第23話 勇者パーティー崩壊の始まり
宰相バルドの声が、王城前広場に響いていた。
「勇者カイゼルは、魔王ゼルグレイスとの死闘の末、己の命と引き換えに世界を救った」
民衆がすすり泣く。
白百合が黒ずみ始めていることにも、井戸水が濁ったことにも、人々はまだ正しい名前を与えられていない。
だから、宰相が差し出す言葉にすがる。
魔王の呪い。
勇者の犠牲。
王国の勝利。
広場の中央に置かれた勇者カイゼルの棺は、白い布と花に包まれていた。
胸の偽りの傷が見えるよう、衣は整えられている。
俺たちは群衆の後方に身を潜めていた。
エリシアは兄の棺を見つめ、唇を噛んでいる。
レオンは白い手袋を握ったまま、顔を伏せていた。
マリナは震えながら聖印を握り、サイラスは記録石の核を胸元に抱えている。
「今、出ますか」
エリシアが小さく言った。
「まだです」
俺は宰相のいる壇上を見た。
「ミラ王女が式を止める。その一瞬に、すべてを出します」
「すべて……」
サイラスがかすれた声で呟いた。
「なら、その前に、見ておいた方がいいものがあります」
彼は記録石の核を取り出した。
魔王城で見つけたものとは別の、サイラス自身が隠していた記録の欠片。
「勇者様が魔王城へたどり着く前の記録です」
「魔王城へ行く前?」
「はい」
サイラスの指が震える。
「勇者パーティーが、壊れ始めた日の記録です」
エリシアが息を呑んだ。
レオンの顔が、さらに青ざめる。
「やめろ」
彼は低く言った。
「それは今、見るものではない」
「いいえ」
サイラスは首を横に振った。
「今だから見るべきです。私たちは、あの日からもう戻れなかった」
記録石が淡く光った。
群衆の叫びも、宰相の声も、遠く薄れていく。
俺たちの視界に、灰色の荒野が広がった。
魔王領。
だが、そこは王国の絵物語にあるような地獄ではなかった。
黒い土の上に、黒花が点々と咲いている。
空は曇り、風は冷たい。
それでも、そこには生き物の気配があった。
記録の中で、勇者カイゼルは聖剣を背負い、道の先を見つめていた。
その後ろに、近衛騎士レオン。
少し離れて、宮廷魔術師サイラス。
さらに後方に、神官補佐マリナ。
四人はまだ、同じ方向を向いていた。
『ここが魔王領か』
若いレオンが呟く。
『もっと、腐った土地だと思っていた』
『油断するな』
カイゼルは短く言った。
『魔族はどこに潜んでいるかわからない』
その声には迷いがない。
この時のカイゼルは、まだ王国の勇者だった。
魔王を倒すことが世界を救うことだと信じていた。
その時、サイラスが足を止めた。
『勇者様、あれを』
黒花の群れの向こうに、小さな影があった。
魔族の子どもたちだった。
五人。
いや、六人。
角のある子、片目を布で覆った子、足を引きずる子。
彼らは黒花の周りに集まり、小さな木桶で水を運んでいた。
カイゼルが聖剣に手をかける。
レオンも剣を抜いた。
マリナが青ざめる。
『子どもです』
サイラスが言った。
『魔族だ』
レオンが返す。
『子どもでも、魔族は魔族だ』
その言葉に、魔族の子どもたちは気づいた。
一人が悲鳴を上げる。
他の子どもたちは黒花をかばうように前に出た。
逃げない。
黒花を守っている。
『なぜ逃げない』
カイゼルが呟いた。
聖剣を抜いたまま、彼は一歩近づく。
魔族の子どもの一人が、震える声で叫んだ。
『焼かないで!』
王国文字だった。
拙いが、確かに通じる言葉。
『この花、焼かないで! じいちゃんの墓、守ってる!』
カイゼルの足が止まった。
『墓……?』
子どもは黒花の奥を指さした。
そこには、小さな石が三つ積まれていた。
無縁墓と同じ形。
俺は思わず息を呑んだ。
記録の中のカイゼルも、同じようにその墓を見つめていた。
『黒花は、呪いの花ではないのか』
彼が尋ねる。
子どもは首を振った。
『黒花、悪いもの吸ってくれる。墓のそばに植える。死んだ人、苦しまないように』
レオンが眉をひそめる。
『嘘だ。王国では、黒花は魔族の呪いだと――』
『王国、いつも焼く』
別の子どもが言った。
『黒花焼くと、土が泣く。水、悪くなる。だから焼かないで』
カイゼルは聖剣を下ろしていない。
