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勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


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第27話 黒花の村

 黒花の村は、魔王領の境にあった。


 地図には載っていない。


 王国の軍用地図では、その一帯は「瘴気汚染地帯」と赤く塗り潰されている。

 民間の地図では、そもそも空白だった。


 魔族の残党が潜む危険地帯。

 黒花の呪いが広がる死の土地。

 王都では、そう教えられてきた。


 だが実際に目の前に現れたのは、粗末な木柵に囲まれた小さな村だった。


 黒い土の上に、低い家が並んでいる。

 屋根は藁と板で継ぎはぎされ、壁には人間の村で使う白石と、魔王領の黒石が混ざっていた。


 畑もある。


 痩せた土地ではあるが、黒花の根の間に野菜が植えられている。

 水路には濁りのない水が流れ、子どもたちが木桶を運んでいた。


 人間の子ども。

 角のある魔族の子ども。

 片耳が尖った混血の子ども。


 彼らは俺たちを見ると、いっせいに動きを止めた。


 怯えた目だった。


 王国軍ではないかと疑っているのだろう。


「ここが、黒花の村……」


 エリシアが呟いた。


 彼女の声には、驚きと痛みが混じっていた。


 魔族の巣ではない。

 呪いの中心でもない。


 そこにあるのは、ただ生きようとしている人々の暮らしだった。


 村の入口に、一人の老人が立った。


 人間だった。


 右脚は義足。

 片目には古い傷があり、腰には王国兵の古びた認識票が下がっている。


「止まれ」


 老人は錆びた槍を構えた。


「王国の者か」


 レオンが一歩前に出ようとする。


 だが俺は、それを制した。


 近衛騎士の鎧は、ここでは恐怖の象徴にしかならない。


「俺は王都葬儀局のノア・アーベルです」


「葬儀屋?」


「はい」


 老人の目が細くなる。


「葬儀屋が、なぜこんな場所へ来る」


「勇者カイゼル様の死を調べています」


 その名を出した瞬間、村の空気が変わった。


 怯えていた子どもたちが顔を上げる。

 家の陰から、大人たちが姿を見せる。


 魔族の女。

 王国兵の外套を着た男。

 顔半分に鱗を持つ少年。

 腕に赤ん坊を抱いた人間の母親。


 誰もが、カイゼルの名に反応していた。


 老人は槍を下ろさないまま、低く言った。


「勇者様は、死んだのか」


 エリシアが目を伏せた。


「はい」


 その答えだけで、村に静かな衝撃が広がった。


 誰も歓声を上げなかった。

 敵が死んだと喜ぶ者はいなかった。


 むしろ、何人かは祈るように目を閉じた。


「そうか」


 老人は槍を下ろした。


「間に合わなかったか」


「あなたは、兄を知っているのですか」


 エリシアが尋ねた。


 老人は彼女を見た。


「兄?」


「私は、カイゼルの妹です」


 その言葉に、老人は目を見開いた。


 それから深く頭を下げた。


「聖女様……いや、勇者様の妹君か」


「聖女ではなく、今は妹として来ました」


 エリシアの声は静かだった。


「兄が、ここで何を守ろうとしたのかを知りたくて」


 老人はしばらく黙っていた。


 やがて、村の奥を指さした。


「見ればわかる」


 俺たちは村へ入った。


 黒花は、村のあちこちに咲いていた。


 家の裏。

 畑の端。

 井戸のそば。

 小さな墓地の周り。


 けれど、誰も黒花を恐れていない。


 むしろ、大切にしていた。


 子どもたちは花に水をやり、老婆は枯れた葉を摘み、若い魔族の男は根元の土を整えている。


「黒花は、村を守っているのですか」


 俺が尋ねると、老人は頷いた。


「瘴気を吸う。水を澄ませる。死者のそばに植えれば、腐りが遅くなる」


「王国では呪いの花だと教えています」


