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勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


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第25話 王国軍、出兵

 黒い水が、王城前広場の石畳を濡らしていった。


 白百合は、触れた端から腐るように黒ずむ。

 民衆の悲鳴が、国葬の祈りを押し流した。


「魔王の呪いだ!」


「黒花だ! 黒花が災いを呼んだ!」


「聖女様を下がらせろ!」


 恐怖は、あっという間に形を変えた。


 怯えは怒りになり、怒りは敵を求める。


 その流れを、宰相バルドは逃さなかった。


「民よ、見るがいい!」


 バルドは壇上で声を張り上げた。


「勇者カイゼルの国葬を汚すかのように、魔王の呪いが王都に現れた! 黒花を掲げた反逆者が、その災厄を呼び込んだのだ!」


 民衆の視線が、俺の手元へ集まる。


 黒花の花びら。


 勇者が最期に握っていた、真実の証。


 だが民には、呪いの花にしか見えていない。


「違います!」


 エリシアが叫んだ。


「黒花は呪いではありません! 瘴気を吸う花です! 今、王都を蝕んでいるのは、黒花を焼いたせいで――」


「聖女エリシアは、魔王の幻惑を受けている!」


 バルドが言葉をかぶせた。


 広場がどよめく。


「勇者を失った悲しみにつけ込まれ、魔族の言葉を信じてしまったのだ。なんと痛ましいことか」


「私は惑わされてなどいません!」


「ならばなぜ、魔王領の花を守る!」


 バルドの声は鋭かった。


「なぜ、勇者の国葬を妨げる! なぜ、魔王を悪ではないなどと言う!」


 民衆のざわめきが、さらに大きくなる。


 俺は歯を食いしばった。


 証拠はある。


 勇者の記録石。

 聖剣。

 英雄管理局の帳簿。

 神官補佐マリナの証言。

 宮廷魔術師サイラスの証言。

 レオンの自白。

 父の死者記録簿。


 だが、民の恐怖は証拠より速い。


 黒い水を見た人々は、すでに答えを欲しがっている。


 そしてバルドは、その答えを用意していた。


「王国軍に命じる!」


 バルドは右手を高く掲げた。


「ただちに魔王領へ出兵せよ! 魔王城に残る黒花を焼き尽くし、魔族残党を討伐するのだ!」


 一瞬、広場が静まり返った。


 次の瞬間、歓声が爆発した。


「魔族を討て!」


「黒花を焼け!」


「勇者様の仇を!」


 俺は血の気が引くのを感じた。


 黒花を焼けば、さらに瘴気が逆流する。


 魔王城に残る黒花の根は、世界の汚れを吸い続けている。

 そこを焼けば、王都どころでは済まない。


 サイラスが青ざめた顔で呟いた。


「だめだ……今、魔王城の根を焼けば、封じられている瘴気が一気に溢れる」


「どれくらい危険なんですか」


 俺が尋ねると、サイラスは震えた。


「王都の井戸が濁る程度では済みません。国境地帯の村も、畑も、川も……全部腐ります」


 マリナが口元を押さえた。


「そんな……」


 レオンは壇上のバルドを睨んでいた。


「あの男は知っている」


「え?」


「黒花を焼けばどうなるか、知ったうえで命じている」


 エリシアが息を呑んだ。


「なぜ、そんなことを」


「証拠を消すためだ」


 レオンの声は低かった。


「魔王城には、勇者が剣を下ろした痕跡がある。人間と魔族の墓碑がある。黒花が呪いではない証拠がある。魔王の心臓も、まだ根に残っている」


 俺は理解した。


 出兵は、王国を守るためではない。


 証拠隠滅だ。


 魔王城を焼けば、勇者カイゼルが見た真実は消える。

 黒花の村も、墓碑も、魔王の心臓も、すべて灰になる。


 そして災厄が広がれば、バルドはまた言うだろう。


