俺は命令書を見下ろした。


 胸の傷を目立たせろ。

 背中を隠せ。

 記録に残すな。

 魔王領由来の異物を提出しろ。


 それは、葬儀の指示ではなかった。


 真実を埋めるための手順書だった。


 俺は作業台の下から、折りたたんだ記録紙を取り出した。


 文字は少し滲んでいたが、読める。


 勇者カイゼル。

 実際の致命傷、背部刺創。


 俺はその下に、新たな一文を書き足した。


『英雄管理局より、背部外傷の隠蔽命令あり』


 エリシアが、息を呑む。


「ノアさん、それは……」


「これを書けば、俺はもう戻れません」


「なら、どうして」


 俺はペンを置き、勇者の遺体を見た。


「死者は何も語らないと、あの男は言いました」


 たしかに、死者は口を開かない。


 痛かったとも。

 悔しかったとも。

 誰に殺されたとも。


 何も言えない。


「でも、傷は残ります」


 俺は言った。


「誰かが読まなければ、死者は二度殺される」


 エリシアは、兄の手をそっと握った。


「兄の死を、もう一度殺させたくありません」


「なら、調べましょう」


 俺は黒花の花びらを胸元から取り出した。


 黒い花びらは、薄暗い清拭室の灯りを吸うように沈黙していた。


「この花を、英雄管理局は探している。つまり、これには意味がある」


「兄が最期に握っていたもの……」


「はい」


 その時、花びらの縁が、かすかに震えた。


 俺は目を凝らした。


 見間違いではない。


 黒い花びらの表面に、赤黒い筋が浮かび上がっていた。


 まるで、血管のように。


 エリシアが小さく呟いた。


「兄さん……?」


 花びらから、ほんの一瞬だけ声が聞こえた気がした。


 ――英雄として帰ってきたら、その物語を疑え。


 俺とエリシアは顔を見合わせた。


 勇者は死んでいる。


 だが、彼の残した何かは、まだ終わっていなかった。


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