だが、その切っ先は揺れていた。
勇者の中で、最初の何かが崩れた瞬間だった。
『サイラス』
カイゼルが言う。
『記録しろ』
『はい』
記録の視点が少し揺れる。
サイラスが記録石を起動したのだろう。
『黒花について、王国の記録と現地証言が食い違っている。魔族の子どもたちは黒花を墓守りの花と呼称。瘴気吸収の可能性あり』
『そんなもの、王都へ持ち帰れると思うか』
レオンが低く言った。
『持ち帰る』
カイゼルは答えた。
『真実ならな』
『真実かどうか、誰が決める』
『俺たちが見る』
その言葉に、レオンは黙った。
けれど、その沈黙にはすでにひびが入っていた。
次の映像では、四人は焼けた村に立っていた。
魔族の村ではない。
人間と魔族が共に暮らしていた小さな集落だった。
王国兵の盾。
魔族の布。
子どもの玩具。
そして、黒花の焼け跡。
マリナが口元を押さえる。
『誰が、こんなことを……』
サイラスが焼け残った旗を拾う。
そこには王国軍の紋章があった。
レオンが顔を強張らせた。
『偽装かもしれない』
『そう思いたいか?』
カイゼルの声は低かった。
『レオン』
『俺は王国の騎士だ』
『俺も王国の勇者だ』
カイゼルは焼けた黒花の根元に膝をついた。
『でも、これを見なかったことにはできない』
その瞬間から、勇者パーティーは同じ方向を向けなくなった。
カイゼルは真実を見ようとした。
サイラスは記録を残そうとした。
マリナは祈りながら震えていた。
レオンは王国への忠誠と、友への信頼の間で引き裂かれ始めた。
映像がさらに変わる。
夜の野営地。
カイゼルが一人、黒花の花びらを手にしている。
レオンが近づいた。
『カイゼル。これ以上、余計なことを調べるな』
『余計なことじゃない』
『王国は、お前に魔王を倒せと言った』
『俺は世界を救えと言われた』
カイゼルはレオンを見た。
『魔王を倒すことと、世界を救うことが同じとは限らない』
レオンの顔が歪む。
『そんなことを王都で言えば、お前は終わる』
『なら、終わるのは俺じゃなくて、王国の嘘だ』
『カイゼル!』
レオンの声には、怒りより恐怖があった。
『俺は、お前を失いたくない』
カイゼルは少しだけ笑った。
『なら、一緒に来い。俺が間違っていたなら止めろ。王国が間違っていたなら、俺と一緒に間違いを正せ』
レオンは答えなかった。
ただ、白い手袋の右手を握りしめていた。
映像の端で、サイラスが震える手で記録石を持っている。
マリナは祈りながら泣いていた。
誰も、もう以前のままではなかった。
記録はそこで途切れた。
王城前広場の喧騒が戻ってくる。
宰相バルドの声が、再び耳に入った。
「勇者カイゼルは、最後まで王国を信じ、民を守るために戦った!」
嘘だった。
勇者は最後まで王国を信じたのではない。
王国を疑い始めた。
そして、それでも王国を見捨てず、真実を持ち帰ろうとした。
それが、彼の罪にされた。
エリシアは静かに目を閉じた。
「兄は、最初から強かったわけではないのですね」
俺は頷いた。
「間違いに気づいてから、強くなったのだと思います」
レオンは何も言わなかった。
だが、その手は震えていた。
あの夜、カイゼルは彼に「一緒に来い」と言った。
それでもレオンは、最後に背中を刺した。
その罪の重さは、記録を見る前よりもさらに深くなっていた。
サイラスは記録石を握りしめる。
「これも、出しましょう」
「はい」
俺は記録紙に書いた。
『勇者パーティー遠征記録。魔王領にて、黒花を墓守りの花として扱う魔族の子どもたちを確認。王国軍による黒花焼却および混合集落焼失の痕跡あり。勇者カイゼルは王国の魔王観に疑義を抱き、真実を王都へ持ち帰る意志を示した』
ペンを止める。
壇上で、宰相バルドが勇者の棺へ手を伸ばした。
「さあ、民よ。勇者の尊き傷を見よ。これこそ魔王を討った証である!」
その瞬間、王女ミラの声が広場に響いた。
「その棺を、開けてはなりません」
民衆がざわめく。
壇上の空気が変わった。
俺たちは顔を上げた。
約束の時が来た。
勇者パーティーが崩れ始めた日から続いた嘘を、今ここで終わらせる。
俺は父の記録簿を抱え直し、エリシアと共に人垣の前へ踏み出した。