 魔王の呪いだ、と。


「宰相バルド!」


 ミラ王女が壇上で声を上げた。


「王女の名において、その命令を撤回しなさい! 黒花を焼けば、王都の異変は悪化します!」


 バルドは冷たく彼女を見た。


「ミラ殿下。王国非常時における軍権は、国王陛下より宰相府へ委任されています」


「父上が、そのような命令を?」


「すでに御璽は頂いております」


 バルドが懐から一枚の命令書を取り出した。


 王家の封蝋。


 ミラの顔が青ざめる。


「そんな……」


「殿下はお若い。魔王の呪いに対し、情で判断なさるのは危険です」


「これは呪いではありません!」


「民が苦しんでいるのです」


 バルドは広場を見渡した。


「王国は、行動しなければならない。勇者カイゼルが命をかけて開いた勝利の道を、我々が引き継ぐのです!」


 また歓声。


 大きすぎる声が、真実を押し潰していく。


 その時、広場の脇の門が開いた。


 鎧の音が響く。


 王国軍だった。


 喪章をつけた兵士たちが、国葬の列からそのまま出兵の隊列へ組み替えられていく。


 白い花で飾られるはずだった槍が、今は魔王領へ向けられている。


 勇者の弔いの場が、戦争の出発点へ変わっていく。


「早すぎる」


 俺は呟いた。


「最初から準備していたんだ」


 レオンが言った。


「国葬で民の怒りを高め、そのまま出兵するつもりだった。黒い水が出たことで、奴には最高の口実ができた」


 エリシアが棺を見た。


 兄の遺体は、壇上で白布に覆われている。


 王国はその死体を使って、さらに多くの死者を作ろうとしている。


「兄は、こんなことを望んでいません」


「わかっています」


 俺は答えた。


 だが、どうすればいい。


 この場でバルドの嘘を暴くべきか。

 それとも、出兵する王国軍を止めるべきか。


 国葬の場には、勇者の遺体がある。

 民もいる。

 証拠を示すには、今が最大の機会だ。


 けれど軍が魔王領へ向かえば、黒花の村が焼かれる。

 魔王城も焼かれる。

 瘴気が広がり、王都はさらに枯れる。


 どちらも捨てられない。


 俺は葬儀屋だ。


 死者の真実を記録することはできる。


 だが、生きている者たちが今から死に向かうのを、どう止めればいい。


 その迷いを見透かしたように、バルドがこちらを見た。


「反逆者ノア・アーベルを捕らえよ!」


 兵士たちが動き出す。


「聖女エリシアを保護し、神官補佐マリナと宮廷魔術師サイラスも拘束せよ! 近衛騎士レオンは国家反逆の疑いにより武装解除!」


 広場に緊張が走った。


 レオンが剣を抜く。


 だが、その剣先は兵士へ向けられていない。


 彼は一瞬だけ、勇者の棺を見た。


「カイゼル」


 小さく呟く。


「また、間違えるところだった」


 そして俺に言った。


「葬儀屋。お前はどちらへ行く」


「どちら……?」


「ここで真実を暴くか。魔王領へ向かう軍を止めるか」


 その問いは、刃のように胸へ刺さった。


 エリシアが俺を見る。


 ミラ王女も、壇上からこちらを見ている。


 マリナは震え、サイラスは今にも倒れそうな体で記録石を握っている。


 広場では民衆が叫び、王国軍は出兵の準備を整えている。


 勇者の棺は、白い花に埋もれたまま沈黙している。


 死者は嘘をつかない。


 けれど、生者の嘘は今、次の死者を作ろうとしていた。


 俺は胸元の黒花を握った。


 花びらは、わずかに熱を持っていた。


 まるで、選べと言うように。


 王都で真実を暴くのか。


 魔王領を救うのか。


 どちらを選んでも、何かを失う。


 その事実だけが、黒い水の匂いと共に喉の奥へ張り付いていた。


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