「知っている」


 老人の顔が苦く歪んだ。


「だから王国兵は、見つけるたびに焼いた。焼けば焼くほど土地が悪くなるのに、誰も聞かなかった」


 俺は村の墓地に足を止めた。


 そこには、小さな墓標が並んでいた。


 人間の名。

 魔族の名。

 王国文字。

 魔族文字。

 どちらも読めないような子どもの文字。


 その中央に、まだ新しい木札が立っていた。


『カイゼル』


 エリシアが息を呑んだ。


「兄の墓……」


「本物の墓ではない」


 老人は言った。


「勇者様は、ここに眠ってはいない。だが、あの方は言った。もし自分が戻れなかったら、せめてこの村に名だけ置いてほしいと」


 エリシアは木札の前に膝をついた。


 手を伸ばしかけ、途中で止める。


「兄は、ここを守ろうとしたのですね」


「ああ」


 老人は頷いた。


「王国軍が一度、この村を焼こうとした。魔族と人間が共に暮らす村など、王国には都合が悪いからな」


「その時、兄が?」


「剣を抜いて、王国兵の前に立った」


 老人の声に、かすかな震えが混じった。


「勇者が魔族をかばったんだ。兵士たちは混乱したよ。勇者様は言った。ここにいるのは魔族の残党ではない。戦争からこぼれ落ちた者たちだ、と」


 エリシアの肩が震えた。


 だが、やはり泣き崩れない。


 彼女は木札を見つめたまま、静かに言った。


「兄らしいです」


 その時、村の奥から小さな子どもが走ってきた。


 片方の角が折れた魔族の少女だった。


 手には、古い布切れを握っている。


「これ、勇者がくれた」


 少女はエリシアに布を差し出した。


 それは、王国の紋章が入ったマントの端だった。


 焦げ跡があり、黒花の花粉がついている。


「怪我した子に巻いてくれた。勇者、言った。王国の布でも、傷を塞ぐことはできるって」


 エリシアは、その布を両手で受け取った。


 今度こそ、涙が落ちた。


「兄さん……」


 その一滴は、布の上に落ちた。


 黒花の花粉が、かすかに光った。


 俺は胸元の花びらが震えるのを感じた。


 勇者カイゼルは、ここを見た。


 墓を見た。

 子どもたちを見た。

 王国兵と魔族が同じ井戸の水を分け合う姿を見た。


 だから、魔王を倒せば世界が救われるという物語を信じられなくなった。


 この村は、勇者が最後に守ろうとした世界そのものだった。


「ノア」


 レオンの声がした。


 彼は村の入口の方を見ていた。


 顔が険しい。


 遠くから、地鳴りのような音が聞こえる。


 鎧の音。

 馬の蹄。

 王国旗が風を打つ音。


 王国軍だ。


 老人の顔色が変わる。


「もう来たのか」


 村の人々が動揺し始めた。


 母親が子どもを抱き寄せ、魔族の男たちが農具を手に取る。

 けれど、戦える者などほとんどいない。


 ここにいるのは兵士ではない。


 傷つき、逃げ延び、ようやく暮らしを作った人々だ。


 サイラスが青ざめた顔で言った。


「王国軍が黒花を焼けば、この村だけでは済みません。根が魔王城までつながっています」


「わかっています」


 俺は村を見渡した。


 墓。

 井戸。

 畑。

 黒花。

 子どもたち。


 ここを焼かせれば、勇者カイゼルの死は本当に無駄になる。


 いや、無駄どころか、彼の名が次の虐殺の旗にされる。


 エリシアが立ち上がった。


 手には、兄のマントの切れ端を握っている。


「守りましょう」


「はい」


 俺は頷いた。


 剣は振れない。

 魔法も使えない。


 だが、この村には死者の名がある。


 勇者が残した証がある。


 黒花が呪いではないことを示す、暮らしそのものがある。


 レオンは剣を抜いた。


 今度は、王国のためではない。


 カイゼルが守ろうとしたものを守るために。


 村の外で、王国軍の角笛が鳴った。


 黒花の村に、戦争が近づいていた。


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